(しかもたくさん作品を視聴できるけど全部カルロスクライバー!やっぱり感動が倍増する!)
気高く優しい音楽(芸術)よ
我が人生が灰色に染まり
悩み苦しんでいたとき、
何度、あなたのおかげで
私の心はあたたかい愛で満たされ、
よりよき世界へと飛翔できたことだろう。
あなたの竪琴から流れる
甘く聖なる和音にため息をつき、
天国が私の目の前に開かれるのをみた。
気高く優しい音楽よ、
私はあなたに感謝している!
ベートーベンの散歩道を一通り歩いて
交響曲『田園』の構想を練ったときの心境になってみたのち、
ベートーベンが遺書を書くほど自身の難聴に思い悩み、
自分の人生に絶望していた時代に住んでいた家へ行ってきた。
↑ベートーベン作曲 ト調のメヌエット。
(私が小学生の頃、甘く切ないメロディに衝撃をうけた曲です!)
Probusgasse 6 現在はベートーベンミュージアムに生まれ変わっております。
この地に立つまでは15年前にここに来たときの風景など
全く思い出せなかったのですが
(記憶力は昔とっても良かったのに時の流れは残酷ね。)
家の前に立ってみて思い出した。
あ。この狭い道。この平坦な家。こんな感じだったわと。
当時の熱い感動や感激の温度は日記という文章に残しているので思い出すことが出来る。
だけど、視覚的には全然覚えてないんだなってことを再確認する今回の旅。
♯2003年 15年前のハイリゲンシュタットの記録♯⬅︎当時の記憶。
結局人間の記憶って感情だけが残るのかもしれない。(それって私だけ???)
中に入ってみる。
ペンキなどもあの頃より新しく塗り直されており、綺麗になった印象。
なによりも。
魔女の宅急便のパン屋さんはここからヒントを得てるのか??ってぐらい。
キキが出てきそうなんですけどーーーーーー!!!
・・・と思ったら、本当にここはパン屋さんの建物でした。
ベートーベンはパン屋に住んでいたのか・・・。
ちなみに1821年~1823年に住んでいた家もパン屋の2階だったらしい↓
パン屋好きねー。
焼きたてのパンの香りに包まれてお目覚めだったのかしら。(私も一度は住んでみたい!)
ちなみにベートーベンはミュージアムでもコーヒー豆が60粒展示されているほど、
大のコーヒー好きとして有名で、
朝はコーヒーのみで過ごしていたらしい。
そして毎日60粒自分で数えてコーヒーを淹れていたということで
そのこだわりといったらすさまじすぎるww
この場所でベートーベンは弟たちに宛てて遺書を書いたのでした。
その内容といったらこれ↓
゚・*:.。. .。.:*・゚・*:.。. .。.:*・゚・*:.。. .。.:*・゚・*:.。. .。.:゚・*:.。. .。.:*・゚・*:.。. .。.:*・゚・*:.。. .。.:*・゚・*:.。. .。.:
〜ハイリゲンシュタットの遺書(全文)〜
偉大なる行為を成し遂げることを私は自分自身から進んで行なうべきだと考えてきた。
しかし考えてみてくれ、6年このかた治る見込みのない疾患が私を苦しめているのだ。
物の判断も出来ない医者達のために容態はかえって悪化し、症状は回復するだろう
という気休めに欺かれながら1年1年と送るうちにいまではこの状態が永続的な治る
見込みのないものだという見通しを抱かざるを得なくなったのだ。
人との社交の愉しみを受け入れる感受性を持ち、物事に熱しやすく、感激しやすい
性質をもって生まれついているにもかかわらず私は若いうちから人々を避け、自分ひ
とりで孤独のうちに生活を送らざるをえなくなったのだ。
耳が聞こえない悲しみを2倍にも味わわされながら自分が入っていきたい世界から
押し戻されることがどんなに辛いものであったろうか。しかも私には人々に向かって
