批判的頭脳

建設的批判を標榜し、以って批判的建設と為す。
創造的破壊を希求し、而して破壊的創造を遂げる。


これまで書いた記事のまとめと紹介 2016/3/16
http://ameblo.jp/nakedcds/entry-12139425582.html


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これは2016/6/23に進撃の庶民に寄稿した拙コラムの転載である。



財政学の誤りについては、『大学の経済学講義で見る「財政学」の罪』『主流派経済学はなぜ消費税増税を解として導くのか』でも論じてきたが、このコラムでも(少し考えを変えたり付け加えたりしたところを含めて)改めて論じなおしておきたい。

財政学者は、はるか前から日本の財政が維持不可能だと喧伝し、一刻も早い財政再建の必要性を喧伝してきた。(井堀と土居のボーン条件に関する論文などが典型的である)
他にも、東大の経済研究者主宰で「財政破綻後の日本経済の姿に関する研究会」が設立されたりもした。

ところが、日本経済財政は、どう考えても彼らの想定するような破綻的様相を呈そうとしない。このことについて、残念ながら財政学は十分に説明できているとは言えない。

ここで、財政学がなぜ「日本財政を破綻的である」と考えたかについて概説しておこう。
そのためには、経済学における消費と貯蓄の理論を理解しておく必要がある。
経済学において、所得は最終的には完全に消費されることになっている。その意味で、消費と貯蓄の選択とは、現在消費と将来消費の選択であると定義付けることが出来る。
そして、稼得された所得は、無駄に貯蓄されることはない。ということで、将来的には貯蓄はゼロであるべきだと考えられる。

ただし、この条件はもう少し厳密に考える必要がある。というのは、時間割引率というものが存在するからだ。
時間割引率とは、ある量の(貨幣を含む)財の主観的価値が、時間が経つごとに減っていくその割合のことである。
明日のステーキは来年のステーキより魅力的だし、来週の給料は来年の給料よりありがたく感じられるだろう。
明日もらえる一万円と、来年もらえる一万百円、どちらを選択するとなって、前者を選ぶ人は多いだろう。
この時間割引率を反映する実際の指標が、金利(正確にはリスクフリーレート)である。金利は、流動性(貨幣)を一定期間手放すことに対する報酬である。年利が2%なら、いまの100円≦来年の102円という判断があることになる。裏を返せば、2%以下の金利を受け入れないということなので、いまの100円>来年の101.9…円という風に判断しているということになる。(ここまでの議論ではリスクプレミアムを無視している) 年に2%の割合で、貯蓄価値を割り引いているわけだ。

先ほど述べた「貯蓄はゼロであるべき」という条件は、時間割引率を用いて厳密に定義すると、「時間割引した貯蓄がゼロに収束するべき」という条件で定義される。この条件のことを横断性条件という。(NPG[No-Ponzi Game]条件と称されることもある)
この場合、実は貯蓄は増加しても横断性条件を満たせる場合がある。時間割引率以下の増加は、貯蓄の現在割引価値を増やさないからだ。逆に、時間割引率以上の貯蓄増加は起こり得ない。そういう場合は、時間割引率=金利が引きあがる場合か、貯蓄の実質的な価値が下がる…インフレによる貯蓄減価が生じる場合だけになる。

ということで、横断性条件は簡単に言えば時間割引率≧貯蓄増加率、すなわち金利≧貯蓄増加率で表現できることになる。

ここで、貯蓄とは、常に誰かに対する「貸し」である。預金だとしても、国債だとしても、株だとしても、それぞれ銀行、政府、企業への「貸し」になっている。というわけで、必ず「負債」が対になっている。預金は銀行の負債で、国債は政府の負債である。株は会計上企業の負債ではない(企業は返済義務がない)が、資金循環上は負債として扱われる。直接返済するのは企業ではなく、他の株式投資家ということになるだろう。 (参考 資金循環統計

※転載注:直接的な購入は他の株式投資家の領分になるが、株式投資家がなぜ購入するかという淵源を辿ると、企業による”利払い”(いわゆる配当)に帰結するのであり、企業のそうした支払い(義務)に株式価値の根源があると理解できる。この意味で、非個別会計的、すなわちマクロ的には、株式を企業負債とする(株式の価値が、企業の何らかの支払い義務に依存する)のは大過ないと思われる。


