宿屋のおやじ日記 -110ページ目

43. 大津 あきら氏と小田急線車内で 

何をどうお話したか 心もとない記憶をたどりながら列記します。

「 水津君は 大学はこっちだったんだって。いろいろ彼女がいたんじゃ

ないの? 」  「 はぁー」の後 2章前の 上京時に父から女性の事で

チョイと忠告をもらっている事を説明し 「 大津さん 僕には ( いい女性

だなぁ ) とフト流されそうになったときに唱える呪文があるんですよ 」

「 ん ン? 呪文? 」 「 えぇ それはですね 」といつ聞いたのか記憶に

ないのだがその一説を こう説明した。 「 『 快感 一瞬、後悔 一生 』 

これを三回唱えて それでも流されたきゃ行けばいい 」とこう決めていたんです。

早稲田出身の作詞家にもこれは ウケた。 ひとしきり笑われた後で、いやいや

それは おもしろい。だれの言葉? と質問されたが これは 残念ながら 

不明である。何かの雑誌で読んだような気はするのだが。

思えば いろいろ 短いフレーズが思い浮かぶ。

おやじの つれづれコーナー の 「 二兎を追うもの 一兎をも得ず さりとて

 五兎 追えば 二兎くらい 手に入る 」

「 井の中のかわず 大海を知らず ただ 空の高さを知る 」

「 何をやっても捕まるな。まして未遂で捕まるな 」( これは ただ 

会話で笑いを取るための一文で 深い意味はないから 念のため )

「 」「」などなど。( 後で 思い出して埋めます。 )


でしばらく会話が続いて 水泳の話になった。氏はかなりのレベルの水泳選手

であった事は三輪君から聞いていた。高校二年のときに 軟式テニスを

辞めて 水泳部に入ってはいたが ほぼ 愛好会か同好会程度の練習しかして

いなかった僕にすごい質問があった。「 水津君は、泳ぎながら汗が出る感覚は

体験ある? 」??・・・・・これには ビックリ。 それは 無理でしょう と答えたが

「 いや それがあるんだよ。 『 今出た 』っていう一瞬が 」・・・・・・

これは 未だに謎である。決して だましたり ウソをつかれたりする方では

なかったし マラソン中に セカンドウインドーは体験して知っているから それに

近いものだろうなぁとは 感じているのですが、体験のある方は教えてください。


この大津高校の水泳部 今はもうなくなってしまった。 僕たちが卒業して 二年

後に 入部者ゼロで自然消滅してしまった。 生徒数が少なくて強制的に廃部に

なったのならともかく 後輩たちに申し訳ないことをした。社会人になって しばらく

後に 長門市のショッピングモール ウエーブで Pマンという 喫茶というか

レストランのマスター 澄田君が一級下の水泳部で 彼からそれを聞いた時は

やっぱりショックだった。「 お前らの責任だ 」なんて ついしゃべってしまうが

一年生を一人も入部させられなかった 僕たち三年生の責任も大きいなぁ、と

反省はしている。 ちなみに このお店、贔屓め( ひいきめ )ではなく 出てくる

料理 飲み物 全部 美味い。 是非ぜひ ご賞味あれ。


話が 飛ぶとぶ。失礼。

  



   

