宿屋のおやじ日記 -74ページ目

404. 夏の理科の研究・天然 %のジュース

義務教育の間の夏休みに提出を要求される おもに理科関連の研究を 何と

呼ぶのか忘れちゃいましたが、それはともかく 長男が小学校の五年か六年の

時に 珍しくこの僕と一緒に取り組んで 何かの賞を頂いたテーマ。


一週間ほど前 カクテルスナック ロペ で 何かの拍子にネタになりました。


僕達の子供の頃から すでにあった 妙な うわさ。


正確な題ではありませんが「 コーラを飲むと骨がもろくなる。骨が溶ける・・・。

といううわさ話は本当か・・・。」が福大 いや副題で  「骨をもろくする飲み物は

本当にあるのか 」でした。


コカコーラ ペプシコーラ 天然50パーセントのりんごジュース 同じ率の

オレンジジュース  100パーセントのやっぱりオレンジとりんごジュース 

その他・・、合計10種類のドリンクの入ったグラスに ワザワザ本人が伸ばして

作った 長いツメを入れて溶ける順番を探る・・・というものでした。


家族五人で 予想を立てて 反応を調べました。


ほぼ全員が コーラを一番にしていたのですが 驚いた事に 一日か二日足ら

ずでアトカタもなくなったのは 100%天然のオレンジジュースだったのですよ。


「 ウソー。 」 「 ほんとー? 」 「何かヘンなものが混じってたんじゃないのか

」と 長男のグラスの保存の過程を疑うばかり。


仕方がないので 今度は僕のツメを入れたりしたけれど やっぱり結果は同じ。

次点から四位まで 100%りんごと50%の二種類が続いたのですよ。

 

その日まで「 ヤッパリ100%が一番だね。」なんて話していたのがウソの

ように我が家から「 天然  % 」のジュース類が消えていきました。


その思い出話を リンダ マスターにしましたら 彼も随分ショックだったらしくて

「 ほんとかよ。もっと早く知らせてくれよ。 」等とおしゃべりしながら その日は

過ぎました。


で昨日の夕方 お店に行きましたら「 いいとこに来た。まあ座れ。この前の

話の銃きじゃ。 」と ほぼ満面の笑み。こちらはすでに題材を忘れて

いましたが「 ほら アノ ジュースの話っちゃ。 」と 昨日来られた病院関係

の方から聞いたという話を聞きました。


何のことはない。グラスの実験では、はっきり酸性なのだから 溶けるのは

早いはず。ただ人体にはいった時には 唾液がすぐに その成分を調整する

ために 直接 骨が溶ける事はない。  


医学の方からの情報ですから 自信満々で話してくれました。


なるほどと 僕自身はとりあえず 納得しましたが、今日まで続いた我が家に

おける「 天然ジュース アレルギー 」は消せるのか 何となく 微妙な思いの

 宿屋の おやじ なのでした。

403. 南条踊りの練習開始

毎年の地元のおまつり、赤崎様十日まつりに奉納される 湯本温泉の県の:

