物語拝読は天の岩戸開き(天の岩戸は臍下丹田) | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 

・霊界物語の拝読は天の岩戸開きであり、ヨハネ黙示録の成就である

 

 “お前はしつかりせぬと曲津(まがつ)に取り憑かれる恐れがある。何と云つてもまだ改心が足らぬから、ちつとも臍下丹田(あまのいはと)に魂が据わつて居ないので、種々の曲津に憑かれるのだよ。それで足が重くなつたり、苦みたり弱音を吹いたりするのだ。”

 

          (「霊界物語 第八巻 霊主体従 未の巻」『敵味方』より)

 

 “サア早く、心の立替立直しをして、臍下丹田(あまのいはと)を押開き、生言霊(いくことたま)を発射せよ”

 

          (「霊界物語 第三十巻 巳の巻」『醜の言霊』より)

 

*以上のように、霊界物語では、「臍下丹田」と書いて「あまのいはと」とルビがふられています。臍下丹田とは、ヨガでいうスワディスターナ・チャクラ、エドガー・ケイシーの言うライデン線に相当し、体内の霊的中枢の一つです。ミロクの世の実現のための御神業で、「天の岩戸開き」ということが言われていますが、これはクンダリニーを覚醒させ体内の霊的中枢(チャクラ)を目覚めさせる、つまり人類の霊的覚醒のことを意味するのかもしれません。またエドガー・ケイシーによれば、「ヨハネ黙示録」とは、使徒ヨハネが彼自身の霊的覚醒の体験を象徴的に記述したもので、読む人の霊的覚醒を促すためものであって、決して世界終末の預言ではありません。

 

 

・クンダリニーとは、

 

 “クンダリニーは、これまでもたびたび述べてきたように、超意識体験(サマーディ)に非常に大きな役割を占める「神秘な力」であり、人間の体内に潜在する宇宙の根源的なエネルギーの形態であるといえよう。すなわち、自然界を生み出した根元力、あるいは宇宙創造の原初の力なのである。

 この根元力は宇宙の絶対界から顕現して森羅万象を創造した後、再び絶対界(シバの世界)との結合を求めて静かに眠る神秘なエネルギーとされている。

 このように、クンダリニーのエネルギーは抽象的で神秘のベールにつつまれたものであるが、その解釈の差異にもかかわらず、その体験内容を語っている瞑想経験者、先駆者、ヨーギは数多い。したがってわれわれは、その指示により実践することで確認することが可能なのである。

 クンダリニーはムーラダーラ・チャクラに連結しているスシュムナの起点に、三角形で三回半トグロを巻く蛇の形態で眠っている。しかし、呼吸法や瞑想などによって、ひとたびクンダリニーが目覚めさせられると、スシュムナの中に入り、その中を上昇しながらチャクラを次々と活性化させ、最上部のサハスラーラ・チャクラまで上昇していく。そのとき、われわれは、超意識に目覚め、究極の境地に到達することができる。

 通常、クンダリニーは、たんなる潜在力として眠っていて、スシュムナの口も堅く閉ざされている。しかし、これが目覚めたときは、普通の状態では経験できないさまざまな体験をするようになる。”

 

          (山田孝男、影山勲、奥成達「瞑想術入門」大陸書房より)

 

 

・エドガー・ケイシー・リーディング

 “「人体の中では、松果体、下垂体、ライデン(ライデッヒ細胞群)がいわゆる「銀の紐」を繋ぎ合わせ、また肉体的、精神的、霊的生活における創造的精髄との密なる歩みによって満たされる「黄金の杯」を形づくっていることが我々にはわかる。」(二六二-二〇)

 

 “「ライデンは‶封じられた‶を意味し、人体が創造される際に受胎を起こす線であり、性腺内外に位置している。魂の基礎あるいは座はライデン線の中にある。」(三九九七)”

 

 “「ライデン線が解放されており、そのためクンダリニーの力が脊椎を通って様々な中枢へと流れているのである。その人は実践的に生かすことなく知識ばかりを多く求めている。」”

 

 “「この実体は一度ならず第三の眼の超常機能に恵まれた人々の一人であった。ライデン中枢が解かれ、クンダリニーの諸力が松果体に沿って形づくられている時には、未来の出来事についての光景が現われることが我々にはわかる。」(二四八一-P-二)”

 

 “「体内に経路があり、導管があり、内分泌腺があり、誰も知らない働きをする活動のあることが分っている。多くの者の中ではそれらは眠っている。多くは委縮してしまっている。何故か。無使用、無活動だからだ。何故なら、もっと偉大な活動のために与えられてきた力を乱用してきた者の霊的生活の中で単なる食欲とか放縦に、いわば浪費となる方向にそれらの力を悪用し、使い果たしてきたからである。」(二八一-四一)”

 

