ダボス会議という闇 | 秋山のブログ

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NHKニュースを見ていたら、ダボス会議がスイスで始まったという報道があった。ダボス会議の説明として『世界の政財界のリーダーが集まる』会議であり、今回のテーマは『「分断された世界における協力の姿」』だそうだ。

 

報道を見ればグローバリズムをよいもの、追求すべきものであるかのような前提で話が進んでいたが、全く頭が痛い。グローバリズムはよいものでもなんでもない。何か実証的根拠があるわけでもなく、人々が信じるようにプロパガンダがおこなわれている思想に過ぎない。

 

例えば国がひとつになれば戦争がなくなるかのような話があって、多くの人が騙されてきた。しかしそれが実現したとして、宣戦布告しておこなうような戦争はなくなっても、地域紛争がなくなることはないだろう。

 

グローバリズムの目的は、超富裕層がそれ以外の国民(自国の国民のみならず他国の国民も含まれる)を支配することだ。富を吸い上げて一般国民をワーキングプア化することで、言うことをきかざるを得なくするのだ。その手段は情報統制である。間違った経済知識を権威ある学者に言わせたり、学生にあえて間違った理論を教えたり、そんな実例は山ほどある。

一番いい例がケインズ反革命だろう。有効需要という財政政策の根拠となる重要な概念を葬り、財政政策がいかに意味がないか様々な詭弁を作り上げた。不況を解消する実績のある方法を各国から奪おうとしたのである。

不況になれば人々の賃金は下がり、相対的に資本家の取り分は大きくなる。そしてそのような状況(不況とは実体経済を流通する貨幣が足りない状況である)であれば、人々が努力してより多くより良いものを生産できるようにしても、労働者の厚生ほとんど増加せず、増えた利益のほとんどを資本家が得ることになるのだ。

 

NHKのダボス会議に関するニュースは続く。日本経済の再生議論という報道もあった。

とりあげられたコメントは、西村経済産業大臣、サントリーホールディングスの新浪剛史社長、オーストラリアの元外相ジュリー・ビショップ氏のものであるが、どれもこれも日本衰退の原因が見えていない話にならない意見である。

 

西村氏は、日本経済の古い体質を変えなければならない」と述べ、若い世代が活躍できる環境づくりが重要だとした。これは日本経済を衰退させ、国民を奴隷にするためにエコノミストが垂れ流してきた詭弁そのものである。古い体質が悪いなどというエビデンスは全くないのだ。素養が全くない人であれば騙されてしまうようなもっともらしい話が繰り返されることによって、無批判に信じてしまっている。若い世代が悲惨な状況に陥っているのであるから、彼がら活躍できる環境にすべきことは当然のことであるが、若くても高い給料をもらえる能力給にすべきだとか、労働の流動性を高めるべきなどの目先のことしか見えていない政策が若い世代をどん底に落としたのにまだ続けるつもりなのだろうか。

 

新浪氏は、『30年にわたる停滞の中で「現状維持病」というべき病にかかったとして▽企業の新陳代謝を促すこと▽雇用の流動化▽賃金の大幅な引き上げが必要』としたが、これもまた分かっていない。誰かの主張の結論のうち、なんとなく正しそうなことを並べただけであろう。

企業が設備投資をし、様々な開発をおこなうためには、確かな需要が必要である。デフレスパイラルの状況においては、存在していた需要が縮小し失われることはあっても、新しい需要は生まれてこない。せいぜい別の需要に置き換わるだけである。イノベーションに繋がるような開発は、企業に余裕があって可能になるものであるので、現状維持ではなくてチャレンジしろと号令をかけたところで無意味である。企業が潰れることが望ましいような新陳代謝論は、それによって失われる知識やノウハウを考慮に入れていない机上の空論そのものだ。当然のことながら新陳代謝論にエビデンスはない。企業倒産が多い国の方が経済状況がいいなんてことは絶対にないだろう。賃金の引上げが重要なのは当然だが、もちろんデフレであればその原資はない。売り上げが上がらないからだ。デフレ下では別の誰かの賃金が下がることで誰かの賃金が上がる。

 

ジュリー氏は『自国が規制緩和を推し進めたことにふれたうえで「日本は政府による補助金など保護主義的な政策はやめるべき」』と述べたそうだ。

これは普通に考えて、日本は自国の畜産業を諦めて、オーストラリアの牛肉を輸入しろということだろう。規制緩和をおこなったことで何がどうよくなったかというデータもない。NHK的には規制緩和推奨という愚かな思想をばらまくために取り上げたのだろうが。

ジュリー氏は女性の活躍に関しても述べていた。男女同権であるべきなのは当然であるが、フェミニズムという思想は、エビデンスに基づいた確固たるものではなく、搾取をしようとする資本家層には都合のいいものである。

 

ダボス会議の議題が分断云々というのは、グローバリズムに反した状況を何とかしようとする意図である。実際、反グローバリズムは、マスコミの報道統制にも関わらず、各国で大きくなりつつある。これは悪いことどころか、いい流れなのだ。グローバリズムこそ消滅しなくてはいけないものだ。別の方向から世界を一つにしようとした共産主義が全く悪しきものだったのと同様である。

ダボス会議にまんまと踊らされる国民が一人でも少なくなることを祈る。