2/11~【クエストイベント】上田原の戦い
一昨年、昨年と実施しましたクエストイベント「上田原の戦い」、今年もやります。合戦自体は、現代ではバレンタインデーにあたる2/14(旧暦)に行われましたが、クエストイベントは、今年は2月11日(建国記念の日)~2月23日(日)まで行います。
場所はこのあたり(長野県上田市)、2月の信州は寒さが厳しいですが、上田周辺の史跡へお立ち寄りの際はぜひこちらの古戦場もめぐってみて下さい。信玄の初期家臣団がごそっと登用できます(・ω・)/
さて、クエストイベントも3回目ともなると、これといって特に説明することもありませんので( ̄_ ̄ i)、今日はこの上田原の戦い後から波瀾万丈な人生を歩んだ戦国大名について見てみましょう↓
上田原の戦いと言えば、武田信玄と信濃の強豪、村上義清との戦いですが、この村上義清以上にしぶとかった男、それが「小笠原長時」です。
時代劇などの影響で惰弱な大名のイメージがあるかもしれませんが、そして、戦は下手なのかもしれませんが、そのしぶとさと居候ぶりは、足利義昭すら越えたとの説もあります。
長時はれっきとした信濃守護職で、村上義清同様、信玄の信濃侵攻に抗った一人です。現在、多くの観光客が訪れる信濃の名城松本城のすぐ近く、林城を本拠とした大名で、いわゆる当時の名門の家柄です。
信玄の侵攻に対しては、守護職のプライドにかけて一歩も引かず戦いますが、残念ながらだいたい負けてます。しかし!前出の上田原の戦いで信玄が一敗地にまみれたことで長時にチャンスが到来しますヾ( ´ー`)
長時はここぞとばかりに周辺国人を糾合して一気に攻勢に転じますが、塩尻峠で休憩してるところを信玄に襲われて、やっぱり負けます。惜しい!( ̄□ ̄;)!!
そしてここから、長時の流浪の人生が始まります。敗戦後、信玄に本拠を追われると、家臣の二木氏(中塔城)や、村上義清、はたまた同族の伊奈小笠原氏(鈴岡城)を頼ったとも言われ、天文23年(1554)には遠く三好長慶(芥川城)を頼って上洛。
その長慶が信長に攻められると、今度は上杉謙信(春日山城)を頼って越後へ。さらに謙信が死去すると、京都に戻って信長の客分として京都御馬揃えにも出たとか。いろいろありましたが、最終的には、会津の蘆名氏(黒川城)のもとに庇護されてます。東へ西へものものすごい移動距離です( ̄Д ̄;; 恐れ入ります。
最期は、信濃で旧領を回復した三男の小笠原貞慶のもとへ行く直前に死去してしまいます(一説には暗殺されたとも)。もうちょっとで故郷へ返り咲きというところで...。
実に壮絶な流浪ぶりです。しかも、息子が旧領復帰した頃には、仇敵武田氏は滅んでしまっているわけですから、その本懐は遂げられたと言ってもいいかもしれません。確かに、名門の家柄と言うことで各大名に利用される側面もあったとは思いますが、なかなか常人にできる業ではありません。
今日のブログの主役村上義清がかすんでしまう、小笠原長時の話でした( ̄ー ̄)
[LINK] ≫発見!ニッポン城めぐり まとめ記事
場所はこのあたり(長野県上田市)、2月の信州は寒さが厳しいですが、上田周辺の史跡へお立ち寄りの際はぜひこちらの古戦場もめぐってみて下さい。信玄の初期家臣団がごそっと登用できます(・ω・)/
さて、クエストイベントも3回目ともなると、これといって特に説明することもありませんので( ̄_ ̄ i)、今日はこの上田原の戦い後から波瀾万丈な人生を歩んだ戦国大名について見てみましょう↓
上田原の戦いと言えば、武田信玄と信濃の強豪、村上義清との戦いですが、この村上義清以上にしぶとかった男、それが「小笠原長時」です。
時代劇などの影響で惰弱な大名のイメージがあるかもしれませんが、そして、戦は下手なのかもしれませんが、そのしぶとさと居候ぶりは、足利義昭すら越えたとの説もあります。
長時はれっきとした信濃守護職で、村上義清同様、信玄の信濃侵攻に抗った一人です。現在、多くの観光客が訪れる信濃の名城松本城のすぐ近く、林城を本拠とした大名で、いわゆる当時の名門の家柄です。
信玄の侵攻に対しては、守護職のプライドにかけて一歩も引かず戦いますが、残念ながらだいたい負けてます。しかし!前出の上田原の戦いで信玄が一敗地にまみれたことで長時にチャンスが到来しますヾ( ´ー`)
長時はここぞとばかりに周辺国人を糾合して一気に攻勢に転じますが、塩尻峠で休憩してるところを信玄に襲われて、やっぱり負けます。惜しい!( ̄□ ̄;)!!
そしてここから、長時の流浪の人生が始まります。敗戦後、信玄に本拠を追われると、家臣の二木氏(中塔城)や、村上義清、はたまた同族の伊奈小笠原氏(鈴岡城)を頼ったとも言われ、天文23年(1554)には遠く三好長慶(芥川城)を頼って上洛。
その長慶が信長に攻められると、今度は上杉謙信(春日山城)を頼って越後へ。さらに謙信が死去すると、京都に戻って信長の客分として京都御馬揃えにも出たとか。いろいろありましたが、最終的には、会津の蘆名氏(黒川城)のもとに庇護されてます。東へ西へものものすごい移動距離です( ̄Д ̄;; 恐れ入ります。
最期は、信濃で旧領を回復した三男の小笠原貞慶のもとへ行く直前に死去してしまいます(一説には暗殺されたとも)。もうちょっとで故郷へ返り咲きというところで...。
実に壮絶な流浪ぶりです。しかも、息子が旧領復帰した頃には、仇敵武田氏は滅んでしまっているわけですから、その本懐は遂げられたと言ってもいいかもしれません。確かに、名門の家柄と言うことで各大名に利用される側面もあったとは思いますが、なかなか常人にできる業ではありません。
今日のブログの主役村上義清がかすんでしまう、小笠原長時の話でした( ̄ー ̄)
[LINK] ≫発見!ニッポン城めぐり まとめ記事