神意の制服論 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “森 かつて聖師さまは「天が下おだやかに治まる道は、兵の強きがためではない。国の強さと弱さとは、その国民の行いの良し悪しによるのである。国民の行い正しき時、その風俗もうるわしく、風俗うるわしき時は、すなわち一国和合をきたすものである。和合して国民が一致団結したときほど、世界に強きものはないのである。

風俗うるわしからず、国民の心一致せぬときは、幾千万の兵ありとて、すぐに敗れ滅ぶものである。ゆえに兵士やいくさ道具では国は治まらぬ。国民の神を厚く信ずる心と、その品行のうるわしきによるものである」とお示し頂いています。……

 

―《中略》―

 

後藤 ……美の視点を内に求める人は少ないということです。外部のアクセサリーなどに、美を見いだそうという婦人が大半です。これは本末転倒もはなはだしいという風に、私はいつも考えています。

 

森 人間には二つの門が開かれているとご神書にあります。一つは高天原へ、一つは根底の国に向かっていると教えられていますが、根底の国に開かれている外分的なものだけに目を奪われ、内分的なものの門が閉じられた状態でしょうね。

 

後藤 そうでしょう。それから、学生が「制服を廃止しろ」ということが盛んにいわれ、ひどい所になると、公立の高等学校でも制服をやめて、自由服装にしている。征服というのは、ただアクセサリーとしてあるのではなく、教育の一環としてあると、私は主張してきました。僧侶が僧服をまとい、医者が白衣をまとい、おまわりさんがおまわりさんの制服を着るように、学生もまた制服を着るべきです。学校の制服廃止を論じる人間でも、野球をする時には野球のユニホームを着ている。ラグビーをする時にはラグビーの服、体操をする時には体操の服を着ている。クラブの集まりには何の抵抗もなくユニホームを着用しておいて、学校から与えられる制服には反発する。そこには矛盾があり、論理の一貫性がない。例えば、医者である私が、背広を着ている時は、医者というより一般人としての意識を持っていますが、一度白衣を着用しますと、医者としての信念に燃えて患者を診察します。患者を診察する時は、白衣を着ないで診察することは、まずありません。そういう気持ちに徹するが故に着るわけです。僧侶でも、大本の祭式の時でも、背広を着て祭式をなさって参拝者がありがたいかどうか、それがまた神様に対する礼儀にかなったものかどうか、それは、おのずと考えてみればわかることです。

 

森 たしかに服装ということは大切なことです。制服については、霊界物語に次のようにはっきりお示しになっていますね。

 

「『鼻に小豆生り』といふことは、華美なる衣服をあらため、実務に適する制服を改定されるといふことである。大臣は大臣の服装、小臣は小臣、神職は神職、僧侶は僧侶、軍人は軍人、農工商は農工商の制服を定め、主人は主人、僕婢は僕婢の制服を一定し、一見してその官吏たり、宗教家たり、農夫たり、主人たり僕婢たり、労働者たることの、弁別しやすき服装を制定さるることを「鼻に小豆生り」といふのであります。現代の如く制服に厳格なる定規なく、神職や僧侶などが洋服を着用したり、僕婢が紋付羽織を着流し、絹の足袋をうがち大道をはばからず闊歩するがごときは、実に不真面目のいたりにして、亡国の因となるのである。

アヅキのアは光輝くことで、照妙、和妙などの高貴なる織物であります。アは顕誉の地位にある真人である。ゆゑに大臣とか神官神職とかの着用すべき衣服である、その他の臣民の着用すべきものでないのだ。絹物は着ぬものなりとの滑稽語は、実際の戒めとして服膺すべき言葉である。アヅキのヅキは着キといふことであって、治者たる大臣高官および神官神職にかぎりて着用すべきものであるといふことを、決定されたのを『鼻に小豆生り』といふのであります」

 

後藤 おのおの職業によって、服装はおのずと決められてくるわけですね。たしかに、学生は自らの学業にいそしむということが本務である以上は、それに徹するために、いちばん安あがりの、年がら年中同じ色の服でいいわけですからね。また学業に徹するという意識をもたらすということにおいても、制服というのは意義があるということを教授会で申してまいりましたが、とりあげてもらえませんでした。……(以下略)”

 

      (「おほもと」昭和48年10月号 森清秀 / 後藤進『対談:現代風俗論』より)

 

 

・聖なる儀礼としての人間社会  〔孔子の思想〕

 

