天中坊天狗 (茨城県 加波山神社)  | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “常陸の國筑波山、加波山、雨引山の連峯は関東平野の内にその雄姿を浮かび上がらせている。秋晴の日は道灌山脈の北に遠く望むことが出来る。各山々には天狗さんがおられ、筑波山には筑波法印を始め二十三人、加波山は海抜七七七米、天狗さんは四十八人、昔から加波禅定といってその名を知られている。

 神社の御祭神は国常立命諾冉二柱、山中には普明仙人の修行された岩屋があり、その処に普明神社が過般創立され最近加波山の名がクローズアップされてきた。天狗研究家の知切光歳先生も調査のため登山せられるとのお話。鈴木宮司さん始め私達も御尊名とお姿を知り度く加波山天狗界に或る期間祈願し、十一月上旬御神示を得て御名は天中坊とわかり、またお姿を拝見する事ができて感激しておった。

 十二月十七日午後七時、小池章充君のお宅で霊媒渡辺政治先生の実演会を開く機会を得た。小川、森、鵜野各先生、松本清安、熊沢久子、大橋清次さん十余名の人々が列席した。

 その時の御神示は次の通りであった。

 「身長七尺、顔はやや円いお耳は大きく遠くの音声を聞き取ることが出来る」

 「お鼻は高くお目はやさしく、眼底に光を発しておられる」

 「おひげあごひげを貯え、その頂上に何か形がある。赤の紐で結んでおられる」

 「左手に鉾を持たれ、右手は印を結ばれている」

 「遁甲の術を会得せられているとのこと」

 「背に大きな鳥羽根の光倹被を着用されている」

 「法衣は非常に立派で海水の色のようなもので錦織の美しさ、青紫いろいろに見える袴の上部を特殊の帯で結ばれる」

 「天狗さんは多くの人間界から入るが天中坊は天の霊気によって仕成なされた」

とのこと。生い立ちから考察して御尊名は実に相応しいと思った時、渡辺先生の動作が一変身体から音が発せられた。瞬間天中坊さまが出現になり、

 「汝ら現に自分をお祭りしようと相談中であろう、加波に祭る前に伊勢神宮に参拝報告してからにすべし」

云々、種々お祭りする手続上のご注意を賜り一座の人々は有難く感涙に咽んだのである。

 以上の御神示と私達が拝謁したお姿と同一であったことに感謝したのである。

 自動書記によって更に詳細に判明したのであるが、天中坊さまは竜神に変身自由のこと。信仰深く心の中に天中坊大尚忩と祈念しつつ「顕彰大神力」と一〇八唱すれば奇蹟は現われ金箔、銀箔、振り来たるべし云々との実は私し大橋さん小池さんは天中坊さまの御霊璽、御霊舎を製作、その大前に水火の霊珠をお供えする準備中で、彫刻の名手小山武司氏は一世一代の作をと腕を振って完成を急いでいる。”

 

(「心霊研究」1964年3月号 荻島嶺南『加波山天中坊さま』)

 

*最後の文章は誤植なのか、ちょっとおかしいところがありますが、これは原文のママです。

 

 

・加波山と三光信仰

 

 “……私は武芸から宗教に入り我国山岳系宗教を各地にたづねての途次筑波山の神官によって加波山三光流の存在を知りました。三光とは日月星の三光を指し、三光流の内容は宗教、武芸、東洋医学をその中に綜合したものです。現在の先達等にも両部的色彩を持つ多くの霊能者を出現させています。加波山三社大権現の天照皇大神御表は国常立、伊弉諾、伊弉美命、御裏は金躰両部の大日如来、本地は弥陀、釈迦、薬師の三尊におわします。鹿島、宇都宮の影響を受けた系統の武芸で巌を飛ぶ天狗飛び切りの術、巌渡り、岩屋くぐり、狭所横這いの術は現実に先達が上手に見せます。東洋医学としてはせんぶり、げんのしょうこ、とりかぶと、くこ、まつふじ、またたびその他の全山の薬草がその対象です。”

 

(「心霊研究」1964年9月号 池原紫山『加波山三光流断食記』より)

 

 

・「霊水」拝受の法

 

 “熊沢久子ちゃんは八月中旬、茨城県の加波山に登山したときのこと、鈴木宮司さんのお宅から出て、一丁ほどの処で同行の松本清安さん(水戸在の志波彦神社から珍しい岩笛……この岩笛には人と云う字があり、表面は人の顔をしておる……を授かった人)が、

