「思考」の放棄 (J・オーウェル「1984」) | 瑞霊に倣いて

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  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

*ジョージ・オーウェルが1949年に発表した小説「1984」は、40年ほど前、まさにその1984年が到来したときに結構話題になっていましたが、彼のもうひとつの代表作「動物農場」とともに、スターリン主義を批判した作品として紹介されていたと記憶しています。そのときは、日本に住んでいる自分としてはまだ単なる読み物でしかなく、ソビエト連邦や北朝鮮のような共産主義政治体制、全体主義体制の恐ろしさも、結局は遠く離れた隔絶された世界のことでしかありませんでした。さらに90年代には共産主義体制が崩壊しはじめ、日本が共産化する心配もなくなりましたが、何やら共産主義は新たな形態で復活し、着々と水面下での工作を進めているらしく、日本も世界も徐々におかしな方向へと進みつつあるのは誰の目にも明らかだと思います。今になって世界的な規模で、この「1984」のようなディストピアの実現が現実味を帯びてきているようで、それで先日、新しく出た角川書店の文庫版ジョージ・オーウェル著「1984」(田内志文氏訳)を買ってみたのですが、この小説は今こそ広く読まれるべき作品だと思いました。あからさまに暴力的な手段で強制されなくとも、「ニュースピーク」のような言語改革による愚民化政策、国民が自分から思考することを放棄して進んで従順なロボットになるよう、気づかれないように徐々に誘導していくというのはありそうですし、実際に中国では文化大革命で簡体字が強制され、韓国では70年代に漢字が廃止され、日本でも同じく70年代からいわゆる人権派の連中によって「言葉狩り」が行なわれています。以下は、訳された田内志文氏の「訳者あとがき」や内田樹氏の「解説」の一部ですが(ネタバレがあります)、確かにこれらは現在、現実の世界で起こっていることではないでしょうか。

 

(田内志文氏による「訳者あとがき」より)

 “本書が全体主義を批判することをテーマとして書かれた小説であることは今更書くほどのことでもない。しかし、テレスクリーンという非常に象徴的な設備を登場させることにより、全体主義体制下における大衆の集団洗脳にもまた、ことさらにフォーカスを当てられているように感じられる。SNSが隆盛を極める現代とこの小説を重ねた場合、訳者個人としてもぞっとさせられるのが、この部分だった。テレスクリーンは権力者に都合の良い情報だけを流して国民を操作するツールであるわけだが、今我々が毎日のように触れているSNSなども、ある意味これに非常に近いといえる。というのも、「自分に都合のよい情報しか読まない、認めない」というのであれば、それは片側の情報を完全排除し自らに偏った洗脳を施しているのと何も変わらないわけだが、実際問題としてそのように利用されている感が非常に強いからだ。そうして自ら無意識のうちに情報の取捨選択をした人々による、敵対者に対する罵詈雑言が日々SNSを流れていくのを見るにつけ、これは〈二分間ヘイト〉どころではないなという気持になり、恐ろしくなってきてしまう。

 実際、SNSによる社会の分断については各国で研究が行なわれているところであり、数々の異論こそあるものの、「SNSが社会の分断を加速させる」は通説となりつつある雰囲気はいなめない。もっとも、このあとがきにおいて社会的風潮や思想の善悪など語るつもりはないのだが、イギリスでテレビの放送が開始されたのが、一九三六年であることを思えば、それから十年少々だというのに、情報と大衆という構図をこうも的確に捉えて小説化したオーウェルの洞察力には驚嘆せざるをえない。

 そうした意味で、個人的にものすごく面白く感じたのは、党の主張する歴史が捏造であることを示す証拠をウィンストンが手にするシーンである。これもまた現代のインターネット・メディアというか、ユーザーの情報に対するリテラシーの問題に深く通じるところがあるのだが、多数派が信じる「真実」と矛盾する情報を手にすると、なんの根拠もなく「世間が知らない重大な真実を見つけた」という気持になり、それをきっかけにして極端な思想を持つに至る人も少なくないものだ。そういう意味では主人公であるウィンストンもまた、ある意味滑稽に描かれているといってもいいように感じられる。三人の男たちが写った写真を発見するシーンでは、「平らに伸ばしてみた瞬間、彼はその紙が持つ重大な意味を悟った」とウィンストンの姿が描写されているわけだが、本来ならばそのように重要な情報を見つけると、まず裏を取るものだろう。どういう新聞社がどういう文脈で掲載した記事かも分からないのに、記事を見た瞬間に意味を悟るというのは、どう考えても擁護できない。