無形文化財 南条踊りの練習が始まりました。


僕も出る予定だったのですが その十日の日に 大切なお客様を朝から夕方

まであれこれのご接待をしなければならない役があった事が判明しまして、

急遽 湯本区の世話役である青木君に連絡して 代わりをお願いした次第。


この青木君、僕より随分年下なのだけれど 人の面倒見がいいし 皆に

頼られて大切なお役を務めてもらっている。


同じ消防分団で活躍していた頃の 県の操法の大会の思い出にこんな事が

ある。


長門市の代表として出場する事になり、長い期間 練習していた間に 

消防署から数人の方が視察に見えた。


彼は筒先という ホースの一番先を担当していたのだけれど これがかなり

水圧がかかって 僕だったら「 5 」のメモリの時にも二、三人でやっと押さえ

つけるくらいの腕力がいる作業なのですよ。


これを彼はただ一人で担当するという とんでもない力持ちでした。


たまには 「 6 」になっても 「 まだ まだ 」なんて言いながら支えていたと

いう伝説の持ち主。

普通は振りほどかれた時に ホースが 跳ね回って周りが危険な状態になる

から決してそんな事はしないのですが このときには 機関の担当が広い

練習場で 周りに誰もいない事をキチンと確認した上で「 おーい 青木。どこ

までやれるか やってみるか。 」と確かめてから 始めた実験でした。


彼のすぐそばに三人ほどが とりあえず手を添える形の補助について 放水を

スタートしたけれど、このときばかりは 驚きを通り越して あきれた・・・・とは 

後の打ち上げの時の大笑いの話ネタだった。まるでびくともしない頑丈な

ロボットだった。


この視察時には この話を聞かれていた方もあったらしくて 「 どいつが

青木君だ 」とメンバー何人かに聞かれた。練習の時にも ゲージを皆さんが 

覗きこまれて、瞬間的に5になったりするのをみられて、 「 フーン 」 そして

機関の担当に「 これなら 遠慮せずに水が出せるなぁ。 」と一言。

「 めちゃくちゃやなぁ。」とも。


本ちゃんの大会では このチームが 準優勝して 面目躍如してくれたけれど 

未だにあの時のメンバーが集まると 思い出に花が咲く。


南条踊りから かなり以前の思い出話紹介でした。

402. あれよあれよと もう九月

前回の分に これまた 内田君から コメントがはいり その返事をしようかと

思ったのだけれど なんとなく 学生時代の 交換日記みたいで 精一杯 

躊躇逡巡いたしまして それをやめました。ましてや 男同士ですから 想像

さえしたくない状況でもあります。


なんとも あっけなく 八月が終わりました。


宿としては 無事に皆様をお元気にお送りできたと ホッとしております。


朝の陽射しも随分と和らいでまいりまして おだやかな九月を迎えしました。


これからの過ごしやすい季節。これからにも増してどんな素敵な出会いがある

のだろうかと、心待ちにしております。


改めて 窓の外を見ましたら 柔らかい朝の日差しではなくって 雨でした。

オマケに一日中続きそうな 静かな雨音も聞こえております。失礼致しました。


この十日には 地元の産土の神様、 八幡様のお祭である 赤崎十日まつり 

が開催されます。

この地域の 小中学校は みんな午前中で終了。僕も十才前後の頃には 

もらったお小遣いをポケットに納めて 数人の友達と長い道のりを自転車に

乗って会場まで急いだものでした。


僕達の数才上の先輩達の話では、他の学校の生徒との小競り合いが 

そこここであったらしいのですが 僕達の時代には そういうものは払拭されて

いてただ楽しいだけの おまつり でした。

  

湯本のおまつりやどこのおまつりも 昭和三十年代頃のにぎやかさは ない

ようですが 地元の 郷土芸能にも触れられる大切な行事として精一杯

継続して行かなければと信じております。


月末29と30日は第十回目の温泉卓球 開催。


あれやこれやの長月スタート。 今月もどうぞよろしく。


                        宿屋の おやじ  でした。

 

