ナポレオンズのパルト小石さんの思い出 | チョッキーQ.の『ハロプロ物語 feat. 工藤 遥』

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モーニング娘。を中心としたハロプロに関して自分が思ったことを、日記ではなくエッセイ風のまとまった文章でUPしています。
(鞘師里保と工藤遥の”卒業”など)

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今回はハロプロとも工藤遥ともまったく関係ない話だ。
このブログでテーマと無関係な記事を書くのはたいがい誰かが亡くなったという話だが、今回も残念ながらその通りで、2人組のマジシャン「ナポレオンズ」の片割れパルト小石こと小石至誠さんが先日肺炎のためお亡くなりになったそうだ。
ナポレオンズのお2人ボナ植木さんとパルト小石さんは共に大学のマジックサークルの出身だが、私も同じマジックサークルの後輩だった。



植木さんの方は在学時代からプロになるつもりであらゆるマジックを習得して卒業後ソロでデビューしたが、ただマジックができるだけではプロの芸人として限界を感じて、サークル時代に学外発表会などで司会を勤めていたトークのうまい小石さんを誘ってあらためて”ボナ植木とマジックナポレオンズ”という芸名でデビューし「我がマジックに不可能はない」というキャッチコピーで売り出した。ハート
しかし最初のうちはなかなかオファーに恵まれず「我がマジックに仕事はない」などという自虐ネタを言ったりしていた。あせる
たまにお昼の演芸番組に出演するという情報が入ると、私たちは数人のサークル仲間と学食のテレビの前に陣取って「この人たち、うちの大学出身だってさ」などと白々しい会話を大声で周囲に聞かせるように話していたものだ。真顔
しかしそのうち”あったまぐるぐる”などのお笑いマジックで『笑点』に出演するなどで知名度が上がり、芸名もシンプルな”ナポレオンズ”に改名して40年以上もの間活躍し続けていた。合格
いつだったかTBSラジオの『爆笑問題の日曜サンデー』にナポレオンズが出演した時、なぜか爆笑問題の田中氏がパルト小石さんのことをずっと「バルトさん」と呼び続け、2人ともそれを訂正しなかったので私はラジオの前で「”バルト”は関取だ!」と1人で憤っていたこともある。(ナポレオンズの芸名はナポレオン・ボナパルトに由来するので、もちろんパルトが正解)

私はもう何十年もお2人に会ってなかったので、小石さんがここ何年かご病気で入退院を繰り返してらっしゃったことも知らなかったので、ネットで突然の訃報に触れて大変驚いている。ショック!
奥さんの結花さんも同じマジックサークルの後輩で、ナポレオンズのお2人は卒業してプロになってからもちょくちょく後輩の指導に大学に訪れていたので、その中で知り合ってご結婚にまで至ったわけだが、お互い還暦を過ぎても非常に仲睦まじいご夫婦で奥さんはこのコロナ禍でお見舞いもままならない中、最後の最後までご主人の看病をなさっていたようだ。キラキラ

あらためてパルト小石こと小石至誠さんの学生時代より長年のご厚情に感謝するとともにご冥福を心よりお祈りいたします。お願い
 

 

 

 

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