「どうかもっと大きな声で話して下さい。私は耳が聞こえないのですから叫ぶようにしゃべってください」と頼むことはどうしてもできなかったのだ。
音楽家の私にとっては他の人々よりもより一層完全でなければならない感覚であり、
かっては私がこのうえない完全さをもっていた感覚、私の専門の音楽畑の人々でも極
く僅かの人しか持っていないような完璧さで私が所有していたあの感覚を喪いつつあるということを告白することがどうして私にとってできたであろう・・・。
私の傍らに座っている人が遠くから聞こえてくる羊飼いの笛を聞くことができるのに私にはなにも聞こえないという場合、それがどんなに私にとって屈辱であったであろうか。
そのような経験を繰り返すうちに私は殆ど将来に対する希望を失ってしまい自ら命を絶とうとするばかりのこともあった。
そのような死から私を引き止めたのはただ芸術である。私は自分が果たすべきだと
感じている総てのことを成し遂げないうちにこの世を去ってゆくことはできないのだ。
お前達兄弟よ、私が死んだときシュミット教授がなお顕在であればシュミット教授に私の生前の病状報告を作ることを私の名前で依頼してくれ。そしてその病状報告にここに書いた手紙を付け加えて発表してくれ。そうすれば少なくとも私の死んだ後、世間は私に対する誤解を解いてくれて私との間にできる限りの和解が可能になるであろう。
゚・*:.。. .。.:*・゚・*:.。. .。.:*・゚・*:.。. .。.:*・゚・*:.。. .。.:゚・*:.。. .。.:*・゚・*:.。. .。.:*・゚・*:.。. .。.:*・゚・*:.。. .。.:
…つまり何が言いたかったのかというと、
音楽家たる自分が、
もともとは人並み以上に完璧に耳が良かったはずの自分が、
そしてこれからもそうであるべきはずが、
耳が聞こえないことに絶望し、
また他人にもそのことが言えないという苦しみ、
そのため人の中に入っていきたいのに、
耳が聞こえないことを気付かれてはならぬと
人を避けていたということ。
この苦しみは音楽に携わる人間として
はるか想像を超える苦しみだと分かる。
でも彼は、そんな状態でも、
自分の使命をすべて全うしなければ
この世を去れないと締めくくった。
遺書というより力強い決意表明じゃないか。
ハンディキャップを背負っても、尚もそれに負けず力強く生きていく決意がみてとれる。
それほどまでに彼を突き動かした芸術たるものは偉大であるということだな。
そうしてその後、あの歓喜の歌のある『第9』などを始め、次々と力強く素晴らしい曲を発表していくのだから。
ベートーベン像。
ここにいると実際のベートーベンの空気に触れることができる。
まず15年前にも衝撃を受けたこちら⬇︎
ベートーベンの髪の毛!!!
びっくりーーーー!!
人間だったんだ、という感覚。(笑)
当時は私以外誰も観光客がいなくて、
静かにびっくりしてた感覚。
だがしかし、今回は見学者が何人もいたため、やっぱりオオッ!!ってなってた。
そしてベートーベンはサリエリに作曲を習っていたという事実、
それからシューベルトはベートーベンを大尊敬しており(シューベルトもサリエリの生徒!)畏怖に近い感情を抱いていて、実際にベートーベンに会いに行ったが、
緊張しすぎてシューベルトは殆ど話せなかったというエピソード
(ベートーベンが病に倒れたときにお見舞いにやってきたとも葬儀に現れたともいう。ベートーベンが亡くなった翌年にシューベルトも亡くなったのだけれども。。。そしてお墓は隣同士。)
そしてベートーベンの弟子にツェルニーがいたということでツェルニーの肖像画などがあったり(⬅︎ピアノを習ったことあるひとならツェルニー分かりますよね。え!!練習曲の名前じゃないの?って思ってしまいますが!)