401. なんとよく降る雨です と、内田からのメッセージ

昨夜も 大雨の中 帰宅して これまた 「 日本映画チャンネル 」を入れ

ましたら、またまた ウォーターボーイズ でした。


僕の場合 いろいろの映画やお芝居、テレビでも何でも 一度の鑑賞では

見落としてしまう部分が結構あって 二度目に ( あれっ、こんな場面あった

っけ )なんて事が数多くあるのですが 昨日もそうでした。


かなり後半からの鑑賞でしたが ツインズ での シュワちゃんが初めて女性と

カランダ時のなんともいえない ボンヤリした顔やなんかが結構パロディに

なっていることに気付きました。


と、ここまで書いて また 一晩空いてしまいました。


今朝 開けて見ましたら なんと 内田 正洋君からのメッセージが 入って

おりました。 少しドキリとしました。  このブログに


随分と彼には登場してもらっていて 今日まで 何も言ってこないのは 彼が

とにもかくにも僕の文章内容を承認してくれているものだと信じていたのです

。 が その中身は 「 ふとした検索で 僕のブログを始めて知った 」ような

クチブリ、というか書き方だったことなのですよ。


高校時代の夏休みのひとコマや、それに続く ○ンドーム事件、まぁ ラグビー

の活躍は否定しない としても 改めて 読まれると 注文の一つや二つは

来るかもしれません。


その時には 熟慮 検討いたしまして 説明不足の時には 改めて コメント

し直し 違っていた場合には キチンと お詫びいたします。


ったって もうかなり前に書き終えているものが多いから ほとんど 手遅れ

じゃし、 マァ ユルセ、ペッタン。


おまえのサイン入り帽子は 随分貴重品として 取り扱われているらしいぞ。

それと 油谷のシーカヤック用の倉庫のおまえの手書きの看板も健在

らしいねぇ。 ついでに、


光市での 講演には 桑原直ちゃんが 随分と感心しておった。ただ 

自分の講演会に ゴムぞうりで登場するのには かなりクエスチョンマークが

出ていたなぁ。 まぁ クラスメイトとしては 正におまえらしい・・・というのが

ほとんどの男たちの正直なところではあろうけれど、けれど。


児玉と一杯飲んだとか。水泳部の友達として いずれまた 同窓会に来てくれ、

と宜しく伝えちょってくれ。


○女史も元気だよ。カネヤンがお父上と来てくれた事も随分前に 書いた

けれど  その直前にあった同窓会の話をしたら 「 ○ さんかぁ、懐かしい

なぁ・・・・ 」とつぶやいちょった。携帯番号 教えたよ。カネヤンから連絡は

あった ?

 

ついダラダラと申し訳ない。いずれにしても 元気で。またゆっくり時間が

とれたら連絡してくれ。待っちょるよ。 チンスイ でした。

400. シンクロナイズドスイミング 豆知識

思わず 笑ってしまいました。僕だけ笑っていても もったいないので 一部

要約の形で 御案内します。


「 1891年にイギリスのロイヤル・ライフセービング・ソサイアティ(王立生命

救助協会)が水泳ハンドブックを出版します。おそらくは水泳を通じて身体能力

を向上させることがその最大の目標だったのでしょう。「科学水泳 scientific

swimming」という言葉が使われています。さらに、人々に興味を持たせるために

「観賞水泳 ornamental swimming」という言葉も使われています。この中の

「トリックス&スタンツtricks and stunts(あえて訳せば妙技と曲芸)」という規定

の動きが後のフィギュアに発展していったものと思われます。

翌1892年にはイングランド東北部のヨークシャーで初の競技大会が開催されま
す。しかし、この競技は現在のシンクロナイズド・スイミングとは決定的に異なる
点が2つありました。まず・・・・・。」