よって、横断性条件は、貯蓄と同値のものとしての負債に対する条件だと見做すことが出来る。金利≧負債増加率が横断性条件となる。

当然のことながら、日本は全くこの条件を満たしていない。1990~2015年の政府債務の増加率は手計算で年複利でみて6%弱であった。金利はその期間のうちのほとんどを低空飛行している。
数学的には、前期債務増分×定率のプライマリーバランス改善でも横断性条件が満たされる(Bohn条件 )のだが、井堀・土居はそれも成立していないと分析している。

この分析で財政学者はどういう結論を得たのだろうか。

ここで財政学者は、「国債金利は異様に低すぎる」⇒「今は国債バブルであり、国債金利は横断性条件が示す水準に”収斂”しなければならない」と考えるのである。そして、ベースマネー供給により金利の収斂を回避した場合は、債務の実質価値の低下として、インフレがもたらされると予言するのである。(横断性条件を通じ、債務増加率から物価を推定する分析を、Fiscal Theory of Price Level FTPL 物価水準の財政理論というのだが、その成績は芳しくないという批判が絶えない 参考:「マネタリズムもFTPLもインフレ予測に役に立たない

疑いようもない事実として、この財政学者の予言は一向に当たる気配がない。「財政破綻後の日本経済の姿」に関する研究会も、振り上げた拳の行き先を無くしているし、かつて破綻論がひしめいていた経済評論において、最も有名な経済評論家は(財政破綻論と対極をなす)三橋貴明となっている。

ここで、主流派見解(横断性条件に基づく財政破綻論)を擁護するある見解として、uncorrelated氏のものがある。
彼が言うには、「国民は財政再建――横断性条件を満たす健全財政――が長期的に実現すると信じている。それゆえ国債金利高騰もインフレも起こらない。もし国民の予想を裏切る財政を行えば、国民の予想が瓦解し、ハイパーインフレになる」とのことなのである。

これは荒唐無稽に過ぎると言わざるを得まい。もし国民が健全財政の実現を予想しているなら、浅井隆や藤巻健史のような破綻論者の本が飛ぶように売れたりはしなかっただろう。現実として、20年以上も横断性条件の破れは続いているのである。この期に及んで、健全財政の実現を予想している国民など、希少種の中の希少種であろう。そもそも――これは強烈な皮肉だが――財政学者自身、「このままでは財政が破綻する!」と喧伝し、財政再建を訴えてきたのではなかったのか。

ここでuncorrelated氏を弁護しておくと、彼自身は極めて優秀な論客だと思うし、頭脳明晰な人物だと思う。そんな彼ですら、このような苦しい弁護しか出来ないという点において、やはり財政学の議論は明確に破綻しているのである。

さて、では財政学のロジックのどこがいけなかったのだろうか? これが分かれば、新たな経済学的地平が開け、正しい判断が可能になる。

……あくまで私の個人的な仮説であり、検証される必要があるが、国債単独に横断性条件を適用しようとすることそれ自体が間違いだったのではないか、と私は考えている。

我々の主な貯蓄手段は言わずもがな現預金である。そして預金は、本質的に政府負債と呼べる性質を持っている。
というのは、ただの偉人の絵のある紙切れ、あるいは電子データに関してその流通価値を担保するのは、現預金のもつ納税能力(正確には、唯一納税可能なベースマネーにアクセスすることが出来る権利)だけである。もしそれがなければ、日本円は誰も受け入れることはないだろう。この意味で現預金は、納税の前借ともいえ、それゆえに本質的に政府負債としての構造を持つのである。

となれば、政府負債の横断性条件を考えるとき、広義の政府負債である現金及び銀行預金も含めて考えなければならない。マネーサプライ(M3)の増加率は、2003~2015において複利で2%を割っている。もちろん、現預金の金利は0%あるいは0%に限りなく近いので、単純な金利と増加率の比較なら、まだ横断性条件を破っている。

