宿屋のおやじ日記 -111ページ目

34. チョイと反省

何の気なしに 遡って読み返してみて「 これについては後ほど 」だの

「 詳しくはいずれまた 」なんて終わり方が多いですね。 しかも

その続きを書いていない。僕らしいと言えばその通りですが、いつも

あまり読み返しもせず いつも書き込みっぱなしですので 一度整理して

みて また 書き足します。とりあえず 前章の後輩の事。実は、数年後に

離婚してしまったのです。そのために 分かる人だけ通じればとイニシャル

も避けました。別れたといううわさを聞いて ( あれから随分経っているし

僕が直接の原因じゃないよなぁ )と思いつつ やっぱり落ち着かず 何かの

会合で会った後輩に聞いてみたら「 いえいえ 心配されなくてもいいですよ。

ただ 都会生まれの子で 『気分転換の場所が少ない』とは言っていました 」

との返答だった。

確かに関東近郊の都市で生まれ成長してから越されてくると 前章のように 

全員皆顔見知り状態で それを窮屈に感じ始めると 息が詰まるみたいに

感じることは無いとは言えないですからね。 4年間 東京で暮らした者

として となりや階下にに住んでいる人を知らないという 大きな開放感は

あるものなぁ。 実際。



またまた 用事ができました。 これまた 後ほど。 

33. まだお話していない 笑い話

初笑いになるような物語が無いものかとアレコレ思い出そうとしました。

なにやかやとあるはずなのですが 文章になりにくそうで つい 思いつく

まま。

 病院の先生から 泳ぐ事もいいですよ、と言われつつ まだ行っていない

地元のスイミングクラブで。 これまた大昔。30代前半の頃。ここは 

なかなか珍しい男女合同のサウナ室があります。いつでも どこでも 

だれかれと無く話しかける性分にて この時も 相手の女性に話しかけた。

とても垢抜けたきれいな方で、このあたりの女性ではない事はすぐに

分かった。

「どちらから来られたんです?」「結婚してこちらに」「そうですか。いい

ところでしょ」・・・・・・・アレコレあれこれ・・・・・


そのときから数年前に 当時の龍角散の社長だったと思うが ある経営者の

会でこんな話を聴いた。「これからは女性の時代。皆さんが新幹線なり、

飛行機なりに乗っていて 隣に女性が座ったら とにかく 話しかけなさい。

話題がなくなって 挨拶だけで気まずい雰囲気のまま話が途切れたら 

すぐに社長をやめなさい。これからの時代の役にはたたない。10分続いて

まあまあ。生き残る社長なら 話題を変え 雰囲気を変え お互いに話し合い

ながら30分でも一時間でも楽しい時間が過ごせるはずだ」と講演された。

僕は比較的にいろんな話にのめり込みやすい、つまり、ナイズされやすい

タイプである。

この時も帰りの飛行機で 偶然に隣が女性で( さぁ実践 )とばかりに話し

かけたが 正に「こんにちは」のみ。宇部空港に着くまで 正直 針のムシロ

だった事がある。その反省から 以前にもまして いろんな事にチャレンジ

し始めて かなり要領をつかんだ頃であった。 前出の 「スキューバ

ダイビング」や「バンジージャンプ」や「スカイダイビング」はその延長線上

にあるものなのです。


この時も ほぼ 有頂天状態。5分を超えてそろそろサウナ室から出ないと、

