14. 下呂温泉から飛騨高山まで
翌朝 ゆっくり朝風呂に入り 酔いを醒ます。
今回の研修には 向い酒がお好きな先輩はおられず 朝食後 ゆったりと
時間を過ごす。国鉄 (こういう名詞を使用しながら いつか著名人が「昭和
は遠くなりにけり」等とため息をつかれたりなんぞ されるのでしょうか・・・
・)車内で出合った 世にもめずらしい営業マンのお話。が主題です。
駅を出てからしばらくウトウトと居眠り。フト目が覚めると Y蒲鉾のI藤専務
(当時)が同じ列車のお客様に名刺を配っていらっしゃる。
4人掛けのシートではない全席が向かい合わせの車両だったから グルリ
と首をまわせば 一目瞭然。「こういう者です。ここでお会いしたのも何かの
御縁。どうぞよろしく」と一言、ひとことはっきり挨拶されているではないか。
(すごい。さすがだ。早速見習おう)とポケットを探したが なんと自分の名刺
がない。詳しくいうと数枚しかない。今なら余るほど持ち歩くのに当時は
この程度の認識しかなくて、これでは一緒に回っても すぐにネタが切れて
しまう。どうやら昨夜の団体さんに配りすぎてしまったようだ。残念ながら
仕方ない、と判断。しばし様子を見ながら 席に帰られるのを待った。他の
皆はグッスリ白河夜船だから セールスのコツか何かを聞き出したいと思って
いた。
じっくり観ていたら どうも様子が ヘン。御本人ではなくて 名刺の様子が変
なのである。 時々 青が出る 黄もある。又 縦もあり 横もあり。(これは
ますます すごい。瞬時に相手を判断し 配る名刺を変えて 出されている
のか? セールスの達人なんて本も読んだが こんな 身近に存在されていた
のだ。これは、心持ちを聞いただけでも この研修に参加した意義がある)と、
嬉しくなって 席のご帰還を待った。 で 勇んで聞いてみたら
「いや別にコツなんかないよ。昨日 広島のパーティでもらったものを配って
いただけだよ。」と 涼しい顔。今度はこちらがビックリ。 「エッ、もし相手が
アポイント(このくらいの単語は当時でも知っていた。は、念のため)に連絡
されたら どうするんですか。」と 思わず詰問調になる。「まぁ いいから。
いいから。大人数が 双方入り乱れての 名刺交換会だつたから、大丈夫
だと思うよ。」って どこがどう大丈夫なのか、分かりませんでしたが 一人で
喚起 興奮した自分を 少し恥ずかしく感じたボンボンでした。
13. パートナーとのやりとり
これを始めてもう早二ヶ月。わがパートナーも 時々は読んでくれて
いる様で たまに感想を頂くようになりました。前章の「12.」については
「あなた(実際は、『おとうさん』とよばれるのがほとんどではありますが)
の頭の中では整理されているのでしょうが、読む側としては、長いし
意味のわかんないところが目立った様で・・・・」とあまり評判がよくあり
ませんでした。大変に失礼をいたしました。
これをキッカケに内容、書き方を考えながら またスタートさせて
頂きます。
えっ えらく従順だなって? そりゃ そうですよ。
いろんな人生の勉強から 女性とケンカして(今回の例としては 少し
オーバーではありますが) 勝利したオトコ は全世界に一人も
存在しないことを知っていますから。 ただですね、見合いの後で
「二人だけの時には、何をボロクソに言っても 場合によっては、少し
くらいひっぱたかれたってかまわないけれど、子供の前だけは 僕を
たてる顔をしてほしい。フリ だけでいいから。」 「これだけは お願い」
と 頼んだ僕は エライ と今でも思って いや 確信しています。
では また
12. ここまできたら ついでに 名古屋でのデザイン博と下呂温泉の巻
もう何年前の事になるのだろう。まだ僕が30数才の頃 名古屋でデザイン
博覧会が開催された。ご記憶の方もおありかと思う。 御多分にもれず
我が商青会も研修視察とあいなり 15名程が出席した。
朝早い出発で始発便か次くらいに 小郡(:現 新山口駅)を出発。
今はもうない 食堂車、がオープンした案内を聞くなり全員が移動開始。
