コニー・ウィリス『ドゥームズデイ・ブック』 | 文学どうでしょう

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コニー・ウィリス(大森望訳)『ドゥームズデイ・ブック』(上下、ハヤカワ文庫SF)を読みました。

 

コニー・ウィリスは本当に好き嫌いの分かれる作家で、とにかくまどろっこしくて長い、というのがおそらく多くの人が抱く印象ではないでしょうか。次から次へと人物が登場してきて、なにか言いかけてはうやむやになるというのがくり返し続けるという感じ。

 

なので、今回紹介する『ドゥームズデイ・ブック』も僕は旧版の田口順子のイラストの時から持っていたし、姉妹作と言える、次回紹介する予定の『犬は勘定に入れません あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎』も何度も読みかけては挫折するというのをくり返していました。

 

特に『犬は勘定に入れません』は直撃の世代というか、ちょうど僕がSFに関心を抱いて色んな雑誌とか読んでいた頃に日本でめちゃくちゃ話題になっていた本で、面白いというもっぱらの評判なのに全然楽しめなくて残念に思っていました。

 

コニー・ウィリスは僕には合わないんだなと思って、それからずっと読んでいなかったのですが、まだ文庫化される前の『クロストーク』という、SFチックなラブコメをたまたま読んだらこれがめちゃくちゃ面白くて、すっかりハマりました。

 

 

 

それでなんとなく作風が分かったので、改めて『ドゥームズデイ・ブック』と『犬は勘定に入れません』を読んだら意外とすらすら読めました。最後までちゃんと読んだらどちらもすごく面白かったです。個人的には明るくて楽しい『犬は勘定に入れません』の方が好きですかね。

 

『ドゥームズデイ・ブック』と『犬は勘定に入れません』はどちらもタイムトラベルが可能になって、実際に現地に行って歴史の調査ができるようになった、ちょっと未来(2054年と2057年)のオックスフォード大学の史学部の物語。主人公となる学生はそれぞれ違うので、どちらから読んでも大丈夫です。

 

『ドゥームズデイ・ブック』はどちらかと言えばシリアスな、『犬は勘定に入れません』はコミカルな雰囲気の作品になっていて、シリアスにはシリアスの、コミカルにはコミカルのよさがあって、どちらもまったく違った感じでそれぞれに面白いです。

 

さて、今回紹介する『ドゥームズデイ・ブック』は、タイムトラベルで過去に行った学生の方でも、そして送り出した先生たちの側でも予想外の出来事が色々と起こってしまって、てんやわんやになるというお話。

 

一体何が起こっているのか、下巻の三分の一くらいまでいかないと作品の全体像がつかめません。それまでは訳が分からない状態が続きますし、鍵を握っている人間が何かを言いかけては気絶するので大分いらいらするだろうと思いますが、物語の終盤はとにかく惹きつけられます。

 

作品のあらすじ

 

金髪を三つ編みにした小柄な学生キヴリン・エングルがジェイムズ・ダンワージー教授の所へやって来て、中世に行きたいと言います。ダンワージーは反対でした。戦争や病気がありますし、女性の一人旅が認められてない時代なので、どんな目にあうか分からないからと。

 

しかしダンワージーの反対を押し切ったキヴリンはタイムトラベルが認められ、様々な病気の予防接種を受け、古い語学を習得し、手首に埋め込まれた特殊なインプラントでお祈りをしているふりをして、音声でフィールドワークの記録を取ることができるようになったのでした。

 

準備を進めるキヴリンがけがをして血を流していたのでダンワージーは驚きますが、旅の途中で追いはぎに襲われたという設定のためにそうしているのだとキヴリンは説明します。

 

ダンワージーの制止もむなしくキヴリンは過去へと旅立ち、自分の音声による記録を、課税のために作られた土地台帳に由来する「ドゥームズデイ・ブック」と名付けました。

 

タイムトラベルしたキヴリンのことが心配なダンワージーは、パブで「フィックス」の結果を待ちます。フィックスとは、タイムトラベルをした人が過去のどの場所、どの時間にいるか座標を特定することで、その情報がないと「現在」に連れ戻すことができません。

 

