呼穹ノオト cokyu note -7ページ目

蝶は
今、眠っています。
(本当に)
我が家のベランダで。
ピクリともしないし
まるで
すぅすぅと
寝息が聴こえて来そうなほど。
静かに羽根を
休ませているのです。

毎週末
更新を楽しみにしている
とある占い。
来週のこと
とてもドキドキする
内容だったのです。
そこから
イメージングを始めたのですが
とーーーんと
浮かれて
気分が急上昇すると
全く別サイドのことで
急に落ちてしまいました。
いきなり引き上げると
恒常性を保とうとするのですよね。
で、
自己嫌悪に陥ること暫し。
すこし退いて
自分を観ると
好きになれないところ
ばっかり
見てるのです。
そこをそんなに
見つめなくてもって位に(苦笑)
なので
わたしの
ざわつく
胸のなかとは対極な
うちの植木の葉に
彼女(蝶)が
佇む姿に
わたしはオヤスミを告げるのです。
ちいさな
アゲハチョウさんよ。
明日朝
会えたらいいなぁと。
『感じる書』アーティスト 石川呼穹
もう、分かってますって…とか言われそうですが前のblogでも書いたhttp://ameblo.jp/ck-note/entry-12152809225.html表現するために産まれて来たんだなあ…↑ですがその根源まあ、軽く40年以上前のお話となりますが幼稚園児のころ絵画教室に通っていた頃に遡ると思います。3人姉弟の我が家。一番上のわたしは今想うとありがたいことにいろんなお稽古事に行かせてもらいました。4歳からのピアノと絵画教室がそのヨーイドンだったはず。絵画教室のことは楽しかったはずなのに案外覚えていないんです。ピアノの方が必死だったからだな(苦笑)
この絵はわたしの憧れ。こんな笑顔で過ごしたいから。叔母の影響で亜土ちゃんの絵は好きだった。のと、ある日たまたま一緒に3歳の弟と絵画教室へ行ったとき弟が黒、グレー、紫でしか数あるクレパスの色のなかから選ばず描いたこと(母が先生から色からして心配な状況かも?と言われたらしい)くらいしか絵画教室での思い出って 覚えていないのです。しかし、母が言うにはわたしは何かの大きな展覧会の幼児部門でちょっとした賞を貰ったらしくそういえば大阪市の美術館で観た自分の作品に金色のりぼんが付いていた気がします。どんな絵か覚えているわけもなく。その絵実家に無いかなあ…ないわな(見たい)その後ピアノは続けたけど転校したので絵画教室には行けずジ・エンド。そして小1で転校してから絵画に代わって始めたのが『お習字』だったのですな。
(↑これはイメージです)その後は高校卒業まで体育会系な活発な女子に成長していくのです。それでも先生が近所のおばちゃんなのですが熱心で時に厳しいながらも楽しい先生でお習字教室は6年生まで通いましたね。それがわたしの原点。子どもたちに教えるようなことは(一応考えたけど)やらないと思う。しかしながら大人が筆をもって楽しく個性を活かして墨と戯れたりちょっとだけいつもより綺麗な文字を書けるキッカケとなるような楽しいレッスンはしたいなぁ…と、思っていたりします。その前にもっとお前(わたしね)が書き込めよ!!みたいな。ふふふ。ボチボチ溜まっている物も額装とか進めなきゃね。あ、話はコロリ変わりますが近くの揚げ物やさん(専門店)がお気に入りでちょくちょく熱々揚げたての唐揚げやコロッケたちを買いに行くのです。今日もそこのお兄さん(わりと若い)がめちゃめちゃええ感じの人で対応も揚げたてフライに負けないほど温かい。接客業に就いてからお客様の立場になってもさらに敏感になりましたね。気持ちのよい対応で少しでもええ気分でその後過ごせるって当たり前のようだけれども嬉しいものですから。『感じる書』アーティスト 石川呼穹幼稚園児時代から
40余年後のわたし(笑)
(唐揚げ好き!前もこんな画像
アゲた気がする。しかも素っぴん)

