僕の好きなバンド紹介です。

 

小学生時代:YMO

中学生時代:YMO(中学3年で散開)

高校生時代:YMOそれぞれのソロ、JAPAN等。

いつだったか覚えてませんがPROPAGANDAが好きになり、修学旅行のウォークマンにバンド名がタイトルのデビューアルバムを入れて道中聞いていた記憶があります。

 

当時、時代を一世風靡したトレバー・ホーン率いるZ,T,Tの急先鋒としてこのPROPAGANDAが1985年12月に来日して中野サンプラザでライブをしています。

 

当時はまだコンピューターをライブで使用することは少なく(YMOはでかいコンピューターをあえて使ってましたが)、彼らの場合はベーシックにテープを使用してかなり分厚いサウンドを作り出していました。シンセはヤマハDX7等。

 

プロパガンダはパフォーマンス性の強いグループで、ヴォーカルのクラウディア・ブルッケン、スザンヌ・フライタッグの2人の計算された動きや黒で統一されたシンプルなステージも「ドイツらしさ」を感じさせてくれます。

 

日本では高橋幸宏のLIVEで音と映像をシンクロさせるためにあえてテープを使って魅力的なステージが作られていましたね。

 

↓この曲に高校生の僕はノックアウトされました。

 

 

 

 

↓これもメチャクチャ良いですよ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トランスヴィジョン・ヴァンプを紹介します。

 

90年代初頭のハイテクvsノイジー・パンクの間に女性ボーカル(ウェンディ・ジェームス)が乗って大暴れするTRASH CITYから始まるアルバム「POP ART」がお勧め。

デビュー作にして最高傑作。

 

映画「ブレードランナー」の様な未来を暗示するオープニングを引き裂く様なノイジーギター。このリフ、当時プリプリが真似して笑ってしまいました。

 

当時芝浦にあったインクスティック芝浦ファクトリーの来日ライブに行きました。

 

NO MORE WAR !

 

当時は布袋さんの初ソロアルバム「ギタリズム」が出た頃。

テクノ+パンクが私のマストでした。

 

 

 

 

 

 

 

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第4日目

1月5日(写真は全て私自身の撮影)

 

ラ・トゥーレット修道院の朝は早く、昨晩夕食を食べた食堂

で、まだ早朝で暗いうちから軽めの朝食を取りました。この修道院のあるラ・ルブレルからバスで一路、ベルフォールへ向かいました。

 

作品解説:ロンシャン教会

正式名:ノートルダム-デュ-オー礼拝堂

 

コルビュジェが65歳のときの作品。ラ・トゥーレット修道院より5歳前の建築。サヴォワ邸が45歳だから、20年後にとんでもない造形の建物を作る。

 

建築家は彫刻家と異なり、いくら構想があっても実現するために出資してくれるパトロンとの出会いというチャンスがなければいくら素晴らしいデザインを構想してもそれが現実の世界に現出することはありません。その意味で幸運な20世紀の奇跡。

 

建て替え前のロンシャン礼拝堂を戦争でドイツ軍が壊さなければ建て替えることもなかったかもしれないと後年知りました。(完成年:1955年)

 

では早速案内します。バスから降りてエントランスへ。

 

ベルフォールの街の景色。礼拝堂は丘を登ったところにあります。

バスで来るのと徒歩で登ってたどり着くのでは感じ方も有り難さも違うと思うが、時間に限りがあるツアーだから仕方がない。

礼拝堂へ徒歩で少し登ります。

 

1月でこんなに晴れる日は珍しいそうです。ロンシャンの日が晴れてよかった。安藤さんが圧倒されたという光の洪水がもう少しです。

1月なので雪が残っていました。

蟹の甲羅がモチーフの屋根。

南側ファサード

 

 

「ロンシャンの礼拝堂が完成すれば、建築が列柱によったりするのではなく、造形的な事柄であることが証明されるかもしれない。・・・その、名状しがたい空間の輝き(コルビュジェ著:モデュロールより)」

 

ガーゴイル

ガーゴイルと雨受け

北東側ファサード

少し小高い丘があって撮影することができます。

北西側ファサード

 

 

 

エロスを感じる曲線美

ユリイカ臨時増刊Vol.20-15総特集ル・コルビュジェに詳しく解説があります。

光の洪水。耐えられないというほどでは無いが強烈な光が見る者を圧倒します。

 

壁と屋根の間のスリットが空間に軽やかさを与えている様に感じる。

 

