E・M・フォースター『インドへの道』 | 文学どうでしょう

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E・M・フォースター(瀬尾裕訳)『インドへの道』(ちくま文庫)を読みました。

 

最近、E・M・フォースターの『ロンゲスト・ジャーニー』という小説を読んでいたんですよ。でも、想像した牛が実在するかどうかを議論する冒頭のところからなんだかこれ読んだことがあるなと思って、初めて読むはずだったから不思議でした。

 

『ロンゲスト・ジャーニー』はみすず書房の「E.M.フォースター著作集」に収録されているのですが、もしかしたら昔、読んだことがあるのかもなあと思ったんです。フォースターは好きな作家なので、一時期まとめて読んでいたことがあったので。

 

たとえば、今は光文社古典新訳文庫から新訳が出ましたが、生前未発表で同性愛を描いた『モーリス』なんかも、扶桑社から出ていた古い本で以前(このブログを書き始めるより前)に読んだ記憶があります。その時に全集にも手を出していたのかもしれないと思いました。

 

 

でも、よくよく調べたら、『ロンゲスト・ジャーニー』って、岩波文庫に上下巻で『果てしなき旅』として収録されている作品だったんです。それはこのブログでも前(2013.11.20)に紹介したことがあるので、人生で少なくとも二回は読んだことがある作品。そりゃあ覚えているはずです。

 

というわけで、結局僕はフォースターの長編全六作を読んだことがあることが改めて分かったんですけど、そのフォースターの六作の長編の中で、最も感想を述べるが難しいのが、今回紹介する『インドへの道』という作品です。

 

イギリス支配下時代のインドが舞台。本当に起こったことなのかどうなのか、事件の真相は最後まで結局分からないのですが、洞窟の中でイギリス人女性に暴行を働いたとされて、インド人医師が裁判にかけられます。その裁判を中心にイギリスとインドの文化や、考え方の違いが浮き彫りにされていくという、そういう物語です。

 

物語を通して西洋と東洋が、母と子が、夫と妻が、すなわち支配する者とされる者との関係性が多層に重なり合って響く、そういう物語構造になっていて、文学史的に非常に重要な作品とされています。間違いなくフォースターの代表作だと思います。

 

ただ一方で、じゃあすごく面白いか、あるいは好きか嫌いかでいうと、微妙なところなんですよね。フォースターの作品はナイーヴで心理の動きが丁寧な作品が多くて、僕はそこが好きなところなのですが、『インドへの道』には、共感できるようなキャラクターがほとんど登場しません。

 

インド側にもイギリス側にも寄らない客観的な観点で物語は綴られていて、それだけにテーマのすごさは分かるけれど、感情移入ができずなかなか物語に入り込めない、個人的にはそういう風に感じる作品でした。それ故に長編六作の中で、最も難しく感じる長編なのです。

 

作品のあらすじ

 

「チャンドラポラは、二十マイルほど離れたところにマラバール洞窟があるということをのぞけば、なんの変哲もない町だ」(7頁)という書き出しで始まります。医師をしているインド人の青年アジズは回教寺院(モスク)で、年齢を重ねたイギリス人の婦人と出会いました。

 

婦人がマナーを知らないと思い、寺院に入るのをアジズが止めたのがそのきっかけですが、婦人はちゃんと入口で靴を脱いでおり、誤解が解けた二人は少し話をします。婦人はミセス・ムアと名乗り、治安判事をしている息子に会いにインドへやって来たことが分かりました。

 

イギリス人から軽んじられ、クラブにも入れてもらえないアジズの愚痴をミセス・ムアは受け止め、アジズは「あなたはわたしを理解してくださる。他人の気持ちがあなたにはわかるのだ。ああ、ほかの人たちもみなあなたのようだったらいいんだけどなあ!」(35頁)と喜びます。

 

ムア夫人にはアデラ・クウェステッドという若い女性の連れがおり、ムア夫人はアデラが息子のロニー・ヒースロップと結婚してくれるといいと考えていました。ムア夫人から寺院での話を聞いたロニーはインド人の相手なんかするべきじゃなかったと言います。

 

アジズはあるパーティに誘われましたが、妻の命日だからと断りました。ヨーロッパ流の自由恋愛に影響されていたので決められた相手との結婚を初めは嫌っていたアジズでしたが、結婚してから妻を本気で愛するようになり、そうなった時に妻は亡くなってしまったのです。

 

 やがて、引出しの鍵をあけて、彼は妻の写真を取り出した。じっと見つめているうちに、涙が出てきた。彼は思った、『おれはなんて不幸なんだ!』しかし、本当に不幸だったので、すぐに別の感情が自己憐憫にまじった――彼は妻を思い出そうとしたが、思い出せなかった。どうして愛していない人ばかり憶えているのだろう。彼らはいつもはっきり目に見えるほどなのに、写真を見れば見るほど妻の姿は見えなくなる。野辺の送り以来ずっと、彼女はこのようにして彼を避けてきた。彼女が彼の手や目の届かぬものになるのはわかっていたが、心の中には生きつづけられるものと思っていた。ところが、死者を愛していたという事実がかえって死者たちの非実在性を強めるということ、あるいはまた、激しく彼らの霊を呼びおこせばおこすほど死者は生きているわれわれから遠のいていくということを知らなかった。茶色い一枚の厚紙と三人の子供――これが妻の残したすべてだった。(89~90頁)

