批判的頭脳

建設的批判を標榜し、以って批判的建設と為す。
創造的破壊を希求し、而して破壊的創造を遂げる。


これまで書いた記事のまとめと紹介 2016/3/16
http://ameblo.jp/nakedcds/entry-12139425582.html


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進撃の庶民に寄稿したコラム。リンクはこちら


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河野龍太郎『日本経済は完全雇用の状態にあり、企業業績も良い。』という言説に代表され
るように、昨今の雇用情勢を「完全雇用」と認識する向きが経済学者、エコノミストに多い。

私は現状が完全雇用だとは到底評価できないが、そこにはおそらく、完全雇用の意味の食い違いみたいなものがある。

この食い違いはケインズが一般理論において(不)完全雇用の定式化をミスしたことに由来するのではないかと思っている。ケインズの理論では総需要追加がインフレを通じて実質賃金を引き下げ、雇用が増えることになっていた。

しかし、これは実証的に間違いだった。

ダンロップ=ターシス批判によって、実質賃金は反循環的ではなく、正循環的である(総需要増加に際して、実質賃金は上がる)ことがわかったのである。
それに従い、ケインジアンは理論を修正し、総需要追加が(インフレによる実質賃金切り下げではなく)企業の生産量を伸ばすというメカニズムを用いるようになった。

総需要追加が不完全情報や粘着価格を通じて企業の生産量を増やすようなモデルでは、労働者一人当たりの限界生産物が増加することを通じて、実質賃金と雇用量が並行して増えるシフトが実現するのだ。

裏を返せば、このことから、実質賃金が減りつつ雇用が増えるシフトは、実は総需要由来ではないことが予想される。
私は、昨今の雇用数量改善は、人口動態シフトが起こしたという仮説(『労働需給曲線で考えるアベノミクス』)を採用しており、これは、まだ総需要追加による労働限界生産力シフトの余地がまだあることを示唆する。

現状は、雇用余地が増えないまま、ワークシェアが進んだに過ぎない、というわけである。
総需要追加によって労働限界生産力が追加されたとき、それがさらなる就業者増加として消化されるか、就業者一人当たり所得の増加として消化されるかは分からない。

だが、いずれにせよ、より望ましい均衡へのシフトであることに疑う余地はないはずだ。
その意味で、「理想の」完全雇用はまだ遠い。

余談だが、完全雇用かどうかを含めて労働市場を分析する「UV分析」という手法がある。
この手法では、雇用失業率と欠員率(有効求人数の余り具合)のバランスで完全雇用を評価しており、この評価からは完全雇用が実現していることになっている

ただ、これは現行のデフレ傾向をうまく説明できない。(基本的に、完全雇用に近づけば、経済はインフレ傾向を示すはずである)

UV分析は、雇用失業率と欠員率の比較を用いていることからわかるように、単純な数量のバランスを評価することに特化している。
そのバランスが現実的にどういう形で実現するか(するべきか)には踏み込んでいない。
まして生産量や賃金がどうなるかも性質上評価することは出来ない。
加えて、UV分析が予想する均衡失業率は欠員率(求人数の余り具合)から評価されるから、可変的であり、実際ここ数年は均衡失業率自体が減少傾向にある。

欠員率は、雇用のミスマッチがあれば高まるのだが、雇用のミスマッチは失業の履歴効果で強化されるからである。

失業の履歴効果(高失業による労働力陳腐化)によって欠員率が上がるのとは逆に、就業率自体が上がると、労働市場全体の労働力陳腐化が抑制され、これは欠員率を抑制し、均衡失業率が変化する。

これはUV曲線(雇用失業率と欠員率のトレードオフ関係)を変化させる。





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進撃の庶民に寄稿したコラムの転載である。リンクはこちら

グローバリズムによって生まれた/失われたイノベーション、及び関税・貿易・成長の関係


グローバリゼーションが「底辺への競争」を呼び、先進国全体で労働者待遇への下降圧力をかけ続けてきたということは周知の事実になりつつある。

実際、そうした圧力を背景にして、先進国各国の反動的な状況(典型的なものはトランプ大統領誕生)が成立しつつある。

今回は、「イノベーションの発生とその性質は、現実の状況を誘因として決まる」という理解を基礎にして、グローバリズムがどんなイノベーションを齎し、どんなイノベーションを破壊したかを論じる。


