384. お昼から断続的な雨降り
何とか開催を、と思っていましたが 降ったりやんだりの空模様にて やむなく
「 おとずれ夜市 じゃらんじゃらん 」を中止いたしました。
せっかくの夏休みでしたが、 途中で雨に降られては 皆様へのご迷惑にもなり
連続開催記録は とりあえず 七 で小休止です。
九月末までは 毎日曜日に ミニ夜市と どこでも 紙芝居は開催しています。
さてさて
映画の題名からも( この時期には 時々放映されているのかも・・・ ) と
気付いたのが、「 おもいでの夏 」( SUMMER IN 42 )でした。
昨日の夕刻にも ふと 洋画専門チャンネルのスイッチを入れましたら これ
また何と この映画の途中からのシーンでした。ほんの数分しか観られません
でしたので、いまだ 二人が出会ったシーンや どうして仲良くなったのかの
キッカケを思い出せず ちょいと ストレスがたまりそうですが 気長に待つ
ことにします。
アレだけ探して見つからなかったのに 34年ぶりに再会したとたんに 今度は
連チャンで出会うのですから 不思議なものです。
今朝は四時五十分頃に 雨が また降り始めました。
今はやんでいるようで 久しぶりに 少し涼しい朝を迎えています。
どうぞ皆様 お元気にお過ごし下さい。 宿屋の おやじ でした。
383. 「 おもいでの夏 」と34年ぶりの再会
こんな再会もあるんですねぇ。今から もう三十四年前・・・・・。
昭和49年の夏 池袋の映画館、当時 どこでもやっていた 土曜日のオール
ナイト三本立て で出会った映画でした。後の二本は何も覚えていない。
夏休みに ある避暑地で ( これは僕の記憶違いでした )で出あった 青年と
貞淑な奥様が ご主人を第二次世界大戦の戦争で失った悲しみの中で
結ばれる という筋書きだったのです。あまりに淡白な説明で どこが 貞淑
なんだと叱られそうですが それが そのようにキッチリ描かれているのですよ。
とにかく 夫の戦死の連絡を受けて 悲しみに打ちひしがれている女性が
主人公とチークダンス( 当時は こんな言葉も知りませんでしたが )を始めて
自然な流れで結ばれるまでの 何分間か、レコードが終わって プツッ プツッ
という乾燥した音の繰り返しの中で、それも途切れてからは まったくの無音の
まま( これまた 記憶違いでした。海岸の波の音が繰り返し聞こえてました )
ストーリーが展開して、 その時間の長い事、長いこと、この上もなし。
周りを気にしながら 何度となく生唾を飲み下して 四時頃スタートの三作目で
すでにお尻が痛くなっていたにもかかわらず すっかり忘れてスクリーンに見入
っておりました。
それから 何かにつけ この映画を思い出しつつも 第一に タイトルを忘れ
女優も 主人公も 監督も何にも分からない。
レンタルビデオなどという便利なお店が出来て この映画に再会するためだけに
随分と時間をかけて探したのだけれど どうしても見つけられなかったのです。
ひとつには ジョディフォスターが女優だったという 勘違いが大きなつまずきの
元ではありました。
とにかく 素敵な言葉が続いたということはおぼえていても 具体的なセリフは
何にも覚えていなかった。今宵の ラストシーンに語られた 主人公の
「 そして僕は 幼い私を 永遠に失った・・・・。」なんて一言を、いつかどこかで
誰かのために使ったり、味わったりするのだろうかと思ったりしていたので
しょう。
今晩 ある会合から帰って 地元のケーブルテレビの洋画専門チャンネルの
スイッチを入れたら ちょうど二人が踊るシーンで、レコードの音楽がちょうど
終わり 針のノイズ音がスタートしたばかりだったのだけれど すぐに 例の
映画だと気が付きまして 思わず 「 やった、やっと 見つけた。 」と小声を
出してしまったのでした。
それからの これまた長い ながい 沈黙の世界、もしかすると 十分を越えて
いるかもしれない。
レンタル店で探すか あるいはもう一度 このチャンネルで いつかじっくり
最初から あの頃の十八歳に戻って鑑賞してみたいものだと 強烈に念願
し始めた 宿屋の おやじ でした。
382. 最終案内・・・という曲
今朝 出社して 何の前触れもなく 突然に 「 壁のデジタル時計が また
ひとコマ 進む 」という歌詞が思い出されて いつものように 題名が分から
ない。これまた いつものように グーグルで 「 さだまさし 歌詞 デジタル
時計 」で検索しました。 その中に 「 のろのろ 」という楽しいページを
見つけてしまいました。
一曲ごとに 佐田氏自身の 説明と その方の思い出風一言が添えられて
あって ついついいろいろと読み進んでしまいました。
文章の雰囲気から 女性かと思っていましたら 途中に 「 僕が 」という
言葉があって ちょっとビックリしましたが・・・・。
僕は 夏休みに帰省する前にラジオで聴いた 精霊流し からファンになった
ひとり。
五ヶ月ぶりに拝見した 我が家のごく普通のテレビ画面が とてつもなく大きな
スクリーンに見えた、帰省初日の夜。何かの歌番組でマッさんと初対面。その
時の雰囲気で ますます このお方を好きになったのでした。
九州にお住まいで なかなかコンサートの機会がなかったと書かれていた
この方と違い あちらこちらから 友達を通じて回ってくる コンサートチケットで
ちょくちょく 拝聴できた僕は 本当にラッキーだったのでしょうね。
ただ 男友達に 行こうと誘うのも はばかられて かなりの回数を 一人で
伺ったのは いや 伺わざるを得なかったのは 残念な事でした。
サナトリウム という曲の歌詞から この方が感じていらっしゃる 一言ひとこと
に対して共通した思いも多くて これからも 時々 読み続けてみます。
何となく 新しい読み物を発見した気持ちの 宿屋の おやじ でした。
381. コーヒーの支持率 ? 定着率 ?
