宿屋のおやじ日記 -78ページ目

364. 昨夜 無事 山口DCのオープニング終了

いつの間にか 梅雨が明けていたようで 一挙に 真夏の太陽になりました。

お昼前のニュースで 山口県北部の 梅雨明けを放送しておりました。


夕方16時から 準備に取り掛かりまして ドタバタしましたが 瞬間では 五、

六百のお客様が ステージでの アコースティックライブ や どこでも紙芝居

を楽しんで頂きました。 夕方まで 紙芝居の作者である 尾崎先生から細かい

指示が来まして 一番 慌てられたのは 話し手でいらっしゃった 地元の長老

太田さんだったかも知れません。


尾崎慎吾 先生の紹介をさせて頂きましたが、 原節子 さんや 常磐貴子さん

のイラスト利用のCMや コクヨのヨコク の作者でもある先生は 以前は東京

で活躍されていたのですが 現在は、西深川にあるショアーズ というレストラン

のオーナーをされつつ この長門市から 多くの情報発信をして頂いております。


とにもかくにも ディスティネーションキャンペーンがスタートいたしました。


精一杯に おいで頂いた皆様をお迎えいたします。地域の皆様も何かの機会が

ありましたら、と言うより、ぜひチャンスを作っていただいて県内全域での取り

組みをお楽しみいただければと思います。


ホッと 一息の 宿屋の おやじ です。 七月七日 七時二十分 発。


363. さださんの歌は ほうずき でした。

昭和50年の発売だそうで 僕が 19から二十歳になろうとしていた頃の歌の

ようです。

なんとも偶然に 昨日 机の奥から出てきた カセットテープの二曲目に 

入っていました。


湿った風の背中越しに・・・・ アセチレンのひかり  ・・・・


パンプキンバイ ・・・だの   白髭神社・・・だの  もんじゃ焼き・・・だの と

 

