41. 2日間の公開後 女性の評価が不調で削除したもの
特に我が家の女性陣から「???」と物言いがつき それなりに訂正して
再公開してみます。妻は「 あなた個人のブログだから全否定はしない
けれど・・・ 」と最大限の譲歩を頂きましたが それなりの書き換えを
して 公開してみます。
今までほとんどど自分のペースで 思ったまま書くだけでしたが ふらりと
ブログ原稿の横を見てみましたら みんなのテーマ「 ズバリ結婚の条件 」
が提出されており ふと 我が思い出の記です。
いわゆる適齢期といわれる時期にいろいろのお見合い写真を頂いた。
なぜか 子供の頃から 結婚はお見合いと決めていた というか、洗脳
されていたというべきか。そんな自分であったから なんの疑問も無く
有難いものだと 日々「眺め」ていた。申し訳ない。ただ正直な
気持ちです。お許しを。 数日経ってから 父に「 見合いで決めるつもり
ではあるけれど 考えたら 今までの時間より長い時間をいっしょに
過ごさないといけない人を、写真で決められるものかね? 見合いの
先輩として おふくろをどうやって決めたんかね。」と聞いてみた。
中学2年の頃に学校から帰ったら 帳場( 今で言うフロントの事で旅館の
子供は大抵 この奥の部屋で寝起きしていた はずである。) で 母が
手招きをする。「 会合から帰ったら父様が真っ赤な顔をして立っちょっ
ちゃったんよ。血圧でも上がったのかと驚いて 『 どうされました 』って
聞いたら『 今頃の子供っちゃああんなものか。テレビを観ていたら
風呂から裸のままで弘人が飛び込んできて『 やったー父様 毛がはえた。
』と飛び跳ねて 出て行った。と呆然としていた。たのむから父様にヘンな
会話をせんでくれる? 」と忠告を頂いたことがある。
確かにあの時は 複数の友からすでに生えそろっただの 出始めたぞ
なんて報告を聞いていたから 毎日の入浴タイムが待ち遠しくて このあたり
に生えるのだろうなぁと想像できる箇所を触ってみるのが日課だった。目の
悪い僕の指先にチクチクの感覚があったときには 確かに我が家の大浴場で
飛び上がって万歳したのは覚えている。
だが その後の事は あまり記憶に残っていなかったのだが なんとなく
恥ずかしくて数日後に女中さん( 当時の呼び方 今はルーム係りさんとか
客室係りさんという )や洗い場のおばちゃんに聞いてみたら 皆 お互いの
顔を見合わせて「 あっはっは 」と笑うだけだったから どうやら事実らしい。
ふと そんな15年も前のことを思い出しながら父の答えを待ったが 返事が
ない。
「 お前が いい女性を見つけて そのお陰で幸せになってやろう なんて考えて
たら 同じように( いい男を捜して 楽しよう )なんて考えている女性と周波数
が合うから気をつけろよ 」と18歳の上京の時に言っていたなぁ なんて事も
思い出した。
純情な父には酷な質問であったかと、 「 いや ごめん。気にせんで 」と
その場を離れた。で後の事 今度は母に 同じ質問をしてみた。
「 そうやね、キチンと観ていたら なんとなくドキッとする女性がいる
はず 」と言う。 そんなものかね と思いつつ 眺めてみたら 今度は
これで 正直、全部の写真にドキドキするのである。 こりゃ やっぱり
相談じゃ、とまた 母を捜す。叔父が開業医で妹だった彼女は看護婦の
免許を持っている。今でも時々 お客様の連絡で「 子供が泣き止まない 」
と言われる状態を診て 「 これは クーラーのあたりすぎですね。しばらく
窓を開けられて 様子を観られたら 」なんてお答えすることがある。
そこまで断定していいのかよ、と思いつつ 様子をみているとかわいい
お子さんが まもなくスヤスヤと休まれたりするのを 何度か目撃している。
彼女の返事、「 そりぁ 雑念が入っちょる 」
多少の反論はしたものの 確かにいえるかも・・・との思いも多分にあり
「 そしたら どうしたら いいんかね 」 「 そりぁ 」としばし考えて
「 『 ご先祖様 どうぞ私にふさわしい方を紹介下さいませ 』くらいはお祈り
してみてみなさい。」との御案内。で 実際のところ 今の妻の写真を開いた
ときに 「 うーむ、この女性と見合いをして 僕が嫌われなかったら
この子だな 」と感じたのは本当の事だから不思議なものである。