毎年この時期においでになる お年寄りの25名程のグループがある。
何年か前に 御出発前に 一斉にコーヒーをご注文になり それも アイスでは
なくて ホットであった為に 随分お待たせして「 これからは気をつけて 。」と
一言いただいたことがあった。
それからは お時間に合わせて御準備するようになって、ちょうど今も皆様
和気藹々とお飲みいただいている。
お一人が紅茶で 他の皆様が 全てホットコーヒー。
この日本という国に これだけ コーヒーが定着したのは いつの頃なので
しょうか。
皆様どう若い目にお年を考えても 75歳ははるか 越えていらっしゃる。
ほとんどの方が 御夫婦の組み合わせで いつも ワイワイと明るい会話の続く
雰囲気が ある意味での 長生きされている理由なのかなぁ、と いつも感心
しながらお送りしてする。
ちょっとお送りしてきます。
いつものように 皆様お互いが「 じゃあ又な。」「 元気でな。」とご出発され
ました。
ど うせなら こんな お年寄りになりたいものですね。
70歳という年が 何となく身近に感じてしまった 今朝の 宿屋の おやじ
でした。
380. 表装できあがりと、有田先生の思い出
数週間前に お願いしておりました 河東 碧梧洞 氏のお軸の表装が完了
して 昨日届けられました。
月が替わったら 野口 雨情 氏のお軸に替えて ロビーに展示致します。
しぐるるや 温泉( ゆ )の香( か ) もほのと 濯ぎ( ゆすぎ )もの
と書かれております。
高校時代に 書道 美術 音楽 だったか 選択する教科があって、芸術的な
センスのさほど無い僕は 悩んだ末に 書道を選んだのでした。
一年の時の夏休みの宿題に 自己流に くずした字で 「 初恋 」という作品を
提出したら 地元でも 有名な書家であった 有田 鶴堂( がくどう )先生から
「 これは 初恋と言う ウキウキした気持ちと 少し不安定な気持ちが とても
うまく表現されている。 」とえらく褒めて頂いて 教室内に展示して頂いた事が
あったのですよ。
それからは 何もかもが クセ字 専門で 先生から直接 注意された事は
なかったのだけれど 僕の作品を見られるときに 苦笑いをされているという
うわさを聞いたのと、ある先輩から「 あのなあ、楷書 行書を始め 全ての
書き方をマスターした人が そういう くずした字を書いて いい味が出るわけ
で、お前みたいに 最初から デタラメの筆法をするのも どうかと思うぞ。」と
貴重な 御助言をいだいて 乗り越えるべき壁の高さに めまいがして 一度に
興味を失ってしまった事があったのでした。
河東 氏の字は、 その頃の 有頂天状態の僕だったら「 はいはい、フンフン」
なんて調子で書けていたのではないかと 思えるのですが、 やっぱり じっくり
見てみると なかなか 素敵な 書なのでした。
有田先生 あの時は 大変 ありがとうございました。あわせて失礼致しました。
379. 昨夜は仙崎の花火大会でした
ここ数年お邪魔していないのだけれど いい天気に恵まれて 大勢のお客様で
賑わった事と思います。
妻と彼女の実家から送られてきたスイカを ほおばりながら話したのは 子供達
がまだ小学校や中学校に通っていた頃のことでした。
地元の 商工会議所の青年部に所属していて それはそれで楽しかったのだ
けれど 少し残念な思い出が この 花火大会だったのですよ。
青年部の年間予算に占める この大会実行委員会からの助成金がかなりの
額であった事もあり、当日は 朝から準備に追われていた。
会場近くの 小 中 高校のグランドでの ライン引き これがまた 数が多くて
暑い中での作業だから 昼過ぎには もうヘトヘト。自宅で 水をかぶるとすぐ
夕方早目に集合して 今度は 駐車場の案内 整理。終了後には 後片付け
で 24時過ぎに やっと放免。
今頃は 本当の海上からの打ち上げで そんな事はなくなったのかも知ら
ないけれど、 ある時期の三年間くらい 埋め立て地からの打ち上げで
翌日には その花火の 残骸・・・の回収が待っていた。
子供達がまだ小さくて 「 お父さん、花火にいこうや。 」と誘ってくれる間は
