24. おかげさまで元気です。
昨夜、スナック ロペにて
萩焼の 坂倉 新兵衛氏 田原 陶兵衛氏はじめ 地元で謡曲の会の
メンバーが集まり これからの進め方を 話し合いました。今までお世話に
なった先生が体調をくずされて ご指導頂けなくなり その対応相談です。
萩焼の先生方では他に新庄 助右衛門氏もメンバーです。 僕は 年数
だけは長いものの 月に一度のお稽古にも 殆ど出ない不良会員。
それも 我社が練習会場でありながらです。とほほ。
長男が十年程前に 練習に来た時には お謡の先生から「四代続けての
ご縁はなかなか無いものですよ。」と随分とほめて頂きながら 申し訳
ない事をしました。
祖父は真面目な小学校の先生出身。父は歌手志望で国立音大中退。
今は無い 東京 赤坂の 月世界で イヤ(ヨ?)マンテの夜 を歌った
剛のモノ。僕も中学1年の時に 父に誘われて 1度だけ参加したものの
独特の声の出し方と節回しに 一人辟易して それ以後逃げ回ったから
長男を責められなかった。
もし長門市近郊にお住まいで ご興味のおありの方 よろしければ おいで
下さいませ。 我が母校のW壁教頭先生もおいでです。この先生 とっても
お上手で 私 太刀打ちできません。というか 打とうとも思いません。
ただ 一昨年の正月に 地元商工会議所の賀詞交換会で 鶴亀 を体験
させられ、この曲だけは そこそこ可能になりました。
今日は つい ご報告のみ。
23. 3週間ぶりの記入です。
昨日のお昼の事。地元の 旅館を含め各種お店を携帯電話で紹介するという
企画に参加して 我社の紹介ページの案内係りとして協力してもらっている
現役アナウンサーのO女史が打合せにご来館。突然に「水津さん、最近
ブログに書き込まれていませんねぇ」と、さり気ないご注文。一緒にお見えの
これまた、現役プロカメラマンから(このような大物に参加して頂く予算は
無いのだけれど、Oケイちゃんの「どうせならしっかりした素敵なものを」と
いう熱意に根負けされたようで おいでになられた、らしい。) 「今の時代、
ホームページ上でも 絶えず何かやっているとか、更新するという姿勢が
いろんな方の支持を得るみたいですねぇ」の、さりげないプレッシャー。
(今日も書けずに、まっいいか) (まぁまぁ、明日書けばいい)とつい
ズルズルと過ごしてきたこの日々をチョイと反省いたしました。
これも このページを彼女が読むであろう事を十分に意識した書き出しで
ある事は ご理解いただけると思います。
やはり気立ての優しい女性には(彼女はそれプラス 現役仕事人としての
素敵な笑顔や雰囲気を併せ持っての女性にて) 弱いモンです。
さてさて お陰様ですこぶる元気です。きのうは、車の運転で 久し
ぶりに関門海峡をこえました。担当のドクターには「 スイミングもいいです
よ」と言っていただいたのですが、これはまだ実行していません。
その時にはまた報告させて下さい。
22. 前回の話から 「初期の症状」を思い出しつつ
もう12月になりました。きれいだった地元 大寧寺 の紅葉も随分葉が散って
寂しくなりました。
救急車で搬送されてから 早8ヶ月が過ぎようとしています。自分自身は
おっかなくて なるたけ避けたい話題ではあるし 特にこんなブログでは
触れたくなかったのですが 前章の 人助け の一つにでもなればと
思いつつ指を動かし続けてみます。
入院中 退院後 私の様に 脳出血から無事生還された方の話を聞く
機会が増えました。それぞれに最初の症状は別々ですが 皆さん全て
本人か周りの人かがとにかく 異変に気付いて救急車を呼んだ、・・・というのが
共通項のようです。僕は我社の仕事で 夜中にお酒が入りすぎて意識を無く
した人が救急車で病院に行かれ 点滴をうたれた後 すぐに「 いやー
どうもすみません。ご心配かけました。」と頭をかかれながら ホテルにご帰還
なさるお姿を随分見ている事もあり 自分で救急車を要請するのに かなりの
勇気を必要としましたが やはり それが良かったようです。
まず 僕の場合。
懇親会終了後、そこから宿泊先のホテルに帰る途中に (何かヘンだと)
気付きました。最初は、(今日はよく つまずくなぁ)・・・でした。何でもない石ころ
