食脳鬼を制す (岡田式静坐法) | 瑞霊に倣いて

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  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “私も初めのうちは、たといこの人が静坐で腹が出来ても、ただ小さい寺で静かに生涯を送る位の事と考えていました。何となれば、[全身ほとんど結核でないところなし]というほどの人でしたから。ところがそれが大変な間違いで、時日が経ってくるとだんだんとその人の腹が妙に大きくなってくるのです。そして腹が大きくなるに従って大層元気が出てきました。

 私はこれまで、この人のように、道を説いたり、法の為に働いている人を幾人か見ましたが、熱心に日夜やっている人ほど下腹の空虚の人が多いのです。姿勢もいけませぬ。そこである時この事を、名高い求道者に話しました。時にその先生、笑って曰く、「ドクター、それはね、餓鬼というものを知っていますか。この餓鬼の種類を調べると三十六匹あります。その中に、至って拙者を好く奴がいるのです。これを食脳鬼というてあります。物を考えたり、書物を書いたりする時には、きっと脳味噌を食うのです」と。

 この話は、生理学の見地から見ても深い意味のあることです。元来脳は無数の細胞と繊維その他のものから出来ています。その中で一番器用なものは細胞です。その一々の細胞は、神経の繊維を通じて、身体の胃といわず、腸といわず、すべての組織とつなぎ合うでおります。そして人間の活原はこの細胞なのです。それですから、人間が脳を使う時には、細胞が燃えます。そこで過度に脳を使う人は、丁度この鬼にやられているのと同じことです。生の根本たる細胞がそんなに焼けたり食われたりしますと、これにつながっている臓腑が枯れてしまうのは尤もなことです。

 そこで私は、この方に申しました。

 「私は一樹の陰の雨宿り一河の流れを汲む人も深き縁=という文句を本でみたことがあります。鬼も縁あってあなたを離れないのですから、うんと供養をしておやりなさい。常にあなたが臍下に力を入れてさえいらるれば、丹田が日が経ってくるほど充実してきます。そして活力が盛んになります。そうすると脳は、食われようが、焼かれようがそんな事はなんの障りにもならないのです」と。”

 

(ドクトル小林参三郎「静坐物語 生きる力」(静坐社)より)

*この文章の中に登場する『求道者』というのは、浄土真宗の僧侶で、同朋社の創設者でもあった足利浄圓(浄円)師(1878-1960)のことです。長年、岡田式静坐法を実践され、『静坐』についての本も書いておられます。足利師は、この静坐によって結核を克服されましたが、この本には、他にも三ヶ月間の静坐によって腎臓の腫瘍が消滅した話や、心臓病や喘息、婦人病などが治った話などが載せられています。

 

*静坐には、病気が治ったりなど肉体に健康をもたらす効果がありますが、やはり最も効果が大きいのは精神面です。よく教育の現場で『根性をつける』とか言われますが、根性がある人とは丹田に気が充実している人のことです。よって『根性をつける』ためには、姿勢を正して坐り、下腹で深く息をする以外に他の方法はありません。体罰を加えたり、怒鳴りつけたりでは、反対に気は散じてしまうので、それで根性がつくなどということは絶対にありません。ぜひ、教育の現場に静坐や整体を取り入れ、姿勢の重要性のことがもっと知られるようになって欲しいと思います。そうすれば多くの方が、うつ病やパニック障害などの精神的な病から救われるはずです。また、「霊界物語」の中で、出口王仁三郎聖師は、『臍下丹田』と書いて『あまのいわと』とルビを振られています。『天岩戸開き』とは、丹田を目覚めさせることでもあります。

 

*足利師の言われる「食脳鬼」について検索してみましたが、36種類の餓鬼の中にこの名前は見当たりません。ですが、『人の気力を食べる餓鬼』というのがおりますので、この餓鬼のことかもしれません。確かにストレスが健康に悪いというのはよく知られていますし、頭を使う人に心身の病にかかる人が多いのも医学的、生理学的に説明がつくようですが、人の思考するエネルギーを好物とする食脳鬼のような霊的な存在も、ひょっとしたらいるのかもしれません。

 

*スエーデンボルグによると、よこしまな考えは、霊界では汚物として感知されるようです。もし人が悪い考えを抱くとしたら、たとえ実行に移さなくても、その時は周囲に霊的な汚物をばらまいていることになります。当然、悪霊たちも寄って来るはずです。

 

・スウェーデンボルグの「霊界日記」

 

 “天使たちは未来のことを知っていない。未来のことは主のみが知っている。ただ、主がそれを啓示するに値すると考えている者は、いくらか未来のことを知っている。ある霊たちがしきりに未来のことを知ろうとしたとき、最初、私はいわば排泄物のようなものを感知した。地上の人々と同様、予見された未来から何が真であるか否かを知りうると考える者がいたからである。しかし〔現代のような〕終末の時代においては、多くの理由があって、奇蹟は起こらないし、未来のことが予言されることもない。ここではそのうちのただ一つだけを提示することが許されている。それは、天使たちは浄福を享受するために、未来のことをいささかも知ってはならない、という理由である。それで主は、〔聖書の中で〕将来のことを思いわずらうな、と語られたのである。さらに、霊たちが知りたくてたまらない未来についての知識は、彼ら自身や全体の秩序を混乱させるきわめて多くのものをふくむであろう。それゆえ、それはまた霊や天使たちを主が治める秩序に全面的に対立している。なぜなら、彼らは、彼らに許されているものを除いて、彼ら自身のものは何一つ自らに取得してはならないからである。(2271)”

 

  (インマヌエル・スウェーデンボルグ「霊界日記」(角川文庫ソフィア)より)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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