フィックスの結果が出たらしく、ネット技術者のバードリ・チャウドゥーリーがパブへとやって来ましたが、バードリは雨に打たれて全身ずぶ濡れの状態で、ガチガチと歯を鳴らしています。時代や場所のずれなど、なにかまずいことが起こったのではないかと思って慌てるダンワージー。

 

しかし混乱した様子のバードリは片手をひたいにあてると「なにかがおかしい」(上巻、73頁)と言うと、そのまま気絶してしまったのでした。病院に運び込まれますが、熱で朦朧としていて、バードリがダンワージーに何を伝えたいのかはよく分かりません。

 

「支えて」とバードリがくりかえす。ひじをついてさらに身を乗り出し、部屋の中を見まわす。「ダンワージー先生はどこです? 話をしないと」
「わたしならここにいるよ、バードリ」ダンワージーはベッドに一歩だけ歩み寄り、バードリを興奮させまいとそこで足を止めた。「わたしにどんな話があるんだね?」
「だったら、先生がどこにいるか知りませんか? このメモをわたしてもらえますか?」
 バードリはありもしない紙切れをさしだすしぐさをした。火曜日の午後、ベイリアルにやってきたときの場面を再演しているにちがいない。
「ネットにもどらなきゃ」バードリは存在しない腕時計に目をやった。「研究室はあいてますか?」
「ダンワージー先生になんの話をしたいんだい?」とダンワージーはたずねた。「すれのこと?」
「いいえ。支えて! 落としちゃうよ。ふたが!」バードリは熱に浮かされた目でまっすぐダンワージーを見つめた。「なにをぐずぐずしてるんです? はやく先生を呼んできて」(上巻、226~227頁)

 

一方、タイムトラベルしたキヴリンは、街道沿いに到着する予定だったのに、誰も通りかかりそうにない森の中にいました。遠くで鐘が鳴っている音が聞こえますが、なんのために鳴らされている鐘なのか、今が何時なのかすら分かりません。

 

タイムラグのせいか、激しい頭痛と寒さに襲われます。その症状はなかなかおさまらず、「なにかがおかしい。これがタイムラグの症状だなんてわけがない」(上巻、166頁)と思うようになったキヴリンは朦朧とした意識の中で追いはぎに襲われます。

 

気が付くとキヴリンは暗い部屋のベッドの中で、女性から看病を受けていました。どうやら追いはぎだと思った男が村まで運んでくれたようです。一安心ですが、本当ならインタープリタで自動的に言語の翻訳がされるはずなのに、何故か村人たちとは会話が通じません。

 

意識がないまま運ばれ、降下点が分からなくなってしまったキヴリン。降下点が分からなければネットが開いても見つけられず、「現在」に戻ることができないのです。絶望に駆られ、熱にうなされたキヴリンは、「おねがい、わたしを助けにきて、ダンワージー先生」(上巻、216頁)と祈るのですが……。

 

はたして、中世に取り残されてしまったキヴリンの運命やいかに!? そして熱におかされたバードリがダンワージーに伝えようとしている発見とは、一体何なのか!?

 

とまあそんなお話です。歴史の調査のため「過去」に向かったキヴリン、そしてそれを見守るはずだった「現在」のダンワージー教授、そのどちらの側でも思いがけないトラブルが起こり、その二つのストーリーの流れが交互に綴られていく物語。

 

「なにかがおかしい」というのが物語前半のキーフレーズで、なにかがおかしいことは分かるものの、なにがおかしいのかはずっとよく分かりません。どちらのストーリーラインでもパニック状態が長い間続くので、これが一体どういう物語なのかがなかなかつかみづらい作品です。

 

しかしながら後半、物語の全体像が見えてくると、すとんと腑に落ちる箇所があって、そこから先はもうぐいぐいと引き込まれます。大きく展開するまでに大分まだるっこしい感じがあるものの、総合的には面白い小説で、内容が分かってから何度も読み返したくなります。

 

次回紹介する予定の姉妹作『犬は勘定に入れません』とは、大分雰囲気が違う、むしろ真逆な印象と言っていいシリアスな作品ですが、コミカルな作品には生み出せない、シリアスな作品ならではの醍醐味があるので、これはこれでとてもいい小説だと思います。

 

今はまだるっこしい独特の語り口も含めて、僕はコニー・ウィリス、かなり好きになりましたね。特に歴史好きの方におすすめですが、興味を持った方はぜひ読んでみてください。