薔薇十字仏教 〔ルドルフ・シュタイナー〕 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “仏教はインドで発生し、原始仏教(初期仏教)は南方ルートをたどって広まっていった。スリランカ、ビルマ、タイ、カンボジア、ラオスなどである。紀元前三世紀に、インドからスリランカに伝わった上座部仏教(アビダルマ仏教の有力学派)が東南アジアに伝わっていったのである。

 大乗仏教は、インドから北方ルートをたどって広まっていった。ガンダーラ経由で中央アジア、中国に伝わり、中国から高句麗-百済-新羅、日本に伝わった流れと、チベット経由で蒙古、満洲に伝わった流れがある。

 現代では、阿弥陀や観音の起源として、ペルシアで崇拝されていた神霊存在に注目する説も出ている。インド以外の地方で発生した信仰が仏教に取り入れられたという説である。時代をさかのぼれば、インドとイランはひとつの文化圏を構成していた。そのために、神名に共通のものがいくつも見られる。ミスラ(ミトラ)、デーヴァ(ダエーワ)、アスラ(アフラ)などだ。

 しかし、本書の副題である「秘められた西方への流れ」というのは、インド以西の「中近東」を指しているのではない。本書で述べたいのは、仏陀から発して欧州にいたる霊的な流れのことである。

 たとえば、紀元前一世紀にできた『那先比丘経』(ミリンダ王の問い)は、西北インドを支配していたギリシアのバクトリア王国のミリンダ(メナンドロス)王(在位、紀元前一五五~一三〇年)とインドの僧侶である那先(ナーガセーナ)との対話を記録している。イランでは三世紀に、ゾロアスター教と仏教とキリスト教を取り入れたマニ教が興っている。八世紀にダマスクスのヨアンネスが編纂したといわれる『バルラームとヨアサフ』は中世ヨーロッパに流布した物語であるが、インドの王子ヨアサフがキリスト教を受け入れる話である。

 十九世紀から二十世紀にかけて、西洋の学者たちは「仏教が『福音書』におよぼした影響」を研究した。それらの研究の結果、「仏教とキリスト教(とくにルカ福音書のキリスト教)とのあいだに深い関連が実際に存在するということを否定すべきでない」(H・ベック『仏教』邦訳岩波文庫)と、された。しかし、「その関連は深いところにあって、外的な学問の手段によって解明しようとするのは、当面のところ見込がない」(同書)。

 「外的な学問の手段」とは異なる方法でこの問題を解明しようとしたものに、R・シュタイナー 『ルカ福音書講義――仏陀とキリスト教』(邦訳イザラ書房)がある。その流れを汲むF・ベピッピ『ルカ福音書――薔薇十字の秘儀における仏陀の八正道の成就』(一九六二年)は、真摯な研究書である。R・グロッセ『アントロポゾフィーという存在』(一九八二年)は、仏陀とローゼンクロイツ(薔薇十字団の創設者)の関係を追求している。さらに、T・ヴァイス『ミカエルの時代における仏陀衝動』(一九六六年)や、H・ヴィンバウアー『仏陀=ヴォータンの流れ』(一九八五年)は、仏陀の霊統を西洋の歴史のなかに追っている。

 「薔薇十字仏教」という言葉は奇妙な響きがすると思うが、右に挙げた研究によれば、仏陀から発して西洋にいたる霊的な流れは、ローゼンクロイツ(薔薇十字)の流れと密接に結びついているのである。このインドから発して西に向かった流れを、南伝仏教、北伝仏教とならぶ第三の流れととらえることはできないだろうか、というのが本書の第一の主題である。南伝仏教と北伝仏教は、ともに、「東伝仏教」である。それとならんで、「西伝仏教」が存在することを、これから探っていきたい。

 薔薇十字派の神智学では、涅槃に入ったあとも仏陀は霊的進化を続けているという見解を取っている。そして、現代になって新たな仏陀の活動が始まっていると見ている。そのように見るなら、原始仏教から大乗仏教へと発展していった流れの上に〈薔薇十字仏教〉を付け加えることも不可能ではあるまい。