前述したようにコーヒー豆を毎日60粒数えてコーヒーを淹れて飲んでいたということ
様々なベートーベンの足跡にくわえ、
多数の作品の視聴も出来るという。
ベートーベンファンにはオススメの場所です。
ここSchottentor U駅は、ベートーベンの家の窓から見えている路線に沿って
歩けば7分ほどでたどり着きます。(正面右方向ね。)
この駅から37番に乗って直通30分。
Hohe Warte駅で降りたら歩けばベートーベンミュージアムにたどり着くとのこと。
ところが私は37番を乗り過ごしてしまい、37Aだか38Aだか(←同じ37でも37Aとは
違います。)に乗り換えたりしながらArmbrustergasseにて下車。
降りたら目の前は教会。
そして『シューベルトの菩提樹』と書かれた菩提樹がある・・・・
うーん。泉に沿いてない。(笑)
よくよく調べてみると、シューベルトの菩提樹はウィーンには4本ぐらいあるらしい。
せっかくなのでベートーベンも入ったかな??と思われる教会もチラ見。
・・・というわけで、ずっとあれから来たかったハイリゲンシュタットに到着だぁ。
あれからというのは15年前。
一人でこの地を訪ね、ベートーベンの軌跡をたどり、偲んだものである。
あのときのこの閑静なるこの地がその名の通り
とても神聖な印象があったのでずっと再訪を夢見てた。
⬇︎当時の記録。
ハイリゲンシュタット。
その名を世界的に有名にしたのはやっぱりベートーベンでしょう。
私は『まんがで読む伝記 ベートーベン』で耳が聴こえなくなったベートーベンが
補聴器をつけて散歩しているシーン、
そして耳が聞こえなくなって遺書(ハイリゲンシュタットの遺書)を書いたシーンでその名を知り、
また大学の西洋音楽史の授業でも大変興味深い出来事として
私の胸に鮮烈に焼き付いている。
当時は温泉地であり、保養地であった。
人災によって温泉が出なくなってしまったらしいけれど。(そんな人災ってナニw)
・・・ま、そんなわけで引越し魔のベートーベンは
(生涯で70~80回以上。まさに引越しのプロ。)ここハイリゲンシュタットでも
あちこち引越しをしており、この街を歩いていると、色んなところで
ベートーベンの家を発見するわけです。
たとえばここ。教会のすぐ近く。
オーストリアの劇詩人グリルパルツァーとベートーベンが一時期
他の家々のリノベーションが進む中、ここだけ時が止まっている・・・
記念館にはなっていないので中に入ることはできません。
しかし、オーストリアは歴史的な建物には必ず国旗と、説明が書いてあるから
分かりやすい。
しかしながら15年前も思ったのですが・・・。
さて。坂道をえっちらおっちら登っていくと、そのうち道が二手に分かれます。
それを右に行くとベートーベンミュージアム。
すなわち、あのベートーベンが遺書を書いたと言われる家です。
(その家がミュージアムになっているんです。)
・・・ってなわけで当方、到着したのが13時。(タイミング最悪・・・)
なので14時になるまで前方のArmbrustergasseへ行くことに。
私15年前にここに来たときの記憶がさっぱりないのであるが
(日記と写真は残してあるので、それで記憶を辿るだけ。)
この道だけはなぜか印象的で、ここに来た瞬間にあ!前もここきたじゃん!!と思い出した。
↑ベートーベン作曲 交響曲第6番『田園』
しかしながら、なんだかヘンな悪寒がする通りなのであーるー。
わたくし、霊感があるわけではないのですが、まったく無いとは言い切れない。
特にヨーロッパに来ると、ヘンな気とかいい気だというのはすごく分かる。
見えるわけではないのだけれど、感じるっていうイメージ。
自分の生涯の中で強烈に感じて、嫌な気分になったのはパリのコンシェルジュリー。
(ギロチンで処刑される前の囚人が8000人近く収容された場所。)
あそこにいくといつも必ず、気分が悪くなる。そして足の関節がインフルエンザみたいにガクガクする。(笑)
あの感じが嫌で私はアウシュビッツの強制収容所なども行けないのですが
(アムステルダムのアンネの家ですらもう二度と嫌だ。)
この通りも若干似たような症状に陥ったという。(笑)
おかしいなぁー。
ハイリゲン(聖なる)シュタット(街)じゃなかったっけ?????
もっと神秘的な思い出だけは残っているのだが・・・・。
ってなわけで
気になるときはウィキペディア!
それによると、1683年のオスマントルコによる第二次ウィーン包囲(←あのトルコ行進曲や
コーヒー文化をもたらしたトルコのあれね。)の際に、ハイリゲンシュタットの住民は
大虐殺されて、土地も人も荒廃してしまったんですってー。
あのいやーな感じは、そのときのアレかい!
・・・まあ、その後ハイリゲンシュタットは温泉保養地として景気が回復し、
そこへベートーベン様が耳の静養でここへやってきた、というわけ。
(そして引越しを繰り返し、主に夏の間はここで、冬はウィーンの街中へというライフスタイルを送っていたらしい。)
さっきの道を抜けるとこの場所へ。
あ!!!ここも知ってる!!!15年前に来たよ!!!とちょびっと感激。
しかしながらあれね。この街並みも15年前に比べると、ペンキ塗りなおして
綺麗になった感じやね。
朝からウィーン少年合唱団を優雅(…じゃないな。気合と根性だな。⇒詳しく。)に聴き
デーメルでウィーンっ子らしいカフェを楽しんだ日曜の昼下がり。
その後向かった先は、ベートーベンの住んでいた家。
↑超有名すぎるこの曲を作曲した場所!