音楽を使用していない、とか 縷々長い文章がつづくのですが なんとスタート

は 男性専門の競技だったという件には驚きでした。


モッコリ・・あははは、なんてふざけている状態ではなく 真剣な 研究競技

だったんですねぇ。これはこれは、びっくり。


という事は 僕達が高校時代の頃には すでに 八十年の歴史があったという

事らしい。勿論その頃にはすでに競技としては 女性が主、とか 音楽を使って

見せる競技に変化していたようですが、何らかの情報で 知識としては 山口

の多感な高校生にも 伝わっていたということなのでしょう。


児玉 坂倉 は何年か前の同窓会に来てくれたし 大野は 通の郵便局長でも

あって それこそ 御近所だから しょっちゅう会っているけれど 細川 や

田中のノブ・・・・どうしてるのかねぇ。おっと もてオトコの 堺井もいたなぁ。


都合がついたら 五十男の シンクロでも企画してみる???。


「 ばーか、あほー、お前だけでやれ。 」って 皆 言うなぁ、きっと。


無理に誘えば 局長くらいは ノルかなぁ、やっぱり 無理じゃネェ。


               はははは、宿屋の おやじ でした。

399. 映画 ウォーターボーイズ

珍しく 昼過ぎに我が家に帰ったので つい 日本映画チャンネルのスイッチを

入れましたら 「 ウォーター ボーイズ 」をやっていました。


イベントとして高校日本一を決めるテレビ番組は 観た事があるし、そういう

映画がキッカケになったという話はきいていましたが 初めての観賞でした。


不良会員ではあったけれど 一応は水泳部の ハシクレではあったので映画の

五人の水泳部部員が あの頃の高校時代の個性的な同級生メンバーとダブ

ってみえて それなりに感動しつつ見終えました。


見せ場シーンのシルビーバルタンの あなたのとりこ のバックミュージック

にはビックリ。 もしかして時代背景が同じかも・・・。と、これは勘違い。


どんなに暴れたって 水の中で 海パンが脱げることは絶対にないから その

あたりは御愛嬌なんでしょうが、あの頃の そうは言っても純情な心持を思い

出させてもらった素敵な数十分でした。


シンクロというスポーツが いつから始まったのか知りませんが 僕たちも 

逆立ちの姿勢になって 足だけをV印に突き出したりしていたから その頃、

昭和四十七、八年頃から あったんですかねぇ。


自分のお遊びの時にはなんとも感じないのに 友達のポーズで 水面に突き出

された両足の根っこにある ふくらみ を見て 時にはひっぱたいたりして皆で

大笑いしたことも頻繁にありましたねぇ。いや ホント・・・・。あははは。


体育の授業で 平泳ぎをしている友達の水面下。横の水底から こちらは

仰向けでヒラメみたいに彼のコースに侵入し 彼の平泳ぎを真似する形で泳ぎ

始めたら 彼が びっくりしたのと 笑って噴き出したために 水を飲み込んで

しまって五歩五歩 いや ゴボゴボと 半ばおぼれた形になって 担当教諭から

ゲンコツをもらったこともありましたっけねぇ。    

   

