加藤式「粉ミルク断食療法」 (ガンの治療) | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “……精神科医の加藤清に出会う前、私はもう一人の加藤清という人物に引きつけられていた。それは私の父がガンで入院していたころ話題になった「粉ミルク断食療法」の治療家・加藤清である。

 父の病気を見守りながら、何か出来る方法はないかと手当たり次第本を読み漁っていたとき、「もしかしてこの方法なら」と直観したのが「粉ミルク断食療法」である。医学的知識があったわけでもないのに、なぜかこの治療法には真実を感じた。粉ミルクだけを飲んで断食して腸をきれにすることで、ガン化した細胞への栄養を断ちきり、もう一度それを正常な細胞に還元する。細胞は赤血球が分化したものだという「千島学説」にもとづいた治療法である。

 しかしその「断食療法」をなぜこれならばと直観したのか、私にもわからない。いまならばそういう直観は私の背後に存在する「守護の霊」からのメッセージと受け止めるが、そのころは「ただピンときた」というほかには説明のしようがなかった。

 だが、この断食療法を受けるまでもなく父は亡くなった。ひとつには「ピンときた」にもかかわらず、父を西洋医学の病院から連れ出す確信的な力量がそのころの私にはなかったことと、もうひとつは、私が「これならば」と思った直後に、加藤清式粉ミルク断食療法は医師法違反ということで大阪府警の家宅捜査にあい、加藤清氏が逮捕されてしまうという事件になったことで、私の判断は一挙に自信喪失になってしまったのである。

 結果的にはその逮捕事件は、多くの患者さんの抗議もあって、「一〇万円の罰金」で終わってしまった。結局のところ、それはガン治療に匙を投げていた西洋医学が、成果をあげていた代替医療をヒステリックに弾圧しただけのことではなかったか。かりに治療が機能せず西洋医学のもとで死のうと、そういった代替医療のもとで死のうと、患者本人の納得による選択であれば、それはどちらも尊厳ある死である。どちらがすぐれた医療かではなく、どういう闘病と死を選択するかが問われるべきなのだ。だが、そういった考え方もまた一九八〇年代の後半、昭和の終わりにはまだ社会的に共有されていなかった。

 父が亡くなったのはその事件の四ヶ月後。そして私が本気でこの加藤清式「粉ミルク断食療法」の意味するものを追いかけはじめたのは、父の死後であった。つまりこの粉ミルク療法の「加藤清」は、私にとって、西洋医学的身体観から東洋医学的身体観へ、あるいはホリスティック医学的な身体観への転換をうながした最初の人物なのである。”(P13~P14)

 

 “……そして朝、列車がヘルシンキに着いた。すると大阪弁の達者なフィンランド人のカウコが、列車を降りるやいなや、こちらに向かって歩いてくるフィンランド人の男性に向かってフィンランド語で呼びかけた。二人は歩みよってとても懐かしそうに抱きあっている。そして少し話し込んでいたが、やがて手を振って別れていき、カウコは私たちに向かってなめらかな大阪弁で言った。

 「加藤先生のところで一緒やった仲間や。こんなところで会うなんておもろいな」

 その時である。その「加藤先生」というのがなぜか衝撃的に気になった。どうしてかわからない。第六感というか、直観というか、何かが内面から警鐘を鳴らしたような感じであった。

 「その加藤先生というのは、京大の精神科の加藤清先生のこと?」

 するとカウコは首を振りながら答えた。

 「ちゃうでえ、粉ミルク療法の加藤清先生のことや」

 それを聞いたとき、一瞬、息が詰まりそうだった。カウコが大阪にいたことは聞いていた。しかし「粉ミルク療法の加藤清」さんのところで、治療家として修行していたことなど初耳である。私は思わず聞き返した。

 「えっ、いま粉ミルク療法の加藤清先生て言ったわよね。そうよね」

 なぜそういう話がいま、ここで出たのだろう。そのことは父が亡くなってからの私の課題であった。あの「粉ミルク療法」はいったい何だったのか?一度は父を病院から連れ出そうと思いながら、それができないままになっていたところに、「粉ミルク療法」は医師法違反というかたちで、警察沙汰になった。だが、私はあの「粉ミルク療法」を疑っていなかった。ただ、いまほどにはそれを信じる根拠がなかったのである。

