経済学上の利潤 | 秋山のブログ

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マンキューの教科書日本語訳解説ページから。

逓減とか均衡とかがありえないという話は置いておいて、さらに根本的な問題。

マンキューの教科書から引用する。
『この結論はオイラーの定理と呼ばれる有名な数学的結果から導き出されます。つまりそれはもし生産関数が規模に関して収穫不変ならば、そのとき以下の通りになります。
F(K,L)=(MPK×K)+(MPL×L)
 もしおのおのの生産要素がその限界生産物に支払われるのならば、そのときこれらの要素支払いの合計は総産出物に等しくなります。言い換えれば、規模に関する収穫不変、利潤極大化、そして競争が一緒になって経済学上の利潤がゼロになることを意味します。』

MPKはKで関数Fを偏微分したもの、MPLはLで偏微分したものである。これを読むと、オイラーの定理によって経済学上のこの考えが証明されているように思えるのではないだろうか。しかしこれには大きな落とし穴がある。
オイラーの定理は方程式にn次同時という条件を加えれば、そのように変形できるということを示しているのにすぎない。規模に関する収穫不変という条件は、現実に近いように錯覚、もしくは狭い範囲において観察できるかもしれない。しかしそれは例えばxの自乗の曲線の一部を観察して2次ではなくて1次だと言っているようなものだ。誤差を許容するならば(現実では誤差を許容せざるをえない)、ほとんどの場合一次同時だと言い張ることが可能だろう。一次同時かどうか確認するためには広範囲の観察が必要だが、均衡というのは範囲を極めて狭く限定することに他ならない。

次に、数式をみてみる。MPLは『MPL = F(K,L+1) -F(K,L)』と定義される。要するに労働1単位増加分の生産量の増加分だ。労働を増やしても増える利益がゼロになるようなLまで労働が投入されるということになっている(現実はそんなわけないし、直接観察された例もない)。そしてそのようなLの時のMPLはW/Pの値をとる。一方、利潤は『利潤 = P・F(K,L)- WL - RK』であらわされる。この両辺を価格Pで割った右辺は、F(K,L)=(MPK×K)+(MPL×L)における均衡点でのMPK、MPLに一致する。こんなに綺麗に一致するのだから、F(K,L)=(MPK×K)+(MPL×L)という式は生産をよくあらわしているように見え、労働と資本がそれぞれに対して独立し且つ各々が取り分を持つということも、逓減による均衡も、一次同時関数であるという話も、全て正しいように思い込むというのが、このレトリックだ。しかしなんのことはない。一次同時関数であると仮定さえすれば、どんな適当な関数でも成り立つのである(極論すれば労働力Lとグレッグ君の体重Wで数式をつくっても結構フィットするだろう)。

さて、マンキューの教科書では、『規模に関する収穫不変、利潤極大化、そして競争』があれば利潤はゼロになるとしている。マンキューが言うような生産のメカニズムが正しければ、それらの3つは多少の不具合はあっても大凡成立することとなる。すなわち、労働者の賃金と金利以外の利益はでないのが大凡の結果となる。そして、これは現実と違うのではないか(利潤が存在する)ということに対して、企業がもともと持っていた資本に対しての利益だと主張している。
上記の数式では、賃金と利率は外から与えられている。それらは様々な要因により決められるが、現実では人の心理にも大きく影響される極めて不確実なものである。賃金に対して投入される労働量が決定されることになっているが、賃金が低下傾向であっても労働量が増えるという現象は観察されない。商品の需要予想で供給量が決まるというのが現実なのだから当然のことだ。経営者は、利潤を増やすために賃金低下の努力をする。そんな当たり前の話にも反している。
不確実な賃金と、それに反応して労働量が増えるわけではないということを考えれば、式の後半部分が労働による取り分だとはとても言えないだろう。しかし、資本の取り分は計算不能であることをいいことにその残りを強欲に要求する。内部留保を肯定する理論でもあり、全く不健全な理論だと言えるだろう。