 まず東方の流れを確認したあと、西方の流れを探り、〈薔薇十字仏教〉の教えを見ていくことにしよう。”(P13~P15)

 

 “シュタイナーは、弥勒は「キリスト衝動を完全に明らかにするために現われる最大の教師」(一九一〇年四月十三日の講演)、「キリスト衝動の最大の告知者」(一九一一年九月十九日の講演)であり、「ローゼンクロイツに結びつく西洋の流れと協同する」(一九一一年十一月二十日の講演)と、語っている。

 

 シュタイナーは、「愛の炎にみずからを供犠として捧げた仏陀が、わたしたちのスピリチュアル・サイエンスに霊感を送る者なのだ」(一九一一年九月一九日の講演)と語り、「ローゼンクロイツによって与えられた瞑想を行なう者は、火星から送られてくる仏陀の力を受け取る」(一九一二年十二月十八日の講演)と語っていた。仏陀から霊感を受けたスピリチュアル・サイエンス、そして仏陀の力を受け取ることを可能にする、ローゼンクロイツによって与えられた瞑想を、つぎに検討してみよう。”(P139)

 

 “シュタイナーは、自分のスピリチュアル・サイエンスは本来的には〈聖杯学〉と呼ばれるものになるだろう、と考えていた。ヨーロッパの聖杯伝説によれば、輝かしかった天使ルシファーが天から堕ちるときに額から落ちた宝石が聖杯になった。そして、この聖杯の探究が騎士物語のテーマになった。

 『正法眼蔵』には、「虚空や服の裏や竜の頷(あご)の下や聖王の髻(もとどり)のなかに、一個の明珠が収められている」そして「その明珠は円くて角がなく、くるくると転がっていき、色を見、声を聞くところに観音や弥勒が現われる」と書かれている。この明珠は、竜王の髻髪中(もしくは怪魚の脳中)に収められていた摩尼珠、すべてをかなえるという希有な珠のことである。密教で「大日如来よ、摩尼珠と蓮華と光明を転(めぐ)らしたまえ」と祈念される、光り輝く珠である。この摩尼珠が東洋の聖杯だ。

 わたしたちもしっかりした意識という剣を携えて、摩尼珠探究の旅に出かけようではないか。太陽のごとき宇宙の如来から発する生命の光に触れるとき、かならずやわたしたちは摩尼珠を得ることができるだろう。”(P219)

 

(西川隆範「薔薇十字仏教 秘められた西方への流れ」(国書刊行会)より)

 

 

*カトリックにはロザリオ、正教会にはコンボスキニオンというものがありますが、そのような数珠の使用は、キリスト教が仏教から学んだと言われています。修道院制度もそうです。

 

*人口のほとんどが大乗仏教徒である日本人の中には、このルドルフ・シュタイナーの説く「薔薇十字仏教」に共鳴される方も多いのではないかと思います。また、仏陀が人生の最後に豚肉を食べたことの意味など、シュタイナーの解釈は既存の仏教とは異なるまったく違った視点からのもので多くの刺激をもたらしてくれますし、さらに『弥勒』の役割がかなり重要視されており、これから日本人が民族として果たさねばならない使命があるのなら、ここから多くのことを学べるはずです。戦後、鞍馬仏教はいち早く神智学を取り入れましたが、シュタイナーが言うように、『現代になって新たな仏陀の活動が始まっている』のであれば、我々はもっと積極的、意識的にこの力の流れと接触すべきではないでしょうか。この本は、仏法のさらなる宣揚を願っておられる方々には、ぜひ読んでいただきたい本です。

 

・アジアの聖杯伝説 (釈迦如来の聖鉢)

 