 “W・T・バリー『朱子学と自由の伝統』(平凡社、87年、原著82年)、高田淳『易の話』(岩波新書、88年)なども興味深いが、ここでは、原(プロト)儒教、すなわち孔子の儒教を新しい視点で論じたH・フィンガレット『論語は問いかける』(平凡社、89年、原著72年)を紹介しておきたい。

 まず、つまらぬことから書かねばならない。

 本書の邦訳書名は、俗流『論語』読本を想わせる悪訳である。副題の「孔子との対話」も、全く意味が無い。原題は『Confucius―the Secular as Sacred』である。直訳すれば「孔子―聖としての世俗人」となるが、思い切って、『孔子―聖なる俗』としてもいいだろう。左に、現行の邦訳書名と並べて掲げる。現行の方がやぼったく、しかも原題をねじまげていることは明らかである。

 現行邦訳署名 『論語は問いかける―孔子との対話』

 準直訳『孔子―聖なる俗』

 私がこのようなことにこだわるのは、本書のようなすぐれた本が俗流の『論語』読本の中にまぎれこむことなく、もっと読まれていいと思うからだ。

 フィンガレットの特徴は、孔子が「聖なる儀礼としての人間社会」という思想を持っていたとすることである。これはまた文明度の基準でもある。人間は礼などという奇妙なことをいったい何のために考え出したのか。腹の足しになるわけでもなく、暑さ寒さをしのげるわけでもない。近代人は、礼を人間関係の潤滑油のように考えたがるが、これは無理に効用主義の方へにじりよった考えだ。その証拠に、もし効用主義的に考えるなら、礼よりも心理学の方がはるかに人間関係を潤滑にするのに役立つ。礼が礼であるのには、別の論理が作用するはずである。文化人類学では、儀礼論が重要な研究項目になっているし、隣接する政治人類学では、儀礼と政治の関係が現代でも密接なものであることを教える。こうした学問状況を背景に、フィンガレットは、「聖なる器としての人間」観を『論語』の中に見るのである。

 このように見る時、例えば、『論語』公治長(こうやちょう)篇にある次のような話は、従来の教学的解釈にはなかった輝きを帯びてくる。

 孔子が何人かの人物評をした後のことだろうか、高弟の子貢が、いささかの気負いを秘めて問うた。「先生、それではこの私などはどうでしょうか」。孔子は答えた。「汝は器(うつわ)なり」。子貢は一瞬息をつまらせ、再度問うた。「何の器ぞや」。以前、孔子が「君子は器ならず」(為政篇第十二章)と語ったことを、明晰な頭脳を持つ子貢が忘れるはずがなかったからである。子貢の顔に気色ばんだ様子が抑えようとしても浮かんだのだろうか、孔子はにこりと微笑して答えた。「胡璉(これん)なり」。おまえは儀礼に用いる玉器、胡璉なのだよ。孔子はそう答えたのである。(公治長篇第四章)

 従来は、この章を、才人子貢とそれをたしなめる孔子という構図で解釈してきた。しかし、フィンガレットの見解を容れるなら、全くちがった意味が現われてくる。また、孔子よりも頭が良いという世評さえあった(子張篇第二十五章他)子貢が、何故心から孔子を敬愛し、その死に際しては他の弟子たちよりも深い悲しみにひたったのか、腑に落ちるだろう。子貢は、孔子の思想に魅せられ、孔子の人格力に打たれていたのである。

 子貢は商才にもたけ、孔子学団の財務担当をしていたと推定されている。そのことを儒教文化圏の経済発展論と結びつける人もいる。これもまた聞くべき一つの意見ではある。

 しかし、子貢が魅せられた孔子の思想は、もっと大きなものだったはずである。教学外の知的成果は、孔子の思想の重要性を示唆し始めている。それを最もよく理解できるのは、教学儒教の残映の中にいる我々なのである。”

 

            (呉智英「封建主義者かく語りき」双葉文庫より)

 

*美は本来内面的のものであるべきですが、決して外面的な美を否定するわけではありません。ですので、別に化粧やアクセサリーなどのおしゃれをしてはいけないというのではなく、あまりにも華美であることは慎むように、ということです。出口聖師は、女性は、特にお年を召された方は、常に化粧して美しく若々しくあろうと努めるべきだと言われています。また、庶民は絹の着物など絶対着てはならない、とか職業によって定められた衣服以外は着てはならない、ということでもありません。「『霊主体従』とは『霊体一致』のことである」というお言葉もあり、内面的な美と外面的な美との調和が望ましいのだと思います。

(昭和青年会制服の広告)