しかしながら、この間GDPデフレーターで見ておよそ1%のデフレが続いていた。横断性条件で重要なのは実質金利であるから、これも加味せねばなるまい。また、横断性条件……というより、もともとのモデルは一般均衡を前提としており、完全雇用、潜在GDPと実質GDPの一致が前提とされている。
だが、デフレ・ディスインフレの顕在化する経済では、生産キャパシティ以下に所得は抑えられている。横断性条件で考慮すべき実質金利は、このGDPギャップも考慮すべきだ。GDPギャップが大きければ、潜在的なデフレが大きいということになり、潜在的な実質金利も大きくなる。となれば、そもそも政府負債は(厳密な)横断性条件を破っておらず、現在の低金利デフレ均衡は、ごくごく自然な代物だと考えることが出来るのである。この場合、生産キャパシティを引き出すには、政府負債のより大きい発行が求められることになる。(繰り返すが、これはいまだ仮説に過ぎない)

財政学の間違いは、表面的な横断性条件の破れを絶対無二の真実として信仰し、その理論と現実との非整合性にきちんと向き合ってこなかったことに集約されると私は考えている。
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前回のコラムでは、「誰かの黒字は誰かの赤字」というMMTの格率を基礎としたバブル論等を展開した。

以下では、MMT第三の柱である内生的貨幣供給理論を扱っていく。
MMTの理論は、基本的にこの三つの柱――租税貨幣論、SFCモデル(「誰かの黒字は誰かの赤字」)、内生的貨幣供給理論――で成り立っているというのが私の理解である。

さて、内生的貨幣供給理論は、MMT集中講義①で扱った「通貨とは、基本的に負債である(信用貨幣の原則)」という命題に密接に関連するから、まずは当該命題をおさらいしておく。

厳密な意味での商品貨幣を除き、有史以来のほとんどの通貨、そして(当然ながら)現代通貨は、何者かの負債のうち、決済可能なものとして存在している。もっとも典型的なものは国家貨幣であるが、集中講義①では、それ以外に決済能力を持つ負債として、売掛金や商業ポイントを引用した。

そして、もっと重要な非国家貨幣的決済用負債がこの世には存在する。それは銀行預金である。

お金はどこからやってくるのか――現代金融制度入門ですでに論じた部分があり、重複するだろうが、強調の意味を込めて再論する。(言うまでもなく、当該記事の再読も薦めるが)


銀行預金は、当然他の決済用負債(売掛金や商業ポイント)と同様、国家貨幣(例えば円)で記述され、国家貨幣による履行を求められる負債(銀行預金は、銀行にとって負債)であることは間違いない。銀行預金100万円は、国家貨幣(要するに現金)100万円を引き出す権利(現金引出権)として存在し、銀行にとっては逆に現金供出義務(これは紛れもなく負債)として存在する。(ただし、銀行預金100万円のうち、現金引出あるいは他行振り出しに用いられる部分はごく僅かであるのが現実であって、その必然的帰結として、銀行の日銀当座預金残高総額<<銀行預金総額という関係が成立している。銀行は、さほど国家貨幣、現金を持っていないわけである)

ところが、銀行は、直接に中央銀行の庇護対象となっており、そのことが、銀行預金の決済ヒエラルキーを極めて高位に保っている。というよりは、国家貨幣と中央銀行制度は、銀行の決済不確実性を抑制することで国家経済の効率性・安定性を高めるものとして整備されているのである。

このことから、決済手段として、国家貨幣並びに銀行預金は、他の『私』幣とは隔絶した存在となっている。これらは合算で「マネーストック」あるいは「マネーサプライ」と呼ばれ、他の金融負債とは区別される。(正確には、マネーサプライに合算される国家貨幣は、市中現金であり、銀行が保有する日銀当座預金や現金は含まれない)

要するに、決済ヒエラルキーの極めて高い負債が、マネーサプライと呼ばれているわけである。
当然、決済ヒエラルキーの高い負債(=狭義通貨)の多寡は、経済の活動の大小や安定性に極めて大きい影響を与えることになる。所謂金融政策は、このマネーサプライの操作を通じて総需要の操作を目指すものだ。


ところが、基本的に中央銀行が所有している政策というのは、銀行の保有国債(MMT集中講義①において、国債とは、資金調達手段ではなく、金融調節手段としてのみ存在していることを解説済み)を出し入れして、国家貨幣(ここでは日銀当座預金及び現金であり、ベースマネーとも呼ばれる)を増減させる政策である。