生命力・躍動感のある内部。

 

 

 

 

 

塔の直下。光が降り注ぐ。

地中海風の白スタッコを背景にロウソクの炎が揺れる。

主塔内部。鐘楼ではなく光の泉。

落ちてきそうな天井

 

 

ロンシャン見学後、ベルフォールの城壁内のホテルに向かい一泊し、翌日は列車にてパリへ向かいます。

 

ベルフォールは周囲の地形から古くから戦略的に重要な場所でした。要塞型の都市。夕食後、少し仲間と出歩きましたがまるで冷蔵庫の中に入った様なメチャクチャ寒い夜でした。

とても歴史のある都市で本当なら滞在したかった。

 

ではまた。

 

 

 

 

 

第3日目続き

1月4日(写真は全て私自身の撮影)

 

前回、宿泊したユニテ・ダビタシオンを少し詳しく解説しました。バスはマルセイユからリヨンに向かいます。

 

この道中で寄ったドライブインのような場所にあるレストランで食事をした際、現地の女性が食べていたものに驚いた。

大皿に半分がほうれん草、半分がポテト、これを大盛りで細身の女性がガツガツ食べていた。さすが海外と思った。(写真無いけど。)

 

作品解説:ラ・トゥーレットの修道院

ドミニカ派の修道院

コルビュジェが70歳のときの作品

 

エントランスに向かいます。

もう夕方になっていました。

リヨン郊外の森の中に建っています。今回はバスツアーでしたが、リヨン市街地からは列車と徒歩で1時間強のところにあります。

 

 

 

 

 

 

光の大砲(カノン・ルミエ)

 

 

 

カノン・ルミエの下は採光のための三つの煙突状の筒。その下が小聖堂。

 

エントランスをくぐると正面に中庭が見えます。

三角錐に尖った部分は礼拝堂。

 

粗いコンクリート

 

エントランスから見える中庭。幾何学の風景。

十字形回廊。礼拝堂に向かって下がっていきます。

縦の波ガラスは音楽的なリズムを表している。

今改めて写真を見るとバーコードみたいですね。

現在なら建築のモチーフをQRコードにしたら面白いかもね。写真を撮ったらQRコードでHPにアクセスするなど。

もうあるのかな?

 

中庭。十字回廊。

 

アトリウム

アトリウムから大聖堂へ降りていきます。

 

ここは写真では伝わりません。原色に塗られた壁面に上から光が降り注ぐ。この日はもう夕方であったことと、曇っていたので、晴れた日はもっと攻撃的な光が降り注いでくるのだと思います。

身廊脇の小祭壇

 

主祭壇の脇の小礼拝堂と光井戸

大聖堂。この空間に身を置いて最初に思ったのは、「あー、

安藤さんの光の教会だー。と思った。スケール感は全然こっちの方が大きいのだけれど、ここから着想を得たのかなと勝手に思いました。あくまで個人の見解です。」

 

 

 

 

 

 

食堂。ここで夕食と次の日の朝食を食べました。

修道院の食事だけあってとても質素だったけど、パンとスープが美味しい。今回の旅では、どこに行ってもとにかくパンが美味しかった。

 

修道士と同じ部屋に宿泊。館内撮影時に少し騒いでしまって怒られました。

部屋から窓越しに景色を見る

泊まった部屋です。

ちょっと独房の様です。自分と向き合うにはいいのかもしれない。これも建築をめぐることが目的のツアーでなければ間違いなくクレームでしょう。寒いし。怖いし。

光は最小限

 

 

 

 

 

 

本当はもっと写真があるのだけれど、ポジフィルムでスライドにしたので、そっちにまだたくさん写真がありますが、今回はこの辺で終了です。

 

翌日はバスにて一路、ベルフォートへ。

いよいよロンシャン礼拝堂へ向かいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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第3日目

1月4日(写真は全て私自身の撮影です。)

 

マルセイユのユニテ・ダビタシオンでは早起きして建築を見て回りました。

 

ここで少しだけ建物解説

 

ユニテ・ダビタシオン(コルビュジェ60歳のときの作品)

建築年代:1945〜1952

建築形式:大型アパート(商店街やレストラン、ホテル・幼稚園も併設した一つの都市である。)

「住宅は住むための機械」であるという有名なコルビュジェの発言を、その理論を具象化した建築がこのユニテ・ダビタシオンである。

 

