「人間の願い」 野口晴哉先生 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “七月六日、恒例の七夕パーティが開催された。昨夜来より心配された雨も昼前には蒼空が見えるほどになった。

 主宰者のA・C・Sと活元会が、一カ月も前から綿密な計画を練っただけあって、当日の会場の雰囲気といい、進行といい、また食事といい整然としていて、申し分なかった。参加者は始終顔をほころばせ、穏やかなゆったりとした時を過ごした。

 

 会の終わりに、野口先生が片手にブランデーグラスを持ちながら、淡々と「人間の願い」に就いてお話をされた。三十分間の短い講話だったが、非常に深い感銘を受けた。極めて日常的な話題が平易な言葉で語られ、それでいて、いつしか我々は、未だ見ぬ世界へ導かれていたのである。

 元来こうした比較は非礼なのだろうが、私は道元禅師の「願生し娑婆国土し来たれり」を思いうかべていた。初めてこの言葉の広がりを体感したような思いだった。

 「高悟帰俗」という言葉があるが、先生の裡では、更に高悟、俗の別が無いのではないか。先生はありのままの人間を語られ、だからこそ我々が体感する広がりは尋常のものではなかったのではあるまいか。

 

 人々が散会した後、庭へ出てみた。星が空に点在していた。涼風が気持ち良く、体を吹き抜けていった。(井上道隆記)

 

・「人間の願い」 野口晴哉  

(昭和50年7月6日 整体協会本部道場) 

 

 早く話を済ませて、ゆっくり呑もうと思っていたのですが、片手にこれを持ちながら、話をしなければならなくなりました。

 家内などは、酔っ払うと何を喋るか判らないと言って、先程から盛んにお酒を取り上げようとしている。まあその点、頗る信用がないんですが……確かに自分でもそう思うんです。酔払うと何を話すか判らない。以前に居眠りをしながら話をしたことがありました。或る結婚式のときでしたが、相手のお父さんのことを「怪しからんお父さんだ」などと喋ったらしいんです。酔っている時は、普段思っている通りが言葉に出る、思っている通りに言葉が出るんだから、眠っていようと酔っていようとかまわんと思っているのですが、それでも大分気にする人がいて、呑むのを控えろと盛んに言う。つまらんことです。……

 

 ここの七夕では、毎年、集まった人達が願い事を書くことになっています。書くと来年の今頃までにみんな叶うのです。叶わなかったという人は殆どいない。だからいろいろな事が書いてあると思いますが、書いた事を人に言わないこと。自分も忘れてしまうこと。書いた事をいつまでも憶えているような心掛けでは駄目なのです。書いて自分の心にある事を全部空っぽにしてしまう。そうすると願い事が叶う。

 私は人の体を調整しておりまして、人間の裡にある心というものが、意外なはたらきを持っているということを知っております。昔から宗教などで奇蹟だと言われているような体の変化は、その殆どが心のはたらきを基礎にしている。ところが心の働きで体が良くなると、皆、気の所為だったんだと言うだけで、心が体の全部を動かしているそういう力であることを認めない。

 私も昔そういう経験をしました。耳の聴こえない人がいて、神経性のものだから治らないと言われたと言う。治らないと言って放っておくのも良くないと思ったので指導したら、聴こえるようになってしまった。すると神経性のものだから治ったんだと言う。私にとってはどちらでもいい事なんです。聴こえるようになりさえすればそれでいい。私はその人の裡に何かを聴こうとする意慾を惹き出しただけなのです。そうすると聴こえるようになる。整体指導に携わっていると、こういう事を数多く経験する。

 こう言うと、何か不思議な力のことのように受け取られそうですが、しかし今、私は酔払っている。この酔いは生理的には四十八時間を経ないと醒めないことになっている。ところが何か事があって、電報の一通でも受け取れば、瞬間に酔いは醒めてしまう。こういうことは日常誰しも経験している筈です。