 この場面には情報に対するリテラシーの低さと思慮の浅さが露骨に描かれていると受け取っていいように思えるし、それを表現するため、オーウェルもわざわざ「瞬間(The instant)と書いたのではないだろうか。要するに、自分の疑念を肯定する情報、矛盾しない情報を目にした瞬間にいわゆる確証バイアスが働き、正誤など気にせず「やっぱりそうだったか!」という気持になってしまったというわけである。結局彼は、その短絡的な性質によって自ら破滅に追い込まれていってしまう。”

 

 

(内田樹氏による「解説」より)

 “その次の章で言語学者であり「ニュースピークの専門家」であるサイムが「ニュースピーク」について長口舌をふるうとき、彼の言葉はいまここで私に向けられて語られている言葉のように生々しい。

 ニュースピークは新しい言語の発明ではない。言語の破壊である。それは極限まで言語を切り詰める企てだからである。「良い」という単語があるから、もう「悪」は要らない。「否良い」で十分だ。「良い」を強調したければ「加良い」でいい。もっと強調したければ「倍加良い」でいい。これを現界まで突き詰めてゆけば、最終的に善悪はたった六語ですべて済ませることが可能になる。サイムはそう豪語する。

 「ニュースピークの目的は総じて、思考の範囲を狭めることにあるというのが分からないか?最終的には思想を表現する言葉がなくなるわけだから、従って〈思想犯罪〉を犯すのも文字通り不可能になる。(…)年々言葉の数は減っていき、意識の範囲も延々と縮小し続けていくんだ。(…)二〇五〇年までには、僕たちが今しているような会話を理解できる人間は、ひとり残らず死んでしまっている」とサイムは予測する(82-83頁)。そのとき革命は完了する。なぜなら人々はもう思考しなくなるからだ。

 このサイムの言語の破壊にかかわる長い演説をオーウェルは本気で書いている。これは作り話ではないのだ。「ニュースピーク」は作家の想像の産物ではない。これは『1984』を書いている時点で英国に(予兆的にではあるけれども)すでに存在し始めていた現象であり、私がこの物語を読んでいる時点で、日本でもすでに不可避的に広まっている言語の解体を指し示しているからだ。

 「思想を表現する言葉がなくなりつつある」というのは一九四八年のオーウェルの偽らざる実感だった。言語の危機はこの時点ではまだオーウェルのような例外的な人たちにしか感知されていない。でも、いずれ、言語の危機は全体化する。人々は新しい言語の創造より、言語の破壊に、意識の範囲の拡大よりも縮小に熱心に取り組むようになるだろう。オーウェルはそう確信していた。サイムの言葉が確信に満ちているのは、それがオーウェルの実感だったからである。”

 

 

*ルドルフ・シュタイナーも、「将来、人類は思考力を失ってしまうだろう」と予言していますが、SNSそして何よりもスマートフォンの普及によって、このことが加速しつつあるように思います。またシュタイナーは、「意識的に抵抗しなければ、人はアーリマンに呑み込まれてしまう」とも言っています。現代の工業都市文明はアーリマンによってもたらされたものですが、かといって都市から田舎に引っ越したとしてもアーリマンから逃れることはできず、逃げるのではなく意識的に立ち向かわなくてはならないと説いています。そして、シュタイナーによれば、「『芸術』はアーリマンへの対抗手段」です。最近、欧米で過激な環境保護団体が、何故なのかやたらに芸術を目の敵にし、彼らのメッセージを広めるために美術品にペンキをかけるなどの行為を行なっていますが、彼らはアーリマンから逃げようとして、その結果呑み込まれてしまった人達ではないでしょうか。芸術は崇高なものへと人々の意識を向けさせてくれるものですが、現在アーリマンは、芸術の価値・重要性を引き下げようとするだけでなく、規制し、管理しようとし、あるいは芸術の中に憎悪や反自然的な性的表現などを持ち込んで、芸術そして言語から霊性を取り除いて、代わりに唯物論を浸透させようとしています。

 

*出口王仁三郎聖師は、「いったん共産主義が天下をとるのや。それから神様と共産主義との戦いや」と予言され、ガラバンダルでの聖母のメッセージにも、「将来、共産主義が世界を制覇するでしょう」とあります。共産主義による支配がもはや避けられないのであれば、あとは神様による介入だけが救いですが、エドガー・ケイシーは「主は招かれることなくして来られることはない」と言っています。神様に介入してもらうためには、人々は祈らなければなりませんし、シュタイナーが言うところの「霊的存在に浸透されている言語」が発せられなくてはなりません。各宗教には「ロザリオの祈り」「世界平和の祈り」など、それぞれの「祈り」がありますが、因縁のミタマには「霊界物語」があります。「霊界物語」は『弥勒胎蔵経』です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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