しかし、実際に市中に出回っているお金は、銀行からさらに政府あるいは民間が借入して信用創造された銀行預金、マネーサプライである。銀行外に存在する国家貨幣(現金)にしても、そうした信用創造で生まれた銀行預金から、適宜引き出されたことで流通するようになったものに過ぎない。

つまり、マネーサプライは、銀行以外の主体の借入(負債形成)に応じて発行されることになる。これは経済主体の能動的行動によって生まれるという意味で、外生的ではなく内生的な通貨発行であり、そうした経路で通貨が生まれるという理論(私に言わせれば、それは絶対の現実だが)のことを、内生的貨幣供給理論という。(この理論は、古くは銀行学派に通ずる)


このことは、中央銀行によるマネーサプライ操作の限界を露呈することになる。中央銀行は、ベースマネー(銀行の保有する国家貨幣)を左右する力しか持たず、通貨発行(非銀行主体による借入)に直接影響を齎すことはできない。

厳密には、ベースマネー(国家貨幣)の逼迫は、銀行にとって貸出インセンティブを削ぐものとなり、融資金利の上昇圧力になるだろうから、ベースマネーの影響は多少はある。しかし、今日のように金利が著しく低くなれば、これ以上、国債をベースマネーに変換する行為(いわゆる買いオペ)は無意味になってしまう。

この場合、マネーサプライを直接供給する方法は、政府による信用創造であり、補完的な買いオペを前提とした財政出動以外に存在しないことになる。この意味で、財政出動の方が、マネーサプライの操作と言う面で、むしろ極めて「金融政策」的な機能を持つことになる。


貨幣とは信用(負債)からなり、したがって通貨発行とは信用形成(負債発行)に基づくという理解があって初めて、内生的貨幣供給の理解と、その正しい理解に基づいた貨幣政策の最適な構造の理解が可能になる。



さて、これまでがMMTの理論の概説であった。最後に、MMTの政策提案として代表的なJob Guarantee Programの紹介をして区切りとしたい。

JGPはwankonyankorickyさんのブログ記事MMT⑧Job Guarantee Program の話で詳細に紹介されているが、端的に言えば「最低賃金ラインの雇用を無限大に供給することで、経済の安定を図る政策」である。


最低賃金ラインの雇用の無限大の提供は、それ以下の賃金の雇用を撲滅する最も確実な方法である。このことは、失業者や極貧労働者の発生を極めて効率的に抑制する。

さらに、「賃金は最低賃金ラインよりは高いが、それに見合わない過剰な激務の雇用」いわゆるブラック企業の雇用についても、JGPという逃げ場を用意することで抑制されるようになるだろう。このことは、労働基準監督業務の負担コストを軽減することにもなる。

一方で、最低賃金より十分大きい賃金を欲する人々のインセンティブを阻害しない。したがって、民間のより生産的な経済活動への阻害を最小化できる。

加えて、本来失業するはずだった人々を勤労させることで、そうした人々が労働力として陳腐化してしまうのを防ぐことが出来る。失業に絶望してアルコール、ドラッグ、犯罪に堕したり、勤労意欲や勤労習慣を喪失するようなことを防ぐことが出来るからである。こうして、いつか民間が労働力を必要とするようになったとき、JGPによって安全にストックされた労働者が利用可能になる。これは労働力のバッファーストック・プールと呼ぶことが出来るだろう。

また、失業や極貧労働者への転落は、ローン(今問題になっているのは奨学金などだろうか)の決済などに悪影響を与え、その悪影響が累積すれば信用・金融構造それ自体へのダメージにもなっていく。それを防ぐことは、ローンなどの決済を安定化することを通じて、信用・金融構造の安定化ももたらすだろう。もちろん、労働者全体の生活の安定も増し、犯罪の抑止にもなり得よう。

提供する雇用の賃金を最低賃金ラインで定めることは、インフレが高まりすぎることもある程度抑止できるだろう。(もちろん、どのラインを最低賃金として定めるかに依存する話だが)
また、行政・政府による恣意的で場当たり的な雇用創出政策よりも、公平性・広汎性・安定性の面で優れるだろう。