何もしてあげられない状態。そのうちに 青年部を卒会する頃になって親の方
から 誘いを掛けると 「 あのね、○○時に ○○君と待ちあわせだから。」
「 お父さん、 ○○時に どこそこに集合だから 送ってちょうだいよ。 」と
こちらが相手にしてもらえない。
ほぼ全員が号令を掛けられての取組みで 誰がどう、とはいえないのだけれど
真面目に取り組むメンバーばかりが 割りを食っているようで 何年間か真剣に
「 補助金を辞退して 家族サービスに徹するべきではないか、アルバイトや
シルバーさんの力を借りるのも一つの選択肢ではないか 」と 真剣に討論した
事もあったけれど 長門市で最大級のイベントに 協力しない・・・・ってのも、と
結局は そのままで 僕自身 いつの間にか OBになってしまった。
ところで 埋立地での 花火の残骸回収で こんな事がありました。
10時頃の集合で 途方もない広さの空き地に集合した 20名ほど。
正直 これほどの数の残骸とは思いもせず 気が狂いそう というか まったく
はきそうだった。公称5000発の花火の 数十倍のかけらがそこにあるわけで
いくらかは海に落ちたはずでも とても 一日では無理だと思えた。
とにもかくにも 取り掛かって、少々残したものの 何となくめどのついた 15時
頃に その残骸を燃やしながら 会員と丸く輪になって 見るともなしに 火を
みていた。
誰かが「 あまり大きな不発弾って無いものですね・・・。 」と声にしてじきの頃、
何となく全員が 顔を見合わせた。それまでに 小爆発はあったものの
へーっ なかなか 昼の花火もいいものだ、くらいで片付いてはいたのですよ。
不思議とその時は 全員が 共通した 生命の危険を感じたものか 火の中に
尋常でない雰囲気を感じて 全員が「 ワッ 」と 悲鳴を上げて 逃げ出した
のです。
未だに思い出すと ドキドキしますが 逃げる僕達の頭の上を ヒューンという
花火独特の快音を発しながら 黄色の火の玉が何個も飛び越えて行った
のでした。
しばらく全員が言葉を失っていましたが そのうちに笑い声が出てきて 熱い
土の上で 仰向けになって 全員がおなかをよじらせて 笑いころげました。
一人もケガをしなかったのは 本当の 奇跡だとしか 表現を知りませんが
笑い話ですんだ 貴重な体験でした。
またまた長文。ご寛容に。 宿屋の おやじ でした。
378.なんでもかんでも
話してみるものですね。
早速 県内の奥様から 「 それは ウグイスじゃなくて 百舌 では 」という
コメントを頂きました。
確かに 昨日の朝 妻に 「 ・・・・。なんて事をブログに書いてみた。 」と言い
ましたら 「 それは 何とかと言う 物まね上手な鳥じゃ ないの 」と答えて
くれてはいたのですが 彼女も その鳥の名を知らなかったもので まったくの
利己的、唯我独尊状態にて 気にもしていませんでした。
なるほど それで 百の舌 って書くんですね。
よく分かりました。ありがとう ございました。
と書きつつ まぁ 百 程では ないにしても 小さなウソの 二つや三つや
四つは あるいは 五つか ( こんなの誰でも やっているはず・・ )なんて
気持ちで 過ごしているかも・・・ いえ 過ごしている なぁ、と 少々 反省し
つつ これを書き込んでいる 宿屋の おやじ でした。
昨夜も 山口DCの企画、どこでも紙芝居 と ミニじゃらん を少し少なめ
でしたが御宿泊のお客様のご参加で開催いたしました。
いつもの夏休みの風景で チェックイン時は どこぞの 幼稚園みたいに
なっています。
今日も暑そうですが 皆様 どうぞ お元気に。
377. 朝書くブログ
この三日前から 朝の五時頃から我が家の近くの梅林で ウグイスが鳴き始め
ました。
くせのある ホーホケッキョという鳴き声から この春に 来てくれて この
何ページかにも書いた事のある 彼 だろうと 推察はできるのですが
ウグイスの生態系の中に こんな季節に、正直 朝から暑い里に下りてきて
鳴くという習性があるのでしょうか。昨日の温度計が 今は 32度で クーラー
のスイッチ オン 待ちです。
日中での演奏が とても困難で 仕方なしに早起きしているのかもしれません。
