379. 昨夜は仙崎の花火大会でした
ここ数年お邪魔していないのだけれど いい天気に恵まれて 大勢のお客様で
賑わった事と思います。
妻と彼女の実家から送られてきたスイカを ほおばりながら話したのは 子供達
がまだ小学校や中学校に通っていた頃のことでした。
地元の 商工会議所の青年部に所属していて それはそれで楽しかったのだ
けれど 少し残念な思い出が この 花火大会だったのですよ。
青年部の年間予算に占める この大会実行委員会からの助成金がかなりの
額であった事もあり、当日は 朝から準備に追われていた。
会場近くの 小 中 高校のグランドでの ライン引き これがまた 数が多くて
暑い中での作業だから 昼過ぎには もうヘトヘト。自宅で 水をかぶるとすぐ
夕方早目に集合して 今度は 駐車場の案内 整理。終了後には 後片付け
で 24時過ぎに やっと放免。
今頃は 本当の海上からの打ち上げで そんな事はなくなったのかも知ら
ないけれど、 ある時期の三年間くらい 埋め立て地からの打ち上げで
翌日には その花火の 残骸・・・の回収が待っていた。
子供達がまだ小さくて 「 お父さん、花火にいこうや。 」と誘ってくれる間は
何もしてあげられない状態。そのうちに 青年部を卒会する頃になって親の方
から 誘いを掛けると 「 あのね、○○時に ○○君と待ちあわせだから。」
「 お父さん、 ○○時に どこそこに集合だから 送ってちょうだいよ。 」と
こちらが相手にしてもらえない。
ほぼ全員が号令を掛けられての取組みで 誰がどう、とはいえないのだけれど
真面目に取り組むメンバーばかりが 割りを食っているようで 何年間か真剣に
「 補助金を辞退して 家族サービスに徹するべきではないか、アルバイトや
シルバーさんの力を借りるのも一つの選択肢ではないか 」と 真剣に討論した
事もあったけれど 長門市で最大級のイベントに 協力しない・・・・ってのも、と
結局は そのままで 僕自身 いつの間にか OBになってしまった。
ところで 埋立地での 花火の残骸回収で こんな事がありました。
10時頃の集合で 途方もない広さの空き地に集合した 20名ほど。
正直 これほどの数の残骸とは思いもせず 気が狂いそう というか まったく
はきそうだった。公称5000発の花火の 数十倍のかけらがそこにあるわけで
いくらかは海に落ちたはずでも とても 一日では無理だと思えた。
とにもかくにも 取り掛かって、少々残したものの 何となくめどのついた 15時
頃に その残骸を燃やしながら 会員と丸く輪になって 見るともなしに 火を
みていた。
誰かが「 あまり大きな不発弾って無いものですね・・・。 」と声にしてじきの頃、
何となく全員が 顔を見合わせた。それまでに 小爆発はあったものの
へーっ なかなか 昼の花火もいいものだ、くらいで片付いてはいたのですよ。
不思議とその時は 全員が 共通した 生命の危険を感じたものか 火の中に
尋常でない雰囲気を感じて 全員が「 ワッ 」と 悲鳴を上げて 逃げ出した
のです。
未だに思い出すと ドキドキしますが 逃げる僕達の頭の上を ヒューンという
花火独特の快音を発しながら 黄色の火の玉が何個も飛び越えて行った
のでした。
しばらく全員が言葉を失っていましたが そのうちに笑い声が出てきて 熱い
土の上で 仰向けになって 全員がおなかをよじらせて 笑いころげました。
一人もケガをしなかったのは 本当の 奇跡だとしか 表現を知りませんが
笑い話ですんだ 貴重な体験でした。
またまた長文。ご寛容に。 宿屋の おやじ でした。