端的に言えば、グローバリズムは『より安い労働者の希求』に関して様々な『イノベーション』をもたらした。
具体的には、ある国の低賃金労働者を利用可能にするためのインフラ投資資金を、ODAという形で政府から引き出す、などの『画期的』手法が開発、導入された。

他にも、企業の多国籍化を利用し、『法人税を下げなければ海外に移転する』という圧力を国際的画一的に実現することに成功した。
これにより、低賃金労働者の利用による利得が仮にあったとしても、それが国家的国民的(再)分配を決して受けないという現行の構造が確立することになったのである。

企業のグローバリズムは、こうして『政治的技術』のイノベーションを強く促したのだが、そうしたイノベーションは必然的に国民的利益を閑却するものとなった。
グローバリズムの土台それ自体は、(国民)国家の確立と国家間の連携に基礎づけられているにも関わらず、である。

また、政治的技術のイノベーションは、少なくともそれ自体が経済厚生を改善するという効果は持ち得ない。
産業効率にしても、生産品の多様性にしても、改善することがないからである。
むしろ、『安い労働者の希求』にかまけることそれ自体は、却って労働生産性の改善志向を妨げることになりえる。

歴史的に見ても、産業の合理化が広範に志向・実践されがちなのは、戦争における人手不足の時期であることが知られている。
人手の希少化、換言すれば、高賃金こそがしばしば(産業的)イノベーションの源になるのである。
グローバリズムそれ自体は、そうした技術革新を促す効果をもたない。


さて、グローバリズムに関連して、中野剛志が『富国と強兵』で強調したある事実を再び取り上げたい。
近代の短くないある期間において、関税、貿易規模、経済成長は正の相関を持っていたことが知られている。
端的に言えば、関税を引き上げると、経済が成長し、その結果として貿易が拡大したのである。

関税を引き上げることは、理論的には、貿易と生産を縮小する結果をもたらしそうだ。

しかし現実には、関税の設定が自国生産を促すと、その所得成長が(関税によって割高であっても)輸入成長を基礎づけたのである。
関税の代替効果(相対価格上昇による輸入減)を、関税の所得効果が上回ったのだ。


翻って、WW2以降になると、その関係は崩れ、関税の低下の中でも貿易と生産が成長するようになった。
WW2を境としたこのような構造変化は何がもたらしたのか。
おそらくは、WW2による政府拡大が置換効果を受けて民政化し、広範な再分配が実現したからであろう、とされている。


『なぜ再分配が、関税の低下による貿易・生産の"縮小"を防ぐことができるのか』
という問いに答える前に、
『なぜ関税の引き下げが、貿易・生産を縮小し得るのか』
について詳説しておく必要があるだろう。

まず関税の引き下げは、比較劣位の産業を衰退させ、企業の破壊と失業を一過的にもたらす。
リカードの比較生産費説では、この際生ずる失業者が比較優位産業に移ることで、全体の経済厚生が改善することになる。
しかし、産業間の代替性が小さかったり、労働移動に大きなラグがある場合は、そうした経済厚生の改善を享受することは簡単ではない。
むしろ全体の所得は、一時的であっても減りうる。


比較劣位産業の崩壊がスムーズにリカバリーしない場合は、関税の引き下げが全体所得を引き下げ、結果的に貿易規模も伸びないか、却って小さくなるということは十分起き得る。
ここで再分配を導入し、比較優位産業の所得上昇を比較劣位産業の失業者に移転できれば、全体の消費水準は維持、上昇しうる。


特に、その再分配の構造が、単純な給付ではなく、比較優位産業への適応を促進するような支出(職業訓練など)で構成されている場合は、特にその正の効果は強くなる。
ただし、比較優位産業の成長余地や波及のポテンシャルによって、国家間で差が出る可能性があることには留意しておきたい。

