東の空


昨日

4ヶ月ぶりに会う

友とランチの約束をしていました。



いつもは昼過ぎから

夜ごはんの時間まで

ランチから延々と

カフェ梯子する貴重な関係。

↑このわたしが飲まないで
しゃべってるんだからね(笑)



昨日に限っては

彼女の用事で

サクッとランチのみの

1時間半の逢瀬だったのです。


だから

結構会わなかった間とはいえ

話も

サクッとでした。



まあ

会おうと思えば

会える距離なのですけど

互いに

バタバタしていると

知らぬ間に春になっていました。




その間に


何かと惹き寄せ上手な彼女は

身体に不調を訴えるほど

キライだった人が

異動になり

逆に戻って来てほしい人と

また一緒に仕事ができるように

なっていました!




わたしは

いろんなメソッドを

学びに行きましたが


根がネガなのか?
(だじゃれではない)

無器用極まりないのか?

クソマジメなのか?

頑固なのか?
(あ、これがいちばん説)




その惹き寄せ具合には

いつも眼を見張ります。





そんな彼女と

僅かながらのランチタイムが

本当ならば

短すぎて

寂しいはずなのに


チョットだけでも

会って話しただけで


ホンワリと

心が和むというか
(彼女は和み系ではないが)


逢えて

めちゃめちゃウレシかった!




のです。


むしろ

今回は短い方がよかった。

とも思ったりして。




              西の空
何だか

わたしもね

わたしにとっての

彼女のような

存在になりたいなー!
(求む!)


うん。


必要とされたいわけだな。





写経の会とか

みんなでそれぞれの

書く文字の

個性を引き出す会とか


したい!?(誰に聞く)



そろそろと

計画中。(@大阪 谷町6丁目)


わたしと一緒に

体験したい方は是非に!

(↑Coming soon ね)



『感じる書』アーティスト 石川呼穹













他人のことより
自分のこと。

他人のことを気にしたり
他人の才能や人気を
羨んだり。

もし、わたしが羨まれるとしたら
どんなところ?
とか
どうしても(わたしとして)
そうはなれないのか?
とか
落ち込む前にまず考えてみた。

もっともっと
自分のことを
もっと。

「己」

∞∞∞∞∞∞∞∞

昨日

ricca さんのセルフメイクアップ塾

を受けてきました。

はい。

メイクのレッスンです。





人それぞれに

コンプレックスは有るけれども

そこを受け入れて

また

よいところに

フォーカスされるように

良さを活かす

ミニマムメイクで

心から綺麗になる感じ。


自分の顔って

自分で見れない。


鏡など使ってでしかね。


だから

講師からもだし

みんなでも見て

それぞれに

よいところは伝えながら

講座は進んでいく。








気づかないところだから


「それほんまに?」

って思ってしまう(苦笑)



気づくことこそが

「己」という文字の

本来の意味合いだそうだ。




他人のこと(才能)を羨む。

他人の人気を羨む。

他人が応援され

助けてもらってたり

支えられているところを羨む。

また

自分が役に立てなかったことを

悔やむ。




そんな自分自身に

向き合ってみるのも

このようなメイクアップの講座で

よいところを

ピックアップしてもらったり

褒められたりすることを

絡めて

自分のことを認める機会と

なった。



足りないところは

有るけれども

既に持っているものもある。



活用されていなかったり

知られていなかったり

問題はそこであって

自分自身そのものが

何にも持っていない訳では

決してないのだ。


もっと

自分のことを

考えてみる。

もっと

自分のことに

興味をもってもらえるように

(アーティストとしての)

魅力を伝えられたらと

強く思う。


たくさん書いて

たくさん見てもらいたい。


そんな想いが

「己」のなかに

込み上げてくる。



『感じる書』アーティスト 石川呼穹






昨夜は

facebookの

messengerで

ほぼ同じ時間にいろんな方から

連絡が入りました!!



∞∞∞∞∞∞∞∞


いつも

そぉーっと

わたしを見守ってくださっている

大事なお友達のひとりからは



「スケルトンで萌えました!」


て、思わず呼穹さんに

伝えたくて!