42. 大津 あきら氏と三輪 徹 君 

 . 41.が二つ続いていますが ( もしかして また物言いがついて 削除の

憂き目にあうかもしれない )との予防もあってこのままにしておきます。


今回は 地元出身の 有名作詞家 大津 あきら氏と 当時の長門商工

会議所 青年部( 商青会 ) 事務局長で現在 長門市市議会議員で

活躍中の三輪 徹君との思い出です。


僕が旅館組合青年部の部長になって数年。 それまでの決まった行事の

取り組みだけでなく 対 長門市の皆様に働きかけるイベントをしてみたい

と思っていた頃の事。 

以前から オフコースの鈴木 康博氏が大好きで 何かの機会があれば

お呼びして 皆に聴いてもらいたいと考えていた彼との思惑が一致して 

取り組んだことがある。 何回も書いているが 僕はあまり歌手とか俳優の

名前をしらない。 声優にしても ( あっ この人 あの・・・・ひょっこり

ひょうたん島の・・・・ダンディの役の人だ )程度の会話しかできなかったから、

だいたいご理解頂けると思う。

その彼が さっそく 


スミマセン。また 用が出来ました。今日中には 仕上げます。ご容赦を。

以前にも書きましたが ぼんやりしてると 画面が消えることがあり 途中

でもとりあえずオープンにして 後で書き足すことにしています。では。 


今22時です。


その彼が さっそく 大津氏に連絡してくれて OKを頂いた。で もし時間が

取れたら これこれこの日にコンサートをしているから 東京ではあるけれど

観に来ませんかとの伝言を頂いた。鈴木氏の熱狂的なファンである三輪君

が断るわけもなく 6月に飛行機に飛び乗った。 実はこの時の CAさん、

・・・当時はまだ スッチーなんて呼んでいた。地域によっては デスさんとも

呼んでいたが・・・・僕たちの会話に興味を持たれたらしく 「何のお話ですか

? 」と声をかけられた。 なぜかめずらしく空席の目立つ便であった事と、

別に難しい会話ではなかったが、会場の平面図を広げて席の数を数えたり

PAだの何だかんだと 赤や黄色のペンをあちらこちらと塗りつぶしたりを

最後尾席でやっていたから 業界人と勘違いされたものか、時間つぶしに

話しかけてもらったらしい。

こうなると数章前の龍角散の社長のお陰で鍛えた会話術を駆使して 

話題が途切れないように勤める、努める。結果 ふぐをネタに一年後に

御家族でご来館頂いたから 僕の会話術も大したものである。


さて羽田到着後 久しぶりの小田急線に乗り 大津氏の事務所の

ある代々木上原に。 事務所を見せて頂いた。このときに 徳永英明の

「 輝きながら 」のモデルが このブログに随分と登場いただいている 

Y蒲鉾のI藤専務であることがわかり 正直 びっくりした記憶が蘇る。また、

このとき大病をされて開腹手術をされたばかりでいらっしゃることを知った。

「 徹君には見せてあげよう 」と上半身裸になられ お腹から背中にかけて

痛々しい手術痕も見せていただいた。すでにお亡くなりになられた今 心底

温かくて あれこれ無理をお願いする後輩にも キチンと気を配っていただき

心から感謝申し上げます。 実はそれにさかのぼる数年前 商青会の10周年

記念式典の折にも たまたま僕が会長で「 ミュージックフェスタ イン 長門

」という企画で審査委員長をお願いしたときも「 僕でお役に立てれば 」と 

ファイトマネー無しで駆けつけていただいたこともあるのです。

しばらくして さあ行こうか、と小田急線の駅に急がれる。僕の勝手な思い

込みでお迎えの車か タクシーかと思っていたから、相模大野までだったら

数万円かかるなあと思っていたから それを告げると「 水津君、それは無駄

だよ。電車の方が早いし 第一確実だし 」となんのテライもなくご回答。


なかなか話が進みませぬ。


終了後に大津氏、鈴木氏と近くの居酒屋で軽い打ち上げをした事や 行き

帰りの車内の会話。又 この企画のお礼に上京した折、「 今 ( 中村 )雅俊

がレコーディング中なんだけれど 聴きに来ないか 」と連絡、それも 二度も

頂いたのになぜか 断ってしまった大きなおおきな失敗談など また 追加

記入致します。

41. 2日間の公開後 女性の評価が不調で削除したもの

特に我が家の女性陣から「???」と物言いがつき それなりに訂正して

再公開してみます。妻は「 あなた個人のブログだから全否定はしない

けれど・・・ 」と最大限の譲歩を頂きましたが それなりの書き換えを

して 公開してみます。


今までほとんどど自分のペースで 思ったまま書くだけでしたが ふらりと

ブログ原稿の横を見てみましたら みんなのテーマ「 ズバリ結婚の条件 」

が提出されており ふと 我が思い出の記です。


いわゆる適齢期といわれる時期にいろいろのお見合い写真を頂いた。 