例えば、ある国の比較劣位産業が工業であり、工業の成長それ自体が経済全体に強力な波及効果を持つ場合は、比較劣位産業の淘汰は、当該国の将来的な成長を著しく減ずる。
その好例としては帝国主義時代の各植民地、特にアルゼンチンにおける農業の隆盛と工業の衰退を挙げることができる。




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最近、浜田宏一がクリストファー・シムズ教授を取り上げたりした関係で、FTPLが注目されているらしい。


インタビュー:財政健全化目標、期限にこだわる必要ない=浜田参与

FTPLはヘリマネなのか? 「今は財政の出番」シムズ教授インタビュー

FTPLについては以前twitterでつらつらと論じたことがあるので、興味のある向きは「FTPL(物価水準の財政理論)に関する一連のツイート」をご覧いただきたい。


さて、今回は、FTPLの理論的構造を概説しつつ、そのおかしさを論難していく。

まず、FTPLは、「財政学は何を間違ってきたのか」のコラムでも批判的に取り上げた「横断性条件」に基礎づけられている。

横断性条件を再び簡易的に説明すると、「各経済主体は無限遠点では無駄な貯蓄を残さない(無限遠点では所得を消費し切る)」ことから「無限遠点での貯蓄はゼロである≒貯蓄の現在価値は無限遠点でゼロに収束する」という条件である。


財政学がなぜ日本財政を破綻的と論ずるかというと、「日本財政が横断的条件を破っているから」ということを論拠にしている。


横断性条件はリスクフリーの金利=時間割引率とも密接な関係があるのだが、上記コラムからその部分を引用しよう。



『この条件はもう少し厳密に考える必要がある。というのは、時間割引率というものが存在するからだ。
時間割引率とは、ある量の(貨幣を含む)財の主観的価値が、時間が経つごとに減っていくその割合のことである。
明日のステーキは来年のステーキより魅力的だし、来週の給料は来年の給料よりありがたく感じられるだろう。
明日もらえる一万円と、来年もらえる一万百円、どちらを選択するとなって、前者を選ぶ人は多いだろう。
この時間割引率を反映する実際の指標が、金利(正確にはリスクフリーレート)である。金利は、流動性(貨幣)を一定期間手放すことに対する報酬である。年利が2%なら、いまの100円≦来年の102円という判断があることになる。裏を返せば、2%以下の金利を受け入れないということなので、いまの100円>来年の101.9…円という風に判断しているということになる。(ここまでの議論ではリスクプレミアムを無視している) 年に2%の割合で、貯蓄価値を割り引いているわけだ。

先ほど述べた「貯蓄はゼロであるべき」という条件は、時間割引率を用いて厳密に定義すると、「時間割引した貯蓄がゼロに収束するべき」という条件で定義される。この条件のことを横断性条件という。(NPG[No-Ponzi Game]条件と称されることもある)
この場合、実は貯蓄は増加しても横断性条件を満たせる場合がある。時間割引率以下の増加は、貯蓄の現在割引価値を増やさないからだ。逆に、時間割引率以上の貯蓄増加は起こり得ない。そういう場合は、時間割引率=金利が引きあがる場合か、貯蓄の実質的な価値が下がる…インフレによる貯蓄減価が生じる場合だけになる。

ということで、横断性条件は簡単に言えば時間割引率≧貯蓄増加率、すなわち金利≧貯蓄増加率で表現できることになる。

ここで、貯蓄とは、常に誰かに対する「貸し」である。預金だとしても、国債だとしても、株だとしても、それぞれ銀行、政府、企業への「貸し」になっている。というわけで、必ず「負債」が対になっている。預金は銀行の負債で、国債は政府の負債である。株は会計上企業の負債ではない(企業は返済義務がない)が、資金循環上は負債として扱われる。直接返済するのは企業ではなく、他の株式投資家ということになるだろう。 (参考 資金循環統計 )