カフェ・デーメル、そして王宮(ホフブルク)から徒歩10分の距離に彼は住んでおりました。
ここHerrengasseをしばらくまっすぐ行きたいと思います。
この道をひたすらまっすぐ。
ベートーベンもマントをひるがえし、難しい顔して歩いていたに違いない・・・。
5分もいかないうちに、由緒あるカフェ・ツェントラールにぶち当たる。
フロイト、レーニン、ヒトラーもここのお客だったというカフェ。
もともとは宮殿として建てられた建物で、その後証券会社やオーストリア・ハンガリー中央銀行として使われました。
その後、19世紀末にカフェとして改装。
映画「クリムト」(ジョン・マルコヴィッチ主演)でも、ロケ地として使われた場所。
まさに19世紀末を生きた画家クリムトの時代を色濃く残すこのカフェなのです!
(当時は大変ナウかったのだろう!!)
そんなカフェを越えてひたすら進む。
クリーム色の街並みと、
まるでデコレーションケーキのような装飾。
そんないかにもウィーンなストリートを通り抜け、
そのうち
まるでパリ・モンマルトルの一角!?みたいなフォトジェニックな建物みーっけ@
ベートーベンのおうちはその一本先にあります。(もっと表通りに面してますー)
ここだーーー!!
ちょっと小高いところに、彼の家は当時のまんま、建っている。
1791年に建てられた建物なんですって。(←モーツァルトが亡くなった年。)
彼はここの5階に住んでいました。
・・・といっても、彼は史上稀に見る引っ越し魔としても有名で、
生涯で70回、80回は引っ越したと言われております。
生まれはドイツ・ボンですが、22歳でウィーンに引っ越してからというもの、
まぁよくもまぁ近所でこんなに引っ越すなと突っ込みたいぐらい引っ越しまくっていました。
よっぽど難しいひとで近隣の人とうまくいかなかったのか、
神経質で部屋のちょっとしたことが気になっちゃうのか、
それとも気分によって住む場所を変えていたのか・・・。
まずフランクフルトご出身のはずのゲーテ像がこんなところにもあるということ。
とりあえず朝のご挨拶。
それからモーツァルトさんにも朝のご挨拶。(朝8時前。)
いつ見ても美しいモーツァルト像。
ウィーンで成功したくも、最後は無残に扱われた彼。
それでも今世ではこのように神格化されておる。
市立公園にはヨハンシュトラウス像がありますけど、
モーツァルト像は王宮近くと、ちょっと離れたところにあるんですよね。
たかが銅像。されど銅像。
ウィーンに来たら、銅像なれどもナマで見ておかなくちゃ!!!
ウィーンの自然史博物館と国立美術館。
私はこの国立美術館が大好きでした。
今回は時間の関係で行けませんでしたが・・・。
大好きなブリューゲル、カナレット、ルーベンスの作品に大変感銘を受けたものです。
まるで夢の中にいるような美術館でした。
また時間があればいつか行ってみたい★
いよいよ王宮に近づいて参ります。
ここから当時は騎士が一斉に飛び出していったんでしょうねェ・・・
この門をくぐりぬけて振り返るとこんな風景。
ふたつの双子のような宮殿。
それが先ほどちらっと紹介した美術館と自然史博物館。
左は美術館。 右は自然史博物館。
その中央にマリアテレジア像がある。
このあたりもパリと同じく、街中の都市なのに
空間把握能力がおかしいんじゃないか?と思うほど
広い。
数メートル先とこことは幅の感覚が違うんですよね。
王宮。
この像はベルベデーレ宮殿の持ち主だったプリンツ・オイゲンらしい。
ヴォティーフ教会、新市庁舎をバックに。
向こう側には国会議事堂もある。
やがて王宮を横切っていくと、おのずとこのような広間に出ます。
中央に立つのは皇帝・フランツ1世の像。
その向かいに、このような門がさりげなくあります。↓
その名も『スイス門』。
ここを抜けた先にウィーン少年合唱団の歌う王宮礼拝堂があります。
この礼拝堂の歴史は古く、なんと1498年。
ハプスブルク家専用の礼拝堂で、ウィーン少年合唱団はその創設時から
少年聖歌隊として活躍していました。
まさに500年以上の歴史を持っているんですねー。
その後数多くの戦争や王政崩壊などの歴史的な事件を乗り越え、
現在は民営化されているということ。
私も日本で2、3回ウィーン少年合唱団の演奏を聴いたことがある。
だけどそれももう10年以上前。
今回は久しぶりのウィーン少年合唱団の歌声。
(しかもここ本場では初めて!!)