実際の行政実務に反映するにあたっては、むろん様々な問題点や弊害も露呈していくだろうが、私はこのJGP(Employer of last resortとも呼ばれる)という政策には、多くの妥当性と期待すべき可能性があると考えている。




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さて、前回(MMT集中講義①)では、通貨が本質的に負債であり、国家貨幣が(徴税前借)政府負債として機能することで、現代金融資本主義の基礎が用意された旨(Tax-driven monetary view)を紹介した。


ここでは、MMTの理論構造のもう一つの柱、Stock-Flow consistent model(SFCモデル)について論じる。Stockは(金融)資産、Flowは(金融)資産の増減(キャッシュフロー)で、consistentは「一貫した、整合性のある」という意味である。要するに、「金融資産とその変動における一貫的整合的モデル」と呼べるだろう。

大袈裟な名前に比して、内容は極めて簡単だ。誰かの金融資産が追加されるとき、誰かの金融資産が減少しているか、あるいは金融負債が発生している。全体で見て、金融資産と金融負債は相殺されてゼロになる。誰かの黒字は誰かの赤字であり、その必然的帰結として、誰かの金融資産は誰かの金融負債である。

注意しておくべきなのは、これはマクロ金融に関する一貫的整合的モデルの話であって、実務会計とはかなり異なるということである。
実務会計では、保守性原則に従って資産は若干割り引かれて評価されるし、株式のように、資金調達手段ではあるが実務的には負債として計上されないものもある他、政府貨幣は(財務省が現金主義的会計を取っているため)日銀券とは異なり、純資産として計上されることになる。


しかし、保守性原則(履行不確実性の評価)をとりあえず置いておいた場合は、ある者の負債は必ず同額のある者の資産になることは明白だし、株式は、履行義務がないから負債として計上されないとはいえ、その保有は配当及び所有-被所有関係に基づくのであって、株式それ自体がマクロで純資産として機能することはない。また、前にも述べたように、国家貨幣は徴税前借政府負債として機能するのであって、これは政府貨幣も同様である。政府貨幣が実務で金融負債として記述されないのは、単に会計制度的な問題に過ぎず、マクロで見て政府貨幣それ自体が純資産として機能することなどあり得ないことは明らかであろう。


こうしたマクロ的金融評価の原則を評価した分析統計としては、資金循環統計がある。こちらでは、株式も、政府貨幣も、それぞれすべて企業負債、政府(日銀)負債として処理され、一貫性のある(consistentな)バランスシートが記述されている。


このモデルでは、一般に、民間バランスシート、政府バランスシート、海外バランスシートに分類して分析が進められる。このため、当該モデルはThree balance approachと呼称されることもある。


内容は極めてシンプルだ。もし政府バランスシートの黒字を目指そうと思ったら、民間、海外バランスシートの赤字形成を目指さなければならない、というだけである。

当然、民間バランスシートの黒字を目指すなら、政府、海外バランスシートの赤字を実現するしかない。


さて、ここからがMMTの真骨頂である。このモデルを紹介しているwankonyankorickyさんの記事を参照しよう。
MMTについて⑥ストック・フロー・アプローチまたはGoldilocksの経済学


「現在、アメリカでMMTが議論されるのは
結局のところ、政府が財政政策によって
いくら赤字を出しても、債務が累積しても
困ることはない、という場当たり財政主義的な
要請が大きい模様だ。
しかし、実際には、MMTの理論は
クリントンの時代、
アメリカがGoldilock経済成長を実現したと思われており、
政府予算の黒字が定着した、と、世間や
主流派経済学が思い込んでいた時に、
危機の理論として完成している。
全く逆なのだ。」



危機の理論、危機の思想としてのMMTというのはどういうことか。それは以下のような意味においてである。


アメリカの経済史の事実として、政府が大幅に財政黒字を達成するようなことが起きると、そのあと必ずといってよいほど金融ショックを経験した。これは偶然ではなく、会計的な必然である。

まず、政府が財政赤字を減らし、財政黒字を増やすような経済とは、海外B/Sがそこまで極端に動かない限りにおいては、民間のキャッシュフローが大きな赤字になっている経済である。これは、一般には、民間が多大な借入債務を負ってどんどん支出しているような経済である。