 昔から奇蹟的な変化だと言われている事の多くも、これと同様で、心が動員された結果なのです。それなのにいつまでも奇蹟と呼ぶのは、心は無能無力だと確信しているからに他ならない。大変可笑しな話です。それは自分の心を侮辱しているようなものです。

 

 それなら、心をもっと吾々の生活の中に直接近づけていったら良いのではないか、それでこの七夕の集まりも、自分の心をもう一度見直す機会にと思って始めたものなのです。初めはそういうつもりでしたが、やっているうちに次第に「学校の成績が良くなる」とか「結婚相手が出て来る」とか、そういった実利的な面にいつの間にかすり替えられてしまって、私もまた、それに同調して、実際に具体的に、自分の心を実現するにはどうすればいいのかというような事ばかりお話してきました。

 今日、皆さんが書かれた短冊を見ますと、願い事の記し方について大分理解されているようです。皆「こうなる」というような願いで、「こうありたい」というように書いている人は少なくなりました。あとは記した事をこれっきり忘れてしまえば、いつの間にか実現する。

 心にはそういう性質があるのです。ただ普通は、心が一つに集注して体に転換が起こるのは偶然の出来事なのです。電報を見てハッとして酔いが醒めてしまうとかいうことがあるが、それは後になって判ることなのです。しかし私はその方面の玄人ですから、ちゃんと意識して計算して、こういう時にこういう心を持てばこうなる、こういう心の状態を保たせるには、相手に対してこういうように言わなくてはならないと始終調べている。だから相手の心理転換を図ることで、体に奇蹟を意識的に喚び起こしています。

 これまでの七夕では、そういう玄人の見地から、実利的な心の使い方についてお話してきました。それは心が実現していく一つの道筋をお教えした訳なのですが、それは飽くまでも一つの道筋であって、本当は心の可能性はもっと無尽蔵なものなのです。

 例えば腹へ息を吸い込んで、ウムとこらえて、こらえた時に「俺は大丈夫なんだ、俺は生きているんだ」と言うと、体の中から自然に力が出て来る。それを、こうすればこうなるとか、こういう養生をすれば無事を保つとかいうような、人間を生き物としてよりは、無機物扱いしている衛生や養生にしがみついている人には決して持つことのできない力なのです。

 

 私は八歳位の時に、大きな声を出して「こういうものが欲しい」と言うと、必ずそうなることを知りました。そして十二、三の頃に「こうやれば病気はみんな無くなってしまう。求める人は何十万にもなる」とそう思いました。そう思ったけれども、自分では決して信じませんでした。信じなかったけれども、その通りになってきました。今では、もう何百万かの人が活元運動をやっている。やればみんな健康になる。毎年七夕の前になると、本当だったなあとおもうのです。

 それから、願いは言葉に出せばいい、それを紙に書いておけばもっといいと思って、自分は何時でも紙に書いて、言葉に出して、そう念じていました。するとその通りになる。

ただ紙に書きっ放しでは、七夕まで届かないんです。やはり空気を揺振ってやらないと伝わらない。もっとも七夕様は空気の無いところにいるのだから、言葉だけでは駄目なのです。一生懸命心を込めて気を集めて言うとそうなる。人間が気を一つに集めて心を凝らすということは、決して無能無力ではないとそう思いました。

 以来、私は十五歳の年から、ズーッと愉気の講習を続けております。気を集めて心を集中すれば体は全部変わってくる。ただそれだけのことですが、皆、色々な変化を伝えて来る。伝えられても、私にとっては余りにも当たり前の事ばかりなので忘れてしまっていますが……。

 

 実際注意を集めて願いを込めれば、どんな願いでも叶うのです。

 私の家内の妹が死ぬ間際にこう言いました。それはまだ大東亜戦争の前でしたが、「今に戦争が始まる、そして宮城も何処もみんな外国の軍隊に囲まれる。そうして女の市長や代議士が出て来る。女も亦、自由になる」と。普通遺言というのは、自分のことをこうしてくれ、ああしてくれというものなのですが、家内の妹は嫁がされた家が、というより嫁がされたこと自体が嫌でならなかった。だから女の自由を欲する気持は一層強かったのでしょう。でも当時としては、ずいぶん他愛もない願い事でした。しかしそれが十年経たないうちに実現した。