ちなみにチケットは10ユーロぐらいのものから50ユーロ以上するものまで
(エージェントを通すと手数料で50ユーロは取られる。)さまざま。
だけど少年たちは一番最上階の後ろで歌うので
高いチケットを買ったからといって、ミサ中は少年たちの姿が見れるとは限らない。
(私もミサで歌ったりしてるので雰囲気はよく分かっている。)
だったら無料の立ち見席でいいや・・・
と、いうことで。
今回こそは立ち見席狙いで早朝から並びましたよ。
立ち見席にも数限りがあるのでね・・・あんまり遅く行ったら
高いチケット買わされるはめになる!!!!
ちなみにミサの開始は9時15分から。
私はその1時間前の8時15分にはもう並び始めてたんですけど、
その時点でもう5人ぐらいは並んでました。
しかも殆どアジア人。(多分中国人。)
でもね・・・9時近くになってふと後ろを振り返ってみると
既にこんな列が。
…良かった。早く来ておいて。
1時間前に並んだら確実ですよー。
星に導かれた3博士がキリストの生誕地にやってきた逸話にまつわる祝日。
1月6日がその祝日なのですが(だから土曜日は祝日でスーパー全部閉まってて困ったー)
その翌日のミサなので一大イベントでした。
フランキンセンスも炊きまくりで脳幹やられました。(笑)
アインシュペンナーと見た目が酷似しているフランツィスカーナー。
しかしミルクの分量が多く、グラスのサイズも一回り大きい
メランジェの上にミルクではなく、ホイップクリームをのせたもの。
やっぱりウィーンといったらこれよねー。
ヨハンシュトラウス2世の像。
そして青き美しきドナウ。
なーんてことはない、ただ銅像があるだけの公園なんですけど。
せっかくウィーンにいるんだもん。
著名人の銅像に挨拶しとかないとね。
ちなみに15年前にここに来たときは。
骨の節々が痛いし、歩いてるだけで内臓がきゅううううう・・・っとして、
お腹が痛いなァと思ったら、
お散歩中のおばあちゃんに、今日は寒いわねェ
今日はマイナス11度よ、と話しかけられて驚いたのを覚えてる。
あのおばあちゃん元気かな・・・。写真とってくれたのよね。
ヨハンシュトラウス像のすぐ脇には桜の木が植えられてある。
ウィーンは岐阜市と友好都市を結んでおり、岐阜からの贈呈らしい。
15年前には既にそこにあった石碑。
あれから桜も大きくなったのかな。
このチケット売りのお兄ちゃん。
日本語で話しかけてきた。(ウィーン国立歌劇場のお兄ちゃんたちも常に日本語。
どうして中国人や韓国人だと思われないんだろう。ドイツでは中国人に思われる率が高いので
少し嬉しい。)
ちなみにこのひとは、玉木宏が『のだめカンタービレ』の撮影で
ウィーンに滞在した際、2週間毎日ここにいたと言っていた。
そして玉木宏と談笑しながら、ここでコーヒー飲んだりしていたそうな。
なにそれ!!!すごい!!!
お兄ちゃんは映ってないそうですが。。。。
そんな話を聞いたらこのお兄ちゃんと記念撮影をとらないわけにはいかないよね。(なぜ)
市立公園の池。この景色をみたら大好きなシューベルトの
『水上で歌う』を思い出してしまう。
↑水上で歌う by シューベルト。
この曲も時の流れの無常さをじわじわと感じさせられる。
死ぬまで時は流れ続けるのだと。
どんなにもがいても流れは待ってくれない。
静と動、生と死を思わずにはいられない、素晴らしい一曲。
この曲の歌詞が気になる方はこちらへ。⬇︎
・・・・なァんて考えてたら、池の脇にシューベルト像発見!!!
市民公演を出て歩いていくと、リッツカールトンがあったり、
なんやらハイソな通りに出る。
ここでデモに遭遇!!!おびただしい警察のデモ隊に阻まれ、
横断を中断せざるを得なかったが・・・
デモの通過と共に通常の静けさが戻ってきた。
そしてそして・・・
じゃじゃじゃーーーん!!