なぜか 子供の頃から 結婚はお見合いと決めていた というか、洗脳

されていたというべきか。そんな自分であったから なんの疑問も無く 

有難いものだと 日々「眺め」ていた。申し訳ない。ただ正直な

気持ちです。お許しを。 数日経ってから 父に「 見合いで決めるつもり

ではあるけれど 考えたら 今までの時間より長い時間をいっしょに

過ごさないといけない人を、写真で決められるものかね? 見合いの

先輩として おふくろをどうやって決めたんかね。」と聞いてみた。


中学2年の頃に学校から帰ったら 帳場( 今で言うフロントの事で旅館の

子供は大抵 この奥の部屋で寝起きしていた はずである。) で 母が 

手招きをする。「 会合から帰ったら父様が真っ赤な顔をして立っちょっ

ちゃったんよ。血圧でも上がったのかと驚いて 『 どうされました 』って

聞いたら『 今頃の子供っちゃああんなものか。テレビを観ていたら 

風呂から裸のままで弘人が飛び込んできて『 やったー父様 毛がはえた。

』と飛び跳ねて 出て行った。と呆然としていた。たのむから父様にヘンな

会話をせんでくれる? 」と忠告を頂いたことがある。 

確かにあの時は 複数の友からすでに生えそろっただの 出始めたぞ 

なんて報告を聞いていたから 毎日の入浴タイムが待ち遠しくて このあたり

に生えるのだろうなぁと想像できる箇所を触ってみるのが日課だった。目の

悪い僕の指先にチクチクの感覚があったときには 確かに我が家の大浴場で

飛び上がって万歳したのは覚えている。

だが その後の事は あまり記憶に残っていなかったのだが なんとなく

恥ずかしくて数日後に女中さん( 当時の呼び方 今はルーム係りさんとか

 客室係りさんという )や洗い場のおばちゃんに聞いてみたら 皆 お互いの

顔を見合わせて「 あっはっは 」と笑うだけだったから どうやら事実らしい。


ふと そんな15年も前のことを思い出しながら父の答えを待ったが 返事が

ない。

「 お前が いい女性を見つけて そのお陰で幸せになってやろう なんて考えて

たら 同じように( いい男を捜して 楽しよう )なんて考えている女性と周波数

が合うから気をつけろよ 」と18歳の上京の時に言っていたなぁ なんて事も

思い出した。

純情な父には酷な質問であったかと、 「 いや ごめん。気にせんで 」と

その場を離れた。で後の事 今度は母に 同じ質問をしてみた。

「 そうやね、キチンと観ていたら なんとなくドキッとする女性がいる

はず 」と言う。 そんなものかね と思いつつ 眺めてみたら 今度は

これで 正直、全部の写真にドキドキするのである。 こりゃ やっぱり

相談じゃ、とまた 母を捜す。叔父が開業医で妹だった彼女は看護婦の

免許を持っている。今でも時々 お客様の連絡で「 子供が泣き止まない 」

と言われる状態を診て 「 これは クーラーのあたりすぎですね。しばらく 

窓を開けられて 様子を観られたら 」なんてお答えすることがある。

 そこまで断定していいのかよ、と思いつつ 様子をみているとかわいい

お子さんが まもなくスヤスヤと休まれたりするのを 何度か目撃している。

彼女の返事、「 そりぁ 雑念が入っちょる 」   

多少の反論はしたものの 確かにいえるかも・・・との思いも多分にあり 

「 そしたら どうしたら いいんかね 」 「 そりぁ 」としばし考えて

「 『 ご先祖様 どうぞ私にふさわしい方を紹介下さいませ 』くらいはお祈り

してみてみなさい。」との御案内。で 実際のところ 今の妻の写真を開いた

ときに 「 うーむ、この女性と見合いをして 僕が嫌われなかったら 

この子だな 」と感じたのは本当の事だから不思議なものである。



41. 40の追加

今朝方 ポケットの奥から わざわざ購入した 文春のページが出て

きましたので 少々消化不良ながら とりあえず 完結だけ目指します。


計算の結果 1から50の場合は 魅力的でない( 女性の皆様、お怒り

                     めさるな。そう書いてありまして・・・・ )

        51から100までは 大したことのない女性が魅力的に なり

        100以上は 普段は魅力的に見えない女性がスーパーモデル

                のように見え始める。とのことです。

         
  40章での計算式では 同じ女性でも 3メートル離れてしまえば その

  女性が スーパーモデルになってしまう。 信じるも疑うもご自由にの世界。

    ただ この研究は コンタクトレンズ大手のボシュロム社から

  きちんと委託された研究であって お遊びの研究ではない。と

  まとめてあるが 僕にはこれが オチに思えてしまう。いかがですか? 