 

アジズは、フィールディング氏という人物が学長をつとめている官立学校で、アデラを連れたムア夫人と再会します。善意と教養と知性を信じるフィールディングは、周りからは少し変わった人だと受け止められていました。

 

クラブで「いわゆる白人種(ホワイト・レイス)なんてものは、ほんとはピンクがかった灰色人種なんですよ」(99頁)と軽口を叩いてしまったこと、そして何よりインド人と親しく付き合っていることでイギリス人の付き合いからは弾かれてしまっていますが、本人は全く気にしていません。

 

アデラが、地元で有名なマラバール洞窟にまだ行っていないというので、アジズは案内することを申し出ました。やがてロニーがムア夫人とアデラを迎えに来ますが、会話に加わった人々それぞれの文化や考え方が違うので、その会話は不穏なものを孕みます。

 

そこでフィールディングは、「アジズはみかけはいいが下等でいやらしいし、ムア夫人とミス・クウェステッドは両方とも愚かだし、それに彼自身とヒースロップは表面だけは上品だが、実際は鼻持ちならない人間で、お互いに憎みあっている」(129頁)と思わず考えるのでした。

 

アデラは、ロニーのインド人に対する振る舞いや態度が気に入らず、ロニーとは結婚しないことを宣言しますが、乗っていた車がなにか大きな動物にぶつかって木に突っ込む衝突事故にあい、それがきっかけとなって、「ロニー、広場(マイダーン)でわたし言ったことを取り消したいのだけど」(154頁)と二人は婚約をすることにしたのでした。

 

やがてムア夫人、アデラ、アジズ、フィールディングたちは、洞窟のあるマラバール丘陵へ遠足に行くことを決めます。ところが連れの人がお祈りをしていたせいでフィールディングは汽車に乗り遅れてしまいました。現地に到着し、少し洞窟を見学したムア夫人は日陰で休むと言い出します。

 

そこで、一番いいと言われているカワ・ドルの洞窟へはガイドを連れてアジズとアデラが二人だけで行くことになったのでした。移動中、洞窟の中の岩の足場が自動車事故の時の車輪の跡を連想させ、アデラの脳裏に、自分はロニーを愛していないという思いが浮かびます。

 

アデラから結婚について尋ねられたアジズは、妻が亡くなったことには触れずに結婚していると言い、「奥さんは一人ですか、それとも、もっとたくさんいらっしゃるのですか?」(251頁)と聞かれると憤慨して、二人ははぐれてしまったのでした。

 

その後、アジズはアデラの姿を探しますが見つからず、洞窟の入口に落ちていた革紐が切れたアデラの双眼鏡を拾うと、先に帰ったのだろうと自分もキャンプへと戻ります。そしてアジズは駆けつけて来た警部に逮捕されたのでした。

 

逃げ去ったアデラは、洞窟の中でアジズに乱暴なことをされそうになったと証言したのです。双眼鏡で殴ってなんとか逃げたと言い、その証拠の品である双眼鏡はアジズが持っていたのでした。やがて裁判が行われ、イギリス人とインド人の間で騒動が過熱してきます。

 

アデラが嘘をついているとも思われませんが、洞窟の反響(エコー)が彼女を脅かしたのだろうと、フィールディングはあくまでもアジズの無実を信じ続けるのですが……。

 

はたして、西洋と東洋の文化の違いなど、様々な問題を孕んだ裁判の結末はいかに!?

 

とまあそんなお話です。洞窟の中でアジズが実際に乱暴した可能性もあるいはアデラの妄想だった可能性もありますし、また誰かに襲われたのが本当だったとしてもそれがアジズ以外のガイドや他の観光客だった可能性もあります。事件の真相は最後まで明らかになりません。

 

途中のフィールディングの目線からも感じ取ってもらえると思いますがこの物語は西洋と東洋のどちらにもつかない観点から描かれていて、それ故に「罪を着せられた無実の者の物語」でもなく、「外国で恐ろしい目にあった者の物語」でもない曖昧な物語となっています。

 

どちらかの立場に集約されていくなら感情移入しやすい物語になったと思うのですが、アジズにもアデラにも共感できない作品となっていて、勿論それ故にイギリスとインドの文化の違いを描くテーマが深掘りされているわけですが、決して読みやすい作品ではありません。

 

なので、フォースターの小説の中でも好き嫌いは分かれる作品だと思いますが、文化の違いを通して様々な事柄を描くという、テーマ的には非常に面白く、色々と考えさせられることが多い作品ではあるので、興味を持った方は手に取ってみてはいかがでしょうか。