 “キリスト教の教えの中で、特に興味があるのは、グラール、聖杯です。これは十字架に架けられたキリストの血をアリマティアのヨゼフという人が器に受けたその器が、キリスト教のもっとも聖なる宝物として伝えられたという話と、それから天から降りてきた宝石を聖杯と名づけたという話とが合流して、「宝石のように輝く器」という伝説になったのです。この器は見える人には見え、見えない人には見えないのだそうですが、それを大事に守っている騎士たちは、「聖杯騎士」と呼ばれました。騎士団の代表者がパルチヴァルです。ワーグナーの最後の作品である『パルジファル』は、聖杯伝説をドラマ化して、歌劇にしたものです。

 このグラールを宗教象徴として解釈すると、グラールとは実は私たち一人ひとりのことで、私たちが器となって、自分を空にすると、そこにキリストの働きが血のように満たされるという意味にとれます。グラールを自分の中の聖なる部分、つまり自分の中の霊性ととると、聖杯を求めて巡礼する旅を、瞑想の道であるとも感じることができます。

 ところで、平凡社版東洋文庫の『法顕伝』には、おもしろい話が出ています。法顕は四世紀末から五世紀にかけての中国の仏教者ですが、この人がインドを旅したときの話です。それを読んでいましたら、第五章のところにグラールと同じ伝説が出ていたのです。こんなふうに書いてあります。

 ここにも弥勒との関係が出てくるのですが、釈迦如来が使用された鉢(はつ)がありました。今度は杯でなく、鉢ですが、同じ容器です。鉢は托鉢の鉢で、生命の象徴である食べ物の布施をこれで受ける容器です。釈迦如来の使われた鉢、釈迦如来が食事をするときに使われた茶碗が、

 

 「今中部インドのバイシャーリーから北インドのガンダーラに移っている。この仏鉢は数百年を周期として月氏国(クシャナ朝でしょうか)、于闐国(現在のホータン)、亀茲国(現在のクチャ)などの西域諸国を順次に経て、中国に達し、そしてさらに獅子国を経て中部インドに戻り、釈迦の後継者である天上の弥勒菩薩のところで供養を受け、ふたたび下界に戻って龍宮におさまる。」

 

 つまりお釈迦様の使用された鉢が、中部インドから北インドのガンダーラに移って、それから数百年かけて中央アジアをめぐりめぐって、そしてまた中部インドに戻って、そこから兜率天に昇って弥勒の供養を受け、聖なるものとされて、再び下界に戻り、今、龍宮におさめられている、というのです。

 さらに見ますと、「仏法が衰えて人の寿命が五歳にまでなったとき、そしてそこからふたたび人々が善を志すようになって、人の寿命が八万歳になったとき」―― これは仏教の基本的な考え方で、人類の寿命は最高が八万歳、最低が五歳だというのです。人間の行いが悪くなると、寿命が時代とともに短くなり、最終的には五歳で死んでしまうところまでいきますが、そこからふたたび生命力が少しづつ増えて、ついには八万歳まで寿命が延びるというのです。そして八万歳になると、また寿命が短くなっていくという、そういう周期を仏教は考えています。そして「人の寿命が八万歳になったとき、弥勒が下生して説法を行う。そのときに、この仏鉢があらためて弥勒のもとに献じられる。」こういう話を、セイロン島で法顕が聞いてびっくりして、この話をしてくれた人に、いったいどのお経にそのことが書いてあるのか、と聞くと、その人は、そういうお経はない、これは口伝で伝えられたものだ、と応えたと書いてあります。後に「仏鉢経」というような経典も出ましたが、それは偽経である、と法顕は書いています。

 法顕はびっくりしてそのお経を知りたいと思ったそうですが、この話は、ヨーロッパのキリスト教圏における聖杯伝説とよく似ています。聖なるものを器としてイメージするのですが、一方はキリストの血を受けた器、他方は食べ物を受けた器という違いはありますが、本質的に血と食べ物は、同じ生命であり、アーカーシャです。それが人々に、眼に見えない形で、伝授されます。そのために、一人ひとりが器になるのです。自分を空にして、神仏を受け容れるのです。自分の心が器のようになれば、いつでも兜率天から弥勒がその人間のところに降りてくるというのです。ここに西洋、東洋を問わず、人類の宗教思想、神秘学の思想の核心的な部分があらわれていると思います。”