 今や女が威張りすぎている。事実この間もウーマンリブという人々に囲まれました。私が「女に選挙権を与えたことは間違いだった」と以前『月刊全生』に書いたらしい。憶えていないのですが、それに抗議して、「もう活元運動をしない」と言うのです。だから「あなた達がしなくとも一向に困らない、活元運動は自然の動きだから、止めるといったって、知らぬ間に出続ける。第一活元運動の可能性は貴女達の幸せにもつながることではないか、男は大勢の幸せを考えるが、女は自分が馬鹿にされたという理由で、活元運動をしないなどと言う。あなた達は女の頭のはたらく範囲を私に示しにやって来たようなものだ、こんなウーマンリブでは認められない。先ず私を口説いてウーマンリブの支持者にすべきだろう」と言ったのです。

 女の地位を向上させるとか、賃金を男と同等にしろとか、最近アメリカなどでは海水着のことまで騒ぎたてているとか聞きますが、強引に力づくで実現を急いではいけないのです。急がなくても、心を集めて、女の幸せを念じ、書いて、言葉に出しておきさえすれば、一年経たないうちに実現していくのです。細々した具体的な要求ではなく、最も端的に要求を表現する。そして心を静かに集めておけば、やがて大勢の知恵がそれを受け容れるようになると思うのです。

 何処の誰と結婚したいなどという願い事は駄目で、「私に最も適した人と結婚する」という願いなら、その通りになっていく。やはりそういう細々とした事は、宇宙意志とでも言うべきものに任せておく、一番最初の気持、それを端的に表現できれば、願い事は叶っていくのです。

 多分、今日皆さんが書いた願いは叶うでしょう、叶った時には叶った事を喜ぶより、人間の心には、こういう力があったのだ、永い間使わないで怠慢だったということを反省すべきだと思うのです。

 

 心と言うと、皆、意志のことだけを考えるのですが、意志には力が無い。顔を赤くしようと思っても赤くならない。蒼くしようと思っても蒼くならない。意志はそういう点では極めて無力で、却ってボンヤリした連想と言いますか、或る事柄から反射的に想い浮かべる心の方が力がある。恥ずかしかった事を想い浮かべれば顔が赤くなる。腹の立った事を想い浮かべれば体中が熱くなる。想い浮かべるということは非常に力強いものです。だから意志で実現しようと思わないで、実現することを想い浮かべれば、その通りになる。私は断言出来るのです。心を使う順序さえ知っていれば、誰の願いでも、その願い通り実現すると。人間にはそういう力があるのです。

 過去から現在まで、人間はいろいろな事を切り開いて来ました。机がここに在るといったって、最初から在ったのではない、最初に空想があったのです。出来上がった机の空想が最初に無かったら、いくら木を切ったところで机にはならない。初めにいつでも空想がある。そして言葉がある。この順序さえしっかり踏んでいけば、願いは叶い、人間の世界はもっと大きく広がる。人間はそういうように出来ているのです。

 

 そして願い事が心の中に沸き起こってこなくなった人は死ぬのです。たとえ生きていても死んでいるのと同じです。死ねば新しい人ができてくる。今のように老人が永く生きるというのは、出産制限をしている所為かもしれない。しかしそれなら新しい人が増える方がズーッといい。私も老人の中に入りますが、願いが無くなった者は死んでいいのです。醜態を晒さなくても構いません。誰でも年をとれば若い頃より醜態であることは知っている。惰性で生きている。しかし、わざわざ死ぬのも億劫だというところでしょう。それでも、心の中に新しい願いがどんどん起こってこなければ、その人はもう死ぬべき時です。その代わり、年をとっていても、九十歳になっても、九十五歳になっても心の中にどんどん願いが出てきて、絶えず心の中に新しい慾求が起こる人は、いつ迄も生きていて欲しい。若くても願いの無い人は死んでも良い。これは公認ですよ。