 「そうや、粉ミルク療法の加藤清先生のところでわいは三年間勉強してたんやで」

 「…………」

 私は絶句した。どうして朝のヘルシンキの駅でこんなことを知らされるのだろう。一九八八年の五月に父は亡くなった。それから三年目の六月。北極圏まで旅をしたはてに、唐突に「答え」がやってきた。私がとまどっているので、カウコは一人で話し続けた。

 「その時、いまおうたヤツと一緒に勉強してたんや。しばらくぶりやったから懐かしかったわ」

 私は必死で頭を整理した。あの時、父を助けたいために打つ手はないかと本屋に行き、手当たり次第本を探していたら、加藤清という人の『粉ミルク健康法』という本に出会った。そのころはまだ、現在のように西洋医学以外の「代替療法」が認められていなかったし、多くの病院はガンを告知しない方針であった。父の入院していた病院も告知をしないで治療をすすめていたので、家族は嘘を重ねていなければならなかった。

 しかしその「粉ミルク療法」を受けるためには、告知をして、さらに病院から連れ出さねばならない。どちらも一大決心が必要なことであった。家族が一致団結していれば、それも不可能ではなかったかもしれないが、父の再婚した家族にはそういう一致団結は育っていなかった。

 そしてそのころの私は「代替療法」という言葉さえ知らなかった。医療というものは西洋医学が一番確かであり、それを疑うことはなかった。もしもあのとき、父のガンを経験しなかったら、私の西洋医学を至上のものとする信仰はいまだに続いていたかもしれない。ともあれ一九八〇年代の後半にはまだ「オルタナティブ(代替)医療」という言葉や「ホリスティック医療」という言葉は市民権を得てはいなかったのである。

 私は驚きのあまり、カウコに乱暴な質問をしてしまった。

 「ねえ、粉ミルク療法って正しかったんだよね。インチキじゃなかったんだよね」

 もちろん、それだけでは言葉が足らないのはわかっていた。しかし何よりもまず問いただしておかねばならなかった。するとカウコは少々憮然として言った。

 「当たり前や。あれは医師会と警察が悪いんや。加藤先生は一生懸命働いていたけど、自分の持ち物ゆうたら、ボロ自転車一台しか持ってはらへんかったでえ。わいがおった時にも末期ガンで治っていく人はぎょうさんおった。加藤先生の道場で治療がでけへんようになって、わいらはハワイで治療を始めたんや。ハワイにもガンの人はいっぱいおるしな」

 なんということだろう。それまで旅の途中で、一度もカウコに向かって「大阪で何をしていたの?」と質問さえしていない。そういうことを根掘り葉掘り尋ねて相手を把握しようということが私にはない。おのずと「わかる」ことだけで関わっていればいいといつも思ってしまう。だからカウコが、ずっと一緒にフィンランドを旅してきたこの人物が、私がひそかに抱き続けてきた「問い」へのメッセージを持っていた人だとは思いもよらなかった。フランク・ジョセフは言う。

 「シンクロニシティはきわめて私的な体験であり、メッセージが示されたのを確認するのも、それを理解するのも体験者本人なのだ」

 私はこのカウコにぜひとも説明しておかねばならなかった。

 「実はね。私の父もガンだったの。それで加藤先生のところに行こうかどうしようかと悩んでいたら、ああゆう事件になってしまった。結局、父は手術・放射線・抗ガン剤という西洋医学だけの治療で死んでいったの。ちょうどあの事件のころに」

 いまにして思えば、あの「粉ミルク療法」は、私に西洋医学以外の身体論を示してくれた最初の代替療法であった。身体がガン細胞にむしばまれて弱っているときに、西洋栄養学では栄養補給を考えるが、「粉ミルク療法」は逆に「粉ミルク」だけの「断食療法」をすすめる。それは「血は腸でつくられる」という千島喜久男博士の学説にもとづいていて、加藤清さんはつぎのように言っている。千島博士の『新生物学の基礎』のなかに、