や道路の数cmの段差に オットットとなるのです。 どこの いつの懇親会でも
精一杯飲んで 精一杯騒ぐもので 「いつもの事なのに、今日はそんなに飲ん
だっけ?」と何気なく 左足を触りましたら 触られている側の感覚がないの
です。(おっかしいなぁ。はやくホテルで寝よう)くらいの意識でした。 しばらく
行きますと 今度は 大きな電柱にドカーン。(こんな電柱が 目に入らなかった
か)と驚きながら 今度は 左手に触れてみましたら、今度は これも 触られて
いる側の手の感覚がありません。 すぐに( 何か 大変なコトが起こって
いるぞ。きっと 脳の中だなぁ )と直感で思いました。父は 脳梗塞でしたが
太ってはいるものの、毎週スイミングで泳いでいる自信のままに 寝てれば直る
はずだという 気持ちも強くありました。そのくらい 痛いとかいう自覚症状が
全然ないのです。ある人は テレビのスイッチを切ろうとして歩き始めたのに
なぜか右の壁にしか進めず異常に気付いた方、また 洋服の袖に手が入らなく
なり お父上を同じ病で亡くされた奥様が すぐに気付いて救急に連絡された方
もありました。また、車で走行中にギアチェンジが出来なくなって そのまま自分
で病院に行かれた方。等など。
「寝よう。救急で運ばれて、後で頭をかきながら 帰るのは嫌だ。」「ただ この
感覚の無いのは やはり 普通じゃない。」という二つの気持ちが心の中で
せめぎあい。手遅れになる方は、こういう時に 車で寝たり 路地で横になったり
されるそうです。 その時が ちょうど ホテルのまん前。
で 思い切ってフロントにて 「申し訳ないが、救急者を呼んでください。」と頼み
ました。これも なかなか通じず(耳の遠いフロントマンだなぁ)と少し怒ったりも
したのですが 入院後 トイレで 左半分の口か゛開かずに ゆがんでいるのを
見て( あぁ、あれは フロントマンの耳のせいではなくて、僕の言葉が出て
いなかったのか)と気付いた事もありました。
思い出に ドキドキしつつ 少々 手も震えてきます。 とにもかくにも 今は元気に
後遺症ゼロ。生かされている自分に 家族に、全ての人に ものに 事に
感謝感謝のおだやかな毎日です。
この後は 又、以前の様な 話題とペースに戻りたいと考えています。
どうぞ どうぞ よろしく。
21. 6月末に退院して
7月から今日まで 夕食は我が家で楽しくとっている。
実は4月に 出張先で 脳出血で緊急入院。2日間は左半分が全然動かず
「 左半分はあきらめていただかないといけないかもしれません。 」と、
夜中の救急隊からの連絡で駆けつけてくれた妻に 説明があったそうです。
その後のアレコレはいずれ又として、経過がすこぶる順調で2週間後に
地元の岡田病院に転院。6月末に退院しました。当初の担当の脳外科の
先生には 転院の当日 妻と僕に対して「 長い脳外科生活で 水津さん
みたいな生命力の強い人を始めてみました。 世間では こういうのを
奇跡というのでしょうね。」と、励ましていただきました。地元の先生にも
「 運動機能を司る神経まで血液がいっているけれど 強い圧迫が
なかったのだと思います。リハビリに精一杯 努めてください。」とこれまた
励まして頂きました。右手は無事で 歩いたり トイレや日常生活には
何の支障もありませんでしたが 大きく開かずにねじれたままの口と
リハビリセンターで おはじき が動かせず パジャマのボタンが
とめられないのには 正直あわてました。
退院まじかの頃 ある人から「 どんな初期症状があるのか 教えてくれ
ないか。もしかすると人助けになるかもしれないじゃないか 」という話も
頂いたのですが 思い出しながら活字にするのは、つらいところもあり
今まで触れずにきましたが 近いうちに チャレンジしてみます。
ただ 言えるのは その頃 太ってはいたものの 週一で スイミングに
行き 1000から1500メーターを泳いでいたので 健康には 絶対の自信を
持っていたのは 事実です。これまた いずれ。
さてさて
昨日の事 意味は理解しつつも言葉が出てこなくて 適当にしゃべって
高校3年の次女に笑われた。我ながら名言。グッド フレーズ。
