・「十万枚大護摩供」(平成6年10月30日) 回峰行者・筒井叡観師
“三匝(さんそう)の後、筒井師が導師となり読経がなされた。緊張の面持ちである。最初の発声は上ずっていたように感じられた。法要後、比叡山延暦寺からの特使、京都の毘沙門堂門跡門主である誉田玄昭大僧正から「お言葉」があった。
「十万というのは、最大とか極限とかいうことを仏教では意味します。十万枚護摩供は、これ以上はない死を賭しての行です。百日間の前行によって、八日間の断食断水不眠に耐えられる清浄な身体になって行に入るのです。人間の極限に挑むのが十万枚護摩供といえましょう。
(本尊の)不動明王は怖い顔をしていますが、心は優しい仏です。行者(筒井師)の死を賭しての祈りは聞きとどけられます。檀信徒の家運隆昌から世界平和につながってゆく祈りです。手をとりあって(行者が)堂を出られる日を迎えたい」
次いで僧侶らは再び整列して、隣の護摩堂に移った。庭に出た檀信徒らに見守られて、筒井師は歩んだ。護摩堂には接続してプレハブの参拝所がある。僧侶は主に堂内に、檀家や信者は参拝所に入った。
筒井師が護摩壇上に席を占めた。不動立印供による行法が進められ、師は不動明王になってゆく。やがて、護摩木(檀木)が炉に組まれ点火された。火が燃えあがるなか、「承仕」つまり十万枚大護摩供の要員である助僧が護摩壇上の仏具を片づけ始めた。参列の僧侶らは退席する。助僧の一人が筒井師の浄衣の袖を上げるべく首の後ろでひもをくくった。回峰の途次、山中に入る時に袖を上げるのと同じだ。
十万枚の丸い添え護摩木(乳木)が投じられる準備がなされた。この大行の進行を実質的に指揮する小堀光雄師(一九五六年生まれ)から、筒井師に護摩木が手渡される。最初の一本が小さな弧を描いて、不動明王の口であるとされる炉に飛び込んでいった。
護摩木は間を置かず炉に投じられる。参拝人の間から不動真言の唱和が湧きあがった。傍目には単に次々と護摩木を放り込んでいるように見えるが、じつは行者はこの時、不動明王を観想し、口に真言を唱えている。そればかりではない、一本一本の護摩木に記された祈願者名と祈願内容を読んでいる。それでなければ、不動明王に祈りが届けられないではないか。だが、それはすべて一瞬のうちである。
不思議なのは、筒井師が断言するところによると、護摩木をつかんだ折、記入された名前と願いごとがわかるというのである。読むというより、感じとるといったほうがいいかもしれない。何も書かれていない護摩木が手渡された時、筒井師がそれを除けたのを、地元の写真家が目撃してびっくりしていた。”
(藤田庄市「行とは何か」(新潮選書)より)
*密教系、修験道系の寺院に行くと、よく堂内に護摩供養を申し込むための護摩木が並べてあるのを見かけます(一本五百円くらいの所が多いようです)。参拝者のすべてが護摩供養を申し込まれるわけではありませんが、念が増幅されるためか、行者による護摩供養には確かに力があります。
・ルドルフ・シュタイナー
“シュタイナーは、一九二三年ベルリンのポツダム広場に立ったとき、まわりを見まわして、これらのすべてが二、三〇年後には灰燼に帰するだろう、と言った。それが事実となったことを思うと、ひとびとはいまでも、彼が口にしたどんなことだって、たんなる思いつきだなどとはいえないのであろう。
たとえば、彼はマイクロフォンについてどんなことをいっているだろうか?ラジオの放送が始まったころ、彼にそのよさを魅力的に語ってきかせた人たちがいた。が、シュタイナーはこういってラジオとのかかわりあいを拒んだという。
「必要とあれば、ぼくは『炎のマイクロフォン』に話をするね」
インドの導師(グル)たちが護摩をたく火の中に真言(マントラ)を語りこんでいた、という実例のことを引き合いにしているのだ。最近になって、このシュタイナーの言葉は真実をいっていたと、照明した人がいる。ゲッチンゲンのマックス・プランク研究所でアントロポゾフィー協会のひとびとを前にして、そこに勤めるひとりのアントロポゾーフから、気流の研究に関する報告がなされたときのことだ。ガスの炎は、実際、最高に繊細な振動板と同じように利用できる。ただそれをどうやって増幅するかの問題が解決されなければならない。”
(ペーター・ブリュッゲ「シュタイナーの学校・銀行・病院・農場」(学陽書房)より)