40. 飲むほどに酔うほどに女性が美しく・・・・・・

お店に入ったときには さほどとも思わなかった女性が 次第に美しく見え

始めるのは 何故なんだろう???と不思議に感じている方もおられるの

では。

・・・僕は全ての女性が美しくみえるという ありがたい性格ではあるが 

それでも時に体調によって なんでかなー そんな事があるんですよ。

女性の皆様、どうぞ目くじら立てられずに しょうもない男のたわごとと 

シラーっと 聞き流し いえ 読み流し下さいませ。・・・・・・・・・


昨日 コンビ二で 何気なしに 週刊 文春を見てましたら 世界には

いろんな研究をしておられる教授がおられるんですね。

英国 マンチェスター大学のネイサン エフロン教授によれば

「摂取したアルコール量の二乗と、煙の充満度、対象女性との距離に比例

し、照明量の平方根と観察者の視力の二乗に反比例する。」とのこと。

   なにやら よくわかりませんよね。


具体的に言いますと

「通常の視力の男性が ビールを 2.5リットル(中ジョッキ5杯)飲んで やや

空気の汚れた かなり うす暗い 部屋で 1.5メートル はなれた女性を見た

時の数値が 55」だそうで、 これを ビール ビーグル 効果と言うそうです。

   まだ よう分かりません。  

まだ続くのですが 出かける用ができ 失礼します。後で 付け足します。


どうも失礼致しました。


出かけている間に 週刊 文春のページをどこかにしまい忘れてしまい、また

書き足さなければならないようです。

 おまけにこの記事を使って なにを言いたかったのかまで不案内になり 

また思い出し次第書き込みます。


最近の新聞で こういうのを歴史の真実って言うのだろうなぁと 感じた記事。

数週間前 日経の最終ページ 読売新聞の 渡辺オーナー( 正確な肩書き

は? 忘れました )の話。田中角栄氏が 本当にロッキード社からお金を

もらったのかが知りたくて 三木元首相にたのんで こっそり聞いてもらった。

数日後に返事があって 「 当時は毎日毎日 通帳の上を100億からのお金が

出入りしていた。5億8億の金がどこから入って どこに出て行ったかなんて

覚えていられないよ 」だったそうである。 これはこれで追求の材料になる

のかも知れないが 「 これだけの金額が動いていて 記憶にないはずがない

ではありませんか。 」と声を荒らげ追求した各種各層の方々は これをどう

とらえられるのだろう・・・・と 人事みたいに笑った後で しばしぼんやり して

しまった僕でありました。 


39. 思い出し笑い

今度はM本氏の御自宅を 逆に訪問して。

この時は 僕も絡んでいます。我が家を含め M氏の夜中の家庭訪問の

洗礼を受けた者ばかりが数名 前出のY蒲鉾の I藤社長(当時 専務)

レストラン Hかわ のH川社長 他の数名。そして 僕。

 この時は 何か カタキを取らねば なんていう妙な緊張感があったなぁ。

時間と言えば、比較的に早い 22時頃だった。当時 新婚さんだった 奥様が

「いらっしゃいませ。何もございませんが 」と ピーナツやおつまみを

出された。普通の御家庭ならば ごく普通の 平均的な対応だと思うのだが

このブログを読んで頂いている方には 何かが起こりそうだと思われずはず。

 第一声。I籐氏「 いやー、本当にお構いもされませんで。僕もいろいろと 

ご家庭を回っていますが こんな乾き物だけのおうちは初めてですね。 」

思えばこれも酔っているから言える言葉で シラフだったら僕もイマシメの

一言も言うはずなのだが この時はホンワカホンワカ いい気分で「 あはは

は、ホントっスね 」と無責任な対応。  「 えっ 」とだけ お答えがあって

すぐに奥に下がられた。後は ふすまに一番近かった僕だけに聞こえた 

奥様と義母さんとのヒソヒソ話。「 あんな事を言われちゃいました 」

「 まぁー そう。何にしましょうか 」「 そうですね・・・ボソボソ 」なんて

会話が続いてお料理の得意な 母と義理の娘コンビだったようで じきの事、

今度は どこの家庭料理も叶わない様な 美味のだしまき 始め暖かい

数品が出てきた次第。本当に 御迷惑かけました。ただ 日頃 ご主人様に

いろいろと御迷惑を・・・ いえ 御訪問を頂いているものですから つい調子に

乗りまして失礼の段 御容赦を。

 