よって、横断性条件は、貯蓄と同値のものとしての負債に対する条件だと見做すことが出来る。金利≧負債増加率が横断性条件となる。』



この説明が難しすぎるようなら、単に「”定常的な条件のもとで”、貯蓄(をもとにした負債)形成が増えるには、その分だけ見返り(金利)が上がる必要がある」という風な条件だと考えてくれれば良い。


債務増加率が上昇したとき、当該債務が横断性条件を満たすには、「見返り=金利が上昇する」か、「インフレによって債務の実質価値が下がり、債務増加が実質的になかったことになる」かのどちらかしかない、ということになる。


察しの良い方は気づいたかもしれないが、後者の効果に基づいてインフレを予測するのがFTPLである。


FTPLは政府財政がリカーディアン的財政(現在の財政赤字を将来の財政黒字で取り返すことを明示した財政)と非リカーディアン的財政(現在の財政赤字を埋め合わせないことを明示した財政)に切り替えることをアナウンスする『だけ』で、インフレになることを示唆する。

しかしこれは、現在の財政がリカーディアンであるということが国民に認識されていることを前提としている。


ところが、実際には20年以上の長きにわたり多大な財政赤字は硬直的に存在し、消費増税は先送りされており、財政破綻本は通算ではバカ売れした。このような状況で、現在の財政がリカーディアンだと信じている国民がいるだろうか。

実際、現行の財政健全化計画が財政再建に失敗すると予想している人々は多数派なようである。

「財政健全化計画を評価する」有識者アンケート


したがって、もともと財政は非リカーディアンだと国民に予想されているので、非リカーディアンであると喧伝しても何ら効果はないだろう。

むしろ問題は、非リカーディアンであることが明らかに露呈しているにもかかわらず、金利上昇もインフレもどちらも起こっていないということである。


これは、『横断性条件の破れ』と言っていいだろう。先のコラムでは、この横断性条件の破れがなぜ起きているかを考察するのに苦心したコラムなわけである。


また、仮にFTPL、その土台である横断性条件が成り立つとするなら、現在の財政赤字は十分であるか過剰すぎる。

財政学者が喧伝してきたように、現在の財政赤字に横断性条件を適用すれば、実現するインフレは極めて高くなることになる。

したがって、FTPLが導入される暁には「FTPLに基づき、大きすぎる財政赤字を必要十分な財政赤字に抑える必要がある」という危険な議論になりかねない。というか確実にそうなる。


マネタリズムもFTPLもインフレ予測に役に立たない」という立場からは、FTPLの政策適用は断固反対である。

それが前提としている条件の現実との整合性は極めて乏しいし、そのインプリケーションが示唆する政策が総需要創出に際して十分とは到底考えられないからである。



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togetterで投稿したまとめ『セイの法則(の陥穽)、生産効率化が生産増加として消化される条件』で行った議論を、補足しつつまとめようと思う。



セイの法則は、「供給それ自体が需要を生み出す」という標語だけが独り歩きしていていまいち理解されていないのだが、これを(体系的に)理解するための記事を過去に書いたことがあるので、興味がある向きは通読してくださるとありがたい。


セイの法則、ワルラスの法則、ついでにデロングの法則についてまとめておく


あっさり言えば、セイの法則は物々交換経済を前提にしており、したがってある財の超過供給というのは、その時点で必ず他の財の超過需要を意味していることになり、広範の財の超過供給というのはあり得ないということである。

これに対するケインズ及びケインジアンの簡便な反論(セイの法則が破れる一つ目のパターン)は、記事にも書いた通り、貨幣や安全資産(貯蓄用資産)を導入した場合の指摘である。
こうした貯蓄資産への需要過剰(供給不足)がある場合は、実物財、実物サービスでの広範な需要不足はあり得ることになるではないか、というのがケインジアンの基本的なアイデアである。
その帰結として、ケインジアンは『潜在貯蓄過剰』の解消を通じて、消費の最大化を実現しようとする。
(潜在貯蓄需要を満たすための貯蓄資産供給≒財政赤字の提供、或いは貯蓄よりも消費を促すような再分配政策や社会政策など)



