「ことたま」で地獄から救われる (臨死体験) | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “……昭和四十四年九月のこと、とうとう神さまから直々のお気付けをいただきました。私はある日、ひどい下痢に襲われたのです。しかし、それでもビールを飲んでごまかしてけいこ事を続け、とうとう倒れ寝込んでしまいました。往診にかけつけた地元の開業医には「胃潰瘍です。手術のできる大病院を紹介しましょう」と言われました。ところが大学紛争の最中で、京都の大学関係の病院ではすぐには受け入れてもらえず、しばらく自宅待機することになりました。

 

 数日後、自宅で倒れました。私は意識不明で非常に危険な状態だったらしいです。ところが私自身は苦しくなく、周囲の声もよく聞こえていました。医師は私の目にライトを当て「瞳孔が開いてます」と言っている。私は「ああまぶしいな」と言っている。周囲は「何か言っているぞ」と騒いでいる。不思議な事に、肉眼ではありませんが、何でもよく見えていました。それも、遠くの肉親の様子まで目の前に見えました。家内が故・内藤照雄さんにお取次ぎをお願いするために家を出て走っていく様子、戻って来る様子、心配する義母の顔。内藤さんが一生懸命にご祈願やお取次ぎをして下さっているところなど。

 医師や家族が、「あ、動いた」「息をしている」と言っている。私は「そんなことは当たり前じゃないか。わかってるじゃないか。何を言っているんだ」と大声で言っているつもりですが、相手は反応してくれない。私の霊魂は肉体から少し浮いて、周囲を見ているような状態だったのかもしれません。

 死を目前にした親の枕元で、財産をめぐって子供たちが言い争ったというような話を聞きますが、ご本人には全部聞こえていると思います。実際、そういう状態から生き返り、子供には財産を一切やらないと決めたという人の話もあるようです。死の間際は、周囲は悲しくとも本人にとっては「何もそんなに泣かないでも、私はここにいるじゃないか」という感じなのだろうと思います。

 最近は臓器移植を目的に法律まで定め、『脳死』を人の死とすることも行なわれていますが、脳死状態の人も、同じように見えたり聞こえたりしているのではないかと思います。私の体験からも、脳死は絶対に人の死ではないと思います。

 

 瀕死の状態は何日か続き、他にも不思議な体験をしました。

 ふと気が付くと、郷里の島根県布部村の谷あいの道を歩いているのです。しばらく行くと、急に川が現れ、それがものすごい濁流なのです。よく、死に瀕した人が美しい三途の川の風景を見た、天国のようだったという話を聞きますが、私のように地獄的な川を見る人もある。大本では、死後はその人の魂の状態と相応の世界に行くと教えられています。おそらく、当時の私の精神状態に相応した霊界が見えたのだと思います。

 家も田畑も人も家畜も濁流に流され、「助けてくれー!」という悲鳴があちこちから聞こえていました。で、その中を私は歩いているんです。

 ところが不思議にも、私の足元の所だけには水がなく、ぬれもしないんです。濁流に巻かれ、「助けてくれ、助けてくれ」という人を助けようと近づくと、近づいただけ相手は遠ざかる。郷里の知り合いの人もいたので、何とかしようとしても、助けることはできませんでした。

 川をさかのぼっていくと、水かさは次第に減りましたが、今度は暗黒の岩屋に入ったような感じになりました。四方はふさがり、真っ暗です。「あれっ、出口がない。これは困った」とあせっている時、ふと

 『霊界物語』の中で、宣伝使や登場人物が祝詞を奏上して、窮地を救われる

という場面を思い出しました。

 しかし、「神言」や「天津祝詞」は途中で間違うかもしれない、自信がない。あっ、そうだ、父はよく「何かの時は、『かんながらたまちはへませ』と唱えなさい。まさかの時は、『かんたま』でもよい。と言っていた。合掌し口で「か」と言ったか言わない瞬間に、暗闇の虚空に、パッと光が見えました。「あれっ」と思った瞬間、私の全身がその光の方に吸い込まれていきました。気が付くと、白色ではない、青空のような青い色をした雲海の上にいました。