まだまだあったM本氏の訪問。  商青会の6代会長O様宅のご訪問。この

O氏は ご自身が かなりイケルくち。何章かに書いた「背中バンバンの御仁」

である。この最近 湯本温泉の入口にどえらい立派な別館を建設され、大いに

地元に刺激を与えておられる。

この時はたまたま 奥様がお留守で 例によって 遅い訪問にも関わらず 

「 おぅ よく来た。あがれあがれ 」 「 さーさー まー一パイ 」で始まった

らしい。早いほうがいいからと、日本酒党の二人にて 冷酒を出されたら

「 いやだなぁ、Oさん。僕は 熱燗しか 飲まんけー 」

これは後日 M本氏が 自分で言われて 皆がビックリして O氏に確認したら

間違いなくって 改めて M氏のずーずーしさ に脱帽した次第。

「 どうせ飲むなら 好きなもんを飲まんにゃー 」が氏の言い分だったが。

O氏も 笑いながら 「 僕も酒は嫌いじゃないし、とにもかくにも あいつの言う

事はとりあえず聞いておかんとなぁ 」・・・。Mさん どこでも通じると思ったら

大間違いでっせ。くれぐれも よくご確認を。

     







38.  笑い話

積み残した笑い話を思いつくまま。


やっぱり M本氏から。

夜中の2時に その頃、商青会( 前段何章か 忘れました。アレコレ書いて

います。よければ 探しておくれませ。いちおうの目次は 27章です。 )恒例の

夜中の家庭訪問で訪れたDク燃料のDク専務。 なにせ 夜中の2時ですよ。

彼も 彼の奥さんもよく 家に入れたなぁ、と感心。 まぁあの頃は 月例会や

委員会が 「 昨日は・・・君チ。・・・・で あーして こーして、」と半ば 自慢話

の披露の場所みたいだったから 呼び鈴が鳴った時点であきらめたのかも

しれない。で いきなり 「 おい 風呂に入りたい。 」 で半時後 その

お風呂場から「 おーい、ぬるいぞー。俺を 風邪にする気か? 」・・・・。

「 知るか 」「 どうぞ 肺炎にでも 」って言ってやればよかったのにと、事の

次第を聞いたメンバーでけしかけたが とても穏やかな Dク専務は ただ

やわらかな微笑みを返すばかりでした。


研修旅行で 某温泉地に出かけ、翌日の朝食の場で。

「 おい、M本。さっき風呂場で どこかの ジイ様が 『 ワシのパンツ( 下着。

アンダーウエア )が無い。どこかの馬鹿が間違えたに違いない 』って えらい

剣幕で怒っていたけれど まさか お前じゃないよな」・・・・・・「 僕ですかぁ。

そりゃないですよ。この旅行の為にわざわざ 女房が買ってくれた 青い縦じまの

パンツですから、絶対に間違えません。 」・・・ここで止めればよかったものを

あぐらをかいて 座っていた浴衣の前をわざわざ開けてしまった。そこにあった

のは、シマも何も無い 真っ白パンツ。 で M本氏・・・「 あれ シマが消えた 」

 会場全体の 大爆笑、失笑、冷笑、・・・・ご想像あれ。


同じく研修旅行で。これは だれが だれを だましたのか 失念したが

ご存知の方があれば連絡下さい。

ある イビキの大きい会員に悩まされた同室のメンバー数人。どこに移動

させたか? なんと 廊下つきあたりのエレベーターの中。 目が覚めた 

かの会員。しばらくの間 どこにいるのか わからなかった、らしい。


その会が設立スタートして 初めてのチャーターメンバーの結婚披露宴。

飲みすぎた某 大先輩会員。「 おいM本!!! 記念にもって帰れ 」とテーブル

上にあったグラス 灰皿 器に お花。全部 紙袋の中に。 これまた 飲み

すぎていたM本氏。( えらくまた重たいなぁ )と思いつつ 自宅に持ち帰り。

あの頃はM本氏も まだ独身で 母上から こっぴどく 叱られて、翌日 

これまた前段登場のO山荘様まで返しに行かれたとの事。


   まだまだ 思い出しそうですが  いずれ又。 

 