「この垂直の田園都市は、近代技術の贈り物である。」

 

「私の仕事、建築と絵画は、すでに30年以上、数学の感覚に養われてきた。・・・モデュロールの最初の応用例はマルセイユのユニテ・ダビタシオンである。その全体計画及び断面、立面及びブリーズ・ソレイユ(日除けの庇)、住戸の平面と断面、家具造作の事例、1947年10月14日の式に用いた定礎石、あらゆる寸法の基準となる柱、モデュロールの栄誉を称える建築的表現、そしてその屋上(モデュロール  著:コルビュジェ より)」

 

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ル・コルビュジェには3つの時代があったと言われている。

18歳のときのアール・ヌーヴォー

31歳のときのピュリスム

59歳のときのブルータリズム

 

伝統的な建築から船や自動車、飛行機などの機械にも惹かれていく。

彼の造形はドミノ(規格住宅)からサヴォア邸、マルセイユのユニテ(この建築)、そしてロンシャン教会へとダイナミックに変容していく。これほどの造形言語を使いこなした建築家も少ない。

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建築を知る上で、書籍で読むのと実際現地に訪れて、その建築の大きさや佇まい、街の空気感、光や影を感じることでは、得られる情報量が圧倒的に違う。

 

僕はこの旅の後、日本に帰ってから日本にあるコルビュジェの建築や丹下・坂倉・前川・吉阪、そして安藤建築を見て回るのだけど、全てはこのコルビュジェを巡った旅がベースになっている。わざわざ現地に行くということに価値を置いている。

 

朝食はこのダビタシオン内のレストランにて。

レストランの上はこのようになっています。螺旋階段で登ることができます。

 

マルセイユの街。遠くに地中海が見えます。

 

共用廊下。中廊下形式で閉鎖的な空間。

中廊下は窓が無いので朝でも夜でも照明が付いていた。

ユニテ内の住居をいくつか見ることができました。

実際ここで家族が暮らしています。

当時としては画期的なキッチンプロトタイプ

シャルロット・ペリアンが参加した室内設備。

 

 

 

この住戸はメゾネットでした。

これはそのメゾネット上フロア。夕日でなくて朝焼け。

 

 

 

いくつかの住戸形式を見せてもらった。

 

 

 

 

 

これはホテル客室。

客室のトイレと洗面。

 

階段には窓があります。

 

 

屋上はユニテ・ダビタシオンの社会的な側面を示す重要な要素。体育館や幼児用プール、屋上庭園などの共用施設がある。(最上階には幼稚園、8階と9階には店舗用スペース)排気筒は彫刻のよう。

 

 

ピロティで持ち上げられている。

1952年10月14日にこの屋上テラスで落成式が行われたそうです。

 

排気筒

マルセイユの街を眺めながらランニングができます。

 

地中海が見える。

屋上の体育館

ピロティ下は地面を開放しバイク置き場となっていた。

建物を支える6mのピロティ。椅子の脚と同じような造形。

飛行機や船のタラップのような階段

車の置き方が雑。駐車場が整備されていないのか。

ピロティの中は空洞で、給排水管等設備スペースになっている。

 

 

フォン・モースの著書に収録されている各住戸単位を「箱に瓶を詰めるように」整然と並んだ住戸。コルビュジェのプロポーションシステムたるモデュロールシステム。人間の大きさからくる明確な尺度に従う空間構成。

ブリーズ・ソレイユ(屋根付バルコニーのような日除け設備)

この建築で多用されているコンクリートパネル。

エントランス。遠くに留まっているのは確か我々のバス。

 

長さ135m、高さ52mのファサード。

23種類のタイプからなる337戸の集合住宅部、

店舗や郵便局も入っている。

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マルセイユは一定の環境の中で行われた実験的住宅でした。決して公団住宅のような複数性にもとづいて作られたものじゃありません。

 

物から出発せずにエスプリを理解して、その上で分析するべきです。〜シャルロット・ペリアン

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ユニテ前の通り

マルセイユの街並み

マルセイユの街並み。歴史を語る石の建築。

バスは少し海岸沿いを走ってから、一路、リヨンに向かいます。地中海にお別れ。

 

ではまた。次にコルビュジェ70歳の作品であるリヨンのラ・トゥーレットの修道院に向かいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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第2日目

1月3日 続き

(一応、全て私自身が撮影した写真です。)

 