その当時の他の歌い手からは まず 出てこないであろう歌詞のひとつ一つを

わくわくドキドキしながら 世田谷のアパートの一室で聴いておりました。


さてさて いよいよ 湯本温泉における 山口ディスティネーション キャン

ペーン の オープニング披露の当日になってしまいました。


夕方というか 夜の19時20分から おとずれ夜市 じゃらんじゃらん のミニ版

の出店、どこでも紙芝居、そして 毎月の アコースティックライブを織り交ぜ

まして おとずれ河川公園にて開催します。


また報告するとしまして 昨日夕方 今夏初めて セミの鳴き声を聞きました。

アブラゼミ でしたが いよいよ本格的な夏に入るのでしょうか。


さりとて 梅雨明けがまだの様ですし 発表待ちですかね。


書くのが 久しぶりの  宿屋の おやじ でした。

362. どこでも紙芝居の現地打合せ

諸般の事情で 紙芝居の絵そのもの と セリフ全体 の作成がまだ継続中の

状態ながら とにもかくにも 現地で打合せをという事から 昨夜 湯本温泉の

河川公園に 関係者一同が集まりました。


初日 六日の 読み手は 地元 湯本地区の 大田長老。


インカムも 絵も セリフも 調整中にて 本当の手探り でしたが、生の声で

大体十分間 お話しを続けられました。


どうやら僕は その次の週の登場になりそうで それなりにエンジョイしようと

思っています。


なんとか終了後、 あるお二人を カクテルスナック ロペにご案内。


お一方は 今回の紙芝居の セリフの作成 校正 の責任者。そして 話し手と

しても一級品の、そして 毎年の納涼祭の盛り上げバンドのボーカルでもあり

そして又 萩市の某中学校の国語教師でもある Fストリート の白沢先生。


ともうお一方は そのバンドの 大切なPA役の 弘中氏。毎月の おとずれ夜市

じゃらんじゃらん では 必ず アコースティックライブの 音の調整役として

来てもらっている。


一通り 反省がすんで 早速の世間話と思っていたら S氏が「 ブログ 毎朝

チェックしてますよ。」 すぐに H氏が 「 僕も 週に一度は見てますよ。」と

思い切りのプレッシャー。


以前は いい刺激として受け止められていた時期もあったのだけれど ここ

しばらくは プレッシャーそのものとして 重く感じるようになってしまった。


先方も さして真剣に言われているわけではないはずだし 気楽に聞き流して

いればなんとも無いはずなのに 妙に いっぱしの作家気取りでつい気に

してしまう。


子供の頃から「 自由に学習するように 」「 私は 宿題を出しません 」なんて

言われる先生より、 つぎから次と 宿題が押し付けられたり テストだ、

ドリルだと 周りの同級生には あまり よく思われないタイプの先生の方が 

成績がよかったから かえって この状態の方が 僕にはいいのかもしれない。


新山口駅で降りられた 二十数名のお客様が「 駅構内で開催されていた 

山口ディスティネーションキャンペーンの初日としての催しで お土産を

もらっちゃった、今日来て 得しちゃった・・・。」とお話しをされていました。


いよいよスタートの 山口DC・・・・。 どうぞ お楽しみに。


                         宿屋の おやじ でした。

361. 七月の朝

全開の窓から入ってくる空気は 肌寒いくらいなのに 太陽の光はかなり強くて

今日一日が 暑くなりそうだよって 伝えてくれているみたいです。


温かい日の光に触れながら、ふと・・・・・「   君の好きな夏がきます   」と

いう さだまさし氏の曲が浮かんできました。


さだ の まっさんが好きです、などと アチコチでしゃべってて それなりに歌も

知っているし 最近はご無沙汰だけれど 何十回となく コンサートにも行って

いるのだけれど 曲と 歌の題名が一致しない。


あわてて 新潮社 発行の 「 さだまさし 旅のさなかに 」をペラペラとめくって

みたけれど 題名の特定が出来ずに 残念な限り。


あははは、続きが出てこない。


商売人の月初めはいろいろとする事があって、とりあえず 今からそれを

キチンと 消化いたします。 後ほど のちほど。


                            宿屋の おやじ でした。

360. 本年度 半年経過

昨日のご葬儀では 式の最中は 小雨になったものの 比較的に強い雨の

一日でした。多くの参列者の方々とお送りいたしました。


今朝は 先日貸して頂いた 大津あきら著「 輝きながら 」を某所にお返しに

まいります。 久方ぶりに その日の夜と翌日半日で読み終えるくらいの速さで

読了いたしました。

 

「 ひゃけど 」という言葉を始めとして この地方の方言が そのまんま活字に

なっていたので なんとも 気恥ずかしい気も最初はしましたが 中々面白く

読ませてもらいました。


大津氏といろいろなお話をする機会のあった以前に 読んでおけばよかった

なぁと残念に思ったのも事実ではありました。


本の内容から この「 宏次 」という登場人物は アノ人ではないかと感じて

いた方が 昨日のご葬儀に参列されていたので 式の開始前だった事もあり

ついつい擦り寄って 小声で 「 大津さんの本を 初めて知って 読み終えた

んですが あの こうじ さんは ・・・さんの事ですよね 」と 話かけましたら

フイをつかれてか 「 えっ、いや、フーン そうか ???。」とほぼ 気の

無い返事を されてしまいました。


知った地名も数多く出てきて いろんな先輩達にも 当然 僕達にも 様々な

ところで 様々な物語が存在していたのだという事が 共通項として蘇り 

嬉しい事実として認識出来たのでした。


細かい雨が降り続いている湯本温泉。  宿屋の おやじ でした。

359. 泳ぎながら 汗をかく ??

市議会議員の三輪徹氏の熱い願いと 当時の湯本温泉旅館組合青年部の

部長だった僕の縁で 元オフコースの 鈴木康博 氏をお呼びして コンサート

を開催して頂いたことがある。二十年近く前の頃の事。


紹介していだいたのは この長門市仙崎御出身の作詞家 大津あきら 氏。

亡くなられてから 早いもので もう十年を越えてしまった。


鈴木さんが 相模大野だったか その辺りでコンサートをされているからという

情報を頂いて すぐに上京した。


代々木上原から 小田急線に乗って ( 有名作詞家の移動だからして 

てっきり 車か何か豪勢な手段で・・・と何となく感じていた僕が チョイと驚いた

という思い出は 以前にも書きましたが ) その移動中の車両の中で 僕が

大津の水泳部だったなんて事を話して すぐに 氏が聞かれたのが タイトル

の「 泳ぎながら 汗をかく 感覚を知ってる ? ? 」だった。


愛好会に毛が生えた程度の練習しかしていなかった僕にそんな体験がある

わけもなく 「 エッ なんですか。それ ? 。」って答えたきり言葉が出なかった。 

そのあとで 大津さんが高校時代から 国体の選手でいらっしゃった事を知った

から さもありなん と、理解出来たけれど 僕にとってはただのジョークだ

としか思えなかった。


そんな 大津氏の高校時代の思い出が、あわせて 少し恥ずかしいくらいに

この地方の方言が そのまんま一緒に展開する とても 素晴らしい 自叙伝

「 輝きながら 」でした。


徹 君、 手術の痕を 見せてあげようかと 上半身 裸になられて 前面の

右肩あたり だったか それから おなかに回って それから又 背中までの 

連続した傷跡に驚いた。

 