37. 先週土曜日の「若旦那ホッと屋台」に行ってみて

先週の土曜日に「若旦那 ホッと屋台」に行ってきました。

旅館組合の青年部のメンバーが 玉仙閣さんの本館である 住よし荘

さん ロビー一階を利用して この寒い冬場に来て頂いた 宿泊の方や

地元で湯本の温泉 特に公衆浴場においで頂いた方に ほんのり

温かい ちょこっと 心に残るサービスをと考えての企画です。来月末の

毎週 日曜日に開催しておりますので ご興味のある方は どうぞ 

どうぞ気楽においで下さいませ。大した仕掛けがあるわけではありません。

ぜんざい や ホットコーヒー なんぞを準備してお待ちしています。湯上り

あるいは 下湯「恩湯」そばの 焼き鳥 おけい さんで一杯飲まれた後の

口直しにでも ふらりと お寄り下されば 幸せです。

 おっと 忘れてました。もっと素敵なサービスがありました。金本君という

僕の同級生( 当然 ロペのマスターとも同級 )が 大寧寺の近くで

「 磐石釜 」という萩焼の釜を開いているのですが 彼の協力で ろくろを

使って 湯のみ作成 を開催しています。 先週も多くの 殆ど女性でしたが

突然のチャレンジとは思えないくらい上手に作られていました。勿論 彼が

そばで丁寧に指導してくれますので 遠慮は不要です。後で彼がキチンと

釜で処理して 取りに来ていただくなり、お送りするなりするようなので 

どうぞ好奇心のままに挑戦して下さい。


この企画は 昨年からスタートの企画です。

昨年は 星空の下で 映画鑑賞をと大のりで機材を準備して 膜代わりに 

大きなボードを作って おとずれ足湯で これまた ぜんざいや ホットワイン

を準備してスタートしました。が、が、あれほど 星空の下が寒いとは思い

ませなんだ。思えば 通常 僕たちが町を歩くときには 一杯景気で 足早に

次の店に向かうばかりで いくら足は温かい足湯の中とはいえ 白い

スクリーンに 霜がドンドン張り付く状況下では 一時間を超える映画を観る

のは 正に 拷問の世界。あの寒さを乗り切るには 前後不覚になるほどの

飲酒が必要に思えて 開始時には二桁の方がいらっしゃっても しばらく後

には 「頑張ってね」「いやー 寒いねえ」と 励ましとも 諦めともつかない 

ため息が混じった声を掛けられて 退散されてしまった。 結局 最後までの

鑑賞者は無かったという心残りの企画だったのであります。


ついでに言うと 昨秋 湯本温泉が なんとなんと 「 恋人の聖地 」に

認められました。 県内では他に下関の海峡タワーとの二箇所だけとの事。

この事は また ジックリ お話申し上げます。


                                    ではまた。

36. 寒い日が続きます

おだやかな一年のスタートでした。二週間が経ちましたが、皆さん 

いかがお過ごしですか。

ブログはプレッシャーがかかりそうで・・・・と思ってせっかく 「つれづれ

コーナー」を考えたのに なんとなく 興味をそそられて ブログに手を

出してしまい、最初のうちは 張り切って書きなぐっていたのですが 少し

づつ 少しづつ 重荷になってきますねぇ。あまり几帳面に考えずとも、と

言い聞かせつつ やはり 血液型A-OのA型のなせる思考でしょうか。

同じ一生という時間があるなら 明るく楽しく過ごしたいし、 そうするべきで

 そうなるんだと確信しています。 

子供達との関係も良好で 元気でいてくれてる事に感謝しつつも 自分の

父親がどんな男であったかも知っていてほしい気持ちもあって 会話で

伝えにくい事もあえて書き続けてきました。

「読んでみて 意味不明の部分があったら 教えてくれよ」と懇願しているのに

未だ3人とも 何も言ってこないってぇのは いい事なのかどうなのか。(  

はてさて 無視されてるんじゃないよなぁ )と不安に感じつつも 私の

「 宿六おやじ  いや もとえ、宿屋のおやじのブログの旅 」が再スタート

するのでありました。 


               