ル・トロネからマルセイユに到着した頃にはすっかり陽が暮れてしまいました。夕食を食べてから街には一切出ず、ユニテ・ダビタシオンの中を探検しました。建築視察の旅というだけあって、一緒に同行した人たちも皆同じような行動をしていました。さすが専門分野の集団。

 

 

 

まるで動き出しそうな建物。今にして思えばハウルの動く城みたい。

 

 

 

粗いコンクリートは広島で見た丹下さん設計のピースセンターもこんな感じでした。

まるで飛行機か船みたいな階段。

エントランスのモデュロール

 

エントランス風除室

 

 

 

モデュロール模型

粗いコンクリート

ここがホテル

建物の中に商店街があります。

モデュロールの先が八百屋さんでした。

 

床屋もあった。確か。

ここはホテルの客室前廊下。

このレストランで夕食。

 

屋上に幼稚園もあります。

マルセイユの夜景。ブレブレ。

客室玄関ドア

 

客室内。実測しまくりました。

 

超狭いのですが、建築の修行僧のようなご一行の為、誰一人文句をいう人はいません。コルビュジェの作品に宿泊できるということだけで感動。

 

 

 

部屋は何種類かあります。

 

 

 

 

ではまた明日。

次は一路リヨンへ。

 

これまたコルビュジェ作品であるラ・トゥーレットの修道院に宿泊します。

 

 

 

 

 

 

 

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第2日目

1月3日

午前:ニースのホテルにて朝食。

朝食前に海岸まで散策。

(一応、全て私自身が撮影した写真です。)

 

泊まったホテルです。

 

ホテルの窓から街並みを見る

地中海を望む、ニースの海岸線

 

 

いい感じでベンチが並んで2つ置いてありました。

 

 

 

 

 

 

朝食後、バスに乗ってコルビュジェの墓所に向かう。通り過ぎた街にはクリスマスの飾り付けがまだ至るところに残っていました。日本みたいにクリスマスが終わったらすぐ正月という節操ない国とは違う。

 

途中、モナコ公国を瞬間的に通り過ぎて墓所まで来ましたが、現地の都合で残念ながら見せてもらえませんでした。

 

コルビュジェの避暑地であったカップマルタンの休暇小屋へ。バスを降りて徒歩で階段を降りていく。

 

コルビュジェの休暇小屋の窓前の景色です。

 

手前がコルビュジェの休暇小屋。奥がアイリーンの別荘。

 

コルビュジェの休暇小屋。上から見下ろし。

 

 

アイリーンの別荘は見られませんでした。

階段を降りていくと小屋に着きます。

コルビュジェの休暇小屋

こういうところを写真に収めるあたりが普通の人と違うところ(笑)我ながら。

ここも。

休暇小屋入口

休暇小屋入口

休暇小屋内部

 

 

コルビュジェの休暇小屋からアイリーンの別荘側を見る。

この海で亡くなったんだ。

コルビュジェの作業小屋

正面が海だとすると、右に休暇小屋とアイリーンの別荘。左にこの作業小屋。休暇小屋と作業小屋は至近距離で並んで建っています。建っているというより置いてあるというような可愛いサイズ。

作業台。

近くの駅です。夏の避暑にくるコルビュジェはここで降りたのかな。多分。

車窓から見える住宅。独特な色彩。

 

昼食は確かこの建物の横だったかな。思い出した。

たまたま隣同士になったおじさんがドイツからきた日本人だった。

 

その後、シトー派のロマネスク教会、ル・トロネにて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

壁に当たる光が綺麗。

 

光と闇の建築。

 

 

 

この後、バスに乗って一路、マルセイユへ。

コルビュジェが設計したユニテ・ダビタシオンに宿泊します。

 

 

 

 

 

 

 

 

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神戸レタス:Kobe Lettuce

 

 

 

以前ブログに書いたスペイン旅行の後、今度はル・コルビュジェの建築をめぐるフランス一巡のツアーに出ました。

 

建築設計を生業としている以上、死ぬまでに、ガウディ(スペイン)、ル・コルビュジェ(フランス)、フランクロイドライト(アメリカ)、ルイスカーン(アメリカ)、ルイスバラガン(メキシコ)の建築を見て回りたいと思っています。

 

そのうち実現したのは今のところスペインとフランスのみ。その後が続いていないのだけど、今回はシリーズでフランス旅行を振り返ってみたい。

 

第1日目 

1月2日12:45成田発、空路、一路パリへ。

    17:20(ここから現地時間)パリ到着

    19:15パリから乗り継いで空路、ニースへ。

    20:50ニース到着。バスでホテルへ移動。

 

