フョードル・ドストエフスキー『白痴』 | 文学どうでしょう

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白痴 1 (河出文庫)/ドストエフスキー

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フョードル・ドストエフスキー(望月鉄男訳)『白痴』(全3巻、河出文庫)読み終わりました。Amazonのリンクは1巻だけを貼っておきます。

河出文庫の新訳で読んだのは、前に新潮文庫で読んだことがあったからというのが一点、あとは訳者が光文社古典新訳文庫でトルストイを訳していた人だからです。

ドストエフスキーの場合、読みやすさというのがそのままよさには繋がらなかったりもしますが、かなり読みやすかったですよ。

これでドストエフスキーの五大長編は一応制覇です。わーい!!『罪と罰』『白痴』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』ですね。

他の作品も記事を書いてあるんで、興味のある方は読んでみてください。まあ、大したことは書いてませんけども。

先に結論から言うと、『白痴』すごく面白かったです! かなりおすすめです。

これは昔読んだ時から面白かったんですけど、ちょっとした複雑な事情があって、あまり楽しめなかったんです。それについてはあとで書きます。

今回読み直してみて、もしかしたらドストエフスキーの作品の中で、一番好きな作品かもしれないと思いました。いや多分そうですね。

ドストエフスキーの作品の中でという枠に止まらず、世界文学の中でもかなりいいところにいくかもしれません。『罪と罰』もいいですけども。『カラマーゾフの兄弟』になると、ぼくの手に負えないところがあります。

最近、『21世紀 ドストエフスキーがやってくる』(集英社)という本を読んだんです。

21世紀 ドストエフスキーがやってくる/大江 健三郎 他

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別に記事を書こうと思ったんですが、ちょっとその時間と気力がなかったので、ここに書きますが、なかなか面白い本です。

色々な作家のドストエフスキーの作品との出会いのコラムと、有名作家と翻訳者の対談、それからドストエフスキーにまつわる評論が載っていて、ドストエフスキー研究の周辺が垣間見える作りになっています。

特に面白かったのが、ロシアの現代文学の記事ですね。ボリス・アクーニンやウラジーミル・ソローキンの小説はぜひ読んでみたいと思いました。ドストエフスキーの文体とかをパロディしているらしいです。面白そうです。

ドストエフスキーの作品の解釈で面白いなあと思ったのは、江川卓の『謎解きドストエフスキー』などに対して、加賀乙彦が宗教的な読みが欠けていると指摘していることです。この辺りは興味深いですね。

さあどんどん脱線していってますよ。でももう今日は最初からそのつもりです。腹くくってます。

『21世紀 ドストエフスキーがやってくる』は面白い本ですが、さらっとネタバレというかラストが書かれているので、ドストエフスキーを読んだことがない人が読む本というよりも、読んだ人、または読んでいる人が読むといいです。

ドストエフスキーの小説はネタバレしていても大抵楽しめますが、この『白痴』だけは絶対ダメです。知らないで読んだ方がいいです。

なので、『白痴』のところだけは読まないように読むといいですが、なかなかそれも難しいかと。

それでですね、なにが言いたいかというと、この本の中で、大江健三郎がこんなことを言っているんですよ。自分は形而上学的読みをしないと。

この言葉にぼくはすごく親近感を覚えたんです。つまりドストエフスキーの小説、特に『カラマーゾフの兄弟』なんかは哲学的というか、思想的に読み解かれることが多くて、「大審問官」の部分なんかがすごく重要視されるわけです。

そこだけ比重が大きくなりすぎると、それはそれで読みとしてどうなの? という疑問が出てくるわけです。もうちょっと物語的な読みができるんじゃないかと。

大江健三郎の意見について興味のある方は実際に本を読んでもらうとしまして、この形而上学的読みが必要が否かというのは、ドストエフスキーの小説を読む上で結構重要な部分だと思うわけですよ。

未成年』はまたちょっと違う気もしますが、『罪と罰』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』辺りはストーリーの面白さというよりは、そうした形而上学的読み、哲学的、思想的な読みがある程度必要になってくる感じがするわけです。

それがドストエフスキーの小説の面白さでもあり、難しさでもあるわけで。

ところがですよ、この『白痴』はストーリーが抜群に面白いんです!

形而上学的読みはもちろん可能ですが、それがキャラクターの造型と重なるものですから、すごく読みやすいし分かりやすいんです。

よく分からない部分は、キャラクターの心理であって、哲学的なものではないんですね。

二人の女性キャラクター、ナスターシャとアグラーヤがなにを考えてそう行動したのか、というのが特に分かりづらいんですが、それは読みながら想像する楽しみがあるわけで、思想的な難解さとはまた違います。