「 これで元気になれるよ。」と 御自身に言い聞かせられるように つぶやかれ

てうなずかれた後 ニッコリ笑われた 氏の顔が心に強く残っている。


いつもおだやかで 僕達に対して たえず声援を送り続けて頂いた 素晴らしい

人生の先輩をまざまざと思い出させてもらった 素敵な読書時間でした。


                  ではでは。     宿屋の おやじ でした。

358. 数日ぶりの おだやかな 温かい 朝の光です

霧の朝だったり 厚い雲の朝が 続いておりましたが 今日は 明るい日差しが

事務所の中に入り込んでいます。


つい先ほど「 講内 」の今年の世話役である 玉仙閣の 伊藤社長から電話

がありまして ホテル長門はらだ さんの原田正夫社長のお父上である会長が

亡くなられた という連絡が入りました。


八時に 講内のメンバーが全員集合して 御葬儀のあれこれの準備に入り

ます。 


僕の父もメンバーだった 地元の皆様とで作られていた「 福笑会 」という

親睦会の多くの皆様が鬼籍に入ってしまわれました。


子供の頃から 御近所でもあり 何やかやと お世話になっていた方々とお別れ

せざるを得ないのも 世の常とはいえ 淋しいものですね。精一杯の感謝の

気持ちでお送りさせて頂きます。


昨日 ある所の 待合室で 大津あきら氏の 輝きながら という書籍を拝見して

読んでおりました。なかなか自分の番にならなかったもので 速読でない僕でも

かなり読み進んだのですが 自分の名が呼ばれ 用を済ませてからも 何とも

続きが気になって気になって ついに 受付の方に 「 スミマセンが この本を

数日貸して下さい 」とお願いしてしまいました。


そんな人が日頃 そんなにいらっしゃる訳もなく 最初は怪訝な顔をされて

いましたが お隣のやはり受付の方と 目配せをして頂いて どうぞ と許可を

頂き 今 自宅で読んでいます。


いずれ また続きを書きます。


打合せの時間が近づいてきました。 では 本日 ココまで。失礼致します。

357. 静かな雨が降っています 

昨夜も 「 細かい雨が降っていますから あくまでも お客様の『 運 』 頼み

で申し訳ないのですが ひょっとしたら 何匹かのホタルの鑑賞が可能かも 」

というご案内を 客室でしたのだけれど どうだったのでしょうか。


僕の観察では 23時頃に 四匹の光が観えて とりあえずは安心して帰宅した

のではあるけれど。


とにもかくにも 精一杯見守り続けて 我が家の そして 我が宿の前のホタル

の状態はお伝えし続けます。


半分は ネタ不足の感がミエミエ アリアリではありますが どうぞ 御容赦を。


現在 検討中の企画でも 書きますか。


以前から 歴史が古いわりに いわゆる お宝が少ない・・・・という御指摘を

頂いた事もあったのだけれど これは 以前書いたかもしれません。


何せ「 じゃらん 」さん「 楽天 」さんからのお客様からのご感想のお返事や

時々 雑誌に記事を書いたりする事の増えた中で どこに何を書いたかの

頭脳内での整理が 少し不安定になっていて もしこのブログに書いていたと

したら 早目にお断りしておきます。


私の父の父 すなわち 祖父が 大変な愛国者でありまして、というか当時は

それが当たり前の事で ことさらに それを強調しても 仕方の無いことなの

だけれど どのくらい国を愛していたかといいますと この地域における

大政翼賛会のお世話をさせて頂くくらい熱心だったのです。


その熱い想いの元で 当時 我が家にあった 弓矢を始め刀剣類はもとより

額縁 絵画 お経本にいたるまで 全てを あるものは そのまま、あるものは

お金に換えまして 国に供出した歴史があったのですよ。


母が嫁いできてまもなくの頃 「 お宅から頂いた お経本を お寺の宝物に

しております 。」とお礼に来られた方もあったらしいと言う事も 聞いたことが

あります。


そんなこんなで 昭和二十年の八月十五日に 我が宿に存在した 鉄の

製品は 「 これだけは 絶対に渡さない 」と反対した 彼の相方 つまり僕の

祖母が ある時は お客様のお布団の中に またあるときは 押入れの中に

隠し続けた 小さな鉄瓶 つまり やかん が一つあっただけらしい。


最近の各種テレビを観ていたら 正直、残念に思わない、といえば ウソになる

けれど ただ一方で その歴史があったから 何らかの大きな力に見守って

きてもらえたのかもと言う、そんな気も強く存在していて 今では 僕が一歳に

なる直前に死んだこの祖父に大きな感謝もしているのです。  