 

 「細胞は分裂によって増殖するという定説はまちがいで、赤血球が分化したものである。ガン細胞も赤血球から生じたもので、病的な状態の産物である。また、すべての細胞は赤血球に逆分化する。断食などで栄養補給を断てば、ガン細胞は正常細胞よりも、すみやかに血球に逆もどりする」と書かれていた。原書はもっと難しい言葉で書かれている。

 展開されている千島理論は、私の臨床例とぴったり一致した。私が求めていたミルクの効果だけでなく、断食の効果も含め、ガンの原因からその治癒の可能性を含めた雄大な学説に私は出会ったのだった。(『ガン療法』)

 

 もちろんこの千島博士の学説は「世界に類例がありません。現代医学界からは気違いじみているという理由で黙殺され、千島博士は不遇のうちに昭和五三年に他界されました。しかし、現代における医療の行き詰まりから、ふたたび千島学説を認める学者もあらわれ、みなおされる傾向にあることは、私にとってはうれしいことです」(『粉ミルク健康法』主婦の友社)と加藤清さんは言っている。この加藤清さんは大正三年生まれ、ほぼ父と同世代の人である。

 私はさまざまな民間療法から情報を得ることはあったが、この「粉ミルク療法」というのは何かが決定的に違っていた。だがなぜ、「これだ!」と直観したのかわからない。とにもかくにもそれは直観だったというほかない。そしてこの治療方法と出会うことで、私の思考の方法もそれまでとは異なった方向に歩み始めた。それゆえこのフィンランドへの旅の二年後に、「少食療法」で知られる甲田光雄先生に出会ったときには、「断食」や「少食」がどのように身体に意味をもたらすのかを理解することができるようになっていた。

 「そうやったの。でも、加藤先生は正しかったよ、絶対に」

 カウコは陽気な顔でそういった。その顔を眺めながら、私は自分がなぜこんな「北」の国までやって来る必要があったのかを理解した。このカウコに出会って、彼の口から「加藤先生は正しかったよ」というひとことを聞くために、私は旅をしたのだ。”(P88~P93)

 

(宮迫千鶴「はるかな碧い海 私のスピリチュアル・ライフ」(春秋社)より)

 

*この本の著者で画家でエッセイストの宮迫千鶴さんは、もともとカトリックだった方ですが、京大の『伝説の精神科医』であった加藤清先生に出会われたことがきっかけで、霊的な世界に興味を持ち、探究を始められるようになりました。加藤先生もカトリックでしたが、非常に広い視野をお持ちの方で、中世ドイツの聖女、幻視者で作曲家、さらにはホリスティック医療の祖でもあったヒルデガルト・フォン・ビンゲンについてもかなりの関心をお持ちだったようです。この本には、粉ミルク断食だけでなく、アイヌのシャーマンや気功、スピリチュアリズム、沖縄のユタ、さらにはブラジルのヒーラー、ドクター・フリッツのことまで載っており、私にはすべてを肯定することはできませんでしたが、非常に面白い内容で一気に読んでしまいました。

 

*私は、正直言って「千島学説」にはまだ疑問をもっているのですが、もともと「加藤式粉ミルク断食療法」は、加藤先生がご自分で思いついて独自に始められたもので、その直後に先生は千島学説のことを知って、この治療法の理論的裏付けとしておられたのでした。牛乳やヨーグルトではなく「粉ミルク」なのは、必要最低限の栄養素を補給しつつブドウ糖を遮断してガン細胞を飢餓状態にし逆分化させ、同時に自分の腸の中に既に存在している善玉菌を増やして腸内、そして血液をきれいにするためです。このような断食であれば比較的安全でしょうし、どうしても空腹に耐えられない者には、バナナを食べることが許可されていましたので、他の断食法ほどにはきつくはなかったと思います。

 