 霊界での言霊の力とは、あんなに大きいものかと、いま改めて思います。

 その雲の世界では、ちょうど池の中で水中から気泡がわいてきては、はじけるように、あちこちで雲の一部が盛り上がったかと思うと、ポッとはじけて人が出てくるのです。おい、と声をかけても反応がありません。ところどころにボックス(箱)のようなものがあり、無言のままその前まで行くと、パッと消えるんです。そのボックスに近づいて見ると、名前が書いてある。ははあ、ここへ入ってどこかへ行くんだなと、私の名前の書いたボックスはないかと探すのですが、どこにもありません。

 自分のボックスを探すうち、雲の切れ目から下界が見える所に来ました。『うわあ、落ちる』と、足元を確かめながら下界を見ると、ビルが乱立し、その間を道路の高架が縫い、アリのように人間が歩いている様子が見えました。空気も濁って透明度が悪いので、「うわーっ、あんな汚い所に、よくいるなあ。ここはこんなに空気もきれいなのに」と思っていると、どこかで人の呼ぶ声がしました。次の瞬間、足を踏み外し、「あっ、しまった!落ちる」と思ったところ、「あ、夢だったのか」、と気が付きました。周りでは、「あ、気が付いた」「よかった」とみんな喜んでくれました。

 私はのんきに夢でも見たのかという感じでしたが、肉体的には昏睡状態で、周囲は非常に心配していました。この間は、周囲の人の声が聞こえることはなく、全く別の世界にいるようでした。”

 

(「おほもと」平成10年10月号 澤田實『私の臨死体験 祈りにすくわれて』より)

 

*「ことたま(言霊)」には霊力があり、それは死後の世界でも有効です。そして通常、生きている人間が死後の世界と連絡を取ることなどできませんが、「聖言」の音読によって神界からの内流を受けることができるのと同様に、死者への語りかけは霊界にいるその死者の霊に届きます(ただし、死者の霊魂の状態によって感受性に差があります)。いずれは誰もが死んで霊界へ行くことになるわけですし、霊界に移行してからも「ことたま」が使用できるようになるには、このような「聖なる言葉」への信仰が絶対に必要です。言葉を単なる音の振動、情報伝達の手段とのみ思い込んでいる人の声には何の力もありません。

 

 

・霊界へ通ずる短歌道

 

 “われわれ日本人には常に、三十一文字の調べが血の中に脈うっていて、それが何かの情動にふれたとき、歌につづろうとするようです。木の花歌壇は、そういった日本人の魂の奥底にひそんでいる歌心を具現させ、それを真善美化し、壮麗化せしめんとする高雅な宗教的存在であると私は信じております。”

 

 “歌の道は、峻嶮にして無窮だといわれております。そこで絶えず努力し、より多くを作らねばなりません。素材は身辺に転がっています。熱意と努力によってそれが発見されるのです。私は作歌に取り組む前に、「よい歌を授け給え」とお祈りをします。すると、身魂相応の歌を必ずお授けくださいます。真剣に祈りながら作歌するのが木の花歌壇の精神だと思います。信仰生活と作歌生活の一致が大切であり、これが、木の花歌壇と他の歌壇とが相違する所以でもありましょう。”

 

 “聖師さまのお示しによれば、短歌はそのまま、死後の生活に通ずる芸術であって、天人の会話は短歌調で行われているということです。生前にその備えをすることは、大本人の必須条件だと思います。霊界物語天祥地瑞の各篇は、そのほとんどが歌の調べで口述されております。”

 

(「おほもと」昭和56年11月号 長原光郷『短歌随想』より)

 

・死者のための「霊界物語」の拝読

 

 “「霊界物語」の拝読は、私たちのみたまの糧として大事なことはよく判っていますが、また亡くなられた霊にとっても、大事な糧であるという一例を申し上げてみたいと思います。

 綾部へ聖師さまのお供をさしていただいた時の話ですが、聖師さまはいつもお寝みになる時は物語の拝読を聞きながら、お寝みになられるのですが、いつものように山水荘で物語を拝読しておりますと、誰もいるはずの無い二階からトントントントンと下りてくる人の足音がして、衣擦れの音と共に、私の横にチョコンと座る気配が致します。私は『アッ、気持ちが悪い』と思いましたが、『ナーニ聖師さまがおいでになるのだもの、こわいことはない』と思って、物語を読み続けていました。

 終わって見廻しましたが、もちろん誰もいません。聖師さまに「さきほどここに人の座る気配が致しましたが、あれは何だったでしょうか」とお聞きしましたら、「あれは中有界に迷っている霊が物語を聞きにきたのや。物語を聞いて、あれで天国に救われるのや、だからそこらに人がいなくても声を出して読めというのはそのことや」とお教え下さいました。”