「知ってます?」と昨夜

facebookの

メッセージをいきなりくれた

K 子さん。



大阪市立美術館での

“王義之から空海へ”展の

地下鉄内の中吊り広告のことらしく

この展覧会があり

別のポスターについては

知っているので

「行くつもりよー」と答えたら


思わず剥がしたくなるほど

これに

萌えたらしい(笑)


(さすがに剥がさず、撮って送ってくれた)



おーーー!素敵!!

ホンマに筆が吊られてるみたい!!


これを見つけて

是非に呼穹さんに

報告したくて!だって!!!


本人は至って

なんでこんなに萌えるのか?

解らず終いのまんま

なのらしいけど



これをわたしに

いち速く見せたかったって

送ってくれたのが

すごく嬉しかった。



そして

カードの一枚引きの

公開メッセージに

応募していて

こんな風に

blogで公開されたのだけれど



沖縄の由紀子ちゃんからの、“春のメッセージ”






カードが示す

わたしへのメッセージを

messengerの方でさらに詳しく

解説してくださったの。


変に慎重になったり

繊細だからねー

わたし(笑)


不安なところを

ついついいつも

霧のようなもので

覆ってしまうのね。



カードを通して

応援を

してくださってるのが

嬉しかった。






そんなこんなで

messengerでおふたりと

話が進んでいたら


次には

Rちゃんから

4月始まりの

わたしの

『ちいさな古代文字カレンダー2016』

の、ご注文が入ってきたり…と



いろんな形で

わたしを

応援してくださっている!

では、あーりませんか!!


自分にはない


他人様の

才能やら

人気やらで  

羨んで

僻みや

その

自信の無さすぎから

根性が

ひん曲がってるのに



めっちゃめっちゃ

多くはなくとも


関わってくださってきた

様々な方から



わたしの

作品とか

才能とか


性格、
わずかながらも容姿

などに

いつもエールを送ってもらえて

いるんだなあと


1回死んだ(ぷち臨死体験した)時

以来

このところ

ちみちみと

その追い風をとても

背中に感じているのです。



ま、普段気付かないはずもないけれど。


有り難さを

感じながら


コツコツとでは歩けれども

前に進もう。


って感じ。



わたしの書く文字が

好きだ!と言ってくださる皆さま

食事など愉しい集いに

お付き合いくださる皆さま



もう


本当に

いつも

ありがとうございます。



『感じる書』アーティスト 石川呼穹


英会話の先生と!






変わらないけど

変わりつつ
あるのかも知れない。

ただ
今日
今はわからないけど。

これから?かな。

3月31日
「新」



なんだろ。

今は

きっとサナギなのだ。




わたしは

蝶ではないので
(当たり前)

