なんとレストランから徒歩6分!
モーツァルトもこの道を歩いて家とレストランを往復していたのでしょう★
由緒あるレストランの目の前にはこーんなカフェが★
題して『窓カフェ』だそうだ!
↑この建物の窓辺でテイクアウト専用カフェやってる。
ドイツとオーストリアはよくよく似ていたりするけれど、
ここはなんとなくウィーンらしい街並みって気がする★
ちなみにモーツァルトは、10年余りのウィーン生活の中でなんと14回引っ越しをしています。
14回って・・・。引っ越すだけで労力使うのに。(車もない時代だしピアノとかあるだろうにw)
どんだけ近隣と揉めたのか、
それともより居心地の良さを求めた結果なのか。
しかし現存するのはここ、シュテファン寺院のすぐ裏道の
ドームガッセ5番の住居のみ。
ここにはモーツァルトは2年7ヶ月住みました。
10年余りのウィーン、その中で14回引っ越した彼にしては長いほう。
↑モーツァルトの眺めた景色。当時の姿そのままなのだそう。
(ちなみにこの道の先にあるドイツ騎士団の建物に、ザルツブルク在住だったモーツァルトは
ザルツブルク大司教と共に滞在していていました。そして大司教と喧嘩してザルツブルクでの仕事を辞め、ウィーンに出てくることにしたのです。昔滞在していた場所を眺めながら、彼は暮らしていたわけですね。)
↑フィガロの結婚より『手紙の二重唱』。
映画『ショーシャンクの空に』の感動的なシーンでも流れるこの曲はここで書かれました。
実は私、ここに15年前ひとりで訪れました。
そのとき、あのモーツァルトがここにいたのかと。
そして私が悪戦苦闘していたフィガロの結婚を作曲したのかと。
大変感無量となり。
この窓辺にたたずみ、
モーツァルトに、そしてモーツァルトの生きた時代のウィーンに想いを馳せながら聴いていたのがこの『手紙の二重唱』なのです。
そしてなんと!2003年当時の私のここに来たときの旅行記がここに残っております!!⬇︎
当時はまだ10代。
学生だった私の貴重な記録。(笑)
今回来たときとはまた全然違う感情をここで味わっていたようです。
(前回我が人生でも指折りの大変深い感情を味わい尽くしたのに、今回はびっくりするほど冷静である。笑)
あの頃に比べると
現在は改装して現代的なスクリーンやオーディオガイドを駆使した博物館に生まれ変わり
その名も『モーツァルト・ハウス』となりました。
私が初めて訪れた2003年当時はまだ『フィガロハウス』という名前でした。
なぜならここは、私たちのような声楽を学んできたものが避けては通れない、
オペラ『フィガロの結婚』を作曲した場所だから。
彼があの世界的に有名なアリアの数を作曲していたとき立っていた場所、
見ていた景色がここだと思うと、
当時は大変感慨深かった記憶。
しかしながら、
記憶は曖昧なれど、当時はここまでしっかりした博物館ではなかったような・・・?
(照明やテレビスクリーンなど、そこまでフル装備じゃなかった気がします。)
モーツァルトの家なんてそのほかのベートーベンやシューベルトの簡素な家と同じように
15分ほどさりげなく立ち寄る感じのボリュームだったのに、
今ではたっぷりなオーディオガイドと共に、ガッツリ2時間ぐらいそこに滞在しちゃうぐらいの充実した内容に生まれ変わっていました。
シューベルトの最期の家の狭さ簡素さヤル気のなさ(だって週休5日だもの)とは雲泥の差!!
30分ぐらいで済まして次に行く予定が、ランチ後にここに辿りついたのに
外に出たら既に暗くなっていましたもの。。。
でも、ものすごーく見応えがあって、
1度来たことがあるひとでもすごい充実感!!!
