需要飽和経済 | 秋山のブログ

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需要飽和経済という概念に関して考察してみた。

昭和中期には、人びとは収入を上げてテレビやら何やらを買おうとした。ところが現代は皆が欲しがるようなものは、それ程苦労しなくても手に入るようになっている。かなり所得の低い世帯でも、テレビを買えない家など日本にはないだろう。多くは大量生産により、いろいろなものの値段が下がることによって需要飽和経済に今の日本はなっているようにも見える。
しかしよく考えて見れば、現代日本人の多くが飽和とはとても言えない状況であることに気づくはずだ。少子化を考えて見ればいい。少子化の理由は、子供を持つことのコストが高すぎることが大きい(少子化を見れば受給の法則が成り立たないことがよく分かる)。要するに、必要なものであるのにちょっと頑張ったくらいでは手に入れられない状況に陥っているのだ。
つまり、現代の日本は需要が飽和しているのではない。食料とか衣料とか、電化製品などは、安くなって貧乏でも買えるために、不自由のない社会のようにあたかも見える。しかし、社会としては重要な、学習や医療等々の産業は、まったく満たされているわけではない。これらは、個人としてお金が足りなければ必要であっても省いてしまうことがありうるため、あたかも需要自体がないように見えるというのがカラクリだろう。
お金の分配が適正におこなわれ、必要な場所で効率よく人材が育成された時に、飽和と言える状況になるかどうかは明言はできない。労働人口の減少や、例えば医療の高度化のような求められる水準のアップというマイナス要因もあるからだ。しかし、昨今語られているように、移民が必要な程の状況には、なっていないだろう。その手の話は、それらのマイナス要因の程度をまったく考慮していない。マイナスがあるというだけで、致命的なマイナスであると決めつけているのである。私は、政策を上手く行えば、本当の需要飽和に近い日本が作れると信じる。