ニースの宿泊先

 

 

到着して夜の街を少し散策。その時に見つけた観覧車。

 

 

 

↓下記はコルジュジェを知る上で、お勧めです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

土地選びに悩む方へ③

 

土地を探している方がその探すエリアがほぼほぼ決まって来たとして、今度は新規分譲地なのか既存の住宅街の一角を購入するのか、それぞれ悩ましい問題があることは前回書きました。どちらかと言えば新規分譲地の方が、新参者としてその地域に入っていく際の煩わしさがないのでお勧めではあります。

 

では、新規分譲地のどんなところを購入したらどんな家ができるのか、どんな土地の使い方ができるのかは、近隣に大規模分譲地などがあれば、ご自分が購入しようとしている土地の条件(道路付けは東西南北どちらか?や、敷地高低差、大きさなど)と近しい家を見ればなんとなくイメージが湧くと思います。

 

今だに南道路信仰が根強く、南道路もしくは東道路の土地が人気が高く、それに比例して土地の値付けも決まって来ますが、上記の大規模分譲地などで南道路の家を見ると気付くことですが、意外とカーポート屋根や玄関までのアプローチなどが場所をとり、せっかくの庭やリビング前が道路から丸見えでプライバシーが保てずに、カーテン閉めっぱなしでせっかく庭に植えた樹木も楽しめないなんてことになっている家が多いのです。

 

また、玄関ドアが道路に向いていると、ドアを開けると道路から家の中が丸見えなどということもあります。

 

土地に対して道路がどちら側にあるのかで、どのように建物や駐車場配置ができるかはまた後日図解などで説明していくとして、土地面積とともに、その道路付けがどちら方向かで土地の値段が決まっていきます。

 

その際、整形地ではない変型敷地や少し条件の悪い敷地の方が土地の値段が安いのですが、そのような条件の不利な敷地の方が、我々建築設計事務所の腕の見せ所と言えます。もちろん整形地がよければそれに越したことはないですが。

 

建築モジュールに制約がある住宅メーカーなどでは手が出しづらい領域であることはまちがいなく、現在土地やプランなどを検討中であれば、その安い区画の変形敷地の資料を設計者に見せて相談してみてください。

それで怪訝な顔をする設計者(住宅メーカーだと営業かな)は内心面倒くさいしやりたくないという感情が思わず出てしまった設計者。変型敷地をみて俄然目を輝かせてやってみたいと乗り出してくるような設計者は本当にやる気に満ちた設計者であろうと思います。設計が好きな設計者はほっといても休みに建築を見に行ったり、「好きこそものの上手なれ」というように研究熱心で親身に相談に乗ってくれる設計者でしょう。私自身もそうですが制約条件が厳しいほど逆にその条件を逆手にとり、良いものが生まれたりします。

 

余談ですが、造成してまだ日の浅い分譲地などだと東京電力の電柱や支線が入ってなかったりするので、そこはよく不動産屋さんに確認しましょう。

 

 

↓私が好きな宮脇先生の本を紹介させていただきます。

 

 

 

 

 

 

 

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80年代後半から90年代前半に横須賀のインディーズからメジャーになったJiaenというバンドがあまり知られずにシーンから去ってしまったことが今でも残念でならない。

 

当時、BOOWYのフォロワーバンドがシーンにたくさん出ては消えていったのだけれど、僕はこのJiaenをよく聞いていた。7thアベニューという横浜スタジアムすぐ近くのライブハウスによく行ったものです。当時は自分も横浜でバンドをやって曲を作っていたので、同年代からメジャーに駆け上がってく様を観ているのが楽しかった。(羨ましかった。いや、悔しかった。というか憧れた。)7thアベニューのステージにスカジャンを着て現れた生馬がまだ記憶から離れない。彼は当時の僕のバンドのもう一人のギタリストの高校の同級生。

 

プロデューサーはBOOWYやGLAYなど当時数多く日本のバンドをプロデュースした佐久間さん。今でもオークションサイトでCDを買えたりしますので是非聴いてみて欲しいです。ボーカル西城 生馬はもう亡くなってしまったけど、彼がソロで出したCDも数年前に横須賀で開催された野外ライブで購入しました。これはコーヒーを飲みチョコレートを摘みながら聞きたい曲達。僕の中では永遠ですよ、生馬くん。