ウィーンフィルのニューイヤーコンサートで毎度おなじみ!
楽友協会コンサートホール前の通り!
ここに敬愛するクライバーも来ていたなんて!
そしてあのすばらしい演奏をここで披露していたなんて!!感激だ!!
楽友協会前。ニューイヤーコンサート!いつかは行きたい!!
背後にはカールス教会。
楽友協会にはピアノで有名な『ベーゼンドルファー』の文字。
楽友協会を超えてカールス教会へ向かうと
それよりもHietzing駅で降りて、シェーンブルン宮殿と書かれた看板表示どおり
進んでいくと、
このようなながーい庭園をゆるーくお散歩できる。
その昔、ここでジョギングをしたり、ベンチにこしかけて読書をしていたり、
犬の散歩をしていたり、ひなたぼっこをしている老夫婦を見て、
このような歴史的な宮殿で、
ウィーンの人々は思い思いの時間を過ごしているのだなァと
心がほっこりしたものである。
昔は栄華を極め、絶対王政を独占した王宮。
(厳密にいえばここは夏の離宮なんですけど。)
それが今では一般市民の憩いの場になってるなんて、
当時の王家の人たちが聞いたら複雑な気持ちでしょうけどね。。。。(苦笑)
そんなわけでのんびりとお散歩しながら、お城へと近づく。
(なのでシェーンブルンを訪れるときは時間に余裕をもちましょう★)
のんびりと行きかう人たちを見ているのも楽しい。
中国人の先生の先導でこんなとこで太極拳やってるグループがいたり!!
のどかでいいなぁ・・・(先生の型があまりにも綺麗で10分ぐらい見入ってしまったw)
とにかく全体的に時間の流れがゆったりなんですよねーなぜか!!
ドイツに住んでからそれがだいぶ自然になりましたけど。
日本ではこんなに立ち止まらないだろってぐらいの、ゆったり感。
そうこうしているうちにやがてこのようにお城が顔を出します。
この日は気持ちが良いぐらいの青空で(ドイツでは冬にこの青空は滅多にない!!)
テレジアン・イエローがよく映える!!!
実は天気予報を確認して、晴れの予報のときに絶対にシェーンブルンに行こう
と最初から狙っていたもの!!!
晴れの予報は唯一この日のお昼だけ。
でも私のもくろみ通り、宮殿が大変美しく見えて満足満足!!
しめしめ。
思惑通りのインスタ映え。(笑)
天候の神様ありがとう。
うん、やっぱりウィーンといえば中心街(リンクと呼ばれる)だけじゃなくて
ここにも来ないとね。
本当のウィーンの魅力は伝わらないな。
宮殿を背に庭園を眺めると、グロリエッテがみえる。
写真でみるよりもずっと広くて、高い。
春になると更にここに花が咲き乱れて、美しいのでしょう。
(残念ながら2003年も冬にきておる。2006年は7月だったけど、
色々あって臨時ガイドみたいなのを務めなきゃならず(笑)忙しすぎて庭園の記憶ゼロ。)
パリのシャンゼリゼからテュイルリー宮殿へ行く道でも思ったんだけど、
ここ、シェーンブルン宮殿もそう。
とにかく平衡感覚を見失いそうになるほど、
空間がだだっ広い。
まるで空間全体が横に引きのばされたような
写真のネガを横にぐいーんと引っ張ったような、
そんな横長な空間に立たされている、
そんな錯覚に陥るほど、
ただただ広い。
こんな都市に突然、こんなだだっぴろい空間って許されるだろか。
まぁ王宮だから許されてたんでしょうけど、
街中はあんなに細々してるのに、なにこのゆったり広々感!!って思うのですよ。
うまく説明できないけど、この空間は(パリ同様)
日本では感じたことがない重力感覚になる。
横への引力が強いって感じかな。
見えてる景色は確かにこうなんですが。こういう感覚より、
こういう横に引っ張られる時空の中に立ってる感覚になる。
なんか不思議なんです。
私の身体も左右に引っ張られる感覚になるので、
(だけど建物が高くなく、横長サイズなので重心は低くどっしりしてる。)
歌を歌うとき、会場のサイズに自分の身体の大きさや幅を合わせるようにして立つ
ということをしている身としては、
この空間把握ってすごく大事。
世界はもっともっと広大で、
もっともっと果てしなく広い感覚をもっていいんだなって思うから。
そして昔、ここに来たときは、この美しい黄色の宮殿にただただ目を奪われて
なにも気づかなかったけれど
今回は、
この黄色の宮殿の上に広がる空はもっともっと広大で果てしなかったと知った。
どこにも空をさえぎるものがないのです。
ちょっと顔を上げれば、360度真っ青なお空が、まるで天体のように広がっているのです。
宮殿ももちろん素晴らしいけれど、空はもっと偉大だった。
それに気づけた私は、昔に比べて、
もっと世界を大きく捉えられるようになっていた。
もっと一段上の普遍的なものに気付けるようになっていた!!
