宿屋のおやじ日記 -114ページ目
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緊急 別章・  驚きのボンボン、なぜか真面目な一章

突然に真面目な記事です。

先日の「悠仁親王殿下の御印・おしるし」発表には 正直 驚き そして、また

有難いことだと、社員一同 心から感謝しております。サムシンググレートへの

感謝 ご先祖のご恩 大地のご恩を しみじみ感じました。 といいますのも、

春先から 老朽化した檜のお風呂を改修しなければならず、陶器のお風呂、

癒しストーンを使ったもの等々 真剣に検討を続けた結果、やはり 本当の

癒しになり まず アキが来ない 日本人に合うものということから選択した

「高野槇・こうやまき」を使った桶 露天風呂だったからです。

昨日から お泊りの皆様も 大喜びで入浴されています。  今は、時間内に

きちんとしたお掃除が出来ないことから 昼の外来入浴をやめて、15時

からだけの受付です。そのために女性のみの利用だけになります。

どうぞご宿泊頂いて 時間交代で四国 大歩危の 片麻石を使った

大岩風呂と合わせてご体験下さいませ。  お待ちしています。

 それにしてもニュースを聞かれて 当社までご連絡頂いた多くの皆様に

精一杯のお礼を申し上げます。

僕にも それなりの文章が打てるのだ、を、アピールしつつ。本日はここまで。

4. 高校時代のボンボン

正確には、高校3年 夏の終わりの思い出である。

地元の山口県立 大津高等学校に通い始めて3年目。進学校では

あり、今夏我が次女も通ったようだが、夏休み中に「補講」を受けていた。

生まれて初めての男子だけ40名の理系(当時はこう呼ばれていた)クラスで、

授業を含めて唯一クラスに入る香水の匂いのする人は 世界史の

新婚女先生だけというなんともむさ苦しい目立つクラスではあった。

何故か僕らのその年だけ 男の理系希望が多人数だったそうで、

ただでさえ数少ない女生徒はほんの5人。それも彼女達すべてを隣の

5組か゛引き受けてしまい 我が6組は すべて男ばかりの組になってしまった。

最初のクラス発表の時に 正直 「ゲッ」と思ったが これも何か楽しそうだと 

すぐに思い直そうと努めた。

そもそも何故僕が 理系かってぇと、自信のある教科が数学だけであった

現実もあるが 当時 気になっていた、以前にふられた女の子が確実に

国立文系にいくのがはっきりしていたから というのも一因ではある。妻にも

しゃべった事がないのに いいのかなぁ。 まっ いいか。 

で、その補講もあと数日で終わりというある暑い夏の日の午後、誰か忘れたが

「なあ、お前ら、このまま 高校生活を終わっていいか」と話しはじめた。数人が

「何が言いたいんじゃ」と応答。「なにかすげー思い出をつくらんか?」

「すげーちゃ、何か」「俺もわからん」     それから数分 ワイワイガヤガヤ 

 あーだ こーだの討論会。そのうち つい僕が「そういやぁ (前段より妙な

長門弁が入り 申し訳ない。もし不明な言葉がありましたら 一報下さい。

とりあえず、標準語に近づけているつもりではありますが) 