しかし、今回は別方向からセイの法則の破れ(セイの法則が破れる二つ目のパターン)にアプローチしたい。

セイの法則、ひいては経済学(の余剰分析)では、生産効率化は、シンプルに生産量の増加として処理される。
正確には、生産効率化によって生じる生産可能フロンティアのシフトが、実際に起こる生産のシフトを描写すると考える。


しかし、単純な生産効率化が、必ず生産量の追加として消化されるというのは、現実の経済をそのまま反映した条件とは考えにくい。
現実の経済でよく起きうる現象としては、「数量据え置き」及び「応分の解雇(あるいは新規雇用の削減)」であろう。

脱市場、脱成長が齎す文化的退廃 その裏にある市場の本当の恐怖で挙げた農家と演奏家の例えを流用すると、農家の生産効率化と並行する演奏家の創出が無い場合、生産効率化は、応分の解雇と餓死を生み、経済成長どころか人口減少だけを生ずることになる。

もし、生産効率化がその時点で応分の生産量増加をもたらすということになっていれば、こういったことは起きない、乃至起きにくい。なぜなら、農家の手元にはすでに余剰生産物が山積みになっており。限界効用逓減に従って他の財やサービスに貪欲になることが予想されるからである。

ところが、実際には、生産効率化が生産量増加として処理されるとは限らない場合は、そうした効果は発生しないことになる。

厳密には、生産量据え置きで解雇が発生した場合、残った農家の一人当たり所得は伸びていることになり、消費の所得効果によって他財消費はある程度伸びることが予想される。
しかし、そうした他財消費の発生条件は、解雇された農家が他財生産にスムーズに移行できた場合に限る。そこにある程度のラグや固定的な不可能性がある場合は、既存農家は農家数据え置きの生産量減少で調整することになる。もちろん解雇農家は死ぬ。

裏を返せば、他財生産の勃興や成長がスムーズに起きていれば、全体での人口維持(と成長)が見込めることになる。

もう一つ、全体での人口維持が成功する方法としては、再分配がある。
ここでは、高度経済成長期における専業主婦の増加を挙げたい。
それまで、女性は(富岡製糸場などが想起されるように)立派な労働力として利用され続けてきた。にもかかわらず、高度経済成長期に急に専業主婦が激増するようになったのはなぜか。

これは簡単で、一人当たり所得の急激な成長が原因である。
これにより、稼得主体を男一人にし、女子供を養うことが出来る家族形態が広範に実現可能になった。これは、男から女子供への再分配と見ることが出来る。

もし、高度経済成長が専業主婦の増加として『消化』されなかった場合はどうなっていただろうか。
一つは、漏れた労働者(これは女とは限らない。なぜなら、専業主婦になれない分だけ女の労働参入も激しくなり、応分の男が蹴落とされるからである)の死亡。
もう一つは、女性の性産業等就職の増加による解消である。(これは、他財生産の勃興や成長による人口維持のメカニズムと同一のものである)


このことは、生産効率化を消化する方法としての再分配の効果を確信させる事象である。

余談だが、ここで扱った現象は、実は「余暇の所得効果」と酷似している。
余暇の所得効果とは、労働と余暇の選択において、所得がもたらす二種類の効果の一つである。
まず、賃金率(ありていに言って実質の時給)が上昇する場合、労働追加による所得上昇→消費増加が齎す効用増加が、余暇減少による効用減少を上回る場合は、労働が増加し、余暇が減少する。これを労働の代替効果と言う。
これに対し、賃金率の上昇によって、所得→消費が全体的に上昇した場合は、限界効用逓減に従って消費の追加効用は小さくなる。
もし労働減少による所得減少→消費減少が齎す効用減少が、余暇追加による効用追加を下回る場合は、労働が減少し、余暇が追加される。これを余暇の所得効果と言う。

これは一人の人間の選択として描写されているから、複数人の経済ではもう少し事情は複雑になる。
例えば、当該社会の社会的性質や、当該民族あるいは人類全般の生得的性行動の性質によって、余暇の分配が大きく偏る場合はあり得よう。実際、高度経済成長期では、余暇は主婦に大きく分配されたのである。
その理由は「上昇婚志向」とするのが一般的と思うが、それに関する議論はあまりに主題から離れすぎるので割愛する。