と思いつつ、鼻高々の時。 この女性がふと一言。「 あのう、ちょっとお伺い

していいですか 」「 はいはい、なんざんしょ 」 「 あのー チンスイさん

でしょ 」「 へっ、わたしをご存知で? 」「 えぇ、披露宴に来て頂いて」

   どっひゃー しぇー 今 思い出しても どっひゃー。


何の事はない。今までいろんな章で取り上げている 長門商工会議所

青年部の後輩の奥さんであった。分からないですよねぇ。お会いしたのは 

ほんの2から3時間。それもご本人は 白無垢のオべべから華麗な

ウエディングドレスに。その上その時は両方が 一泳ぎした後で 

スッピン状態。 

 あー びっくりした。

更衣室に引き上げて すぐに ダンナ様に ご一報。「 あーで コーデ 」

「 いやいや すまん スマン 」と弁解にこれつとめました。


湯本に帰ってじきの頃。消防団での月例会で ベロベロのまま 長門に飲みに

出て( どうせ 知った人はいないから )と仲のよい団員と「 酒はいらん。

ビッグマックを所望じゃ 」「 やっぱし ケンタッキー フリャード チッキンじ゜ゃ

 」とソファーに大の字に横たわり 悪態をついていたら ホステスさんが

「 あのう、枕水さんですよね。アチラの方からです。」とビールが3本届いた

ときもしびれたが この時は それ以上の衝撃であった。


これには またまた オチがある。いずれ又。

32. 19.1-7  新年会と美空ひばりさん、 諸井 虔氏

元日のお昼に ある会の新年会が開催され出席しました。

余興の時間になり 詩吟の後 日本舞踊の披露で 久しぶりに

聴く美空ひばりさんの 「 愛燦燦と 」 の歌に合わせて踊られて

いました。

僕はずっと以前から なぜか理由が分からないままに この歌手が

好きになれなくて はっきり言って 嫌いでした。正直 何故かは 

不明です。亡くなられる前に いろいろなマスコミが 今日はこんな容体

で・・・などと案内のニュースが流れるのが不思議で 不愉快に感じて

いましたし 亡くなられても あぁ そうですか 位の思いしかなかった

のですが しばらくたっていつの頃かは忘れましたが ラジオか何か

から流れてきた彼女の 「 川の流れのように 」 を淡々と聴いていながら

随分前に死んだ父を思い出し 涙が出てきた事があるのです。  

それから カセットテープを購入する程の熱心さまではいかないまでも

時折耳にする彼女の歌が妙に気になるようになりました。

 驚きました。いい歌をいっぱいお持ちだったんですね。

僕はあまり食わず嫌いは無くて スキューバダイブからスカイダイビングや

バンジージャンプでも何でも 体験したり キチンと確かめて

から はっきりと理由があって 嫌いになる事が多いのですが この時は

ひばりさんに 申し訳ないことをしちゃったなぁと 反省しました。

ついでに言うと 隣におられた方に この話を簡単にしましたら その方も

僕と同じように最初は嫌いだったが「 随分前に 4ヶ月ほど日本を離れる

機会があって あと数日で帰国という時に それまで聴かなかったラジオで

彼女の歌と出会い泣いたことがある。」という事を話されました。 

年をとったからとかだけでは無く 何となく 共通の郷愁を確認させたり刺激

をうけるものがあるのでしょうか。 

最近の訃報でとりわけて残念に思う方に 諸井 虔 氏があります。