お前らまだ どーてー じゃろ?」と聞いてからが大変。最初はシーンとして

いたものの、すぐに 男ばかりで 正に蜂の巣をつついた様とは かくの如し

の様相。ほとんどが「当たり前じゃろ」と ワイワイ笑う中に 何か不安そうで

触れてほしくなさそうな 複数の 目 を 僕は見逃さなかった。

で、そこは男ばかりの40人。つい音頭をとって 「おい 皆、中央に集まれ」

と教室の真ん中に 円 を作らせた。「よう、俺たちゃ 男じゃの。秘密は

守れるよのぉ。」「言いたい事を はよう 言え。」  「よっしゃ 分かった」

しばしシーン。「絶対 人には、しゃべるなよ」 「一回だけ聞くぞ。結果は、一切

他言するな」 「まだ未体験の奴は 挙手。済んだやつは そのまま」  シーン

 「一回だけじゃぞ」  で 「せーの」  結果 2名がそのまま。 再び シーン。

それから 皆 「すげー」 「(あいては)誰か? だれか?」 でふたたび皆蜂の子供。

そして、尊敬のまなざし。


それにしても このクラスの男達は信用できるなぁと今も思うのは、現在も全然

漏れていないのである。同窓会やいろんな場所で かま をかけてみるが

どんな情報通の女の子も これはご存じない。同じクラスなのに記憶を無くした

不届き者もいるようだが、さすがに2名のイニシャルは伝えられないので

読者の皆様にもご容赦いただくしかない。 ご寛容に。


でそれから、どういう話の展開かは 記憶にないが

残りの夏休みを利用して ジャンケンで負けた僕が 男性の用品、頭に コンが

つく物品をどこかで買ってきて 皆に公開することになった話題、(これまた

自分でも笑ってしまう)は いずれ また話すことにして。  今日はここまで。









3. ミスターO様とボンボン

今度は、地元の人とのお付き合い模様を。で ふと思い出したのだが前段の

「J」の付く会に紹介して頂いたのは 地元の同じO様ではあるが、僕と同業の

O様であった事を今思い出した。「いや忙しい時にすまん。ここに名前を書いて、

隣に印を押してくれればいいんだ」。それだけでつい入会してしまった僕の

優柔不断が問題かどうかは皆さんの判断にお任せする。

 さて、このイニシャルを見られれば 湯本温泉界隈はもとより 全国の

同業の方ならば、かなり高い確率で「あぁ」と思い当たられるかと思われる。

そう あの方である。 どんな大きなパーティで連れがはぐれてしまっても

豪快な「わはは、わっはっは、」という爽快で大きなな笑い声と、直後に

「バシバシ」(注1. 背中、正確には肩の下辺りを殴る........いや、さする音)(注2. 