問題は、そうした余暇の分配においてすら、何かしらの再分配構造(婚姻形態と専業主婦の混合など)が必要とされるということである。


専業主婦発生に関する一連の議論は、産業間の分割をある程度無視してしまっているので、話を「農家と演奏家」レベルまで戻そう。


イノベーション、分配、経済成長で指摘したように、農家の生産効率化を成長として消化するには、演奏業の成長によって農家から生産物を引き出すことが必要であった。

特に、生産効率化が生産量増加に近似できないため、限界効用逓減による他財需要増を前提とは出来ず、そのため他産業による引出は極めて不安定である。そもそも、産業間の労働の代替性に限度がある場合は、成長による消化はなお難しくなる。

こうした場合、再分配を成長消化のための代替手段として利用可能なのであった。


しかし、なぜ生産効率の改善が、初期保有量の単純増加ではなく、応分の解雇と初期保有量の維持で消化され得るのだろう?

ニューケインジアンなら、価格硬直性を持ち出して、その調整としてのマネーサプライ追加(『信用創造の罠』のもとでそれが可能なのは財政政策だが)を主張するだろう。

NKの価格硬直性の説明(メニューコスト、協調の失敗)には別にケチを付ける気はないので、置いておくとしよう。

それとはまた別個で、「生産効率化が保有量増加に直結しない=技術的失業として解消される理由」については考えてみたい。

当たり前のことだが、現代経済は、一人一人の限界生産性を簡単に計算できるような単純な経済では全くなくなっている。
生産という業態は、多様な業種の複雑な相互関係から成立し、誰がどれだけの生産性を発揮したかなど、本当のところでは誰にもわからない。

その中では、雇用も、賃金も、極めて便宜的に決定するだろう。
つまり、「ある就業候補者の限界生産性はいくらだから、これだけの賃金であればペイする」というような計算の結果として雇用が提供されえない。
むしろ、予想される生産量(需要量)から逆算されるのである。


そして、高度に複雑化した経済の中では、その中でも予想の安定化を目指すために、極めて計画的な契約と生産が志されるだろう。
そこでは、価格も数量も硬直的な生産計画が成立し、そこから必要な労働力が逆算されるようになる。
ここでは技術的失業が容易に起こる。


この一連の考えは、極めて非主流派的なもので、限界生産性=賃金というシンプルな仮定を無邪気に信じるラクチンな経済学からは大きく乖離している。
しかし、私には比較的現実的な想定とも思えるである。
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以前、進撃の庶民に投稿した拙コラムを転載したものである。


脱市場、脱成長が齎す文化的退廃 その裏にある市場の本当の恐怖に関連した話として、イノベーションにおける成長と分配について考えておこうと思う。こんなことは本職の人がやっているだろうし、その先行研究をきちんと参照すべきだろうが、最近そんなにまとまった時間が取れないので、とりあえず先見として行っておく。

ラッダイト運動に知られるように、機械化は一時的に労働者雇用を減らすように働き、それに反発するような働きをした。しかし現在周りを見回してみれば、機械化なしではあり得なかった事業及び雇用の創出を多数目にすることが出来る。一例として、(自動車産業の発展を含む)交通網の発展は、小売活性化や観光業を明らかに刺激した。

先に挙げた記事で例示した「農家と演奏家」の話は、その2職業で完結してしまうが、工業は、明らかに人々の生産活動(しかも、衣(医)食住に留まらない)の幅を広げることに成功した。
これは工業化を先んじて達成した国が、そうでない国に明らかな所得差を付けたことからも明らかと思う。

この場合に重要なのは、工業化で差がついたとき、必ずしも工業生産だけに注目しても仕方がないということである。
工業化によって農業生産効率が改善する例が分かりやすいが、それ以上に、第三次産業も効率、及び事業創出、雇用創出の面で刺激を受けている。