 「あー、大蝶が現われた。久子ちゃんが登山する時天狗さんのお使いの蝶が現われると話に聞いておったが、たしかに現われましたねー」。なる程大きな蝶が先に飛んで行く。途中でも一つ奇蹟があったが略す。

 頂上のお宮さんで午後九時三〇分からのお祈り中に、お宮さんの内で、美しい鈴の音、笛の音、太鼓の音、神界の歌舞音曲が起こり、座中の二、三人の人々にも聞こえたのである。

 その際天狗さんから霊水拝受の法を伝授された。久子ちゃんは厚く御礼を申し上げた。久子ちゃんは天水拝受の法は知っておるが、霊水拝受の法は始めてであった。これはどこでも、いつでも、いと簡単にできる法だからぜひ皆さんも実行してみて下さいと云っている。

 「先づ一心に加波山大天狗さんにお祈りしますと、合掌の手が上部から徐々に開き、コップ状になります。神さまから霊気のお水が注がれます。それを静かに口に充分に受け入れます。」

 「咳の出るときこの方法を行ないますと非常に効果があらわれるでしょう。」

と云っている。

 久子ちゃんは加波山の天狗さんに本年中に自筆の欅製の大額を奉納すると張切っている。”

 

(「心霊研究」1962年11月号 荻島嶺南『天狗さんと少女』より)

 

*茨城県の加波山神社は、近代の実在の仙人、国安普明仙人(1860~1912)や天狗さんをお祀りした神社として知られており、特に神仙道の方々に信仰されているようですが、本来の御祭神は、国常立命、伊弉諾命、伊弉冉命であって、ここにも熊野や丹波と同じく三光信仰があり、艮の金神様がおられます。以前にも書きましたが、伊勢の外宮の豊受大神は国祖・国常立大神のことですし、稲荷大神とは豊受大神のことでもあります。また、熊野の玉置神社の御祭神も国常立大神で境内には三光稲荷がありますし、さらに御嶽教の御祭神である御嶽大神とは、国常立尊、大己貴命、少彦名命の三神一体の御神格とされています。そもそも神素盞嗚大神は国常立大神と御魂同一神ですし、出口ナオ開祖のお筆先に『艮の金神は、これまで世界を陰から守護してきた……』とありますように、実は知られていないだけで、国祖・国常立大神は日本の国魂そのものであります。

 

(国安普明仙人)

*加波山の普明神社は、国安普明仙人が修行された霊窟(太郎坊岩屋)の場所に、1962年に神示によって建てられました。仙人の遺髪が御神体としてお祀りされているそうです。尚、普明仙人のお墓は品川の東禅寺にありますが、尸解されましたので、そちらには御遺体はないようです。

 

*「霊界物語」には、主神の分霊である言霊別命や大八洲彦命などの神々が登場しますが、出口王仁三郎聖師は、主神の分霊であるといっても、(言霊別命としての顕現では)言霊別命としての限定された力しか出せない、ということを言われています。私たちは、もっと主神について、あるいは各神社の御祭神の主神とのつながりについて意識するべきあるように思います。単なる多神教レベルに留まるのでは、シュタイナーの言うように退化でしかないですし、スウェーデンボルグによれば、天界から我々個々の魂に注ぎ込まれる『内流』には、唯一なる神の概念が含まれており、この概念を否定することは内流そのものの否定となり、崇拝の対象である唯一の神を複数の神格に分割して想念をそのように固定してしまうと、結果として、天界への道が閉ざされてしまいます。

 

・一神教と多神教  〔ルドルフ・シュタイナー〕

 

 “多神教の方が、実は神界の現実に則しており、その意味で正しいのである。一神教は永遠の真理なのではない。世界の根底の統一性を開示する存在が自我の力を人間に与えるとき、一神教という思想が生まれるのである。その意味で、一神教は非常に重要なものなのであるが、これからは一神教によって強められた思考を保ちながら、数多くの神々に向かい合う時代に来ている。たんに多神教的に神々に向かい合うだけでは、太古の意識状態に先祖帰りするだけで終わってしまい、今までの進化は無駄になってしまう。一神教的な思考力をいささかも失うことなく、神々に向かい合う必要があるのである。

(松澤正博・西川隆範共著「いま、シュタイナーの「民族論」をどう読むか」(イザラ書房))

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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