技術的に大きなキャッチアップ過程にあり、どんどん必要な生産設備を作っているような状態であれば、そのようなキャッシュフロー赤字も許容できるかもしれない。しかし、そういった場合はあまりなく、基本的には、そうした民間債務の爆発的成長は、金融バブルの産物である。

つまり、財政黒字の出現は、金融バブルの発生を知らせる、極めて特異度の高い「腫瘍マーカー」なのである。

MMTは、金融ショックの回避を選好し、同時に総需要の高位安定を目指す。いわゆる「好景気」ですら、それがバブル発生を促すようであれば、忌避され得る。

その中で、少なくとも安定成長以下の経済においては、十分な財政赤字の提供こそが、民間バブルの形成を抑制する「最低限の」条件である。そうでなければ、バブル抑制と十分な総需要を両立できないからである。

(このことは、低成長経済における金融財政政策のトリレンマ  (及び 成長批判のトリレンマ再訪)でも論じたことがある)


また、この理論的枠組みを利用しつつ基軸通貨国(=アメリカ)の最適政策を考察した記事として、基軸通貨国アメリカが経常収支赤字を維持すべき理由という記事を書いたことがある。

骨子はこうだ。国際貿易が基軸通貨ドルによって行われるにあたり、各国にはドルの貯蓄需要が不可避的に発生するが、それはアメリカの経常収支赤字(ドルの発行と提供)という形でしか実現しない。民間での赤字累積(fromバブル)を回避する限りにおいては、そこで発生するのは(海外B/Sの黒字に対応する)政府赤字である。つまり、アメリカの双子の赤字は、ドルが基軸通貨として機能するにあたって、必然的に起こることであり、また起こるべきことであるから、それを「解決」しようとする態度それ自体が間違っているのである。


Stock-Flow consistent model、Three balance approachの適切な理解は、こうして適切な政策の導出に不可欠なものであるが、このMMTの卓見もまた、ほとんど世界的に共有されていない状況である。





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※「MMT集中講義」は後日進撃の庶民で公開予定だったコラムシリーズだが、一刻も早く公開したいという欲が抑えきれなかったので、公開することにした。


先日発売された中野剛志氏の『富国と強兵 地政経済学序説』において、第一章からMMT(Modern Monetary Theory、現代金融理論)が紹介された。

日本語の紙媒体の中で、ここまできちんと(何かのついでに弄るのではなく)MMTを正面から論じて見せた本は、今までなかったかもしれない。(アメリカでは主流経済学者との討論の機会を得るほど成長しているにも関わらず)

私がMMT(風)の主張を紹介すべく尽力してきたことは少なくない人がご存知のことだと思うが、中野氏に良い機会を貰ったと思うので、今回からMMTの理論の骨子をきちんと紹介していきたいと思う。これを読んで、再び中野氏の新著に当たってもらえれば、よりMMT、ひいては金融財政政策の理解が深まることは違いないと思う。



まず、MMTを論じるにあたって、「通貨とは何か」について定義づけておかなければならない。

主流派経済学では通貨とは、財の一種であり、実物として扱われている。しかし、これは商品貨幣の時代であればあてはまったかもしれないが(商品貨幣の時代ですら怪しいのだが)、現代通貨経済には少なくとも根本的に当てはまらない。

現代通貨経済どころか、有史以来の経済で、厳密な商品貨幣の経済というのはあまりなく、むしろ債務貨幣(例えば、穀物との交換を保証する証文など)や計算貨幣(金属などがよく用いられた)がほとんどであったとされる。金属貨幣経済を商品貨幣と混同する向きもあるが、金属保有比率の変更が通貨価値に与えた影響の小ささが歴史的にも確認されており、厳密な意味での商品貨幣とは言えないのが実際であろう。


それでは、通貨は一体何なのか。答えはすでに出ていて、通貨は基本的に負債(正確には、負債のうちの一種)である。それが何者の負債であるかは、当該通貨がどう発行されたかに依存する。