「ご注文は?」の (これも 今は懐かしい)ウェイトレスさんの御案内に
メニューを指差して、「あのね、ここから ここまで」と注文されたのは
はい、皆さんご一緒に そうM本氏でした。そうなんです。僕もそう
でしたが 朝から少し度を越した ヨッパライ状態だったのでした。
トイレに行った帰りに 偶然出会った改札中の専務車掌さんに「お嫌
でしょうが、一緒に やりましょうで」と、階段途中までズルズルと
引き上げたのは僕でした。指定席に座ったのは最初の30分くらいだけ。
名古屋駅に到着して、全員が食堂車両の前に
そろった時に まっすぐ立っているのは だれもいなかった。
皆 夏の運動クラブの合宿で 前かがみになった部員が「よーし」 とも
「いくぞー」ともつかぬ大声をあげている姿であった。
タクシーで会場到着。あちらこちらを見学。
今これを打ちながら思うのは この研修会も それなりの事業報告や
予算消化がなされて あるいは 記念誌などに キチンと記載されて
いるのであろうが、いちいち確認して問題視するような ヤボ はいない
と信じつつ打ち続けさせて頂く。
さて 名古屋から下呂温泉に移動して、宿屋着。フロントで早くもM本氏
と食堂経営のH川氏が 博覧会場の中国館で購入した チャイナ帽を
かぶって 「わたし 中国から来たある。」 「ニッポン 素晴らしい」を連発。
当時 湯本のO山荘さんで台湾からのショウが クラブにて好評を博して
いた時期で 僕たちも 委員会や総会の後に 安い会費で観せてもらって
いたから 独特のイントネーションや言い回しは そっくりであった。何とか
お風呂に入り 食事の (ご想像の通り ワッショイ ワッショイ) の後の
二次会が 今日の本題である。 この頃には 酔った時の M本頼み で
乗せ方もうまかった。東京方面から来られていた一個団体と 妙に息が
あい 刺激し合って盛り上がり そのうちM氏にテーブルを勧めて 「乗れ、
乗って騒げ」と言ったのは 全員であった。おもむろに テーブルに
上がったM氏「わたし達は 山口から来ました」「わたしは、O** Mいち
です」と のたまいになった。この O** Mいち 氏はすでに
このブログに登場頂いている あの O氏 であり その頃から著名人で
あったから 相手にバレたら大変 と会員一同 息を呑んだ。
ラッキーにも気付かれた方がおられなかったので M氏にもますます
拍車がかかった。 相手団体から
「Mいち」「Oさーん 素敵」と歓声があがり クラブの中で全員が 舞い
上がっていた。 この様子を どこでどう聞かれたのか こころよく思って
いなかったらしいのが当日のルーム係りさん。
長くなって申し訳ない。説明すると、当日 O氏は欠席。また、前出の
M輪君と建設会社の専務(現 社長・この会の3代目会長)N原氏が仕事の
都合で 名古屋を遅く出て21時頃二次会から合流の予定であった。
そのことは このルーム係りさんに伝えてあったから この騒ぎを鎮める
には 後着の二人に頼るしかないと判断したらしい。二人がフロントに着く
なり 物陰からすっ飛んできて「あなた達おふたりが、山口の方? 申し訳
ないけれど とにかくクラブに行ってもらえませんか。」とすごい剣幕で
まくしたてられたらしい。二人が顔を見合わせて「なにか しでかしました
か?」と聞くと「そうなのよ。もう大変。O**Mいち さんが大暴れしているの。」
それを聞いて「えっ、その人 欠席のはずですよ」と答えながらも (ひょっと
して 都合がついて 来られたのかなぁ)と思いつつクラブにルームさんと
3人で 駆け込んだら そこに、テーブル上で歌をガナる男と あの頃まだ
珍しかったウェーブをし続ける 酔っ払いの2集団がいた次第。
鋭く見回したM輪君が「ルームさん、Oさんは おられませんよ」って
言ったら「何言ってるの。あの人が Oさんでしょ」ってM氏を指差して
こっぴどく叱られた。と合流した後 さかんにぼやいていた。
ジャンジャン 。
ついでに翌朝のオチ。は、次にいたします。こんなに長くなるとは思いま
せんでした。 読了、有難う御座いました。
11. 10章を読んで妻の口から出た 本当の話