 

(「おほもと」昭和47年10月号 三浦玖仁子『神は見通し聞きとおし』より)

 

*亡くなられた方の供養として、また自分自身の死後の備えとして「霊界物語」を読まれるのであれば、特に47巻と48巻の「天国篇」がよいとされています。スウェーデンボルグの著作からの引用も含まれているのですが、死後の世界についての一通りの知識を得ることが出来ますし、「霊界物語」の音読を通じてであれば、知識だけでなく、神界からの内流をも受けることができます(ネットでも読めますが、『紙は神に通ず』ということですので、できれば紙の本の方がよいです)。決して仏教やキリスト教などの他の宗教を否定するものではありませんし、たとえ一回だけでも読んで霊魂にインプットしておけば、死後に霊界で迷うことにはならないはずです。

 

 

*ここに紹介させていただいた三浦玖仁子さんの話では、やって来たのは中有界で迷っていた死者の霊魂ですが、古い信者さんの話では、「『産土の神様』など、神々が(霊界物語を)聞きに来られた」という話もあります。「霊界物語」は『召喚の書』でもあると言えるかもしれません。

 

・人智学にもとづく死者への対応  〔ルドルフ・シュタイナー〕

 “人間が死の門を通っていくときには、それまで秘せられていたすべての魂の力や憧れも表に現われて、死者となったその人の魂に影響を及ぼします。その人が生前、心中ひそかに抑えていた願いのすべてが浄化期(カマロカ)を生きる魂の中に現れます。

 この世で霊学の敵であった人たちも死の門を通った後では、霊学をこの上なく熱心に求めようとします。霊学嫌いな人が死後になると、霊学を求めるようになるのです。

 そうすると、次のようなことが生じます。……もしその人に生前、霊学書を手渡そうとしたら、叱りつけられたことでしょう。

 けれども、死者となったその人に対しては、霊的に深い内容を持った書籍、聖書やお経を読んであげること以上によい供養はないのです。生前の死者の姿を生きいきと心に思い浮かべながら、心の中で、または低い声で、死者たちに読んで聞かせるのです。そうすれば、それが死者に対してもっとも好ましい働きかけになります。

そのような例を私たちは人智学運動の内部で数多く経験してきました。家族の誰かが世を去り、後に残された者が、その死者に対して朗読して励ました例をです。そうすると死者たちは提供されたものを深い感謝とともに受け取ります。そしてすばらしい共同生活を生じさせることができるのです。

 まさにこのことにおいてこそ、霊学が実際生活の中でどんな意味を持ち得るのかがわかります。霊学は単なる理論なのではなく、人生に働きかけて、生者と死者の間の壁を取り除くのです。断絶に橋が架けられるのです。死者たちには読んで聞かせてあげること以上によい助言はありません。

 そこで次のような問いが生じます。

 ……一体死者は、霊界で教え諭してくれるような霊的存在を見出すことができないのでしょうか?ええ、見出すことはできないのです。死者は、生前結びつきのあった霊的存在たちとしか関係が持てません。死者がこの世で知ることのなかった神霊や死者たちに出会っても、死者はその存在を素通りしてしまうのです。どんなに役に立ってくれそうな存在に出会っても、生前関係がなかったのでしたら何の役にも立ってくれないのです。

(1913年1月21日、ウィーンでの講演)”  

 

(「シュタイナーの死者の書」(ちくま学芸文庫)より)

 

*ようするに、生前に何の信仰も持たなかった者は、死後は救いの対象を見出すことができずに彷徨い続けることになるということです。しかし、それでも家族や親しい友人の声は届くそうですので、残された者達がしっかり供養をしてやらねばなりません。

 