『白痴』はドストエフスキーの他の小説と違って、読みやすいよ、ということを言いたいがためだけにこんなに長くなってしまいました。やれやれだぜ。

前置きまだまだ続くぞい(亀仙人風)。飽きた方は「作品のあらすじ」まで飛んでください。

でもこれだけは書かずにいられないんです。上の方で書いた、昔読んだ時に楽しめなかった複雑な理由についてです。

小説を読む前に、黒澤明監督の『白痴』を観てしまったんです。

白痴 [DVD]/原節子,森雅之,三船敏郎

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これは時間的に長くなりすぎてしまったこともあって、勝手に編集されてしまったらしいんですね。「どうせ切るなら、フィルムを横じゃなくて縦に切れ!」みたいなことを黒澤明が言ったという逸話が残っています。

世の中的には失敗作のような感じで扱われているんですが、ぼくはこの作品にがつんと衝撃を受けたんです。

ムィシキン公爵を森雅之、ロゴージンを三船敏郎、ナスターシャを原節子が演じたんですが、もう森雅之がびっくりするぐらいよくて、三船敏郎も迫力があって勿論いいですし、原節子は普段とは違う役柄だったんですが、これもよかったんです。

もう映画全体を漂う空気とかがとにかくよくて、一度観たら忘れられない映画です。

あえてあまり触れませんが、『白痴』は最後の方に劇的な展開があるんです。

それを知って読むのと知らないで読むのとでは、大分感想が変わってくると思うんですね。ぼくはそれを映画で観て知ってしまったわけです。

しかもキャラクターがすべて森雅之、三船敏郎、原節子以外のイメージで読めなくなってしまっているわけで。

それは未だにそうなんですけど、そうした複雑かつ明確な理由があって、『白痴』に関しては、純粋に楽しんで読むことが難しいんですね。

それでも読み直してみたら、やっぱり面白かったです。

なによりムィシキン公爵とロゴージンのキャラクターの対比がずば抜けていいんです。

ムィシキン公爵のようなキャラクターは、他に類を見ないんじゃないかと思います。ロゴージンがいるからムィシキン公爵が引き立ち、ムィシキン公爵がいるからロゴージンの個性が際立ちます。

この2人の対立を宗教的に天使と悪魔とか、あるいはムィシキン公爵とキリストを重ね合わせて読むことも勿論可能ですけども、そうした読みをしなくても、キャラクターが対照的に描かれていることさえ分かれば大丈夫だろうと思います。

作品のあらすじ


基本的にはいくつかの三角関係で動いて行く小説です。

恋愛小説とは呼べないですが、それでいてものすごいラブストーリーなんです。矛盾しているようですが、これは本当にそうです。

恋愛小説とラブストーリーとどう違うかって? まあ適当にそんなことを書いてみただけなんですが、愛以上の愛が描かれているんです。

自己犠牲に近い愛、愛しすぎて相手を傷つけてしまうほどの愛。愛と愛が結ばれて、幸せな形を作っていくわけではないところが、この小説の面白いところです。

登場するキャラクターもわりと少ないので、それも読みやすさのポイントだろうと思います。

物語は、ペテルブルク=ワルシャワ鉄道の列車の中から始まります。三等車の窓際の席。二人の乗客が向かい合って座っています。

縮れた黒い髪、人を小馬鹿にしたように唇を歪めている男。これがロゴージンです。

ロゴージンは父親が亡くなって、その遺産で大金持ちになった男。ロゴージンの父親は商人ですが、大金持ちなので、世襲名誉市民になっていたんです。

貴族に比べると、ちょっと垢抜けない乱暴者な印象があり、いつもぎらぎらした雰囲気を持つロゴージン。

そんなロゴージンとは対照的に、ブロンドで青い目でやさしい雰囲気を持っているのがムィシキン公爵。

どうやら癲癇(てんかん)持ちらしいんですね。ムィシキン公爵はロシアの寒さに適した服を着ていないので、がたがた震えています。

「寒いかい?」(1巻、7ページ)ロゴージンが口を開いて、2人の会話が始まります。

ムィシキン公爵が病気の治療のため、長い間スイスに行っていたことが分かります。

ムィシキン公爵は白痴と言われていたんです。物事をうまく把握できないと。ムィシキン公爵の面倒を見てくれていた人が亡くなってしまったので、ロシアに帰って来たというわけです。

ムィシキン公爵はとても面白いキャラクターで、すごく純粋で裏表のない素直な人物です。

周りからは白痴として扱われますが、実は相手の心を映す鏡のような存在になっていて、ロゴージンや後に出てくるナスターシャはムィシキン公爵の前だと、他の人に対するような乱暴な態度が取れなくなります。

このムィシキン公爵のキャラクターについてはどうしてもうまく説明できないので、やはり実際に読んでもらいたいと思います。文学史上稀に見るキャラクターですよ。なんとも不思議な存在です。

ムィシキン公爵は、唯一の遠縁のエパンチン将軍夫人を訪ねて行きます。

最初はすげなく扱われるんですが、やがて食事に招待されます。

この将軍家には、3人の娘がいます。アレクサンドラ、アデライーダ、アグラーヤの三人姉妹。

みんななんとなく名前が似ていますが、覚えておけばいいのは、末娘のアグラーヤだけです。アグラーヤは物語の重要な人物の一人なので。

この前後で、ナスターシャ・フィリッポブナという女性の話が出ます。

まずロゴージンから話が出ます。そして、ムィシキン公爵は、将軍の家で肖像写真を見ます。「びっくりするほどきれいですね!」(1巻、63ページ)と熱っぽく言うムィシキン公爵。