僕たちは何度も洗礼を受け さけるタイミングを熟知しているが、情報不足で

無防備に並んでおられて、オットットと、手の飲み物を落とされそうになられた

10に近い複数の方を存じ上げている)(注3. ご本人はあまり気にされて

おられず、その辺も僕が ついモサと呼ぶ一因ではあるが..............)という音が

してすぐに居場所が判明すると言う 最近では あまりお見受けしない

「猛者・モサ」である。勿論、ただ豪快さだけの猛者ではなく 絶えず

いろんな方に気を配り 細かい配慮の出来る人だから 多くの方がついて

県をはじめ いろいろの団体で取りまとめを要請されながら それぞれの役を

責任を持ってきちんと遂行されている。私の小学校 中学校 高校の大先輩

である。   ご本人はあまり上に立つ事を望まれてはいないようではあるが、

周りが許さない、そんな流れである。

この大先輩もガソリンスタンドの先輩も 漢字とイニシャルが同じで T原様や

M口様のようにぼやかすことが出来ないのが残念である。 そしてお二人

(両O様)ともお酒はどんどんバンバンの黒田節。

余談ではあるが、湯本の旅館協同組合の青年部には入会時の歓迎懇親会で、

このO様か 同じ湯本のY村別館のY社長様に 背負われて 我が家に午前様

で帰らないと入会出来ないという 妙な不文律があるンである。

ちなみに 私は24歳の時にO様に背負われ 4年後に入会した湯本ハイランド

ホテルふじ 専務の藤井君は、Y様に背負われてご帰還とあいなったしだい。

めでたし めでたし。ヨッ、ベベン ベン。


追伸     それにしても 会話に比べて 活字にすることの わずらわしさよ。

        まだまだ まだまだ  まだまだ いろんな場面が 正に走馬灯の

        様に浮かぶのであるがいずれ 時間をおいて 足していきたいと

        思います。しかし これが いつかばれたら どうなるんだろう。

        まっ、いいか。そン時には 修羅場での事を活字にするチャレンジ

        してみます。


        では、また。


2. 津軽の宿屋のオヤジとボンボン

以前から 出事 飲み事 騒ぎ事が大好きで あちらこちらに出かけていた。

30歳を四つ過ぎた頃 近所のガソリンスタンド会社のO専務(現 社長)に

誘われて「J」のつく全国組織に入会し、ある委員会の副委員長(O氏)の

秘書として出向を体験した。この時の笑い話も数々あるが 今から話すのは、

それと相前後して やはり(こちらは 平委員として)出かけていた全国の

旅館関係の集まりの青年部の思い出である。 北陸の有名大型旅館の

社長に連れて行かれた銀座のクラブでの話である。 僕と同じく落ち着かない

雰囲気で 目をキョトキョトさせている男を発見。何となく笑えるネタがありそう

だと、スリスリにじり寄り さわやかに話しかけた。「青森の津軽」のKという

僕と同じ 旅館の息子だと言う。きちんとした物腰で 受け答えもはきはき 

こりゃいい男だと、感じ始めてはいたが  津軽の出身という点が妙に気には

なっていた。ほどほどに酔うにつれ 普通の女性がキレイに見え始めた頃

妙な質問を始めた。「か に濁点は が でしょ、は に濁点は ば だよね。

そしたら、あ に濁点は なんと読む? ついでに み に濁点は」 

この問いには はじめは「なに言っているんだ このオヂは?」ってな具合で

浮かない顔しておられた紹介者のオーナー社長も 真のベッピンホステス

さんも そのうち、なんだろう?と 身を乗り出してきた。

分かる訳も無く 答えを聞いて 店全体が大爆笑。このまま 終わっても

つまらないと僕は 30分ほど特訓を受け免許皆伝を頂いた。 その後 

お付き合いが途絶えてしまったが K山さんお元気ですか。

「あ゛」 も 「み゛」 も まだ言えますよ。ただしゃべりはじめに少し時間が

かかりますが、    あははは。


追伸   それにしても 他人を題材にする事の 気楽さ 悪魔的 快感を

      今 しみじみと味わっています。しゃべりすぎて訴えられないほど

      の内容でしばらく 続けてみます。       今日は これまで。

      又 別の「Jの会」の思い出もそのうちに、お楽しみに。ぬははは。

第2章  1.スナック ロペのマスターとボンボン

我社の1階に「ロペ」という素敵なスナックがある。マスターとママの仲のよい

二人が切り盛りしている、地元に固定ファンの多い店で、以前は湯本温泉の

中央辺りにお店を開いていたのだか゛、3年前に ある縁があって我社に

来てくれる事になった。僕とは地元の長門市立 向陽小学校からの同級生で、

未だに「おい、お前」の付き合いをしている。彼がこれまた楽しい男で いろいろ

な話題に正に ことかかない。