例えば、穀物証文通貨は、言うまでもなく穀物農家の負債として機能し、それゆえに穀物農家以外にとっては資産として機能する。

(金属)計算貨幣の場合は少し難しいが、「債務・債権としての貨幣 貨幣は常に誰かにとっての負債である」で論じた経験がある。要するに、当該金属を提出されたら、生産財を提出するという共同幻想が前提になる。繰り返すが、金属それ自体の価値はあまり重要ではない。「当該金属が、生産者に生産物を提出させるという”魔力”を持っている=生産者に対して負債として機能するという”共同幻想”が共有されている」ことが重要である。この構造は、実はビットコインと共通している。計算貨幣もビットコインも、それが生産者にとって「負債」として、それを提出されたら生産物を差し出さなければならないと信じられている限りにおいて、通貨として機能するのであり、このことからわかるように、一般に流通した通貨は、負債性があるかどうかが重要であり、それは通貨たる必要条件である。

言うまでもないことだが、既述した計算貨幣やビットコインは、それ単体では極めて不安定な通貨である。なぜなら、そうした通貨は、いつ受け取られなくなるか(=負債性がなくなるか)が極めて不確実だからである。

負債性に不確実性のある通貨では、当然取引リスクが上がってくる。国家貨幣誕生以前は、民間銀行紙幣や各種『私』幣がばらばらに発行され、それが決済手段として機能していた。

余談になるが、こうした『私』幣それ自体は、現代においても数多く残存している。

例えば、企業会計において、売掛金を買掛金に対しての決済手段として利用できるとき(いわゆる相殺取引)、これは売掛金が決済手段(≒貨幣)として機能した例に他ならない。(この場合売掛金は、それを貸方に計上している企業の負債であり、それがゆえに決済能力を持つ)

他にも、Tポイントに代表されるような商業ポイントシステムも、貨幣に類似的である。企業は、値下げの代わりにTポイントを発行し、消費者に付与する。消費者は後に、それを当該企業への決済手段として利用できる。これは完全に企業の負債であり、企業の負債であるがゆえに消費者の資産として機能する。


しかし、そうした『私』幣の決済能には、不確実性がある。ゆえに、売掛金にしろ商業ポイントにしろ、極めて限定的な決済範囲しか持たない。
このことを仮に「決済・債務ヒエラルキーが低い」と呼ぶことにしよう。


これに対し、十分な徴税制度・権力を整備した国の国家貨幣は、極めて高い決済ヒエラルキーを持つことになる。
なぜならば、広範かつ安定的な貨幣の受取先(最終需要)が「租税」として存在しており、それがゆえに多くの国民にとって疑いなく資産として機能するからである。もちろん、ここで国民の資産として機能するのは、国家貨幣が名実ともに国家の負債(徴税前借)であるからだ。(裏を返せば、MMTにおいて、租税とは、国家貨幣の最終需要を与え、高い決済ヒエラルキーを与えるための措置に過ぎない)


高い決済ヒエラルキーを持つ決済手段の存在は、取引の不確実性を極めて抑制することになる。また、それによる通貨の統一傾向それ自体が、国家経済の連関と効率を大きく改善するという側面もある。それに伴い、それまでばらばらに機能していた『私』幣も、国家貨幣の単位に統一される。(日本の場合は、「~円」という表記で統一されるようになり、『私』幣間の為替レートを気にしたりする必要がなくなる≒取引の利便性、消費判断の効率が飛躍的に上昇する。なお、これは計算貨幣に一般に共通する効果である)


国家貨幣が誕生するまでは、国債も、民間債権と同様、不確実性のある一債券(そして一『私』幣)に他ならなかった。国家貨幣が誕生することによって、国債と通貨は直接関連付けられた存在になり、それに伴って政府財政の構造も根本的に変わった。

まず、国家貨幣以前は、国債と租税が掛け値なしに財政収入として機能していた。しかし国家貨幣が導入されたことで、本質的に財政収入は、通貨発行それ自体によって齎されることになった。(そうでなければ、国家貨幣はまず市中に流出不可能であろう。あくまで、通貨発行支出がスタート地点である)
租税は、徴税前借として発行した通貨を回収する(≒政府負債を償還する)ための代物となった。(もちろん、通貨の流通が目的である以上、本質的に通貨発行-租税=財政赤字>0でなければならない)

国債は、そうした財政制度の中では、「将来に貨幣と交換する」という約束で、市中から一時的に通貨を吸収する金融調節のための手段に過ぎない。要するに、売りオペ・買いオペのためだけに政府から提供される金融政策手段としてのみ存在するわけである。(その意味では、ゼロ金利になった=将来先送りに対する報酬のなくなった国債は、貨幣とほとんど変わらないのであり、当該国債と貨幣の交換は全く民間銀行的に無意味であることは明らかである)