サナギの気持ちは

わからない。


なんだか

ムズムズな感じ。


季節柄

霞みが掛かってる感じ。







それでも

ちゃんと

中で成長してたり

もうすぐ

スッキリした

薫風に

身を晒す日も

近づいている


そんな

感覚を秘めた


今なのかな。


と、身体からの

ダルさの

脱出を図る

今日この頃。


『感じる書』アーティスト 石川呼穹










蘇生。

昨夜
わたし
死にました。

朝起きたら
わたし
生き返ってました。

夢の中で

わたしは
死んでたんです。

姿もなかったんです。

泣きながら
目覚めたら
ちゃんと
肉体ごと

わたしは
存在していました。

わたしは
昨夜
死にました。
そして
また生き返りました。

3月30日
「死」


朝方

空がようやく白んで来た頃

部屋の電気を点けたままにして

眠っていたことに気付き

一瞬起きて

消灯して
 
また寝ました。

ずっと見ていたのかも

知れませんが

夢を見ました。



夢の中で

わたしはどうも

死んでいるようでした。



死因は解りませんが

多分

その前に見ていたことを

断片的に思い出すと

ちょっとした川のような

深くて流れもある

大きな側溝に

自分の運転ミスで

愛車(旧車のMINI)ごと

落ちて水没してしまったこと

と思われます。


次の場面は

実家にいました。

わたしは

死んだことを悟ろうとしていて

そこにいる

父、母、妹、おいっ子に

「わたし、本当に死んだの?」

「声聞こえる?」

「わたしの姿ってもう見えないの?」

って聞いてるんです。

わたしが死んだのに

誰も悲しんでもない。

妹は

「あ、見えへんよ」って言うし

おいっ子もそっけない。

父は椅子の上に乗り

キッチンの棚の天袋の整理を

していて

見えないとは言え

片付けに集中していたり忙しそう。

家族たちは淡々と

悲しくも無さそうで

むしろ

もう、死んでしまったから

仕方がないって言うだけ。



なんだか

とても悲しくなりました。


分からない間に

わたしは死んでしまっていて

しかも家族たちにも

そっけなく扱われて。


死んでしまったから仕方がない。」

わたしと会話はしていても

姿は家族の目に映っていないのです。


死んでしまったんだ。

わたし

もう死んでるのだ。

って悟ると

悔しいのと悲しいのとで

どうしようもなく

泣いてしまいました。

涙が止まらなくなり

号泣のまま

目覚めて

ベッドの中の

わたしに戻っていました。

涙は本当に溢れて

頬を流れていました。







つい昨日

知り合いが週末に

急逝したことを知ったり

半月前にも

目覚めての第一声が

「あ、わたし生きてる」

だったり


“魂”って文字が

何度も浮かんできたり…


先日作ったキャンドルの

わたしのテーマは

『暗黒からの浮上』

だったし。



何故か

何かのサインのように

「死」がキーワードとなっていた

今日この頃だったのです。


昨日の夜寝る前に

転勤するある子との

お別れの意味で


自撮りしたものに

「バイバイ。元気でね」

ってfacebookに投稿したのですが

どうもそれも

今となれば変な感じ。

(↓これ)



わたしきっと

昨夜(厳密には朝方)

夢の中だけではなく

本当に

死んでいたのだと

思えるんです。


夢の中で

家族に冷たく

あしらわれたから



泣きながら

こっちの世界に戻り

目覚めたんじゃないかと

そう思えて

仕方ないんです。


たまたま

用事があって

夫と今日は同じ休みにしていて


先に起きていた夫に

「わたし死んでないよね」って

キッチンで泣きながら

聞きました。


そして

「さっきまでわたし死んでたから

生き返った

そう伝えました。


生かされている。

生きていてよかった。


1度死んで


生き返ったから


ちょっと生きていることを

意識してやっていこうと

思います。





『感じる書』アーティスト 石川呼穹










シャープで。

しなやかで。

のびやかで。


∞∞∞∞∞∞∞∞



ここんところ

ずーーーっと

「魂」って

文字が


書きたくて

書きたくて。
(で、とあるモノの為に書いた)


そして

昨日

かねてより 

お逢いしたかった


西洋占星術家の
小泉 マーリさんと

地球キャンドルアーティスト
さとう たかみさん

お二方同時に!という

とてもラッキーな機会がある


ということで


『春分に意図して創るsoulcandleワークショップ』


に、参加してまいりました!!


なんと滑り込み

ギリギリセーフの申込だったらしい♪

ラッキーだったらしい♪♪(笑)





春分の日は

西洋占星術でいうところの

年始め。



まずは

マーリさんの

その今年の星読みから

全体的な流れを伺います。





何にでも

言えることだけれども

お話が上手だなぁと

思うときって

本当に

例えなどでの

伝えかたが

とても分かりやすい!


もちろん、マーリさんも。



きっと

スゴく頭の回転が

早いんだと思うなぁ…

などと関心しきり。


火のエレメントの影響力が

強い1年の始まり…とは

聞いてはいたけれども


それに

どんな風に

乗って行けばよいか?を

個別に伺えて

ラッキーでした。



そこで

お話のなかに


「魂」!