そんな時代の中で どういうわけか 残り続けたのが 赤い靴 や数々の詩の

作者である 野口雨情 氏 と 河東碧梧桐 氏の 二幅の掛け軸だった

のです。


雨情氏のお軸は 七年前に出来た河川公園に作って頂いた石碑にも刻んで

頂いているのですが このときに 市役所の方から 茨城県の野口雨情 

記念館に鑑定依頼をして頂いて 認めていただいたものです。 


一方の 碧梧桐 氏のものにつきましては 六角堂さんにも 何幅かあるように

聞いております。ここの社長は「 たしかに 何幅かあるんだけれど 作品全部

に 『 六角堂さんへ 』とか『 秋山さんへ 』なんて書いてあるんだよ。残念だ

けれど。」と 笑いながらお話されていましたし しばらく滞在されていた史実も

あるようですので 間違いの無いものと理解しております。


その作品を 今までは 御興味をもたれて 希望された方だけに御覧頂いて

いたのですが 今回 いっそそれなりの入れ物を作って 皆様に鑑賞して

いただこうかということにしたのです。


一方で 守りの設備も考えながら ロビーの一角にと企画しています。


ただ 我がお宿で詠まれた歌だけに 言葉の内容から 別の場所に存在

したらすぐ 盗難品だと分かる品 というか いわゆる流通には 不適、

そういう仕掛けにはなっています。


ネタ不足だといいながら 何と長文。どうぞ お許しを。

読み返しが面倒で このまま 載せます。御不明の部分がありましたら サラッ

と読み飛ばされて下さい。


                           宿屋の おやじ でした。

356. 話の材料のない時に

過去 何人かの作家の方の エッセイか何かで 締め切りが近づいても書く

べきネタのないときの苦労話を読んだことがある。


そのうちの お二人くらいだったと記憶しているが 「 くるしくても ネタがなく

ても とにかく 机に向かって書くしかない。 」という終わり方には 正直 

「 いったい なんなんだよ。全然 論理として成立していないではないか。」と、

無性に腹が立ったというか あきれたというか そんな事があった。


毎日 書くべき義理も責任もないのに このブログに取り掛かってから 時々

ヤッパリ書く事が無くって困った時に この時の記事を思い出す。やっぱり

どうにもならなくて あきらめることの多い自分でもあるけれど たまに

えーい ままよ、とボードをたたき始めると 不思議と 題材が浮かんでくる

事もある。


この最近は ホタル頼りで ありがたい毎日が続いています。


昨日の ホテル前の門前橋 界隈は 10匹ほどでした。

頑張ってもらってあと一週間くらいでしょうか。


さだまさし さんの「 梅雨のあとさき 」 という歌詞の中にある 

つゆの あとさきの トパーズ色の風 ・・・・ってこんな風のことかなぁ、と

事務所の開いた窓から入ってくる 少し 冷たい 静かな空気に

勝手に感じ入っている 宿屋の おやじ でした。


なんとも唐突なおしまい。あしからず 御寛容に。

       とにかく 今日一日 お互い元気に明るく過ごしましょう。

355. 昨夜、旅館組合月例会

昨夜 毎月一度の月例会が開催されまして、ほぼ全員の御出席の元、各種

懸案事項の検討がなされ 例によって 情報交換会として ふれんど さんで

ウーロン茶をのみました。


昨日は 某ホテルの支配人で シニア ソムリエ 氏が参戦されまして 何種類

かのカクテルも作っていただきました。 同じ材料で 同じ量をステアするだけ

なのに微妙に味が違う飲み物になってしまい、なんとも説明がつかなくて 何度

もチャレンジした事務局の女性が「 何で なんでー 。」を連発しながら 皆で

味見を楽しめたのは いつもと違う楽しい余興になったのでした。


かなり突っ込んだ会話もありまして いい意味での喧々諤々の一時ではあり

ましたが 中で 時々このコーナーを見ていただいている方がいらっしゃる

事がわかり 少し 緊張する場面もありました。


どんな反応があるんだろうか、なんて考えたら書けなくなるから ただ 

ひたすら 書き続けるだけだという御感想や、一年に 二度 元旦と大晦日に

書き込んだだけでほったらかしにしていたら「 真面目に書きなさい 」という

厳し目のコメントが届いた とか それぞれの裏側にいろんな事が存在して

いるのだと 改めて感心した次第。


昨日 今朝と、この湯本ではめずらしい 朝もやが結構深く立ち込めて

いまして 静かな おだやかな 一日の始まりを待つ 湯本温泉の 宿屋の 

おやじ でした。