氏独特の 「オトコは・・・・」とか「その時に・・・・」等という 導入が大好きで 

論理というか筋書きもはっきり すっきりしていて 時折 雑誌や経済紙等で

読む内容に すごいなぁ すごいなぁ  とただ無条件に納得というか 受け入れ

ていたから とてもショックでした。いろんなページをこっそり破いて持ち帰ったり

した方も多いと確信しています。 一部上場企業のトップは、僕たちの想像を

超えたすさまじいものがあるのでしょうね。失礼を承知で言えば 社長という

お立場より いろいろなものを抱えたこの国を 素晴らしい 日本国にして頂く

為のお働きをお願いしたかった。  御冥福をお祈りいたします なんて 

言葉はなんとなく無責任に感じて言えません。  ただただ 残念です。  


19.1-5. あけまして おめでとうございます

早くも五日が経ってしまいました。大晦日 恒例のお参りは 妻がお休みで

子供三人と地元 大寧寺と 産土の神様の 飯山八幡様に行きました。

二時半就寝 五時 起床。朝のお祈りの後、今度は 六時から湯本温泉を

作っていただいた住吉の大神様をおまつりした 住吉神社で 旅館組合の

初顔合わせ。一昨年の元旦大雪のお参りの話が出ました。今年は 大変に

穏やかでゆっくりと一年の湯本温泉の大繁栄をお祈りしました。市の方から

も 観光課長 係長においでいただきました。有難い事です。

 直会では 時節柄とおことわりがあり 歩いて帰るこの僕の盃5分の1程の

お神酒もなくなり なんとなく中途半端な終わり方みたいで残念でした。

確かに飲酒運転は絶対悪で許してはいけないし 無事故でも殺人未遂と

同罪だ思うくらいの僕ですが これほどまでにヒステリーにならなくても、

と残念に感じています。いつの頃から なんとなく疑心暗鬼で嫉妬深くて 

お行儀の悪さから 世界のホテルのラウンジから「日本人おことわり」を

はっきり伝えられる民族になってしまったのかと 正直 残念に思っています。

 

さてさて、このホームページでも紹介していますが 三月一日に大寧寺様で

当社の「かまぼこ板の絵馬」の御祈念祭を致します。 ご見学によろしければ

どうぞおいで下さいませ。数年来の企画で 3から4千枚が 護摩焚き供養

されます。


翌日の夜は高校の同窓会。会社の社長から 病院の院長、東証一部上場の

取締役夫人から バツイチ そして花の独身まで にぎやか 賑やか。

会費はしっかり頂いて 大切なお飲み物で高額なワインは 某院長に「すまん

が、協力してくれーや」とこっそり電話連絡。一本のつもりが五本も持って

来てくれて かんしゃ 感謝の ありがとう。これから 都合が悪くて来れない

時も ワインは僕が取りに行くから 協力たのむぜ 宮尾医院 医院長。

ちなみに この医院長 高校三年の折の コン事件がらみのクラスで手を

精一杯あげたメンバーの一人である。(詳しくは、4か7あたりをご覧あれ)

二次会に ロペ で 「 ファースト キス 」をたのんだら 「 材料が無い 」と

はっきり断られた。そうか そういうことわり方があったのか。今後 断られ

たって方があれば なにか お詫びの品を考えておきますので連絡下さいな。


とにもかくにも 一年がスタートしました。

                

どうぞよろしく おつきあい おくれやっしゃ。

 