この一週間 暑い日が続くのだそうで、ひたすら通り過ぎるのを待ちつつ 強い
一雨を待つべきかもしれません。
海水浴に行く機会もなくなって 営業中や外に出たときに 太陽の陽射しを
浴びる事だけが 唯一 夏という季節を感じるお楽しみになっている 宿屋の
おやじ なのでした。
376. 夜書くブログ
いつもは 午前中に書くメールを、たまには 夜書いてみようかと 思ったのだ
けれど、クーラーの切れた事務室で 扇風機相手に 汗を気にしながらの
打ち込みでは アイディアもうかばず 見事 失敗の巻きでした。ジャンジャン。
あす 頭をすっきりさせて チャレンジします。
何かの あて があるわけではないけれど あえて 失礼致します。
それにしても 今 このそばの温度計は 31度になっています。夜の23時
です。またまた 汗が出てまいりました。
今宵は こーさん です。 宿屋の おやじ でした。
375. 同級生の御両親ご来館
昨日の10時頃 歯医者さんにおりましたら 我社より電話がありまして、
Y山様のご両親と言われる方がおいでです、と一報がありました。
確か 付属の高校からの進学組で 背は高いし 今で言う いわゆるイケメン。
スポーツマンでもあって 性格はいいし 山口からポッと出の青年にとっては
うらやましい限りのいい男だった。
僕達の頃には 今ほど、誰でも彼でも 六本木・・・・てな状態ではなくて 真の
ファッションセンスがあって 時代の最先端みたいな トッポイ オニイチャン
オネーチャンの街みたいな イメージがあったけれど その まちに よく似合う
男だった。
入学前のオリエンテーションの旅行で 河口湖近くのホテルに宿泊したのだ
けれど 一通りのパーティがすんで 部屋に分かれていたら 例によって
「 おい、○○○○室にあつまれ 」というご案内があって 同室の誰かと駆け
つけた。
自己紹介の後に いわゆる エッチな替え歌 の最初の洗礼を受けた。
「 はーぁ よか ○ん○ん。見れば見る程 よか○ん○ん 。」
「 ひとつでたホイの よさホイのホイ。 」
「 ポンジョのねーちゃんが 横目でにーらむ。 」
まぁ 山口の田舎で どちらかってーと 比較的清水に近い環境で 育ってきた
18歳にとっては 刺激の強い トウキョー との出会いだった。
それにしても ビールは出る出る アノ頃から ワインを持ってきていた ワルも
いて 空になった そのビンを 下半身の前辺りに持ってきて なでたり
さすったり に 手拍子で 大笑いで 応援しながら( こいつら 本当に僕と
同い年 なんだろうか、 こんな歌をいつ どこで覚えたのであろうか )と、
なんとも不気味な思いにとらわれた夜でもあった。
その中で このY 君が 「 へー、山口で 旅館やってんのか。フーン。
で サー、いつかサー お前らが住んでる アパート ってのを 見せてくれよ。」
が 宴も半ば頃の彼との会話だったと覚えている。
それから数日後には こんな事もあった。
当時の 灯台 いや 東大進学者数では いつも 上位にいた 日比谷高校
からニ年浪人して 入学していた男もいた。
いまもある有楽町の高速道路ガード下の ショッピングセンターの一角に
ソニーのアンテナショップみたいな店があった。 三つくらいのブースというか
個室になった部屋の周りが全部ガラス張りのオープンになっていて 予約して
そこに入り 好きな曲を電話でリクエストすれば それがソニーのステレオから
流れてくるという 待ち合わせや時間つぶしに すごく便利な部屋で、彼が
最初に教えてく れた。彼がリクエストした 岬めぐり を最初に聴いたのが
このときだった。この時の 彼のリクエストの仕方や 受話器の置き方なんかが
妙に記憶に残っている。 その彼が
「 アノねー、この駅前のね、あの信号が青になるでしょ。それから ○○秒して
スタートするとね、銀座八丁目まで 一度も信号に止まらずに 行けるんだよ。」
の一言も この TOKYO という大都市に住む人々の心の奥深さ というか
着眼点のトリドリさ ユニークさにしびれた 当時の宿屋の おやじ なのでした。
御両親のお話が すっ飛んでしまいました。 またいずれ、
ごめんおくれ やっしゃ。