「アレコレと物言いをつけた上に あなたをビックリさせちゃいけないと思って
言わないでいたけれど 本当はね」と昨日夜遅く 我がパートナーが
ボソリ。「なに? なに?」と聞きまして 僕の記憶違いも多々あり さりとて
さほど驚きもせず「ガハハハ」とふたりで笑えたので (皆さんとともに笑え
るかも)と打ち始めました。 こうだったそうです。
義父や義母に起きてほしい なんて思った事もなかったし 玄関の声で
M本さんだとはすぐにわかった。ちょうど娘が目覚めて 私が横になった
ままお乳をあげてる時に (そういえば 器用な事をするなぁ、と上手に
オッパイを飲む子供とあわせて見ていた事を思い出す・・・主人 談)
トントンとMさんが上がってこられた。それまでに何回も二階の部屋には
来られていたしドンチャカドンチャカと僕とも飲んでいたから 何の不思議
も感じなかった。
横になったまま「Mさん、何しに来ちゃったン?」と聞いたら「水津君が
『後で帰るから 先に我が家で飲んでいてくれ』って言われたから来た。」
との事。この応対話法が M本氏の面目躍如。さすが 流石。
これからの後は だいたい合っているらしい。
思い出せば20年も前の真冬のさなか ヘロヘロの二人で こっそり
ホテルのお風呂に入りに行って(今は夜中には入れなくしたが)
浴室に裸で飛び込んだところ、なんとなんと湯がない。(どうやって15トン
もの水圧のかかる排水弁を引っ張られたのか未だに不明なのだが)
やっぱり湯がない。あわてて 機械室に行き 源泉配湯バルブを開ける。
あわてて浴室に戻ると M氏が 枯山水に同化していた。 我が家の
岩風呂は 四国の大歩危の片麻石(今はもう手に入らないらしい)を
使った自慢の大岩風呂なのだが その岩間にほそぼそと生きる
枯れた松のごとく「さっぶいのー。寒いのをー」を繰り返されつつ 鎮座
ましましていた。「M本さん。出よう。早く。風邪ひく」「湯が出てきたぞ」
「早く はやく。。とっても間に合わんから、はよう はよう。」
脱衣室で服をまた着て心の底から笑い転げて 酔いがさめた。
こんな事もありました。
追伸 今はなきTDAの機内で、東京でいずにぃらんど で、
下呂温泉での顛末アレコレ、 どうぞ お楽しみに。
10. M本氏の真夜中の御訪問と ボンボ゜ンの妻
これからは 妻の証言です。ちなみに僕とは見合い結婚で、子供は正に
ハネムーンベイビー。実家の近くの医院で順調に出産して(とはいえ男が
出産の体験をしたら95%が狂い死にするらしいから 大変な事業では
あるらしい事は知っています。)、経過がいいので我が家に帰ってまもなく
の頃であった。
「こちらに帰って まだ 時間もたたず 娘も寝たし、両親は下でグッスリ
の様子。さぁ 寝ようとウトウトしていたら道路でドアが閉まるバタンという
音。アレッ、今日は早いご帰還だな。と思っていたら どうも 独り言の
声が違うようだ。ホテルの近くに家があるから 酔っ払ったお客様が話しを
されながらホテルに帰られるのは よくあることだからなんとも
思わなかったが 今日は声が我が家に向かっているみたい。どうしよう。
酔っ払いだったらこまるなぁ。義父が起きないかなぁ。などなど二階で思案
していたら 玄関の開く音。ウソー。義母さん 起きてー。おまけに
「ただいまぁ」の声。我が家は 人がいてもいなくても 挨拶するのが習慣
だから「ただいま」は聞くけれど あの声は絶対 ヒロトさん(つまり僕)
ではない。階段に腰かけて 青くなっていたら 今度は台所に通じるドアが
開いて閉まった。こうなりゃ 覚悟を決めよう。ドタバタしてたら 両親も
起きてくるだろう。と階段を下りていった。途中で冷蔵庫を開ける音がして
「なんだここには、ビールもないのか」という声で ああ あの人だと、
思い出した。一年前の婚礼で 大暴れをして頂いて(盛り上げて頂いた)
そうそうM本さんだ。
気づいてからは気楽なもので いらっしゃいませって 私も台所に入った
。」「そしたら、」 前の章で話したが 僕は外ではドンドン飲むものの
我が家では、晩酌もしたことがないから 冷蔵庫にアルコールは
