われを責める者のために祈る | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 ‟ 第二次大本事件も無事解決して、私たちも青天白日の身となり、久しぶりにうちくつろいで、聖師に御面会して座談の花を咲かしたことがあった。その席上で聖師は、両聖地の破壊当時の状況について、次のような話をされた。

 

 両聖地の破壊のときのうちでも、特に亀岡天恩郷の月宮殿の取り壊しのときは、どこからともなく沢山の野犬が集まって来て、破壊作業を妨害し、また天王平の開祖の奥津城があばかれるときも、多くの蛇が次から次にと姿を現わして、作業を阻止しようとした。

 それは聖地を守護しようと熱願する全国の宣信徒の想念が、不思不識の内に執念の野犬となり蛇となって、聖地を死守しようとしたのである。しかし、それらの犬や蛇も官憲の命令によって、ことごとく惨殺されてしまい、一応神苑破壊の物的作業は終了したのであるが、その奥にある神霊的障りは永く尾を引いて、不幸な犠牲者を数多く出したことは、本当に残念であった。

 

 それらのうち、一例を挙げると、多くの蛇を踏み殺し殴り殺して、開祖さまの奥津城をあばいた綾部の一警察官が、夕刻自宅に帰ったら、その母親が車に引き殺され、妻が子どもを抱いて井戸に飛び込んで、自殺をしていたことがわかった。

 その警察官はそれを知って、狂乱状態になり「罰が当たった!」と絶叫しながら、警察署に辞表を提出して、その後行方不明となってしまったとのことである。

 いつも聖師との座談は、出席の皆が心温まる楽しいものであるが、このときだけは、ただに大本の一信者としてだけでなく、社会の一員として、何となく暗い重い気持ちになってしまった。

 その他、私個人としても、大本検挙に参加した警察官や神殿破壊に当たった業者及びその家族のうちに、不幸な生涯を送った事例を知っているが、それを直ちに「当然受けるべき神罰だ」と考える事は、あまりにも酷であると思う。

 例えば、昭和二十一年頃、私が千葉で会社を経営していたとき、取引先の会社の社長と面談していたとき、その人は「大本事件のとき、自分は綾部の神殿取り壊しの作業を請け負いました。しかし、今から思えば政府もひどいことをしたものですね」と当時の思い出を私に語ったが、その人の長男(一人息子であったかもしれない)は、結婚後妻子を残して戦死してしまい、淋しい晩年を送っていたのである。

 私はそういう人に対して、憎しみや怨みの情は微塵も起きて来ず、それよりも六十路の坂を越えて、愛する息子を祖国のために失い、年端も行かぬ孫と若後家のために、老いの身を鞭打ちつつ働き続けている人を目の当たりに見て、その幸せを祈らずにはおられず、私の工場施設の一部を提供して協力することを申し出た次第である。

 それにしても、よくよく考えてみると、日本の敗戦にしても大本事件にしても、また信徒たちの苦難にしても、短い歳月と狭い了見だけで判断ができるものでもなく、大神様の遠大な経綸の因縁ごととして、謙虚におおらかに受け取らせてもらうことが大切だと思うものである。

 聖師は後日、事件の際の警官たちの取り調べ状況について私たちに次のように話された。

 「警官がわしに襲いかかって来るときに、その目の中に涙が光っておるのを見た。自分は彼らが心の底から自分を国賊だと思い込んでいるのが判った」

 また一人の先輩は、警官から暴力を受けた時の心境を「打つ者も打たれる者もともどもに祖国を思う心かわらじ」との歌に託して表明した。

 以上の事例は、キリストが「われを責める者のために祈れ」と教えた精神と通ずるものがあると思う。”

 

      (「おほもと」昭和52年6月号 葦原萬象『聖地にまつわる因縁』より)

 

*以前、ある真言宗の僧侶から、「他人からの理不尽な仕打ち、理不尽な苦しみを耐え忍ぶなら、理不尽なことで幸せになれる。いずれ宝くじで大当たりするぞ」と言われたことがあります。たとえ辛いことがあっても、将来の『開運』につながるのだと思って、耐え忍んでいきましょう。