エッセネ派とテラペウタイ〔R・シュタイナー〕 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “キリスト教の精神が生い育った土壌は、密儀的智の世界に求めることができる。キリスト教が生い育つには、密儀の精神が、それまで密儀の領域で行われてきた以上に、高い次元で、生に導入されなければならないという基本的確信が、高まる必要があっただけなのである。そして、そのような基本的確信も、広範囲に存在していた。このことは、キリスト教の成立の大分以前から存在したエッセネ派やテラペウタイの生活態度を見るだけで明らかである。エッセネ派は、パレスチナの独立的な分派であって、その信徒の数は、キリストの時代に約四千と見積もられている。エッセネ派は、纏(まと)まった信徒集団を形成しており、信徒に対しては、魂内部に高次の自我を育成し、それにより、新生が可能になるような生を送ることを要求していた。入信志願者には、厳格な試験が課せられ、一定の試行期間を経なければならなかった。その場合、修行の秘密を外部に洩らさないよう、厳かな誓いを立てなければならなかった。こうした修行の目的は、人間の内部の低次の自我を抑制して、人間内部に微睡(まどろ)む霊を、次第に覚醒させて行くことにあったのである。一定の段階まで、自己の内部で霊的体験が可能になると、教団内の上位の位階に上り、相応の権威を享受したのだが、この権威は、外部から押し付けられたものでなく、深い確信から自然に生じたものなのであった。

 このエッセネ派に似た集団が、エジプトに居を占めていたテラペウタイである。この教派の生活態度に関しては、『観想的生活について』を通じて、種々、貴重な消息を知ることができる(この著作が、実際にピロンのものか否かという点についての論争は、今日では解決されたものと見なさなければならない。キリスト教の成立の大分以前から存在していて、ピロンがよく知っていた集団の活動を、かれが実際に書き記したという仮説は、妥当なものと見なければならない。これについては、G・R・ミード著『忘れられた信仰の断片』〔ライプツィヒ、1902年刊〕参照のこと)。テラペウタイが、どのようなものであったかを知るには、このピロンの著作の若干の個所を引用してみるだけでよい。

 「この教団の信徒たちの住居は、すこぶる簡素であり、酷熱の太陽と酷寒をしのぐのに必要な避難所以上のものではない。住居は、町中のように相接して建てられてはいない。隣接しているのは、孤独を求める人々にとっては、あまり好ましいことではないからである。そうかといって、はるか離れたところに建てられているわけでもない。かれらの好む仲間付き合いの支障にもならず、盗賊に襲われたときなどには、容易に助けを求められもするからである。どの住居にも、礼拝場とか修行場とか呼ばれる聖所があり、これは、小部屋であったり、独居房であったりする。このなかで、高次の生の奥義を追求するのである……かれらは、また、昔の著述家たちの著作を所持していたが、この著作家たちというのは、かつて、この教派の指導者であり、寓意的な著作に通例用いられる方法について、多くの説明を遺していた人々である……聖書の解釈は、この教派の場合、寓意的な物語に含まれる一層深い意味を明らかにしようとするものであった」

 こうした記述から判ることは、少数の密儀集団で志向されていたことが、ここでは、一層一般的なものになっているという点である。もちろん、この一般化によって、密儀の厳格な性格は、和らげられるようになったであろう。―― エッセネ派やテラペウタイは、密儀的宗教からキリスト教への自然的な移行形態をなすものといってよい。キリスト教は、これらの教派が、教派次元の事柄にしていたことを、全人類の次元の事柄としようと意図したのである。このことによって、密儀の厳格な性格は、さらに一段と和らげられる基盤が与えられたことは言うまでもない。