「ちょい悪 おやじ」が出てこなくって 「『プチ やくざ』だっけ?」。
すぐに意味の分かった彼女と妻に大笑いされた。
またまた 用事が出来ました。 後ほど。
以前 下書きをせずにほっておいたら 文章がすべて消えてしまって
こまったことがあり、今は、途中でも 失礼ながら 公開 させて
もらっています。お許しを。では。
20. リンダ リンダ リンダ
まずは、いままでの訂正です。高P連は、山口県公立高等学校PTA連合会の
略でした。
また我社スタッフの木曽のTVジョッキーのグランドチャンピォンは木梨 石橋
両氏の次の3代目だった事が判明致しました。それも優勝決定戦の対戦相手
が 竹中直人氏だつたこともわかり驚きました。決定後は さすがの竹中氏の
ショックは大変なもので声もかけられなかった、との事でした。詳しい事は、
ホームページの別のコーナーをご参照下さいませ。
さて昨年の夏、出張先の福岡で 夕方に時間が空いてしまい繁華街を
ブラブラしていたら 映画館に 「 リンダ リンダ リンダ 」ってのが出て
いました。以前に書いた ロペ のマスターの同級生間の愛称が リンダ で
あった事からあいつを冷やかすためにも観てみるかと、日ごろは洋画しか
観ないのに つい覗いてみることにしました。ポスターが高校生らしい子供達の
文化祭みたいだったから つまらなければ途中退席もしやすいだろうという
思いもありました。 観てみて意外や意外、時代背景がいつの頃からかも
わからぬままでしたが、(そうそう) (あんな事もあったなぁ)と感心しながら
最後までお付き合いしてしまいました。この30数年間「今頃の若い者は」を
使わずに過ごしてきた事は、 おやじのつれづれコーナー に書いております
がアレコレ心配せずとも 私達のというか この国のDNAは 知らないところで
キチンと受け継がれていくのかなぁと思った映画でした。
で 昨日の事、( この最近は、夕方に帰ってくる次女の為にストーブの番が
僕の役目で )自宅にいましたら ケーブルテレビの 日本映画のチャンネルで
ちょうど これを放映していましたので つい 観てしまいました。僕はどちらか
っていうと体育会系で 中学時代は軟式テニス、高校の時には、水泳部で
文化祭のシーズンには 傍観者を決め込むグループの一員でしたが
スクリーン上の高校生たちとあまり変わらない過ごし方をしていたように再確認
しました。
で、鑑賞後 何の脈絡も無しに思い出したのが ロペのマスターの数年前の
同窓会でのボヤキでした。中学時代に野球部のセンターで モテオトコだった
彼が「別に今、怒っているわけではなし、あの頃の思い出として」と話し出した
のが 同級生のキャプテンである 井上史郎 君から行儀が悪いと正座
させられた事でした。原因は忘れたけれど 普通、同級生に命令するか???と
大いに笑わせていました。ホームルームで女の子の更衣室を覗きに行って
遅くなり頭中がくもの巣だらけのクラスメートをかばったり、あちらこちらにて
友達作りと、今にしてみれば話題づくりのグループの棟梁みたいな存在だった。
19. PTAとのお付き合い
一ヶ月前に 大津高校のPTA担当の先生から 会報を出すための原稿提出
の要請があり いつもの遅筆でご心配をかけながら 締め切りのつい先日
何とか提出した。「おやじのつれずれコーナー」か゜長期にわたってそのまま
であったことも気になっていたので そちらに掲載いたします。よろしければ
見ておくれませ。
長女が向陽小学校に入学してくれて以来 指折りかずえてみたら 14年間
のご協力に相なる。思えば 子供3人が全て僕と同じ 向陽小 深川中 大津
高校の同窓生という大変ありがたい事で、過去にも何度か各校の会報等に
書いたが、「私達の子として生まれてくれて 心から ありがとう」 と妻共々
感謝している。
これも随分前のというか 始めの頃の章でふれた母の影響で こども達本人
の前でも 照れることなく 「ありがとう」 「ありがとう」 と連発している。この
組織こそ、子供がいないことには、会に入る事も基本的に出来ない訳で、
とにもかくにも楽しく充実した14年の活動であった。
昨年の 山口県高等学校PTA連合会(???の略ですか? 事務局の野口さーン)