ナスターシャ・フィリッポブナは、いい身分に産まれたんですが、早くに両親を亡くして、妹と一緒にある人物の世話になることになったわけです。

妹は早くに亡くなってしまいます。そして美しく魅力的に成長したナスターシャ・フィリッポブナは、その人物の囲いもののようになります。

それが無理やりそうなったわけではなく、よく分かりませんが、ナスターシャ自身がそう望んだような感じでもあります。

実際にその人物とどういう関係だったのかはよく分かりません。とりあえず、その人物はちゃんとした、身分ある令嬢と結婚したいわけで、ナスターシャ・フィリッポブナの存在が邪魔になったわけです。

そこでエパンチン将軍の秘書をしているガヴリーラとナスターシャ・フィリッポブナを結婚させようとします。

ガヴリーラはナスターシャ・フィリッポブナと結婚しようとしていますが、実は将軍の娘のアグラーヤのことが好きなんですね。

とまあそうした状況の中に、ムィシキン公爵がのこのこやって来たわけです。

ドストエフスキーの小説でよくあるパターンですが、主な登場人物が一堂に会して、物語が爆発的に展開するというものがあります。

もうちょっと先に進んで、ナスターシャ・フィリッポブナの開いたパーティーのところで、ナスターシャ・フィリッポブナは、ムィシキン公爵に自分が結婚すべきかどうかを尋ねます。

ムィシキン公爵は結婚すべきでないと言います。

周りはムィシキン公爵のことを白痴だと思っているから、ナスターシャ・フィリッポブナに求婚する気かとからかうと、ムィシキン公爵はナスターシャ・フィリッポブナのことを愛していると言うんですね。

ここの台詞もかなりいいので、実際に読んでみてください。そしてムィシキン公爵が莫大な遺産を相続したことも明らかになり、周りは仰天します。

ナスターシャ・フィリッポブナには、ガヴリーラとロゴージンが求婚しています。

ロゴージンはナスターシャ・フィリッポブナに夢中なんです。お金が必要と言われると、莫大なお金を持って来たほど。

ガヴリーラはともかく、ナスターシャ・フィリッポブナを囲んで、ロゴージンとムィシキン公爵が三角関係の構図になります。

はたしてナスターシャ・フィリッポブナが選んだのは一体誰なのか? そして、その理由は一体なんなのか?

それと同時に、将軍の末娘アグラーヤを囲んで、ガヴリーラとムィシキン公爵が三角関係の構図になります。

このアグラーヤとムィシキン公爵の関係はすごく難しくて、この二人を結びつけようとする人がいるんです。

そしてどうやらムィシキン公爵とアグラーヤもお互い好意を抱いているらしい。でも結婚話はなかなかうまく進展していきません。

ムィシキン公爵の夢に現れる女性の姿。時折感じるぎらぎらした目線。何度も逃げ出すナスターシャ・フィリッポブナ。

対照的に描かれるムィシキン公爵とロゴージン。壮絶とも言える愛の物語は、はたしてどんな結末を迎えるのか!? 

とまあそんなお話です。ドストエフスキーの小説の特徴で、ある意味どうでもいい話、たとえば、財布を盗まれる話とか、手紙を読んで自殺しようとする人の話とか、そんなのが入って来たりもするんですが、とりあえず、ムィシキン公爵とロゴージン、ナスターシャ・フィリッポブナとアグラーヤの4人に注目していれば大丈夫です。

後半というか、ラストはかなり劇的です。それぞれの登場人物がなにを考えているのかは、実はよく分からなくて、ムィシキン公爵は白痴と言われるくらいぼんやりした人物だし、ロゴージンはぎらぎらしているわりには寡黙で、とにかくナスターシャ・フィリッポブナへの執着だけは伝わってきます。

この二人はともかく、ナスターシャ・フィリッポブナとアグラーヤは、なにを考えているのか分からない部分があるんです。

誰のことが本当に好きなのか。それでも色々想像の余地があって、そうした部分もこの小説の面白いところだと思います。

ムィシキン公爵とロゴージンのキャラクターがかなりいいですし、愛の物語がかなり面白いです。

なんというんでしょう、読んでいてすごくしっくりくる感じがしました。

難解さというのはあまりないです。興味を持った方はぜひ読んでみてください。ドストエフスキーの他の作品で挫折した人も、『白痴』ならわりと大丈夫かもしれませんよ。

長い作品の時はわりと毎回言っていますが、こんな長い記事を読んでくださったあなたなら、きっと読めますよ。大丈夫です。ぜひ挑戦してみてください。

最後まで読んでくださってうれしいです。どうもありがとうございます。立宮翔太でした。

ドストエフスキー五大長編

罪と罰悪霊未成年カラマーゾフの兄弟