入っていない。ただこの時には いつのビールか引き出しの奥に残って
いたものが なぜかあったらしく、その缶ビールを開けようとされていた
らしい。ただし 随分と時間のたった代物で 出てきたものはドロドロした
えもいえぬ白い液体だった。「なっ なんなんだ。これは。お前は俺を
殺す気か」 (いったい何時だと思っていらっしゃるのだろう)と
思いながら 私もおもしろかったから 二人で アハハ と笑っていた
ところに あなたからの電話が入ったの。 との事であった。 この夜中の
訪問はその後の(正確には僕たちが卒業するまでの) この商青会の
伝統になってしまい この僕も随分とアチラコチラのご家庭の奥様方に
ご迷惑おかけしました。すごいところでは、2時の家庭訪問もあった
らしい。ありがたいことにこの時には僕は参加していない。
これも また おいおい おしらせいたします。
では また。
(注・これを読んだ妻から モノイイ がつきました。白い液体ではなくて
茶色のヘドロみたいな物 だったそうです。それと階段で 青くなったり
もしてないけれど筋書きとしては おもしろいから 良し としましょう
のOKすみにてこのまま流します)
追伸 このM本氏とO様のやりとりも 抱腹絶倒もので O様の
ご出張中に訪問したM本氏と奥様のやりとり、いずれ
お話いたします。
追 追伸 1か月後にO様の奥様から「ご主人、おやさしいんですね。」
「えっ何かありましたっけ。」「『M本さんが来られている』って
伝えられたらすぐ 帰ってこられたんでしょう? うちの主人
は同じように 『今 来られているんですけれど』って電話で
連絡したのに 『おぉ そうか。わかった。』ってそのままだった
んですよ。」という会話があったらしい。これには僕も大笑い
の後日談。
9. 商青会(長門商工会議所 青年部)とボンボン
僕が所属するいろいろな団体で 一番の長い付き合いは、この会である。
湯本に帰り じきの事 商工会議所 名 でDMが来た。「青年部を
作りたいから 協力を」という内容であった。二兎を追うもの一兎をも
得ず。されど五兎を追えば二兎くらい手に入る。が、僕の人生観である
(「宿屋のおやじ つれづれコーナー」をご参照下さいまっせ。)から恐る
おそるながら参加してみた。20名程のメンバーであったが 残念な事に
殆どの方を知らなかった。ただ 前出のO山荘のO様を除いて。
暫定会長に洋品店社長のF村氏を選出。この方が第一声。
「よろしくお願いいたします。ついては、お願いがあります。今晩を
皮切りに、この会におけるどんな事業でも たとえ少人数の委員会
でも、終了後には 必ず一杯やって下さい。」とおっしゃられたのである。
今は 体調の都合で飲めなくなってしまったが、「根」は家系的にも
飲める方ではないようで 夏に大汗をかいた後でも ビール か
サイダー か と聞かれるとサイダーを選ぶ男であったのだが
この会に育てて頂いたお陰で かなり「イケル」口になった。
それに各種の思い出も すさまじい事(と、いうか。あれは事件だな)
が満載である。
同じく前出の「Jのつく全国組織」の出向で全国マハラジャ詣での折に
「父も会員ですが」という北陸での女性を「お嫌でしょうが、まあまあ」
とVIPルームにお連れした事や飲みゲームでコンパニオンの履物にビールを
入れて 黒田節風に飲んだら持ち主の女の子が泣き出してしまい、別の子の
シューズで 罰金を出席会員から集めた事など かすんでしまいそうな
楽しいたのしい商青会時代ではあった。
これも ちびりちびり ご披露してまいります。ただし コンパニオンさん
相手で騒ぐ時も心の戒めは「 訴えられたら 負け 」でして、そこら辺は
十分に理解しておりますので寸止め表現で進めていきます。
この商青会での話題という意味で 別冊までつきそうなのが M本氏。
とりあえずデビュー話は、「我が家訪問の記」
あれは そう。僕の長女が誕生して 妻と愛娘が実家近くの医院から帰って
きてまもなくのことであった。
その日は例によってこの会で24時頃にスナックで ドンチャンドンチャン