 願い事が無くなれば死ぬ。新しい慾求が生じない者は腰が抜けている。腰が抜けた者は生きていなくてもいい。しかし、若いうちは知らないうちに願い事が起こっているのです。「あの人はこうなんだよ。だから嫌いだ」というのは、その人がこうあれば良いという願いがあるわけです。人のやる事に腹が立つのも、その人がこうしてくれれば、その人はもっと良くなるのだということを知っているからなのです。それも亦一つの慾求です。自分のことでも欠点だと思えるものは、思ったその時から変わっていくのです。

 慾求は自分で意識しない場合にも起こっています。女房がもう少し気が利けばと思うのも新しい慾求です。不平は全部慾求です。不平が全く無くなったら慾求も無くなったとみていい。

 まあともかく、人間が心によって生きる道を自分で開拓しているのだということに気付いて貰えれば、そういう人が多くなれば、私としては大変幸せです。私もまた新しい慾求をもって元気に生きていけると思うのです。新しい慾求がみんなに無くなって目が輝かなくなったら、そういう人達に囲まれて生きているのは厭です。目が輝いている人が多ければ、私も一生懸命生きます。

 近頃幼稚園に行っている子供まで、目の輝きを失っているのが多い。小学校へ行くともっと多い。教え込まれて、自分の慾求を見失ったからだと思うのですが、子供がそういうようではいけない。もっと、皆さんで力を合わせて、子供の目が輝くような、ついでに自分の目も輝くような、自分の周囲に目の輝いた人ばかりになるような世界を造ろうじゃありませんか。そうすれば本当にもっと活き活きした活発な生活になる。

 今、世界中が核兵器に怯えて生活しています。だからといって理想を失ったなどと言うのはおかしい。目の輝きというのは核兵器を爆発させないだけの力があるものなのです。人間の心は水爆よりも、もっと力があるものなのです。

 まあ、それよりも、目の前の皆さんの願い事が本当に叶うだろうことを確信して、これを挨拶の代わりとします。”

 

(「月刊全生」昭和50年8月号より) 

 

 “それはまさに

 念ずれば現ず

 我が思う如く、我が事成る也

であった。

 

 この言葉をそのころの語録で読んだ私は、或る日、先生に訊いた。

 「『念ずれば現ず』なら、人を呪うことでも実現するのか」と。

 すると先生は、

 「それもまた、自分に返ってくるさ」

 と、いともあっさりと答えた。

 確かに、天に吐きかけた唾は、自分の顔にかかる。人を呪っている人の人相は悪い。その逆に人の幸せを願い、愉気している人々の人相はどこか美しい。

 そうすると、自己の世界はいつのまにか、自分自身がつくっているのかもしれない。

 

 ある人が先生に訴えた。

 「講習会にどうしても行きたいけれども、姑が意地悪するから行けない」と。

 すると先生が言った。

 「ほんとうに行く気があるなら、姑のせいにしないで、先ず『行く』と心に決めなさい、事態は自然に拓ける」と。

その人は、明るい顔をして講演会に来た。

 「どういうわけか、姑が機嫌よく出してくれた。先生の仰る通りでした」

 

 「最初に意欲がある。空想がある。理由は理屈はあとからつけるものだ」

 と先生は言う。

 だから『念じた通りになる訳はない』と思っている人は、そう思っていることが実現しているに過ぎないのだろう。人間は自己の可能性をいつのまにか限界しているのかもしれない。