ってワード、出てくる、出てくる。




ワークショップに参加までの

車内で

facebookに

「魂」 

(冒頭画像参照)
を、アップしたばかりでね。


余談だけど

ワークショップの

タイトル…


soulcandleってのを

終わってから

気付きましたがね(苦笑)





それにしても

このところ

本当に浮かび上がって

気に掛かっていた文字だったから

わたしのアンテナも


そこそこ


大したものですな(笑)




その後は

どんな1年にしたいか?

を、小さな瞑想でイメージし

次にそのイメージを元に

キャンドルを作りに

入りました。





(準備してくださってます。)




たかみさんは

やっぱり

おんなじアーティスト系の

波動が

お隣から

ビンビン伝わってきます。


もー

手際の良さって

見ていて

うっとりするの。



さて、作品作り!


暗黒からの浮上(!)



これが今回のわたしの

キャンドル作りのテーマで



作り出したら  


おかしいなぁ

はじめの

イメージは赤とかマゼンタ

だったはずなのに。







海の中のような

宇宙のような

はたまた

カクテルのような?(笑)



こんなのが

生まれました。

偶然にも

たかみさんの作られてる

地球キャンドル®と

よく似た色合いになりました。



あ!痛恨のツーショット撮り忘れ…







春分からの

春のイメージからは

どちらかといえば

程遠さを感じます(苦笑)

ポップさがない…



以下は

ご一緒した方の!


おいしそー(笑)








今の

わたしの魂の色は

ブルーグリーン。



ああ、灯すの

もったいなく思ってしまうー!

(灯してなんぼだよー)





風に乗ってというよりも

自ら

風になっていきたいなあ

と思いました。



しかし、作るのって

本当に愉しい!


今から

書塾の合宿です!


環境が変わって

良いものが書けるといいなぁー




『感じる書』アーティスト 石川呼穹







春、おはよう。

ひと雨ごとに
春に向かってく。

雨があがり
雲の合間から
お日さまの光が
カーテンのように
東の空をうっすらと
明るくしていた。

車窓からいろんなものや
見知らぬ少年や
堤防のランナーたちに
おはようと小さく投げ掛けた
春分の日の朝。

3月20日
「春」


春分の日に

朝の出来事を

facebookで書きました。





その数日前の朝は

目覚めて

いちばんに思ったことが

「あ、わたし生きてる!」

でして

何でそんなことが

起きていちばんに

浮かんできたか?全く解らなくて…


もしかしたら

覚えていないだけで

夢の中で

生死のはざまを

さまよっていたのかしら?とか

思ったりして(笑)




毎日

普通に


当たり前のように

目覚めて

起きて

「生きてる!」なんて

思うことなど

ほぼないです。



勤め先の人に

言ってみたら

キョトンとされましたし(苦笑)


生かされてる。

日常の生活のなかで

そんなことを感じたら


とても

ムズムズしてきました。


そして

それは心地悪くはない。



虫たちが

そろそろ春って

支度する…


私たちが感じる

季節感をはるかに超えて


彼らにとっては


生きること。だから。


生かされてる。なんて

彼らは思っていない。


今を


生きること。

生かされてること。





覚えてもいない

夢から覚め

「生きてる!」なんて

わたしが感じたことから


ろくに整理もせず

ツラツラと

書いてみました。


『感じる書』アーティスト 石川呼穹

















今日の一文字。


自身へ求む、潔さ。


水をもって
心身をきよめること。

即ち
みそぎを
意味する文字。



ここ、
というときも

そして、日々の
ちょっとした
判断を要するときにも


潔さを他人から
見せられると

とても
清々しさを感じる。



このようなことも

また、逆の場面にも
出くわすことも

今の仕事柄
有ることで

そんなときは


自身もそうではないか?
何か手放す時なのではないか?

などと
振り返ってみる。



激しく流れる水に

身も心も
さらしてみれば

放たれたものを
追いかけたところで

到底追いつけないだろう。



そんな潔さを

自らに知らしめよ。


3月15日
「潔」

∞∞∞∞∞∞∞∞



そっかー…

禊の意味があるから

潔いって

言うのだね。


って

調べてみて

解った。


わたし

やっぱり人並み(以上?)に

手放さないとって

思っていることを

ためらっていて


じゃあ

それは何故手元に置いておくの?