*私はこの「粉ミルク断食」で、実際に食道ガンを治したという方にお会いしたことがありますが、多くのガン患者の方々が治って社会に復帰して行かれるのを目の当たりにされたということでした。加藤先生は、「たいていのガンは二〇日で治ります」とも言われており(加藤清「ガン革命 末期ガン患者社会復帰一〇〇人の記録」地湧社)、早く効果が確認できるということも、この療法が多くの方々から支持された理由の一つだと思います。また、この「粉ミルク断食療法」の治癒第一号が、ガン患者ではなく脳腫瘍を患っておられた女性だったことからも、癌以外にも多くの病気に効果があると思いますし、3型糖尿病ともいわれる認知症も、ブドウ糖代謝からケトン代謝に変換できれば脳がエネルギーを得て活性化すると思われ、さらにエドガー・ケイシーも認知症の主な原因は、血液の劣化あるいは汚れによって脳が老廃物を排出できなくなったためと言っておりますので、やはり断食は認知症などの脳の病気にもかなり有効なのだと思います。

 

(加藤清「粉ミルク健康法」(健康新書)より)

 

*粉ミルクは、できるだけ乳糖が多く、ブドウ糖やデキストリン(ブドウ糖になるもの)の少ない、『九ヶ月未満の乳児用の粉ミルク』が使用されます。また、加藤先生の道場では、上の図のように「バイエムコーソ」や「五健草」が加えられており、さらに整体指圧も行なわれていましたが、単に粉ミルクを飲むだけでもかなりの効果があります。ただし、この断食は多くの方にとって下痢を伴いますので、外出する予定のあるときは行なわない方がよいです。

 

(加藤清「ガンは助かる」(健康新書)より)

 

*日本の各種健康法の実践者の中には肉や玉子だけでなく、牛乳や乳製品までもヒステリックなまでに批判する方が多く、加藤先生もそのような連中から『粉ミルクは動物性食品だから駄目だ』と一方的に否定されてしまったそうです。しかし、それほど大量に飲むわけではありませんし、イヤな人は飲まなければよいだけです。結局は結果がすべてだと思います。

 

*ルドルフ・シュタイナーは、『ミルクや乳製品を摂らないと地上からの離脱に対する愛が生じる』と言っており、さらに『菜食にしても霊性を高めようとしないならば、かえってバランスを崩してしまう』とも言っています。ビーガンのように肉だけでなく牛乳や乳製品までも目の敵にする連中に狂信的な者達が多いのもわかるような気がします。また、彼は『エーテル体の生成のために、特に高齢者は牛乳を飲むのがよい』とも言っておりますので、この「粉ミルク断食療法」は特に高齢者に適した断食療法だと言えるかもしれません。

 

・ルドルフ・シュタイナー

 

 “肉食をしないと、人間の生活全体の進化は真に容易になりますが、狂信的な菜食主義者になって、ミルクや乳製品を避けるのは重大な事態です。魂が霊的なものへと進化していくとき、ある危険が存在します。ミルクや乳製品を摂らないようにすると、地上からの離脱に対する愛が生じるのです。地上の人間的なものとの結びつきを失いやすくなるのです。
 人智学(アントロポゾフィ―)的に努力している人は、熱狂的に地上的 ― 人間的なものとの関係を取り除きたいと思うようにならないように注意するのがよいのです。ただただ魂の発展に向けて努力する変人にならず、人間的な感情、人間的な衝動から疎遠にならないために、ミルクおよび乳製品の摂取によっていくらかの重さを担って地上の旅人となるのがよいのです。いつも霊的世界に生きることのみを願うのではなく、それと並行して地上での課題を果たし、地上から疎遠にならないようにしようとする人にとって、たんに菜食主義者であるのではなく、ミルクと乳製品も摂取するのはよいトレーニングになります。そうすることによって、物質体は地上と縁続きのもの、人類と縁続きのものとなります。しかも、肉食の場合のように地上に束縛され、地球存在の重さを背負いこむということにもならないのです。”


(ルドルフ・シュタイナー「健康と食事」イザラ書房より)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人気ブログランキング
人気ブログランキング