いささかギャフンとなった正月に届いた友人からの賀状。

「 最初のページに写っている白髪の 初老の男はお前か 」。

「 花野!! おまえなぁ 」と少し ホンの少し、反発しながら つい

( 確かに初老といえば初老だよなぁ。 )と改めて写真を見直しました。

自分が20歳くらいの時には 50才の自分なんて 想像もつかなかったし、

「 あの人が50歳? 年とってんなぁ。ふんふん。 」で気にもしなかった。

今でも気持ちでは 18 19才位のつもりなんだけれとど 相対的というか

絶対的に、認めてもらえなくなった、って事なんでしょうね。

それにしても この友人。二浪して僕より当然2歳 年上なのに なぜか

若風で紺のトレンチコートの似合う青年ではあった。穏やかな顔に似合わず

意外と毒舌で 卒業年度に 「 この4年間の出来事をヒット曲に託して 

俺たちの思い出として残そう 」と始めた、成城大学経済学部 有識者

グループの企画委員会において「 いやあいつは こんな事やってたぜ 」

 「 あのね あの時の真実は こーこーこーなんだぜ 」などとどこでどうして

仕入れていたのかわからないまま、学部のCIAのごとくに大活躍してコクヨの

大学ノート二冊分が一杯になるほどの名曲を残したのでありました。その時の

中庭ピロティでの談笑の様子が卒業アルバムの あろう事か 裏表紙に

デカデカと載っていたのを見た時は 正直のけぞってしまったけれど

アルバム委員会の皆様、話の中身は こんな事だったんですよ。

僕の触れてほしくない事や 忘れていた都合の悪い事も 全て吐き出させて

お前は わっるい奴だよ 実際のところ。 いま お前が持ってんだろ あの

ノート。ピンクレディーの替え歌が多かったなぁ。 一年の時に 後にも先にも

ただ一度だけ 身体検査で たんぱく尿が出た事も 僕はとっくに忘れていて

「 んな事ねーよ 」と頭分抵抗したのに あの頃 僕はこまめに日記を書いて

いて じっくりと読み返して それが事実だって事を まざまざと 思い出した時

には ( いずれ こいつは どこかで 変死するのでないべか )って心配

したんだぜ。今 思い出せる曲名を書きかけたが 正直 こわい、やばい。

皆が笑って歌える 曲があったはずだから 連絡たのむわ。 


35. 何か書かねば

以前から音楽の曲名を含め 本の題をよく忘れる。

さりとて 読書は嫌いではないから 出張先や 出かける時に単行本を

忘れると、必ず キオスクや目に付いた書店で買物をしてしまう。

こんな時は推理小説がほとんど。その読み方たるや、少し読めば中断。

もう少し読んでコーヒー、食事と ノンベンだらりの読み方にて 中身が

あまり記憶に残らない。 ( あれー なんか 読んだことがあるような 

無いような )と思いつつも 現在意識に過去に読んだ題名は浮かばない。

ものすごいときには最初の2行を読んで犯人が分かったりする。今はもう

慣れたが、とりあえず全部読了して自宅に帰り 本棚を見て ( なーんだ

読んでたのか )なんて事がよくあった。 特に西村京太郎氏の本は 

「 なんとか本線 殺意の何とか 」とか「 何とか・・・・号 失意の

なんとか 」等 似た題が多くて 書店の様に複数冊並べて置かれた本が

ある。ひどいのは平積み可能な3冊なんてのもある。

あまり週刊誌は見ないが たまに買ってみて 最初の 女性の裸を観て

から 「 あっちゃー 」なんて事ありませんか?

 そんな中で 一気呵成に読んだのが 青春の門。19歳の頃 東京からの

新幹線で、あの頃は 「 ひかりは西へ 」と言いながら岡山までしか

開通していず 本当に いつ到着したのか記憶にないほど読み続けた。

確か筑豊編だったと思うが おりえが布団の中で「 しんすけシャン・・・・   

・・して 」なんて行は ゴクッ と飲んだ唾の音がとなりの人に聞こえ

なかったかと、ふと我に返り、不安に思ったくらい。

もう一冊が 井上ひさし氏( これも違っていたら失礼 )の 「青葉茂れる」

これは飛行機の中で お恥ずかしい話 機内にいる事を忘れて笑い続けた。

ふと、( あれっ ここは )と気付いたときには すでに遅し。ジワーッと

隣を横目で見たら なんともいえない迷惑そうな目をした50代と思しき方が

やはりこちらを見て( にらんで )いらっしゃった。

もう一冊。これは、動物ものの 畑正憲氏、ムツゴロウの 本だが題名失念。

 
中学1年の時に 父から買ってもらった ラジオから流れてきた シルビー

バルタンの「 あなたのとりこ 」 の曲名が分からず 一ヶ月かかった事や

それをレコードで手に入れてから 歌詞がフランス語であるという事が

理解できず 何度調べても単語が出てこないコンサイス英和辞典を

放り投げたのも 懐かしい思い出ではある。