 “「心魂の浄化の過程にある死者に対して、わたしたちはなにをすべきなのかな」
 「その死者と過ごした楽しい日々のことをおもいだすことだね」
 「思い出すって、自分がその人のことを懐かしんでいるだけじゃないの」
 「ううん。ぼくたちが思い出している懐かしい情景のイメージがね、死者にも見えるんだって」
 「へえ、わたしたちが思い浮かべるイメージは、死者にも見えるんだ」
 「そう。しかも、死者は単にそのイメージを見るだけじゃなくて、そのイメージが天上界と地上のあいだの窓みたいになるらしいんだよ。そのイメージという窓をとおして、死者は地上の今の様子を見ることができるっていうんだ」
 「ふうん」
 「それから、死者のために霊的な書物を読んであげるのも、とてもいいことだ。とくに、生きているあいだ、死後の世界のことなんて知りたくもないと思っていた死者は、死んだあと、自分がいまどんな状況にいるのかさっぱりわからなくて、右往左往という状態だ。見知らぬ情景が目の前に広がっていて、どうしていいのか見当がつかない。
 そんなとき、ぼくたちが天界のことを語っている聖典などを読んであげると、死者はおおいに助かって、いま自分がいる世界のことがだんだんわかりはじめる。
 ぼくたちも、ある朝目覚めたら、まったく見知らぬ土地にいたなんてことがあったら、途方に暮れてしまうだろう。そんなとき、その土地の事情を説明してくれる人がいたら、とても助かるはずだ。
 聖典を読むときに注意しておくべきなのは、棒読みするのではなく、自分も理解しながら読んでいくということだ。死者といっしょに読んでいる。あるいは、死者がすぐそばにいて聞いているという感覚を持って読むといい。」


         (西川隆範「見えないものを感じる力」河出書房新社より)

 

 

・江戸時代の霊界通信「幽顕問答」より

 

 “宮崎氏「さらば人間界において弔祭(供養・祭礼)など催すとも幽界の魂には通ぜぬことにならずや。」

  霊「なかなかしからず。考えてもみられよ。神を祀り魂を供養するは、たとえ人間界の催しとは申せ、そはみな幽界に関わることにあらずや。故に祭祀は神にも通じ霊魂にも通ずるなり。金銭のやり取り婚姻等の俗事は穢らわしければ、霊はこれを見聞きするを避くるなり。霊となりては衣食ともに不要なるが故に欲しきものもなく、ただ苦を厭い楽しみを思うのみなり。
 さて祭事を行うに当たり人々俗事を忘れて親しく楽しむ心は幽界に通じ、祭られし霊魂もこれに感応して歓ぶ。歓べば自然に魂も大きくなり、徳も高くなり、祭りを行いたる者も幸福を受くるものにて、人間界より誠を尽くせばその誠よく霊に通ずるものなり。」”
 


 “吉富氏「彼岸盆会には世俗みな霊を祀る慣習なるが、かかる折には霊魂は実際に来臨するものか。」

  霊「彼岸盆会は世俗おしなべて霊を祭る時と定めてあれば、霊界にても祀りを受くべき時と直感し、また死せる人も盆会には必ず来るものと思い込みて死せるが故に、必ず現れ来たるなり。……」”

 

 

 “宮崎氏「墓所に居らざる霊魂はいずこにて供養を受くるか。彼らもその供養の場に訪れるものか」

  霊「地上にて幾百年も引き続きて行い来たれる祭り事は幽界にてもだいたいそのごとく定まれるものなり。されば勝手に月日を改め、そのことを霊魂に告げずして執行すれば、それがために却って凶事を招くこともあり。
 なぜというに、霊がいつもの期日を思い出し祭りを受けに来るに、すでに済みたるを知り不快に思うが故なり。

 地上にて同時に数カ所にて祭祀を行う時には、霊は数個に分かれてそれぞれの祭場に到り、祭りを受くるものなり。たとえ百カ所にて祭るとも、霊は百個に分かれて百カ所に到るべし。もっとも余のごとき者の霊は一つに凝り固まりて、その自由は得がたし。」”


(近藤千雄編「古武士霊は語る 実録 幽顕問答」潮文社より)

 

*盆やお彼岸の期間は、亡くなられた方々の方でも供養を受けることを期待しておられるようです。しかし、「今日はお彼岸だから何かお供えをしておかないと格好がつかない」というような形式だけの供養では、あまり霊界に響きません。お供えは必要ですが、霊界とは意志想念の世界であるからには死者の霊魂との感応こそが重要であり、生前の故人と楽しく過ごした日々を思い起こすだけでなく、神仏に彼らのミタマの向上を祈願して、聖典やお経(特に、極楽浄土の様相を説いている「阿弥陀経」は素晴らしいです)などを読んであげるのがよいと思います。

 

(山崎弁栄上人「阿弥陀経図絵」(イマージェン)より)

*極楽浄土では、絶えることなく御仏による説法が行なわれています。結局、極楽浄土もまた言霊の世界です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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