30. ある北海道出身のルーム係りさん

それは、僕がまだ26才か27才の頃の正月。

すごく元気がいいおねえさんだった。元気が良すぎて言葉の荒さが

気にはなっていた。お酒の入る席なら 感想は 優なのにファミリー

で静かに過ごされたい方の評価は 良もあり 時に不可あり。

一方で力は強くって 「お客様に荷物は持たせない」がポリシー。

ある日、トランク二つを両手に ボストンバック二つを首にかけ 

エレベーターに乗ってきたときには 少々面食らった。

でその前年の暮れ。言葉使いの練習を2時間、僕が担当した。

で、お正月当日。チェックイン時、「どうも お疲れ様でした。係りの

豊子です」とすこぶる快調な滑り出し。「よしよし」とほくそ笑んでいた

ところにご休憩で随分お酒の入った つまり へろへろに酔われた

おじいさんが ふらふらと近づかれて「よーよー、姉さん、便所はどこかな」

とのお伺い。 この言葉で 付け焼刃のメッキがはげて 野生に帰った

らしい。彼女の回答  「なんだ?」「おぅ ションベンか。そったら 

あっちだ」と、とても 「 おいでませ 」の地方とは思えない奥ゆかしい

お返事。これには ロビー全体が 笑いの渦。

この時には、(この姉さんとは気長につきあおう。宴会用の応対話法を考え

よう。僕のためにもなるはずだ)と、大声出せずもその時( だけは )思った。

                  今も 元気にしてるのかなぁ。 

29.  早くも年の瀬

いろいろ アレコレと思いつくまま書かせていただいて そしてそれを

読んで頂く方がいらっしゃって 想像していた以上に 私にとって楽しい

取り組みになりました。 思えば今から20数年前 縦横の累計計算が

出来ますからと数百万円のリースを組んで リコーのマイツールを

導入して( 今ならホンの数千円かなぁ )キーボードに親しみ始めた。

結構 時代の先端を行っていたと思う。その後 平成7年に地元の

湯本ハイランドホテルふじの藤井専務( 何章かで書いたが僕のすぐ

下の青年部員。そういえば彼の思い出というか笑い話をまだ書いて

いない )からシャープのザウルスを紹介していもらい 使い勝手の

良さから今8代目の機種を使用中( 当初80%あったシェアがここ

数年、髄分と落っこちて 新機種が登場せず ざんねん。 )。そんな

事から、平成8から9年頃からアレコレと耳にしていたインターネットに

対して妙なプライドが先に立ち 取り組みが遅くなっていた。それを

挽回したいと言うあせる気持ちも解消されて返す返すも嬉しい

イベントではあった。ベンチャーワークスの藤井社長、ありがとう

ございました。

 さて今年もいろんな出来事がありました。

春先の体調崩しから入退院、リハビリを経て 加齢なる いや 華麗

なる復帰。前年秋からの二階露天風呂の改修取り組みから完成した

「 高野槇の桶露天風呂 」の大当たり。酒付き コンパニオン付き

大笑い懇親会の再デビュー。 何よりいろんな方と出会えた この

ブログとの出会い。

 「 目の前に起こること すべて よし 」


 「 人生に 無駄な事は ひとつもなし 」は、本当ですね。感謝、感謝

の毎日です。ただ 我が愛すべき( ? )性格から ブログ記入に 随分と

ムラがありまして 来年は つめるよう努力したいと思います。

 はてさて 例年 お正月になると思い出す あるルームさんのお話。

北海道出身でとても元気なおねえさん、


またまた 御用が出来まして。     次のページにて。

  

  