真っ最中。
そこに 現在は地元の市議で教育問題に熱心な M輪君
(当時、事務局長)が「水津さん、ちょっと」「なに?」「さっきMさんが
水津さんチに電話されていて、もしかすると行かれているかもしれません」
「それはないじゃろ。いくらなんでも」「でも一応確認された方が」「そうかぁ?」
ととりあえず 電話してみた。数回の呼び出し音の後、「はいっ」と勢いのある
声で出たのは まごうことなき M氏であった。用も言わず受話器を置いて
「ママ、タクシー呼んで。急いで」 不信そうな他のメンバーに概略を説明したら
怒涛の大爆笑。勿論 その頃には M先輩のひととなりも皆が知っていたし
安心はしていたけれど やはり 僕にとって初めての子供がいるから 疲れた
家内を寝かせてやらないとという強い思いで車を急がせた。車内で
笑いながらこの話しをしたら 乗務員の方が本気になって「まかして下さい。
急ぎますから」これには、こちらも ワッハッハ。到着後 しばらく一緒に飲んで
お帰りいだいたが、次の章「10」で 妻の側からの報告をいたします。
追伸 この話は まだ 序の口です。どうぞ お楽しみに。
8. 「コン」ちゃん購入までと、3年6組での披露宴 とボンボン
なんとか下関に着いて 駅前に出る。もう場所は記憶にない。毎年1月4か
5日に訪れる「トラさん」の映画館とは 離れた方が目立たない気がして
なるたけ暗い方に静かな方に移動開始。ひたすら、誰にも合わない事を
祈りつつ。もし誰かにあったら「親戚の家に行く」という練習を何度もしたが
相手の目を見て はっきり答えられないことは、当の本人が一番よく
知っていた。コンビ二なんてものはずっと後のこと。アレの自動販売機
なんか見た事もない。「コン***」と自分の部屋で声に出すことすら半日を
要した17歳の高校生の冒険である。ウロウロと多分数十分。「あった」
と声を出したかどうかは不明である。(とにかくはやく買って3年6組に
届けなきゃ)しか頭になかった。当時のこととて 自動ドアでもなく ガタピシ
いうドアというか引き戸を精一杯右に............。気持ちは正に「たのもーう」状態。
もし、中年のご主人がそのカウンターにおられたら、何の問題もなく、
あっという間にケリがついて、こんなメールじゃない ブログに書く事も
なかったはずである。ところがドッコイ 人生異なもの粋なもの。
そこに鎮座ではなく すらりとお立ちになっていたのは、多分年の頃なら
自分より数才上、つまり20才代前半の正直キレイな女性であった。
当時の僕は、と言うか 殆どの高校生がそうであったろうと思うのだが
女の子と面と向かって話した事もなく、(えっ、こんな人が「コン」ちゃん
売ってるの?)と驚天動地。別に薬局では「コン」だけを扱っているだけ
ではないから なんの不思議もないのだけれど 応対話法にも存在せず、
そのときゃほんとに驚いた。ただ内心 慌てふためきつつも 落ち着け
落ち着け と自分に呼びかけながら ふいに口をついて出たのは「あっ、
いや間違えました。スミマセン」であった。看板にデカイ字で薬局って
書いてあるのに、なにが「間違えた」だ。精一杯に開けたドアをあわてて
おまけに 真っ赤な顔して閉めてから飛んで出た。
(北の国から風のBGMがあるといいなぁ。「ただ
僕はとにかく逃げたかったわけで、お姉さんには
何の関係もないわけで・・・・・・・」)
それがあわれ、迷走の始まり。
いまから33年前に下関駅近くで薬屋さんの店番をされていて、
田舎の高校生(確かサファリルックだった)が勢いよく飛び込んで来つつも
「ごめんなさい」と再び飛び出した(飛んで逃げた)のをご記憶のお方様、
それは 湯本温泉の宿屋の息子、僕 です。
それから門司港駅を皮切りに小倉3軒と黒崎まて゛都合5軒の薬屋さんを
はしごした。詳しい事は省きたくなりました。ご容赦下さい。
関門海峡をくぐりながら「大丈夫だ。僕は強い。自信を持て」等と
精一杯の暗示をかけながら いざとなれば、「あっ、あのー」の繰り返し。
ドギマギしている最中に女性が入店されて、飛び出たり、