・・・かっこよく言えばそういうことだろうか。(笑)
ダンスをやっている人も、演劇をやってる人もスポーツをやってるひとも、
絵を書く人も、
もちろんスポーツや芸術だけじゃなく、仕事に関してだってそうだと思うんですけど、
オペラを歌う人間ってのも、とにかくこの空間把握能力ってホントに大事なんですよね。
どの音を出すときも、どこか力んでいたり偏っていてはいけなくて
いつも身体のベクトルを360度外側に張り巡らせて、
広く、遠くへ、前へ、後ろへ、上へ、下へ、 って重心を感じながら歌ってるんですけど。
(前へ遠く出したいときは、より後ろを感じなければ幅が出来ない。)
広く広くと思いながら、かつてここまで広い視野で声を出したことはあるだろうかと、
(せめて劇場のキャパぐらいの広さなら分かるが。)
試しに変人覚悟で庭園のど真ん中で声を出してみた。
意識は宮殿の一番上のワシ?の像から、空を通って、
グロリエッテへ。
↑たてバージョンのパノラマ機能初体験。(笑)途中でイナバウワーしながら撮ってます。(笑)
これだけ広い視野と感覚を常に持ってたら、
歌だけじゃなくて精神的にも解放されそうなものですけどね。(笑)
そうこうしながらグロリエッテにのぼる!
♯前回の記事♯でうっかり文字制限に引っかかったってしまったので
2回に分けてお送りしております。
ウィーン国立歌劇場での念願の『こうもり』。(die Fledermaus)
↑大好きなカルロスクライバー指揮の『こうもり』。最高に軽やかでワクワクが止まらない♫
・・・そんなわけで肝心の公演の感想をば。
もう。コテコテの王道!!すぎて・・・・感激。
(安っぽい感想ですみません!)
舞台セットも衣装も演出も、
何十年前、
いや、きっともうヨハンシュトラウス息子が作曲した当時から
なんっっっっっにも変わってないのでしょう、これは。(涙)
というレベル。
…というよりももはや。
1980年のグルベローヴァやルチアポップが出演していたウィーン国立歌劇場(まさにここ!)と全く同じセット&衣装&演出までそっくり同じだったでございます。(嬉し泣き)
幕が開いた瞬間目を疑いましたもの。
↑1幕のこのセットも衣装もまさにこのまま!!アデーレがハタキ持って階段から降りてくるのも!!
↑2幕のオルロフスキーの邸宅ももうまさしくこのまんまーーーー!!
↑3幕の刑務所。家具?の配置から階段の位置から衣装から何から何まで一緒!!
…と!!
まるで目の前にいるのはグルベローヴァかしらと目を疑うぐらい、
そっくりそのまま王道ど真ん中が目の前に実現していた!!!!
毒々しい現代演出や変わった演出がもてはやされる現代。
(わかりやすく言えば忠臣蔵を宇宙服でやるようなもん・・・かな。)
でも私たちお客がみたいのはそれじゃない。
その当時にタイムスリップしたかのような時代錯誤的な!?
煌びやかでゴテゴテ飾り立てた、
古きよき時代の図を音楽に乗せて楽しみたいんだ。
ドイツでは(特にフランクフルトは)いつ行っても現代演出で、
全体的に舞台が病んでおる。
演者の表情も暗いし、たまに出てくるバレエの振り付けもコンテンポラリー調でクレイジー。
衣装も舞台も白黒だったりするし(バラの騎士もフィガロも。)
ドレスデンのあの一流ゼンパーオーパーでやってた『こうもり』ですら、どこか毒がある。
日本でも現代演出が流行ってたりするし。
…東京芸術会館でブーイングが起こったりしていたが。(笑)
ザルツブルク音楽祭のオペラ公演もエキセントリックだったり妙にモダンだったり、みんな黒いスーツ着てたり。
現代病チック。
(そういうの普段の生活で見てるから要らん!!!!我々は現実逃避がしたいんじゃい!!!)