28. 「整理」をしてみて

スナック ロペ についてアレコレ書いていた様に思っていたが意外と少ない

のに驚いた。 このお店のカクテルに 焼酎関連のカクテルでカクテル嗜好

の女性客の70%以上が注文する品に 「 タケスペ 」ってのがある。地元の 

大きな総合病院の委員長 いや院長先生が考案の 知る人ぞ知る 女性の

注文割合が最大のカクテルである。酒豪も そうでない人も あるいは、

アペリティフでもアフターディナーにでもいいような なかなかの味である。

是非 御試飲頂きたい。  

・焼酎で思い出すのが 熱川温泉の研修時代の先輩の話。2歳年上の人で

随分とかわいがって頂いた。鹿児島出身の人で 日常はきちんと会話が出来

るのに 友達等からの電話が入ると ご存知の方も多いと思うが 正に第二

外国語。ぜんぜんわからん。わかりそうな糸口もつかめない。その中で唯一

聞こえるのが 「じゃっど、じゃっど」 「そやっど」だけ。その賑やかな先輩が

一度だけ淋しそうにこんな話をされた事がある。「以前勤務していた東京の

会社で ある縁から 大切なお客様の接待役をおおせつかった。  何の迷い

も無くいつものお店にご案内して、焼酎をたのんだら いきなり『君は僕を馬鹿

にしているのか』と立腹して店を出ていかれた。訳が分からず 翌朝 上司に

相談したけれど上司にも分からない。そのうちだれか若い社員が『焼酎が原因

では』と、恐るおそる言い出した。その上司とお詫びに言ったらね、はたして、

大正解。すごく 残念でつらかった」との事だった。今の焼酎ブームからは想像

できない昔話ではある。そのホテルでは 毎夜太鼓のショーをやっていて 

その大住先輩と僕と もう一人 落合さんと言われるフロント課長が交代で 

そのショーの司会をしていたが ある夜に 少し宴会場で酒を頂いて 舌が

すべる( いつもの事と言われればそれまでだが )状態で「 次の前打ちは 

鹿児島出身の『じやっど』でございます」と紹介したときには 会場全体が 

シーンの失敗談。 

・・もうひとつ カクテルの思い出。随分前、本当に随分前、マスターに「 なー、

マスター独自のカクテルは無いのかょ 」って聞いたことがある。その時には 

あいつもこれほど長い時間僕にもてあそばれるとは思っていなかったらしく、

勿論僕も今日まで 折にふれ時にふれ 笑いがほしい時に 題材にしてしま

うほどになるとは感じもしなかった お品に 「 ファースト キス 」ってのが

ある。飲み相手が女性の方だけの時に、ちょくちょくたのんだりしていたのだが、

彼自身も 若い頃の作品ではあるし、あまり気に入ったものではなかったようで

しだいに提出を拒否する場面が多くなり、レシピも教えてくれなくなってしまった。 

でも僕は正直好きだった。グラスのふちに砂糖がまぶしてある素敵な色の

代物だった。ただいつも「 おかわり 」っていうのは なぜか僕だけで、

「 うまいでしょ  ? おかわりは? 」って聞いても 「 おいしい。うーん、そうね、

じゃあ次はジントニック 」なんて返事ばかりだったこともご案内して カクテル

そのものの評価は皆さんにお任せします。僕のブログで見たって 言っていた

だければ 先着20杯の「 ファースト キス 」は私払いといきましょうか。当然 

女性だけですぞ。も一つ警告。気をつけてたのんで下さいな。もしマスターの

機嫌が悪くなったりしたらそれは 間違いなく あなたのオーダーの仕方が

悪いせいですから。

27. いったん ブログの整理

商工会議所青年部での思い出・・・・17・14・12・11・10・9・・・・・・                                       ロペのマスターがらみ・・・・・・・・・・・・6・1・・・・・・・・・・・・・・・・・・                                      生い立ち・・・・・・・・・・・・23・20・19・18・16・15め13・5・緊急・・・・・                                       高校時代・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・26・8・7・4・・・・・・・・・・・・・・・                                       この一年の体調・・・・・・・・・・・・・・・・・24・22・21・・・・・・・・・・・・・・・                                        湯本温泉旅館協同組合・・・・・・・・・・25・3・2・・・・・・・・・・・・・・・・・                                             およろしければ お付き合い下さいませ。

26. 坂根 ! 元気か?