いつも高P連と呼んでいる組織で、これまたいろいろの おひと や 先生方を
知ったりして 考え方の勉強になった会である。この役員会で こんな 楽しい
話を 山口高校の沖浦校長先生から聞いた。
ある高校生が 夕食時に両親と会話しているというシチュエーションとの事。
まずは、父に。
「なー、おやじ。俺にアレコレ言いたいことがあったら キチンと言葉に出して
伝えてくれ。」
今度は母に。
「なー、おふくろよ。俺にアレコレ言いたいことがあったにしても、全部が全部、
言葉に出さないでくれ。」
結構含んでいることの多さを感じられませんか?
母校である大津高校を始め 県内各地にユニークで素敵な先生方の豊富さを
実感することの多かったこの活動についても 折にふれて 書いてみたいと
思っています。 勿論 全国大会に参加して 旭川や長野での二次会での
ドタバタの大騒ぎも隠すことなく。 あははは。 では、また。
18. 我社 今年参加の強力助っ人紹介
今年の4月に 体調を崩してしまい、一時はどうなるかと悩んだ季節も
ありました。が、ありがたいことに その間にも我社に必要な素晴らしい
スタッフが集まってくれて つくづく自分の ラッキーさを再認識いたしました。
子供の頃から正直、運が強く (人によっては 要領がよすぎる とも見える
らしいのですが作為的にやった記憶はないのです )。 中学時代「 今回の
試験に限って、成績順位表を廊下に張り出してみる事にします。 」と
アナウンスがあった時だけ 飛び抜けて好成績で 初めての一桁順位に悦に
いったり、小学生時代には、頭はいいけれど自分から進んで発表するほどの
姿勢になれないかわいい女の子がいつも隣にいてくれて 彼女がかぼそい
声で回答する答えを僕が大声で先生に伝える役で、随分点数を稼がせて
頂いたり、 思い出すなあ。
彼女とは高校の同窓会で「 随分 助けていただいて 」とお礼を言ったら
その時代のイメージで「 ううん 気にしないで 」程度の返事かと思いきや
「 本当よねー、『 まったく 要領がいいんだから 』って 随分自分の性格に
悩んでいたのよ 」ですと。 ・・・・・ どーも どうもゴメンねー。
彼女も立派な人妻におなりでございました。
さて本題。
物質的には まず 高野槇の桶露天風呂 癒しの湯。これは、4章と5章の
間の特別章をご覧下さい。
人的には まず調理長。深澤 正彦君。若干27才ながら、ふぐの本場 下関で
腕を磨きこの7月1日より我社に。とにかく手造りでないといけないと、朝早く
から調理場で取り組んでいます。また、お味もすこぶるよく、特にご婦人方から
多くの 良 のアンケートを頂いています。夏でも ふぐ料理を出したいと希望
してくれていたのですが、こちらが躊躇しているうちに 時期が過ぎてしまい、
申し訳ない事をしました。来年は 早目に取り組んで 夏のふぐのおいしさを
楽しんで頂ければと思います。
もうひとり。この6月から勤めてくれている 木曽 寛君。ものすごく積極的に
お客様のお迎え 御案内 お送りに勤めてくれています。入社三日目に早くも
おばちゃまのファンが出来て、近くのお店のお菓子を記念にと差し出された
時には 正直僕も感激しました。そして 彼が思いがけないタレントとつながりを
持っていました。たけし軍団の 井出らっきょ 氏と学生時代にお笑いコンビを
組んでいて、福岡界隈の大学の学園祭を回っていたとの事でした。先日 YAB
テレビのロケでたまたま仙崎に ラッキョ 氏が来られていて これまた偶然に
携帯に電話した木曽君。プロデューサーの粋なお計らいで 我社で 涙の
(は オーバーか) 再会と相成りました。次回は見島ロケに決まっているそうで
その次 来年あたりの企画になるそうです。是非 YAB ステーション 土曜日
10時からの 青い空が好きっ! をご覧になって下さい。
ちなみにトンネルズの石橋 木梨 両氏が 初代 2代のチャンピォンになった
土井まさるの テレビ ジョッキーの4か5(今日、彼が休みで 後日 確認します)
代のチャンピォンとのこと。白いギターも大切にしているとのことでした。当時
まだ大学生で福岡近辺におられた方 コンビ名は 「よかとんコンビ」だったとか。
ご記憶のある方おられますか?