と、問いかけたときに

明確な答えが出せない感じに

なってきている。



と、いうのも

学んでとった資格を


上手く使えず

なら、その更新も

やめてしまおうって

思っているところ。




そこには

損得勘定(元取れてない)があるから

っていうのが

大きい。




だけど


それを

出来ない自分に

嫌気がさすくらいなら

いっそのこと

スッパリ返上すべきだと

ちゃんと

答えは出ているのだ。


教える機会は

情けないほど

少なくて

いくらわたしとて

不本意すぎ。
 

とてもいいメソッドだから

自分には

多くの場面で

使ってきた。



それだけでも十分で。




しっかりずっと

やっていきたいことは

多分ひとつで

それが出来ないと

きっと

死ぬとき後悔するから

 

だからこそ

今もう要らないものは

手放そうと思う。




『感じる書』アーティスト 石川呼穹




















今日の一文字。


力強さには

深味が伴う。


とは、

例えばわたしの場合

書かれている文字について

納得のいくものが

書けたとき

作品全体だけではなく

文字自体にまで

奥行きが感じられるなぁと。


大体

薄っぺらなのは

キライなんだ。


強い弱いは

紙一重なようで

成り立ちとしては

そうでもないんだなぁと

思える

理由がある。


∞∞∞∞∞∞∞∞

さて、その成り立ち。




弘と虫とに従う。
弘とは弓弦を外した形。

その下に虫をしるしているのは
おそらくその弦は
蚕(てぐす)から抽出さしたもので
蚕の意であろう。

天蚕は松脂などを塗り
くすね糸を作る方法が
知りていたのであろう。

「強」とはその弓弦の強靭
あったことをいう。

(白川静著 『字源』より)




逆に「弱」も

形から見れば

弓に由来しているはず。

なのに何が

どうして違うのか?

これも白川説だと

弓2つに

“ちょんちょん”って

付いてるのは

飾りらしい。


装飾品としての

弓はきっと美しいのだけれど

「弱」い。


強靭である

実践用の弓弦は

やはり

「強」いのだ。




美しく

かつ

力強さも兼ね備えた

そんな文字で

わたしは

表現し続けよう。


『感じる書』アーティスト 石川呼穹








今日の一文字。

おわりに
したいのは
どんなこと?


それはそのあと



新たな
“はじまり”に



繋がりますか?





「終」の反対は「始」。


では

「完」の反対は…


何だと思います?





まず、「完」の

成り立ち

を調べてみました。


うかんむりは

屋根のある所。

元とは

首のことを指します。


遠く

戦へ出て

戦死したら

首を失うことを

兀(コツ)といいます。


「完」は

生きて

元首を失わず

廟へ

その帰還の無事を

報告することを

表す文字なのです。


そんな成り立ちを踏まえて…

では

「完」の反対は何と記すか?

わたしは

調べるまで

答えられなかったです。



答えは

「欠」です。



人が

大きな口を

空けているところ…

即ち

欠伸(あくび)のこと。


で、そこから

穴が空いている

状態を表しています。


建物で言うと

「欠」は

例えば

石積に隙間がある感じ。


対して

「完」の方の建物は

みっしりと間を塞がれた

何者をも

通さない程の出来映えなのです。

つまり

カンペキでなのです。



ちなみに余談ながら

完璧の璧は

玉石のことで

壁(かべ)とは

似て非なる文字です。








同じ

おわる意味も

糸の巻き終わりを

結んで止める様を表す


「終」わりには

始」まりが控えている。


片や

首を取られず 

無事を廟にて報告する

「完」には

おわりを完全に悟る

意味が

込められているんだなあと

成り立ちと対義語を

調べて解ったことです。


さて、

年度末を控えた

冬の終わり




おわりにしたいのは

どんなことですか?


『感じる書』アーティスト 石川呼穹