いや- 久しぶり。いつも 自分のメールを書くばかりで コメントなんか見た

事もないのに 今朝はなぜか気がついて まず どうやって そのページを

開くのか 悩んでしまった。 いやいやそうか お父さんがね、おめでとう

ございます。 ただなぁ 中学 高校が一緒のお前だから あえて 個別

の返事ではなしに コチラで返信しているけれど 「沈」水 はないやろ。

うちは 「 まくら 」の「 枕 」やぞ。 たのむで。ついでに 随分前のページ

に高校の思い出なんかも書いているから 時間を「みつけて」みてくれーや。


 意外と同級生が見てくれている( らしい )のだが 何かの拍子に

「 みちょるぞ 」とか「 見てるわよ 」と言ってもらうことがほとんどで、

彼みたいに コメントをくれるのは 珍しいのですが 正直 嬉しいもの

ですね。 頭がよくって 静かなオトコながら 意外と影で イタズラを

していたのは 同窓会で耳にしたけれど 生徒会長の大井( 彼は今ね 

県庁の教育委員会にいる )と同じで 勉強している形跡を見せないタイプ

だった。


事のついでに 和田君だけど 先週ね チョイと体調をくずして 今 地元に

いません。 なんとなく 同級生の近況報告コーナーみたいだけれど 何を

書いてもいいわけだから つい続けます。 それを教えてくれたのが 沢村の

有利。こいつは元気かと聞いてみたら この夏 大腸の手術をしたって。

皆 傷だらけだなぁ って 不謹慎にも 電話口でわらってしまった。

一昨年 尾崎がいろいろアプローチしてくれて 多くの女性が集まった

「25期会」で つい「 特に女性にお願い。孫と 病気の話はしないでくれ 

」って挨拶したのも懐かしい。今年は正月二日の18時30分からやるから、

時間を「 みつけて 」来ておくれ。  なんだったら いつもうまいワインを

出してくれる宮尾(医院 医院長)に 健康について レクチャーさせるか。

 で 今回でも いつかでも 「25期会」のホームページを使って 実況放送

ができたらと思うのだけれど だれか 詳しい奴はおらんかのぅ。


追伸

 改めて 坂根の文を読み返して・・・・・よく覚えてたなぁ 僕の「天地真理」

好き。忘れもしない ファンクラブ 会員番号 3098

それと 隣に立っている女性は お前は知らんはずじゃ。27歳のときに

見合いで決めた。防府の出身。三児の母じゃ。 


25. 昨日、旅館組合の忘年会がありました

お座敷に座って、お酒あり、コンパニオンさんありの懇親会に9ヶ月ぶり参加

しました。イヤー嬉しかった。 ただただ嬉しかったですねぇ。自宅に帰って

初めて一階の スナック ロペに入った7月末。 あのお店独特の匂いというか

雰囲気というかに いきなり ふらーっ。( これはこれは 慣れるまでに随分

時間がかかりそうだぞ )って思うと同時に すごくあわてて 寂しくなったから 

その2ヵ月後にカウンターの椅子に座れて マスターと3分程度 話せた時は

これまた至福の一時でした。

 で昨日の事、コンパニオンさん相手に冗談が言えて 大声で笑っても

ふらふらしない自分に かなり自信が持てました。

 思えば 元気な頃に コンパさんの注文で いつも使っていたのは「 

ユニホームは不要。私服でジーパンは不可。可能なら ミニスカート。そして

時間は最低4時間 」なんて平気で申し込んでいたのも 今では 懐かしい。

始めのうちは 責任者というか マネージャーみたいな方が 僕たちの

宴会場の脇で中の様子を伺っておられたけれども こちらは どの人も皆

身元のしっかりしたメンバーだけの会ばかりだったから コンパさんの会社も

じきに慣れてこられて 時に ミニの注文を忘れたりすると 先様から「 今日は

ミニでなくて いいんすか?」と 問われる始末。 当然の事「 あぁ ゴメン。勿論

それで 」と応対はしていたが。


 随分以前に島根の温泉津温泉で地元消防団で泊まって騒いだときも 私服、

ミニの注文は忘れなかった。そして時間は確か 5時間。 この時には 

僕としては 普通に騒いだつもりだったのだが 二ヵ月後に長門市の某

スナックでお会いしたある写真館のご主人に 「よう 枕水さん。あんた この

最近温泉津に行っちゃった?」 「はぁ消防団で」 「 それかー、わしらもこの前

に行ったんじゃけどね」と続いた話に絶句。そこのコンパさんの一人が「皆さん

長門の人? ちょっと聞きますが、近くに チンスイ という旅館がありますぅ? 」

「あるけれど何かあったの?」って聞き返したら「まったくぅ。一週間前に来られて

めちゃくちゃ大暴れして帰られた」って言ってたとの事。

たまたま 数日後に 同じ宿に泊まられたらしいが 僕の普通の騒ぎが普通の

方の大暴れになるのかと、少し、ほんの少し、反省した次第。


ただ反省するだけで 行動が改まらないのは いつものことですが。

                                 ジャンジャン。