17. 久しぶりに先輩とあれこれの話
本日お昼に、ある会合で いままでご登場頂いた数多くの先輩にお会い
しました。イニシャルでごまかしつつ表示していますが このご近所では
殆どバレバレの状態にて (あっ<*****さんだ)と気付きますと、
すぐに「僕のこの 一応のブログ」を見られているかどうかのサグリを
入れてみました。が、幸運にもと言うべきか あるいは、残念にも
と言うべきか お一人だけの明らかな反応を頂くのみに終わってしまい
ました。 ザンネーン。
それと、前章の 不倫を愛する宿屋のおやじ の事ですが、ある時の
懇親会で具体的な話を聞きましたら「館内は、人の顔がよく見えない様に
あくまでも暗く、ヒヤッとしたら すぐ隠れられる様に くぼみや銅像
なんかの障害物をなるべく多く」との事。旅館関係で多く関わる法律の中で
防犯上 あるいは 消防上 指導の担当者が聞かれたらビックリされる様な
内容でございました。ただ このご主人の抜かりのないとおぼえし処は、
「でもね、世の中はよくしたモンで ハッピーエンドは数少ないって知ってる
から 僕はやんないよ。」・・・・この言葉を素直に信じるべきか、
このー、クセモノめって思うべきかは 皆様にお任せします。
さて、思い出話の方ですが、こんなシーンを思い出しました。
これは M本氏の結婚披露宴でのお話。内容については いずれ又
機会があるとおもいますが 今浮かんだ場面は、宴も終盤に入り 新郎の
胴上げの時間の事でした。 せーの で、順調にあげ始めた時に誰かが
「よし、脱がそうで」・・・・・。で 皆は、ヨーイショと新郎が落ちてきた時に
今度はベルト、次はズボン、その次 シャツ と ものすごく 手際よく
脱がして差し上げたのでした。 本人を上に持ち上げる者にとっては、
笑いで力が入らなくなり さりとて 落としたりして事故になればオオゴトと
かなりあわてた記憶がありますが メンバー間のコミュニケーションも
素晴らしく交代しながらパンツ一枚にまでしたところでした。遠くから見て
いる分には 新郎の姿が見えるたびに 裸になっていくわけですから
オオウケだったらしく、お腹をかかえて笑い転げておられたらしいの
ですが、ステージに近い場所で ご親族に近かったために しばらくは
笑顔ののち にわかに表情が険しくなり、ついに 新郎のおば様
(後で判明)が 「いくらお友達でも限度があるでしょう」との物言いから、
退散した思い出のお話。 しっつれい いたしました。
お昼にお会いした 高山の名刺のご本人、I藤(現 社長)氏。僕の
「実はこんなものに書きましたよ」との問いかけに 「あっ そう。あの頃は
おもしろかったなぁ」とほぼ他人事。許可を頂いたと勝手に理解してまた
これからも続けます。 どうぞ よろしく。
16. お父さん? おじさん? オヂさん?