こんなにリノベーションされるなら、
やっぱり一度訪れて良かったところは
ある程度月日が経ってからもう一度来てみないとダメね。と実感。
モーツァルトハウスは室内撮影禁止。
(↑あの窓辺が唯一撮れた写真。)
だからブログ記事もレポートしきれず、
味気ない…
そんなんだから私もさっぱり15年前に訪れた当時の室内の記憶はなかったのだけれど、
15年ぶりに来てみると・・・思った以上に広く立派なおうちでびっくり。
(ザルツブルクの生家のイメージが強かったしね。)
それもそのはず。モーツァルトは神童と呼ばれヨーロッパ中でセンセーショナルを
巻き起こした少年時代とは一転、
晩年は借金まみれで貧困の中死んでいったイメージが強いけれど、
ここに住んでいた時代はまだまだ彼の作曲人生の絶頂期。
王族貴族の次ぐらいに大儲けだったみたいで、相当の高収入だったのです。
この家もウィーンの中心地。いわゆる一等地のデザイナーズマンション。
(でもモーツァルトの時代よりちょっとだけ前のデザイナーズマンションだったらしいです。)
家賃も20万前後する、なかなかのおうちだったらしいです。
先ほどの窓のある部屋にはビリヤード台があり、
ビリヤードを楽しんだり、ときにはサロンと化して演奏会をここで開いたりしていたそうだー。
奥さんのコンスタンツェや子供と共に暮らし、
使用人やペットも雇っていた。
またに絵に描いたようなゆとりのある暮らしがここで営まれていたというわけ。
ああ。あの地味で素朴なシューベルトとは大違い。
(シューベルトも生前そこそこ名前が売れてはいたし、仲間たちと集まって
コンサートサロンを開いたりしていたけれど。)
私はザルツブルクで何度も彼の家や、彼の家族のあれこれを見ているので、
彼の出世具合がよく分かる。
そして、わたしたち現代人が思っている以上に
モーツァルトという人間は、地位と名声を得たいという出世欲丸出しだったということ。
その地位・名誉・権力を得るために、
いっちょ成功を収めたいとの野望のために、
ザルツブルクからウィーンという街に出てきた輩(やから)なのだと(笑)
この場所に立っているとむんむんに感じる。
彼はこのウィーンという街で成り上がり、
そしてやがて
このウィーンという街で消耗させられてしまったのもまた彼なのだけれども。
彼がウィーンで秘密結社フリーメイソンに入会したのも、
まさに出世欲の象徴。
フリーメイソンって一般人的には本で読んでもナゾだし、
結局どんな団体だか分からないし(世の中には陰謀論とかあるけど。(笑))
私も10代のときから『モーツァルトとフリーメイソン』という本を読んで
論文を書いたりしていたのですが、結局本を読んだところで
フリーメイソンが一体なんだったのか良く分からず仕舞いなうえに
モーツァルトがそれに入って結局何がしたかったのかもさっぱり分からなかったのですが
(名目上は慈善団体?みたいな。でも宗教?よくわからん・・・ううん、って感じでしたが。)
今なら分かる。
答えは簡単です。
彼はフリーメイソンの人脈を使ってのし上がりたかったのです。
そしてここモーツァルトハウスには当時のフリーメイソンの文書や資料、
トレードマークのバッヂやらグッズもたくさん飾ってありますが、
(15年前の私はきっとさっぱり理解できてなかったのでしょう。)
なんてったって、私は今、ここヨーロッパで音楽を通して
フリーメイソンの方々との繋がりも多くなり、
ロッジで歌わせてもらったりする機会も多い。
『ヨーロッパに渡ってからの私とフリーメーソンとの関わり(笑)』
『音楽を通してどんどん身近になってくる秘密結社フリーメーソン(笑)』
『私の先生がフリーメーソンのコネクションでテレビにいつの間にか出てた(笑)』
周りは資産家だらけの、ゆたかな社交パーティっていう感じで
気のいい方々ばかりですけど。
モーツァルトはそこを狙っていたのでしょう。
そしておばかな彼は、思惑通り成功をおさめるものの、
これが相当な浪費家でギャンブル好き。
ギャンブルに溺れ、浪費に浪費を重ね、
友人にも借金を申し込んでる手紙がいくつも残されております。
フリーメイソンの仲間にも借金を頼んでいたり・・・・。
品行も悪く、最期は良い仕事にも恵まれなかったといいます。
性格にも難があったのでしょう。相当勝手なことしてたんじゃないでしょうか。
(周りに大切にしてくれるひとがいない。)
そんな中でのモーツァルトの謎の死。
1791年12月5日。
まだ35歳だったということにも改めて驚きです!若すぎる!!
どうやらシュニッツェル(ポークカツレツ)を食べて全身の浮腫みと高熱に悩まされて死んだ
らしいのですが・・・
そんなに好き放題して生きて、
享楽・快楽を味わいつくし、
借金をしまくっていたモーツァルト。
よく思わないひとが抹殺したんじゃないの?