 “身体の霊的中枢を通過するエネルギーの運動についての説明は、黙示禄を聖ヨハネの瞑想経験の記述であると解釈した一連のリーディングの中に散見される。小アジアの七つの教会は象徴学的に七つの内分泌腺に結びついたものとして記されており、開かれる七つの封印についてもまた同じである。”

 

    (ヒュー・リン・ケイシー「エドガー・ケイシーの超意識への挑戦」大陸書房より)

   

 

・スワミ・スリ・ユクテスワ(パラマハンサ・ヨガナンダの師)

 “洗礼を受けながら(自我意識(スーラタ)を聖なる宇宙音(プラナヴァ・シャブダ)に溶け込ませるスーラタ・シャブダ・ヨガすなわちバクティ・ヨガを行じながら)、人は悔い改め(自己意識を浄化し)、‘自己’を外側の世界である物質界(ブー・ローカ)から引き揚げて、内側の世界である幽界(ブーヴァ・ローカ)にはいる。そこで彼は、幽体の七つの中枢に七つの星のように輝いている聖霊の現われ(‘まことの光’)を見る。聖書では、この七つの中枢を‘七つの金の燭台’または‘七つの教会’にたとえている。また、‘七つの星’(聖霊の光)は、‘み使い’またはリシともいわれ、‘人の子’の‘右手’(神に至る正しい道筋)に次々と現れる。”

 

         (スワミ・スリ・ユクテスワ「聖なる科学」森北出版より)

 

 

・早すぎるクンダリニー覚醒の危険

 

 “準備なしに火を目覚めさせた場合、非常に多くみられるのは、その火が身体内部を上昇せずに下降し始め、最も望ましくない情念を刺激することである。こうして情念が刺激され、強化されてくると、人間はそれを抑制することができなくなってしまう。活動を開始したこの力に直面している人は、人食い鮫が大きく口をあけている前を泳いでいるようなもので、助かる見込みはない。そういう人は、ふつうの人間がもつ抵抗力とはけた外れの巨大な力にとらえられてしまうので、好色漢となり、淫欲の獣になってしまう。彼らはある種の超常能力を得ることはあるけれども、それらの超常能力は、彼らを進化の低い段階に逆行させてしまう。人間の本性は、そういう低い領域とは交流しないように定められているのであって、そういう次元の恐ろしい束縛から解放されるには、一度この世に再生したぐらいではとても追いつかない。・・・”

 

 “・・・クンダリニーの高い位相が早熟に展開してくると、多くの好ましくない現象が起こる。それは人間本性にあるすべてのものを強め、その善い性質よりも、下等で悪い性質の方を盛んにする傾向がある。たとえば、心霊的身体の次元で野心がたちまちかき立てられ、信じがたい程度にまで膨張してしまう。これと共に知力が非常に強化されることもあるが、それは同時に、常人には全く信じがたいほど悪魔的なうぬぼれを生みだす。自分の体内に生じる力は自分で処理できるはずだ、と考えるのは誤りである。これはふつうのエネルギーとはちがうものであるから、とても抵抗することができない。何の予備知識もない者がクンダリニーを目覚めさせる訓練などすべきではないし、たまたま偶然にこれを目覚めさせてしまった場合には、すぐに訓練をつんだ人に相談すべきである。

 クンダリニーをどういう風に目覚めさせるかという具体的な方法については、私はわざと説明しない。また、目覚めた力が各チャクラを通る順序についても注釈しない。なぜなら、修行の各段階を通じて弟子たちを見守ってくれる師匠の適切な助言がないかぎり、決してそういうことはすべきでないからである。

 わたしはこういう有資格者の教授がないかぎり、この恐るべき力を目覚めさせるようなことはしないように、すべての修行者に向かって真剣に警告したい。というのは、この問題の重大さを知らなかったり、誤った指示を与えたことから生じる恐るべき結果について、わたし自身が多くの事例を見てきたからである。この力はまことに恐るべきものであって、自然が蔵する最も根源的な事実の一つである。それはもてあそぶべき事柄でもないし、手軽に取り上げるべき事柄でもない。何かわけもわからずにそういう試みをすることは、子供の玩具に火薬を与えるよりもはるかに危険である。「ハタ・ヨーガ・プラディーピカー」に記されている次の言葉はまことに真実である。「クンダリニーの覚醒は、ヨギには解脱を与え、愚者には苦悩のくびきを与える」

 こういう場合、修行者はしばしば、自分にだけは自然法則の例外がはたらいて、特別な神意が干渉し、愚かな行為をしてもその結果を免れることができると思いがちなものである。しかし、そういう奇蹟は決して起こらない。爆発物をもてあそんで火をつける者は、たちまちその最初の犠牲者となる。神秘現象に関する事柄はわれわれの言う言葉通りに、正確にその意味するところを理解するよう努めてほしい。どんな場合にも法則は例外なくはたらくことを理解すれば、多くの災いや失望を避けることができよう。宇宙の偉大な法則のはたらきには、えこひいきなどはないのである。”

 

             (C・W・リードビーター「チャクラ」平河出版社より)