こうした財政制度の変革は、その国家貨幣が過渡的に金との紐づけを受けていたときにさえ、完了していたのであり、金との紐づけを完全に断たれたことで、確実となった。しかし、歴史的に極めて最近のことであることも相俟ってか、この構造に対する理解は決して深まっているとは言えない。今回、中野剛志氏が改めてそこに光を向けてくれたことは、掛け値なしに称賛されるべきと思う。


参考ページ 

wankonyankoricky(おそらく、日本語媒体で最もMMTの紹介に尽力している人物)のブログ記事
アメリカの国家貨幣論(MMT)について①政府と中央銀行を連結することの意味
アメリカの国家貨幣論(MMT)について①続き
MMTについて② Warren Mosler の"Soft Currency Economics" より、備忘
MMTについて③ IS=LM分析とMMT。またはJob Guarantee Program またはIRMAについて。
MMTについて④昨夜の補足。Job Guarantee Program (Employer of Last Resort Program) の件、他
MMTについて⑤-マーケット・メカニズムとMMT
MMTについて⑥ストック・フロー・アプローチまたはGoldilocksの経済学
MMTについて⑥’ ―昨夜の補足。。。。。
MMTについて⑥’’ ― ストック・フロー・アプローチとstate money
MMTの話⑥’’’―つづき
などなど

他の記事にも価値のあるものがたくさんある。

また、以下の物も参考になる
レイ「MMT入門」 (MMTの代表的経済学者 Randall Wrayのブログ記事の和訳集)







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今回紹介するのは、「経済学を疑え!」という記事を書いていらっしゃるたむりん@お金とは?さんの二つの記事である。


誰もが元金と金利を返せるのかでは、
「銀行貸し出しがマネーサプライを創造する」
「銀行への返済によってマネーサプライが消滅する」
「金利がある場合、一度創造されたマネーサプライよりもより多くのマネーサプライを返済しなければならない」
という三つの要素を勘案することで、『毎年の融資額が一定であると、マネーサプライ枯渇に陥る』ということが示されている。

また、マネーサプライを維持するように随時融資額を追加したとしても、利払いが複利的に増加することによって、やはりマネーサプライ枯渇に陥る。


一応、この記事の問題点については指摘しておく。

この記事では、貸出金利は、その分だけそっくりそのまま銀行の純資産になることになっている。(これは、銀行預金が銀行負債であることを理解しないとわからないかもしれない。一旦創造した銀行負債(預金)を、より多く純粋に減らすことで、銀行のB/Sにおける純資産が(負債の純減によって)増加するのである)

実際には、貸出金利として回収されたマネーサプライは、預金金利払いや、銀行員報酬として還流されることになるから、銀行の純資産形成(負債純減)に回る分は一部である。しかし、たむりんさんの記事のインプリケーションは、仮に純資産形成が一部であったとしても変わらないことに注意してほしい。

また、たむりんさんの記事の前提として、企業は返済分の資金だけを調達することになっており、企業が金融資産を形成することがないということになっている。当然、実際には企業も金融的貯蓄は行い得るわけで、その場合は、他の企業の返済用マネーサプライがよりいっそう不足することになる。


銀行の純資産形成(負債純減)や、企業の貯蓄形成によって不足がちになるマネーサプライは、どのように補填したらいいのだろうか。そのことについて一部検討された記事が次のものである。


全員が借金を返済するにはでは、返済用マネーサプライが枯渇しないための条件として、融資の漸次的増加を検討している。

融資の定数増加では駄目である。複利のせいで返済額が増加していくために、ある時点で不足するようになるからである。

従って、融資の定率増加が最低条件である。それも、ある一定値以上であることが望ましい。
たむりんさんの記事では、金利5%を維持するには、融資増加率が4.7%以上である必要があることが示された。もちろん、先述のとおり、これは銀行による金利の分配(預金金利払い、銀行員報酬払い)を考慮していないので数値設定として問題はあるが、銀行や企業が金融純資産形成をもくろむ限り、インプリケーションとしては正しいということを改めて強調しておく。




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