今の僕からは想像もつかないが 大汗をかいての行脚であった。
あの頃の門司港駅なんてのは、きたない話ながら 駅自体がオシッコ
臭くって、最近の門司レトロで500万人の観光のお客様が来られるほど
に変貌するとは思いもしなかった。
でやっと黒崎。ほとんど精神的には、ヘトヘトのボロボロ。ここで無理
だったら 潔く皆に謝ろう、と覚悟を決め その頃には慣れたもので
ドアもスーっと開けられて 誰もいないカウンター越しに「すみませーん」と
大きな声を出す。すると、奥から低いダミ声で「はい」。よし これで
買える。と心から喜んだ。ところがここでもオチがある。ようやく言えた
「コン***下さい」「はい。 で、大きいの?小さいの?」・・・・・ウーンこれには
いや これにも ギョーテン。 サイズがあるのかぁ そりゃそうだよなって
立ち上がりも早かった。「えっ、あのう 多分普通です」
「やっと買えた。やっと」
なぜか数日休みか゛あって ジリジリしながら登校日を待った。
「黒崎まで行った」等とアレコレ言えずに黙って箱を差し出す。
「これか?」「やったか?」
一番喜んだのが 質問した張本人 U田君だった。
「やった。やった。でかした。お前も男じゃ。」「はよう開けろ」とこれまた大騒ぎ。
このUが 新婚おんな先生の授業で、精一杯ふくらませたこのコンを飛ばした
時には、ありがたい事にクラスの皆が 「それだきゃ(それだけは)やめろ。」
と味方してくれた。
僕の大切な たいせつな 青春の思い出。1ページ。
追伸 1箱中にアレだけの数が入っているとも知らず 張り切って5箱くらい
買ってしまい、これまたその後の騒動に一役買ってしまった。
7. 高校3年 夏の思い出
今日は、大津高校3年の夏休み クラスの代表として「コン」のつく男性
用品を購入する為に(今から思えば馬鹿みたいだけれど、)結果として
ついに北九州市の黒崎まで行くハメになったお話。4.話の続きである。
代表として、と、威勢がいいが ただジャンケンで負けただけの話では
ある。 皆で共通の秘密を分かち合った後で 「何か思い出をつくろう
や」のワイワイから U田君(数年前まで知らなかったが、日本のシー
カヤックの世界では有名人らしい)が「おまえら、あれ見た事あるんか」
「あるわきゃ なかろう」。 あれ が、聴いた各人で違っていた事は、
後で判明したが、それはさておき。彼が聞いたのが「コン」であった。
これには、聞いた本人も、面白いことに体験者もみたことがなく 誰か
が買いに行くべきだの結論と相成り、40名の大きな輪を再びつくった。
考えても頂きたい。40の手が出て すぐにケリのつくゲームじゃない。
2-3回やって4グループくらいに分けようと ボンヤリ考えながら
フラッと手を出したら、39本がグー 僕がチョキ。「お前ら 仕組んだ
ろう」と無駄な抵抗を試みたが 「知るかいや」でジャンジャン。
考えたらそんな作戦の時間は無かったし あきらめざるをえなかった。
まるで 巨人の星 のごとく本題になるのが先になるが テレもあると
ご理解下さい。ついでに愛するクラスメートより 前出のU田くんを
紹介すると、棚田で有名な油谷町(当時。今は長門市)がシーカヤック
を町のスポーツとして取り入れることになり、彼に指導者としての
要請を電話でお願いをしたのが やはり同じ同級生のW田君。
「あのう、U田様ですか。これこれこうで......」と話し始めて数分後、
「お前、W田か?」「なんじゃ、お前こそ、U田か?」と電話口で笑ったぜ。
と、その年、同窓会の笑い話。なにせ 在学中2年時に 大津高校
のラグビー部を初めて花園につれて行き 2回戦で目黒高校相手に
10点を上げ相手監督を激昂させたスポーツマンの張本人である。
閑話休題。
国鉄で出かける勇気を養成するのに1日 お店での応対話法の練習に
2日 計3日をかけ 長門湯本駅から出発した。目指すは大都会 下関。
中学2年の頃からお正月に 映画、とらさん を観るのが習慣になって
おりブラブラするのが好きな男ではあったが この日は 妙に神妙に
チケットを買った記憶が蘇る。(誰かに見られたら、退学に