 これらの教派が存在していたという事実から、当時、キリストの秘儀を受け入れることができる時機が、どの程度まで熟していたかが判るであろう。密儀の場合、人間は、相応の段階で自分の魂の内部に、高次の霊的世界が現出するようにするためには、人為的に準備が必要であった。エッセネ派やテラペウタイの内部では、相応の行法により、魂が、「高次の人間」を覚醒させうるように成熟することが求められた。さらに一歩進めば、人間の個人性が、地上の生を繰り返すことにより、次第に高い完成段階に到達できるという予感を闘い取らねばならなかった。そうした予感を闘い取ることのできた者は、イエススという存在を通じて、高次の霊性を持つ個人性が出現したことを感得することもできたのである。霊性が高ければ、それだけ重大なことを成就する可能性も大きくなる。こうして、イエススの個人性は、ある行為、すなわち、福音書のなかで、ヨハンネスによる洗礼という出来事を通じて、すこぶる神秘的に暗示され、その暗示の仕方からいって、明らかに重要なことと見なされている行為を、成就し得るようになったのである。―― イエススの人性は、自己の魂内部に、キリスト、すなわちロゴスを受け入れることが可能となり、その結果、ロゴスは、イエススの人性を通じて肉となったのである。この受肉以来、ナザレトのイエススの「自我」は、キリストとなり、外的人性は、ロゴスの担い手となるのである。イエススの「自我」がキリストになるという出来事は、ヨハンネスによる洗礼に示されている。密儀宗教の時代には、「霊との合一」は、密儀への参入を求める少数者の関心事であった。 エッセネ派の場合は、教団の信徒全体が、この「合一」を可能にする行に専念しようとした。だが、キリストの出現によって、全人類の前に、あるものが―― ほかでもないキリストの業が―― 示され、この結果、「霊との合一」は、全人類に開かれた認識の道となることが可能となったのである。”(P157~160)

 

 “キリスト教以前の奥義通達者は、自らは神的なものを認識し、民衆は比喩を通じて信仰するという確信をもっていた。キリスト教の出現によって、この確信は、神が、啓示を通じて人類に智を開示し、人間は、神の啓示の似姿を認識することができるという確信に変わる。密儀的な智は、少数の人々、成熟した人々にだけ開示される温室的植物であるが、キリスト教的な智は、認識を通じては、何人にも開示されず、信仰内容を通じて、万人に開示される奥義なのである。キリスト教のなかには、密儀の観照が生き続けている。だが、その形式は変化している。すなわち、特別な少数者ではなく、万人が、その真理に与らねばならないとするのである。しかも、認識というものは、ある一定の段階から先へは進みえないものであることを認め、それから先へは、信仰の導きによって進むようにしなければならないとされる。キリスト教は、密儀の展開の内容を、神殿の暗がりのなかから、白日のもとに曝け出したのである。密儀の内容を、信仰の形式でとどめておかねばならないというのが、以上に説明したキリスト教内部の一つの精神潮流から出てきた考え方なのであった。”(P187)

 

 (ルドルフ・シュタイナー「神秘的事実としてのキリスト教と古代密儀」人智学出版社より)

 

*エッセネ派とは、エドガー・ケイシーによると、数世代にわたってメシア=キリスト降誕のための準備をし、キリストの復活・昇天後には最初のキリスト教徒となったとされるユダヤ教の一派のことです。さらにシュタイナーは、彼らは密儀宗教からキリスト教への橋渡しをしたと語っています。言い換えれば、万人を救済対象とするキリスト教(及び、後につづく大乗仏教やイスラムなど)の出現によって、彼らはその役目を終え、その霊性はキリスト教等へ引き継がれたといえます。

 

*万人を救済対象とする宗教は、当然のことながら、時間がたてばたつほど大衆化していくことになります。必然的に変質・腐敗・分裂などが起ってくることになりますが、その外面のみを見て信仰をやめてしまうのは愚かであり、より本質的なものを求めて進んで行かねばなりません。もしかしたら、組織的宗教に見られる様々な問題は、信徒の目をより内面へと向かわせるために、あえて存在が許容されているのかもしれません。

 

*宗教とは、組織化され、大衆化されると共に、その霊性を失っていくもののようにも思われますが、そもそもキリスト教などは、大衆化してもその霊性を失わない、むしろ最初から大衆化していくことを使命として出現した宗教であって、今の時代に、たとえば秘義の伝授、つまり自分たちを選ばれた霊的エリートであるかのように主張する宗教があるとすれば、それらはカルトでしかありません。