迷いながらいつも選んでいる。決めきれてない?けど結果選択してその道を歩んでいる。流れも勢いもしゃあなしも。多くのことには選択肢がある。緊急性も求められるかも知れない。が、きっと間違いはない。やり直せるのであればまたそのときたしかな道を選ぶのであろうとすれば。「選」∞∞∞∞∞∞∞∞昨夜のこと。わたしのとあるヘマから夫とケンカになった。わたしが悪い…から、迷惑掛けたことに対して素直に謝った。しかし日頃の想う(別の)ところは得てしてそんなところでついでに口に出る。常に口数が少なく思っていることを人に伝えることが苦手というかしない選択が多い夫(に、限らず男性に有りがち?)は放っておくと溜めに溜めてから爆発する(汗)それでも夫からして普段コミュニケーションをとっているのは多分わたしくらい。わたしに昨夜も夫は想うところ(主題とは別)をぶつけてきた。いつもわたしが困惑するのは答えきれない質問をすること。そこに「何で?」と付ける(苦笑)道がないから謝るしかない。それで終わらないからケンカになる。で、わたしも要らないことを言い返す羽目になる。結局どのみちこうなるとぶつかるしかなくなるのだ。些細なことなら良いが昨夜はかなりシリアス…しかもここで言い過ぎるのは口のたつ女の方のわたし(苦笑)ここであーダメだーーーーーと、思わず思ってしまったけれどお互いに過去がどうだったであれそれぞれがそれぞれの責任でそのとき“選択”をしているのである意味仕方がない(苦笑)そこのところは時間を経て分かる訳で。ま、損得感情も含めてね。よく考えよう…なことは単なる偶然ではないとも言える以上わたしのヘマから始まるシリアスなケンカからの考察でした(苦笑)『感じる書』アーティスト 石川呼穹
ただいまお稽古場に居ります。今日はお稽古日。師匠に月いち指導して頂ける日。オファーをもらってから溜まっていた疲労も整体受けて流して仲間と共にメイクアップ塾に参加して気持ちも上げてガッツリ紙に向かいます。テーマは紙に収まらないほどの壮大さでそれを如何にわたしらしく表現できるか?強さと懐の深さを感じるような空間の広がりを表したい。さて、書きますかね。誰もまだこないお教室より。『感じる書』アーティスト 石川呼穹ホームページ*らぶしょbyこきゅう http://www.cokyulovesho.com/
人の可能性。わたしはあまりこんな解釈方法は好みではないけれど人偏に可で“人の可能性”何に時を付けたら何時(いつ)処を付けたら何処(どこ)いつもどんな視点でどこをみてる?「何」∞∞∞∞∞∞∞∞ここのところ時に胸がざわざわとざわめきを隠しきれません。なので、思いの丈をえい!ってblogなりfacebookになり書こうとタラタラとしたためると読み返して何だ!この情けなさは!!って思ってしまうほどひねくれていてかつ何にも成らないことばかり羅列してまして…(;´_ゝ`)一体、何をみてる?何処をみてる?と、改めて自分に問いかけてみたわけです。見るとこ(フォーカス点)間違えたら誰がみてもエエエエエーーーっ?あーもったいないって感じになりますよ(苦笑) ∞∞∞∞∞∞∞∞人には無限の可能性があると思います。細かく言うと人の人生のうちに“タイミング”をもってその無限である可能性はチャンスと化してめぐってくるのだろうなぁと。だから何処をみてる?何をみてる?と、自分に問いかけてみたわけです。あーーメンドクサイわたし(苦笑)そして何がどうなったのか?facebookの過去のプロフィール写真遡って見ていたら知らん間に前のものに変更してしまっておりましたー(苦笑)↓まあ、このときの素顔はうじうじしていなくて堂々としてさらにイキイキしていたかも?と、思います。自信を持てよ!ってこと。焦るなよ。だと思いました。でも今のわたしがキライなわけではありません。しばらくはこれでいこうかな。『感じる書』アーティスト 石川呼穹2年前の夏の素っぴんなわたし。