ならないか?)が一番大きな悩みであった。
ここで申し訳ない。 御用が出来ちゃいまして、「8.」
では、本題からスタートします。
6. 再度ロペのマスターとボンボン
再度とは言わずこれから 多分何度も登場してもらう事になると思う
けれど 2.で触れたマスターに登場していただこう。彼は、小学校
時分に北九州から転校してきてから うまがあう というやつで
もう40年の付き合いになる。
今4月から11月までの第一日曜日に 湯本温泉の中央を流れる
おとずれ川河畔にある「河川公園」で開催される じゃらんじゃらん
という夜市でのアコースティックライブの仕掛け人でもある。
愛する同級生であり素晴らしいギター演奏者でもある。
いるか、かぜ、じろーず、はては、たいがーす から かーなびーつ迄
朝4時まででもお付き合いをしてくれるいい男である。私が大家で
アルせいかもしれないが、それはさておき。同級生からは、
「リンダ」の愛称で呼ばれている。といえば、僕たちの世代ならば
苗字は 当然 Y本君、そう 山本君である。小さい頃にバイオリンを
少し習っていただけで音楽の才能もなく カラオケも苦手な僕に
「よーチューニングを聴いてくれ。やればやる程、音が逃げていく。」
等とのたまわる変なオヂでもある。病院での笑い話は すでにすんだ
が ついでに思い出すのにこんな話があった。
彼は、腰のヤマイであり しばらく絶対安静で 動くことや勿論笑う
ことが傷にひびくと言う つらい状況であったがために発生した
笑い話でもある。
入院体験者ならば、すぐご理解いただけるはずなのだが、何かの用で
看護師さんを呼ぶ場合、ベッド脇にあるスイッチだけ押した後 天井に
ある スピーカーとマイク兼用の機械に向かってしゃべれば 事足りる
のである。同室のあるおじいちゃんががこの事をなかなか理解
できなくて、いつもスイッチを両手の奥に挟み込み、そう、カラオケの
マイクみたいにそれに向かって「 号室の****ですが
点滴終わりました」等と話される為に マイクには 妙な聴きづらい
くぐもった声しか届かず、看護師さんから何回も「****さん、天井に
向かって話して」といわれても それが分からず、その度に 笑いが
こらえられず「死ぬ思いだった」とは、彼の談であった。
また、前と後ろがすぐオープンになるような手術用のパンツをつけた
別のおじいちゃんが隣のベッドのお知り合いに「では、手術に行って
来ます」と深深と頭を下げられたところに 横向きに寝ていた彼が
目を覚まし 「この時も俺は死んだ」とぼやいていた。
いろんなことがありますね。入院されている方には 大変申し訳ない
のですが おもいつくまま。
僕が静岡の熱川温泉から 研修を終えて帰省後 数ヶ月がたって、
ルーム係の茂子ねえさんに(当時50歳くらいかなぁ)「シゲちゃん、
お客様には きちんとした言葉を使いなさい」とかなり強い口調で
叱ったら「まっ、専務さん(当時)。あのですね、専務さんは、私の
オッパイで大きくなつたんですよ。」と軽く反論され、あわてて
母に聞いたら「そんな事もあったねぇ。あの頃は、私のお乳が
出なかったから。確か もらい乳 っていってたねぇ。」と間違いの無い
事を確認するハメになったのは、今も強烈な思い出のひとつである。
5. 嬉しい友達からの電話と ボンボン
昨日、友人から電話が入りました。「この企画のスタートはよかったと思った
けれど、もう息切れか」という有難い催促の便りでした。 実は、それも
当たり なのだけれど 本当は 高野槇 を一番上のページでアピール
したかったのが本音でしてつい入力しないままにて失礼いたしました。
さりとて、何か打たねばなりませんがいま少し本日の行事というか、
作業が残っておりまして 近いうちに入力することをお約束して 後ほど。
ついでに話しますと、高校時代の同級生で、今、広島に住むN岡君という
彼が神戸のうまい 肉まん を持って「ブログ」と「つれづれ」の僕の顔の
写真が違いすぎるからと心配してたずねてきてくれました。
ありがたいものです。ではでは、今しばらく、待っとくれやっしゃ。