数年前から 「わはは、わはは、その笑い話を共著で本にしようで」等

と酔った勢いで話していたのだが このページがいいきっかけになるかも

しれない。ただ 酔った者同士の会話と活字になったものが 同じレベルに

ならない事は百も承知だが 雰囲気だけでも伝わればと敢えてチャレンジ。


さて、今から10年前、彼は腰痛で長い入院、僕は当時長男坊のスポ少の

手伝いで ふくらはぎの内出血から10日間程同じ病院に入っていたことがある。

僕の退院の時には、どこでどう知り合ったのか20歳のやはり患者さんの部屋

で 近所のやはり同級生のコンビニ店からワインを仕入れ、フェアウェル

パーティを開いてくれた。偶然に見られてしまった看護婦さん(当時)を

あわてさせたのだが、その数日前にこんな事があった。

「よー、チンスイ。明日、お前はリハビリらしいなぁ。俺もじゃから一緒に行こういやぁ」

「そりゃ有難い。初めてじゃから いろいろ教えてくれ」と僕。で翌日10時。

慣れない松葉杖をついてリハビリセンターに近づいたら入口付近から「わはは

 わはは」の複数の笑い声。これは遅れた。早く行かねばと急いだのだけれど

その周りを見て唖然びっくり 仰天。正に車椅子あり 松葉杖あり 右手に点滴

持って左手にやはり松葉杖 頭に包帯巻いている方から おしっこの袋を

ぶら下げた人まで 大変な黒山の人だかり。あせって近ずこうとしたものの、ふと

退院間近の僕が近ずいて何か変なヤマイ(その時の皆さん、ごめんなさい。

ただ、誤解を恐れずに、その時の正直な僕の気持ちを言うが)をもらっちゃ

困るなぁと、すぐに回れ右。自分の部屋に急いだのも 懐かしい思い出ではある。 


それと彼の名誉のために一言加えておくが くだんの はたちの患者さんは

お店の常連さんであった事は、退院後 ママから聞いた。

 



 

只今 練習中 書き直し3回目 トホホ これでどうだ

前から聞いてはいたものの 毎日書かねばならぬそうな、という強い思い込みで

逃げていたこのページにチャレンジすることになりました。

それなりに作文することは嫌いじゃないし 面白そうだとも思うのですが

 はてさて いつまで続きますことやら、

本人も 読んでいただくお方様も 恐るおそるどうぞ ご覧あれ。


さて、生まれた時から 宿屋の「お坊ちゃん」で 中学校を出るまで呼び名は

屋号である「ちんすい」か「ボンボン」。ずっと大昔、花のお江戸の六本木で

夜中の11時頃、いつもの飲みすぎヘロヘロで赤ら顔、大声でアレコレと、

のたまわっていたら、右斜め前から、微妙な山口弁(正確には、長門弁か)で

「よー、ちんすいじゃあやぁ」と呼び止められた時に、正直飛び上がった記憶

がある。   親戚である父方の叔母には 何故か教育関係者か゛多くて、

それなりの厳しいしつけやお勉強に取り組む環境にあったもので 世間で言う

いわゆるライバルや敵は少なく 女性にとっては、「ずっとお友達で」と言われるタイプ。

そのお陰で長門市立 深川中学校の時には生徒会長も体験させて頂いた。

いかんいかん、活字に出来る程、女性とのあれこれの素敵な思い出がない

ために、自慢する事柄もなくつい不必要な事を書いてしまう。

母が我が家に嫁いでから 自我自讃が水津家のカラーのひとつになったよう

である。この母、いまだに僕の子供達、つまり彼女の孫に、いつでもどこでも

勿論人前ででも 久しぶりの再会の時なぞ、両手を大きく広げ

「まどかさーん」「まきさーん」と、大仰な抱擁を繰り返す。小学生の頃には、

体を硬くして応じていた愛娘らも今は、堂々と応じている。大したものである。

大学3年の長男は 未だに直立不動で対応しているが、たぶんこの湯本界隈で

最初の経験者は いわずと知れたこの私、筆者ではある。 以前は、我が家の

歴史云々で どちらかというとかたい家風だった様で、僕も「お父様、お母様、

おばあ様」モンで高校卒業まで 疑問にも思わず成長したが、結婚して一子が

育ちつつあるという事が判明した折「今までも これからも あなた達に

アレコレとお願いすることは無いと思うけれど、これだけはお願い。是非私を 

おばあちゃん って呼ばせて」と懇願したのは、彼女であった。当初は 本人も

お父様 お母様で育ったはずなのにと、少し反発を感じた僕であったが 今は

願いを素直に受け入れてよかったなぁ と、またまたの自画自賛。あはは。

 

(ベンンチャーワークスの藤井せんせ、こんなんで いいっすか?)


とにかく これが初体験。続けられるところまでよろしくお付き合いしておくれませ。   水津弘人 拝


追伸   それにしても、 どうアプローチするか躊躇していたこの数日間にすでに10人弱の方が 空の

このページを見られた現実に まったく驚いています。

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