 とは言っても、私自身、やはり先生の『念ずれば現ず』が、不思議で不思議でしょうがなかった。

 これは、戦後の下落合道場のことであるが、

 「僕が、例えば羊羹を食べたいと思うと、誰かが必ずもってくる」と先生が言った。ほんとうにいつもその通りになるので、弟子のMさんが口惜しがり、

 「ここの道場は男より、ばあさんの方が多いですね」と言った。その人は柔道六段の捻れ型だったので、先生も急に捻れたのだろう。

 「それなら、今日の夕方、道場に坐っていろ。男ばかり集まる」と言った。

 夕方、私はまさかと思って道場を覗いてみた。何と、黒々と男ばかりがズラリと並んでいる。階段を上がってくる人も男、男、女は一人もいないのだ。

 私は唖然として、Mさんと顔を見合わせた。

 「奥さま、ほんとうに男ばかりですなァ」

 堂々たる体軀のMさんが、負けたと思ったのか、気弱そうな小声で囁いた。

 夜になって、先生が言った。

 「人間には、意識を通さないで、直接、感じ合う心がある。だから僕が思念すると、何処かで、誰かが感応して、集ってくるんだよ」(P52~P55)

 

 “「修業なんて無駄なことさ。みんなお互いに暗示し合って、相手を金縛りにしているじゃないか。自分もまた自分を金縛りにしているじゃないか。

 人間はもっと自由な筈なんだ。だから僕のやって来たことは、人を金縛りにすることではない。すでに金縛りになっているものを、どうやって解くかということだ。暗示からの解放だよ」”(P46)

 

(野口昭子「回想の野口晴哉 朴歯の下駄」(筑摩書房)より)

 

*ただ念ずるだけでも効果はあるようですが、やはり「声に出す」「紙に書く」などのアクションは必要だと思います。密教の加持でも、「身・意・口」の三つが一致せねばならないことが説かれています。

 

*野口晴哉先生は、自分の願いを言葉に出して、紙に書くだけでなく、『空気を揺すぶる』ということも言っておられます。揺すぶることで、発せられた想念が増幅されて実現しやすくなるらしいので、願いごとを書いた短冊を竹に吊す、ということにもちゃんと意味があるようです。ならば神社に参拝に行ったときは、願いごとを声に出して、更に絵馬にその願いごとを書いて奉納すると、より叶えられやすくなるかもしれません。もし、書くものがなければ、指で空中に字を書く方法もあります。また、これは以前にも紹介させていただきましたが、密教や修験道の護摩祈禱は非常に優れた願望成就法だと思います。

 

*整体協会の七夕祭では、まず活元運動を行なってから願い事を書きます。「天心」から出て来る願いは、その人が本心から願っていることですし、願望の内容も天地と調和するものとなっています。

 

*野口晴哉先生の説かれた「願望実現法」は、皇道大本の「雛形経綸」、「型の法則」とよく似ています。出口王仁三郎聖師によると、霊界を動かすには現界で何らかの「型」が行なわれなければならず、ただ想念だけでは、あるいは想念が伴わず型だけでは霊界は動きません。また「言霊」の作用も重要です。現界で「想念」に基づいた「型」が行なわれると霊界が動き、さらに現界と霊界は『合わせ鏡』なので再び現界に反射され、そのようにして「型」はより規模が拡大されて地上に現出します。経綸はそのように進んで行くのですが、出口聖師は、既にすべての経綸を完成させておられますので、再び、徐々にそれらが顕われてくるはずです。

 

・ 「玉串奉奠」について 〔出口王仁三郎聖師〕

 “すべて霊界における事象は、現界において型をせねばならぬので、玉串を捧げて型さえすれば、霊界では想念の延長で、りっぱないろいろの色の絹と変じて、神様の御衣となるのである。
 松の梢(こずえ)につけて献(たてまつ)るのであるが、その松はまた想念の延長によりてりっぱな材木となり、神界の家屋建築に用いらるるのである。
 このように現界で型をすれば、霊界ではいくらでも延長するのであるが、型がなければどうすることもできない。
 だから祖霊様にでも、つねにお供え物をすれば、祖霊さまは肩身がひろい。多くの人に領(わか)って「晴れ」をせらるることは、かつて話したとおりである。(昭和九年一月)”

 

(加藤明子編「出口王仁三郎玉言集 玉鏡」より)

 

 

 

 

 

 

 

 

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