*護摩供養においては、燃えさかる炎と行者の声と念、そして不動明王との感応によって、人々の祈りは増幅されます。個人的な願いごとをするだけでなく、世界平和や万人の幸福を願われることは、素晴らしい功徳を積むことにもなります。
・祈りによって戦争をも阻止できる 〔エドガー・ケイシー〕
“ケイシーの千年期の予言のうち、1940年6月に語られたふたつのリーディングのなかでは、集合意識に飛躍的な効果を与える境界値の人数が特定されている。ケイシーは二十世紀の世界でこれほど多くの動乱が起きる理由について、人々が神を忘れ去ってしまったからだと言っている。このような状況はあるべきことではなく、どこかの国や地球全体が背負っている宿命といったものでもない。さらに続けて彼は、たとえただのひとりでも祈る人がいれば、ひとつの都市を救うことができると言明する。
また、同じリーディング(3976-25)のなかのもうひとつの予言では、第二次世界大戦を間近にひかえた当時、ケイシーは六十四人の集団に向かって、彼らにはアメリカの運命を変えるだけの霊的な力があると断言している。
「ここに集う六十四人が祈り、その祈りにしたがって生きるなら、アメリカを侵略から護ることもできる… それがあなたがたの望みであるなら」
最初の予言では、ひとつの共同体や都市の未来を変える境界値は、旧約聖書で語られた十人さえいらないとしている。おそらく、神の意志に沿う人間がひとりいればよいということだろう。ふたつめはさらに挑発的でさえある。これはケイシーの公開リーディングを聞きに来た六十四人の聴衆に向けられた言葉だった。ここには、国家全体の未来に及ぶ影響力がどのように作用するかが示唆されている。ちょうど、アメリカの領土が侵略の脅威にさらされているときだった。この時期、すでにヨーロッパや東アジアでは第二次世界大戦が始まっていたことを考慮に入れておく必要はあるが、それでも合衆国が参戦するまでにはまだ一年と半年の猶予があった。したがって、一九四〇年六月の時点でのケイシーの予言は、かなり大胆なものだったと言える。たとえ六十四人であっても祈り、神の構想に沿うように生きるのであれば、アメリカ国民の未来(侵略を受けること)を変えられるというのだ。しかし、どうやら意識の臨海質量は達成できなかったらしい。その後、二年もしないうちに真珠湾が空襲を受け、アメリカ国民はその領土が侵略されたのを知ったからである。
ここで非常に興味深いのは、その日公開リーディングに出席したひとりの人物の報告である。それは、リーディングが終わったあとに、メンバーの間で交わされた話を伝えるものだった。この席では、「それではどのような祈りがふさわしいのだろう?」あるいは「皆がそろって祈りに参加するには何時ごろがよいか?」といった疑問はまったく出なかった。かわりに、人々は声をはりあげ、「攻撃を受けるのはいったいどこだろう?」と言い交わした。こうして恐怖が忍び寄り、ケイシーの言葉にこめられた希望の兆しを黒い影で覆ってしまったのだった。
それから四十年以上もたった今のわれわれからすれば、この一団の人々は愚かにも見え、恐怖に取りつかれて自分を見失ってしまったようにも見える。また、彼らがなぜ兆しとして見えていたはずのものの意味を見落としてしまったのか、なぜ目の前に差し出された魂を向上させる好機をつかみそこなってしまったのかと疑問にも思える。しかし、考えてみれば、われわれも今、おうおうにして同じ様なことをしてはいないだろうか?原理や数は今も変わりはない。状況はやや違っているかもしれない。第二次世界大戦の勃発も終戦も過去のことになった。それでも今日、われわれの世界には同じような脅威の予兆がいくつもある。そして、現代でもやはり、アメリカ規模の国家に変化をもたらすのには六十四人の人間がいればよいのである。
それでは今のわれわれの反応はどうか?最初に地震に見舞われる地域はどこかと気をもむだけだろうか?経済恐慌がおきたら、その結果どんな暴動が発生するかを懸念するだけだろうか?われわれの目の前にはまだ、集団の意識をいっきに発酵させるわずかなパン種となる機会が見えている。これはひたむきな人々の小さな集団が未来の進路に途方もなく大きな影響を与えることができるという力強い概念である。それは、われわれに約束の感覚と責任への挑戦を授ける思想である。そして「臨界質量」の魔術が人間意識の領域に働きかける作用がはっきりと見て取れるなら、われわれはなにがしかの希望を抱いて、その責任をすすんで担うことだろう。”
(マーク・サーストン「21世紀ビジョン」中央アート出版社より)