 

(高橋巌「神秘学から見た宗教 ―祈りと瞑想―」風濤社より)

 

 

*仏教にも、ある種の聖杯伝説が存在するというのは興味深い話です。私は、出口王仁三郎聖師の『耀盌』とは、水瓶座時代の宗教のシンボルであって、ここに聖杯の「型」が出ていると思っているのですが、出口聖師は、『在家の菩薩が法を説くようにならねばミロクの世は来ぬ』『在家の菩薩とはお前ら(信徒たち)のことじゃ』と言われたことがあります。そして、『聖杯』とは、もとはルシファーの額から落ちた宝石だったかもしれませんが、本来は十字架に架けられたキリストの血を受けた杯のことで、キリスト教において特別に神聖視されていますが、カトリックの神秘家マルタ・ロバンも、『新しい愛の聖霊降臨』において、『聖別された信徒たち』が重要な役割を果たすことを予言しています。僧侶や聖職者たちではなく、いずれ「聖霊の器」となるであろう多くの在家の信徒たちが、これからは重要な役割を果たすことになるのだと思います。

 

・聖痕者マルタ・ロバンの予言 〔愛と光の家〕

 

(1936年2月10日 フィネ神父との会見)

 “フィネ神父は彼にとって忘れがたいこのときのことを幾度も語っている。多くの文書にある話を総合して、彼の話を再現しよう。
  「初め1時間、マルタは私に、聖母についてしか話しませんでした。マリアについての講話をよくする私は、聖母についての彼女の話し方にすっかり心を奪われてしまいました。彼女は聖母を『私の大好きなママ』と呼んでいました。そこで私は、聖母と彼女とは非常に深く知りあっているのだなと推測したのです……」
  「2時間目に彼女は、これから繰り広げられるであろう重大な事がらについて話しました。そのうち、あるものは非常に大変なことで、あるものはとてもすばらしいことだろうとのことでした。実際にこの話の段階で彼女は私に

  『新しい愛の聖霊降臨が起こり、信徒の使徒職を通して教会が若返るのです』

と言ったのです。このことについて彼女はよく話してくれました。そして彼女はこうも言ったのです。

  『信徒は教会の中で、非常にたいせつな役割をもつようになるでしょう。たくさんの人が使徒として召し出されるでしょう』

と。ずっとのちに教皇ピオ12世、ヨハネ23世、そしてパウロ6世が『教会の春』とか『新しい愛の聖霊降臨』と語られたのを聞いたときに、私はたいへんな衝撃を覚えました。それをマルタは、なんと1936年に私に言ったのですから。彼女はまた、教会は全面的に刷新されるでしょうと私に言いました。彼女が話していたのは公会議のことだったのです。彼女はさらに、信徒を養成するために多くの方法があるでしょうがとりわけ、愛と光の家が多くできるでしょうと付け加えました。私には彼女の言いたいことがよくわかりませんでした」
  「そこで彼女は私に言いました。

  『これは教会にとって全く新しいことですね。いままで決してなかったことでしょう。修道会ではなく、聖別された信徒から成るのです』

 彼女はつづけて言いました。

  『愛と光の家は、父親である一人の司祭の指導のもとに、自分を奉献した信徒で成り立つのです。これらの愛と光の家は、全世界の中で輝かしい影響を与えるでしょう。これらの家は人々の物質的敗北と悪魔的な誤謬が生じたのちに、イエズスの聖心からの答えとなるでしょう』
 さらに彼女は言いました。

  『消え去ってしまう誤謬の中には、共産主義や世俗主義およびフリーメーソン結社があるでしょう』

 彼女は私に、特にこの三つをあげました。それは1936年のことです。

  『ですがそれは、聖母の介入ののちに起きるでしょう』

と彼女は言いました。……」”
 

(レイモン・ペレ「マルタ・ロバン 十字架とよろこび」(愛と光の家)より)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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