という噂が出るのも分かるな。
私も、モーツァルトハウスを廻りながら、
ああ、これは消されたな、モーツァルト、って
直感的に思ってしまったもん。(真実は闇の中ですが。)
だってあの遺体まで行方不明、
あの有名なモーツァルトが、
かつて栄華まで極めたモーツァルトが、そんなのってありえる????
ましてやフリーメイソンの会員だったので、
人間関係のコネクション的にも申し分ないはずなのに。
(モーツァルトが死んだ当初のウィーンの新聞や、死亡通知書、フリーメイソン会報?での
訃報のお知らせもこの家には展示されている。
決してひっそりと亡くなったわけではなく、当時はちょっとしたニュースだったんですよね。)
ただ、
後世ではモーツァルトとライバル関係にあったサリエリが毒殺したという噂が飛び交いましたが
(映画『アマデウス』でもサリエリが悪役として描かれているし。)
私は絶対に、サリエリではないと思っています。
というか、音楽に精通しているひとはみんな口を揃えてサリエリではない!!
と断言します。
だって、良い仕事に恵まれず、周りに人もいなかったモーツァルトに対して、
(生徒もいたけれど、よくわからん生徒ばかりで育てるのがうまいとも思えないし、
当時の有名な作曲家・クレメンティに関してはモーツァルトに盗作されて恨んでいた。)
サリエリは宮廷音楽家の監督という名誉なポジションに就いていたうえに
当時の名声もトップクラス。
くわえて一番驚きなのは、あのベートーベンもシューベルトもリストも、
このサリエリの生徒だったということ!!!!
もうこれだけで教育者として相当立派だった、ということが分かります。
あれだけカラーの違う巨匠たちの師匠だったということで、相当いい先生だったのは明らか。
個性を伸ばすのもうまかったんでしょう。
モーツァルトの人生の方がドラマティックなんだろうけどね。
昔はただただ憧れと、
うわーーーーすごいなァ・・・で終わっていたモーツァルトが、
また年月が経って、私も年齢と経験を重ねると、また違った一面が見えてくる。(笑)
私は彼の音楽にはたくさんお世話になっているけれど、
神がかっている作品も世の中にたくさん生み出している天才だけれども
(楽譜の書き方もまるでコンピュータのように天才的に綺麗!)
私は必ずしも彼の人間性は尊敬していない。(笑)
・・・ま、音楽家なんて所詮そんなひとが多いか。(笑)
↑フィガロの結婚の4幕フィナーレ。神がかり的に美しいメロディ。
モーツァルトハウスを出ると外はもう暗い。
ここから徒歩5分でウィーンの中心地、シュテファン寺院へ。
ここはモーツァルトと奥さんのコンスタンツェが結婚式を挙げた場所。
ここでモーツァルトの葬式も行ったらしい。(知らなかった!!ハプスブルク王家の遺体もあるらしい!!)
一方でモーツァルトの父と母が結婚式を挙げたのは
ザルツブルクの片田舎・アイゲンのこの教会。↓
周りになんにもなくて、地元のおじいちゃんおばあちゃんしかいなくて、
私はザルツブルクのアイゲンとその教会が大好き。
神聖な雰囲気で、本当に神様に祝福されて二人の子供は生まれてきたんだなァって思うから。
それに比べて、その息子はその故郷を捨てて、
華やかなウィーンの中心地での結婚式。
彼は自分の思惑通り、ずいぶんと出世できたんだなって思う。
厳かな雰囲気のシュテファン寺院。Weihrauch(フランキンセンス)の香りが充満している。
モーツァルトにも身近だったこの香り。
でも、無事に出世し、地位も名声も手に入れた先に、
彼は一体どんな景色を見たのだろうか・・・。
昔、厳かでなんて素敵だろうと憧れたシュテファン寺院は
歴史の重みをただよわせていました。
そして、純粋な想いとか祈りだけではない、
もっと俗物的な政治とかお金とか権力とか、
そういったものがドロドロ渦巻いた重々しさを感じる教会。


































































































































