この話は、20年くらい前の話である。夏休みの暑いある日 ご家族がチェック
インされていた。ごく普通のご家族。「ご主人様、こちらにご住所、お名前を
ご記入くださいませ」とこれもいつものやりとり、ルーティンワーク。
ご主人と思しき人が宿帳に記入され始めた。入社したてのフロントの女の子へ
の教育係りとしてそばにいた。書き始められてから、しばらく後、4才くらいの
お子さんがフロントカウンターで記入中のお父上を見上げて 大きな声
で「ねぇねぇ『おじちゃん』 何を書きよるン」。 『お父さん』ならつい普通の
チェックインシーン。勿論 中には本当のご親戚一同での旅もあるから全部が
そうでないにしろれどこの時は後ろにおられた奥さん(だと思える方)の動揺から
どうも違うらしいと明確にわかった。その場にいあわせた数人のお客様の顔の
「 こわばり 」もはっきり見える。フロントの子と顔を見合わせてしまった。
何とか 場を和らげる セリフを使わねば と思いつつ
静岡 熱川温泉でも こんな事はなかったしなぁ。と、 目が点状態。
「元気なお子様ですね」までは言えたものの 後が続かない。とにかく 早く
部屋に御案内しようってんで いつもは ロビーでお抹茶をお出しするのに
この時ばかりは 台帳の記入が終わり次第、どーぞ どーぞとエレベーター
に御案内。抹茶はお部屋にお届けした。 そしてスタッフと対応検討
ミーティング。しばらくすったもんだの結果 決まったのは
「聞こえなかった事にする」であった。
夏休みはいろいろな方がお見えになります。東京に近いせいもあった
のでしょうが、熱川でもいろんな事がありました。
ご夫婦がそれぞれに ご主人らしいオトコの方と 奥様らしいオンナの
方とロビーでバッタリ なんて。あの時は たまたま僕ともう一人の
慣れない若いフロントマンとだけしかその場にいなくて
( 何せ チェックイン時から目立ったご夫婦だったから ) ただウロタエル
ばかり。なぜか 二人とも急用を思い出したのでそちらを優先して逃げた。
僕が23才の夏であった。 結果としてフロントをしばらく空にしてしまい、
後で部長から随分怒られた。
以前 東海地方の有名温泉の某有名ホテルの支配人と飲む機会があり
「部屋数が少ないこともあり、僕の仕事は 朝 お客様同士を合わせない
事なんですよ。ロビーでコーヒーを飲まれている方とお知り合いの方を
裏口から出て頂いたり、時には 事務室で朝食をお出ししたり、いろいろ
と、あははは。」
最近では、「うちは、 ニッポンの不倫を愛する宿 です。」と堂々と
セールスされる 東北地方の宿屋のオヤジもいらっしゃいます。
ありがたいことに あれから20年。一度もフロントで 寝たふり をすることも
なく無事に過ごさせて頂いている。やっぱり 3才から4才の子供さんに
「お父さんと呼びなさい」って言ったって 無理ですよね。
でも ご安心ください。我社では 「オヂさん」って お呼ばれになられても
誰も聞いてはいませんから。
15. 最近頂いた友人からのお話
妻には あまり知られたくないと思いつつ( とうの昔にバレていた事は披露
しましたが。たははは )、 また 同級生を含めた友人連中がこのページに
気付くのは まだまだ先の事と のんびり構えて 思うまま好き勝手に記入
していましたら 意外や意外、みーんな 黙ってみていて下さっている
のですね。 びっくりしています。
昨日も 県内の東方面にお住まいの人の奥様から一報を頂きました。
彼女は友人の友達なのですが 「楽しくみてますよ。子供とは比較的に関係
良好だと信じていますが、あの子が わたしの知らない処で水津さんと同じ
ような体験をしているのかと思うと 笑ってしまいました」とのご感想。
いやはや、冷や汗三斗です。
最初におことわりをしていたつもりなのですが 当分の間は人のことばかり
取り上げるつもりでした。ただ最近、始めの頃の分を読まれずに 途中から
お付き合いがスタートした方は つい長文になってしまうクセの悪影響もあり、
???? のままで終わってはもったいないなと 妙な色気も出てまいりまして
日 々 耳にするニュースや出来事なんぞを題材にして 書き入れていくべきか
と案じています。 いずれにしても 気長にお付き合いをお願いいたします。