                     あれやこれやの 宿屋の おやじ です。

398. 今度は二日あいちゃいました。

深川中学校での同級生 鈴木ゆきひこ君が 毎年恒例の夏の盆帰りで今年も

奥様と泊まってくれました。


予約台帳には 鈴木様二名様 と携帯番号に料金しか書かれていませんので 

ツイ あいつとはわからず、外出していた僕は、 朝になって フロント台帳の

フルネームをみてから 「 アラ、シマッタ 。」と気付いた次第。


出発前に コーヒーを飲みながら 「 いやー スマン。お前だとは 気付かん

じゃった。 昨日は リンダ( カクテルスナック ロペ のマスター。やっぱり同級

で 当然のごとく 苗字は 山本・・・ )におうたんか。 」と聞きましたら 「それ

より何より お前ら同窓会 やったのかよ。 」と一番ドキッとする質問が。


そうなんです。昨年から 来年は やる、やる。と多くの同級生に声ばかりかけ

ておきながら 大切な幹事会の招集が出来なかったために ふと 気が

ついたら 二日後が北京オリンピックの閉会式。  はい、ダメーーーー。


キチンと説明した後 スマンとわびました。「 まったく・・・。まぁ しょうが

ねーか。でも来年は絶対やってくれよ。頼むぜ・・。」と強く念を押されて

しまった。


長門市立 深川中学校の同級生のみなさん、来年は 必ず 取組みます。

どうぞ期待して 気長にお待ち下さい。


ゆきひこは 前日 西長門リゾートホテルの前辺りの海で スキンダイビングに

熱中しすぎて ふらふらで わが宿に 着いたらしい。ロペにも行かなければ

と思いはしたものの ついに行けなかった。との事。


五十も少し過ぎると まったく体力が落ちるなぁ、と アノ頃のワンパク元気オトコ

とは思えないような 心から残念そうな一言がポロリ。


横浜での生活を離れて 地方を味わえる機会も そう度々ある様でもなく、 

限られた 田舎時間を 精一杯 奥さんと楽しんでいるようでした。


「 水津さんのブログを読むのを楽しみにしているみたいです。」の奥様の

一言に正直ビックリしましたが 「 本当だぜ。けどよー、もう少し 長門市の

ニオイを発信してくれねーか。」には はっきり返答できずに 「分かった。話と

して聞いておく。」としか言えませんでした。まぁ、許せ。チャレンジはしてみるよ。


いろんな同級生に刺激を受けて生活できることを ありがたいものだと  感謝

している 宿屋の おやじ でした。

397. 夜半の雨が続きます

一昨日の雷雨、そして昨日は 二時半頃からの 静かな雨音。


静かな朝が始まりました。


と、ここまで書いて 又 一夜明けてしまいました。


昨日 一昨日と 川辺の小さな音楽祭 が開催されました。

おとといは、湯本の中央 恩湯・おんとう・という公衆浴場前の川辺で そして

昨夜は 毎月開催の おとずれ夜市 じゃらんじゃらん の開催場所 

河川公園の やっぱり おとずれ川の川べりで それぞれ 三組のアーティスト

に出演して頂きました。


昨年もそうでしたが すごく素敵なイベントに成長しつつあります。

詳細は 「 エフ ストリート 」さんのホームページをご覧になられたほうがいい

かもしれません。グーグルで出していただけば 上から 3から4番目あたりに

出てまいります。


ところで 昨日は その打ち上げの席 カクテルスナック ロペ で 素敵な

出会いがありました。


このページにも チョコチョコ御登場いただいている 萩東中学校の国語の先生

白沢氏が なんとなんと さだまさしの 「 おやじの一番長い日 」を熱唱され

まして・・・・。スナック内には 十四、五名の反省会と館内のお客様が

いらっしゃいましたが 多分知っていたのは 僕と御本人だけではなかった

べかと思いますが、意外と このセンセ かくれ さだまさし ファンかも・・・・・。


この曲は たしか 山本直純氏が 「 三十分の交響楽を作ったら 。」と激励

されて出来上がった作品の様に聞いております。 佐田氏ご本人が 僕が

作れるのはこれくらいで、と謙遜されるものの 歌いオワリまで二十分近く

かかるもので 通常 カラオケの店で 聞く事はまずない楽曲なのですよ。


よくこの時の場内の方々が 静かに 聴かれたものだと 感心しています。


それに 昨夜の企画に 昨年から引き続いて参加された 周南市の

小笠原カルテットの リーダーのトランペット生演奏付きで・・・・。


良かったです。はい。


つい 調子に乗った この僕が 同じさだ氏の 風に立つライオン を歌って

しまったのは御愛嬌でしたが・・・。あははは。いやはや このときも 生ペット

をバックで弾いて頂き 感動いたしました。もしかして この方も かくれ さだ

ファンかとお伺いしましたら、知らない曲でも 大体のお付き合いで 吹け

ますよ、とさり気なく。たいしたものです。


そんなこんなで一夜が明けました。


今も 強い日差しが 事務所内に入っております。また 暑くなるようですね。

皆様 どうぞ お元気に。        宿屋の おやじ でした。

396. 今朝は夏の日差しです

なんとも昨日は 雨がよく降りました。

特に 夜半からの雷雨は 朝の 三時半頃まで続きまして これで又 水が

不足する心配はなくなったようです。


正に なんでもかんでも ありがたい、そんな感じです。


それはそうと 昨日の「 395 」は、続きを書く予定だったのですが、 つい

時間をとり損ねてしまい 尻切れトンボになってしまいました。おまけに何を書く

つもりだったかも記憶のかなたに消えてしまったようで 困っております。


ふと このブログ書き込みのページの右横のニュース欄をみますと、


「 星野ジャパン惜敗に非難轟々 」と言うのがありまして すぐその下に


「 ソフト金メダルに日本騒然 」なんて書いてあります。


特に星野氏の方では大体の内容が理解できますので ページを開く気も

しませんが、これでは 少し前に書いた「 Jのつく全国組織 」の ある

理事長が


 「 晴天だったら 名理事長、雨が降ったら ダメ理事長 」だと喝破された

結果だけ見ての評価と同じで ただのウップン話なのだろうと冷めてしまい

ませんか。


かなり前の誰かの本に 確か外国の特派員か駐在員の誰かだったと記憶

していますが「 日本人に 一番冷たいのは 日本人。」だという一文が 妙に

心に残って( そうかもなぁ、)と考えさせられた事があります。


その方の思い出に いろんな会社にセールスに行ったが 長く待たされた

事がない。 プリーズプリーズと 招きいれられ ジャパニーズイングリッシュ

そのままに ハウアーユー ハウアーユー。


何度か出会う 同じセールスマンと親しくなって 話を聞いたら アポは取った

か、何分の遅刻だ 話し方が気に食わないと 散々の目にあっているという

内容に驚いたという記事だった。時間が守れなくて 叱られるのは当然

だけれど、それにしても充分 想像可能な話だと 僕はニガ笑いでした。


オマケに ガックリしたのが 六本木で女の子に声をかけて ミスった事が

ない・・・つまり全員、オワリまですませた・・・という表現にはフーン・・・・・・・。


負けるつもりで試合をする人はいないし、精一杯取り組んだと言う選手全員の

熱い思いに 大きな拍手を贈りましょうよ。


宿屋の おやじ は そう思いました。


さて 陽射しが強烈になってきた 湯本温泉です。    ではでは。

395. 一挙に涼しくなりました

一昨日から 湯本は 一挙に秋になったように涼しくなりました。

宿屋にとっては クーラーが不要になった分 ありがたいのですが 世界の自然

からみたら ここ数年の 春と秋が無い季節の流れがいいのだろうか・・、と

考えてしまいます。