だから、たとえ先進国で第三次産業所得が大多数だからといって、工業化の遅れている途上国がそれを模倣することはできない。先進国においては、工業以外の分野ですら、工業それ自体による刺激を受けて成長したからである。そして工業以外のそういった成長は、雇用も吸収することができた。

工業化による効率化と、工業化による事業創出が齎す雇用創出=分配創出が相乗的に働くことで、穏便な成長を達成し得た。

裏を返せば、このどちらを欠いても、成長は達成できない。農家と演奏家の例えでいけば、農家が演奏を嫌って且つ演奏家を農作業から解雇したら、演奏家は飢え死ぬしかない。


この場合、演奏家が生きてさえいれば発生した農産物需要がなくなっていることに注目して欲しい。その結果として、農業効率化が、成長を齎さないどころか、人口減少を齎す圧力と化してしまっている。

効率化の果実を成長として得るためには、分配が機能しなければならないことがこれで明らかになる。

工業化においては、(新しい事業の開拓による)分配がまずまず機能したことが伺える。

これからの技術進歩においてはどうだろうか。情報技術進歩は、多くのコンテンツの無料交信を可能にし、音楽産業などに少なくない打撃を与える一方で、課金ゲーなどのフロンティアも提供しているかもしれない。

しかし、もし何かしらの形での雇用=分配創出に失敗してしまうようなら、どんな技術進歩も成長として消化することが出来ないだろう。何なら、雇用における悪影響を防ぐため、労働者が経済合理的に技術進歩の利用に抵抗するかもしれない。

ラッダイト運動のような明示的な形を取らずとも、技術進歩を利用した職場効率化に非協力な傾向を示す、というような「小さなラッダイト運動」は十分にあり得そうなことだ。

こうした傾向を取り除くには、何らかの形での雇用保障、あるいは再分配の強化が有効になるのかもしれない。

今明らかに市場縮小あるいは市場破壊、雇用削減として機能しているような技術進歩も、それに対する人類の適応に従い、少しずつではあっても新市場や新雇用を提供するようになるかもしれない。再分配は、それを阻害してしまうだろうか?
私は、過剰な再分配でない限りはむしろ刺激すると考えている。

もし再分配が弱ければ、それこそ以前例示した演奏家のように、飢え死ぬだけに終わるのではないだろうか。
再分配による人口の維持が、新産業への人手の供給源になる。
さらに再分配は、(一時的には雇用が減るような)効率化を社会的に消化しやすくなるような円滑化作用も持ちえるだろう。

WW2以降、政府の相対的経済規模が拡大し、また福祉が整備される中で、多くの国が未曾有の経済成長を経験したのは、偶然ではないと思う。少なくとも、ある程度の福祉については、成長抑制的とは言えない。このことは先進国各国からある程度推察できることである。むしろ成長刺激であるかもしれない。

この議論は、私が好んで引用するこのコラム『イノベーションの本当の源は高賃金』とも関係するかもしれない。イノベーションを刺激するのは、単なる技術水準やその変化よりも、それを生産効率化として消化したがるような社会的な圧力や構造の方だ。ありていにいえば「高賃金」である。

日本の政策的課題として、イノベーション(の不足)が挙げられるとき、それが日本の技術的遅れや、社会制度構造の遅れにアバウトに基礎づけられて議論されることに、私は強い違和感を覚えている。
それ以前に、イノベーションを成長によって消化したくなるような誘因を欠いているのではないか。

もし日本が、成長を可能にする技術的可能性を持っているにも関わらず、それを腐らせてしまっているのだとしたら、その問題の根は、(再)分配の致命的欠如にあるのではないだろうか。その場合、人口減少圧力が強まるのは必然的とも思える。(もちろん、人口減少圧力は他にも多く要因はあるだろうが)

思ったより長々しかったのでまとめると、「人を節約するような技術革新は、それによって節約される人の生活が再分配で保障されていた方が進むのではないか。 そうして生まれた人材余剰が、新産業創出を刺激するのではないか。 そう考えると、再分配はむしろ成長刺激的ではないか。」という話である。





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