だけど・・・最期の砦、ウィーンは・・・・!!!!!!
裏切らなかった!!!!!!(うれし涙)
このセット、この衣装!!!
私が中学三年生のとき、
授業でブラウン管を必死ににらんでいたあのときと全く同じです!!(※前回の記事参照。)
まだクライバーやヘルマン・プライが生きていた時代の夢のような公演を期待してオペラを見に行くと、
だいたいの割合でいい意味じゃなく裏切られることの方が多い昨今。
もうクライバーやプライの時代は終わったのだと。
もう時代は進んでしまったのかとガッカリしちゃうことが多いんですけど。
ここはまだまだ夢物語健在でした!!!
中学生の時、
こうもりのビデオを見ながら、
S口先生が、この舞台はセットごと回転するんです。それ専門に装置が作られているんです。
と説明してくださったのが瞬間に蘇ったほど・・・舞台装置も目の前で回転し、
おお!!!!と。
当時のいろんなこうもりの記憶がフラッシュバックした。
しかしながら。
ブラウン管で見ていた時とは迫力がケタ違い。
当たり前ですけどこの目でナマで見ると
こんなに華やかで美しく煌びやかなんだーーーーー!もー!びっくりしたぜぃ!!
日本語字幕のおかげで、声をあげて爆笑も出来ましたし
(ほんとこれは吉本新喜劇かドリフの世界ですわ)
なにより馬鹿馬鹿しくて、大笑いできて、
大騒ぎで・・・
幸せな気分になるのです。
実際に
2幕のパーティーでの狂騒シーンで胸がいっぱいになって泣きました。(笑)
↑クライバー指揮のバイエルン国立歌劇場の映像でどうぞ!
実際の舞台では↑これよりももっと大騒ぎで。人々が激しく踊り明かし、ものすごいスピード感で幕がとじてゆきました。。。
あっけにとられた私は、おもわず口をあんぐり。
そのまま口が塞がりませんでした…(笑)
だけどなぜか目から涙が…(笑)
(さぞブサイクな顔だったことでしょう。)
↑そんなわけで、このバージョンはオーケストラはクライバーで極上だけど演出はしっとりですこしおとなしいですが、
私が見たものはこんなんじゃなかったです。
とにかくドタバタガヤガヤーーーー!じゃじゃーーーん!で幕が閉じてしまったかんじ。
↑こちらの動画がわりとテンション高めかな。
…といっても実際はもーっと疾走感があって、めくるめく!って感じで、もーとにかく気持ちよかったけど。キリテカナワバージョンでどうぞ。(キリテカナワは苦手ですが。。。)
↑ちょっと長いけれど、狂騒という意味ではこれが1番近くてイイ!!みんなの狂いっぷりが私の見たのと近くていい!!
もーほんとに極上ですー。
↑このラストらへんもまさにおバカすぎて最高!!こんなんを目の前でウィーンのシュターツオーパーで見せつけられた時の興奮度合いといったらすごいぜよ。
いやー。それにしても。
ウィーンの人たちはこんなにもばかばかしい話を笑い飛ばして、
享楽と快楽に溺れればいいと、教訓にもならんゲスい発言を堂々としながらも(笑)
年忘れしたり、新年を迎えたりするんだな。
その場で座っているだけなのに(つまり体は『静』の状態)
感情は高まって、もう大興奮!!!!みたいな。
この芸術鑑賞のとても不思議な現象に、改めて感動しきりでした。
ああああーーーーもう幸せ!!!!!
ヴィーナーシュターツオーパーで市民に愛されている『こうもり』がついに観れた!!
もうほんとにほんとに幸せな時間でした!!!!!!
感無量です★
。。。ま。肝心な演奏は、
もちろんとってもいいんですよ?
いいんですけど。
ウィーンフィルの音楽の作り方も。さすがではあるんですけど。
でもクライバーの指揮のあの究極な軽やかさと音のピッチの高さを知ってしまうと、
どんな演奏も重たく聞こえちゃうよね。
そして歌手の皆さんもさすが上手なんだけど、
(アイゼンシュタインとかキャラがもう最高でさすがって感じ。)
記憶に残るほど強烈にいい歌手はいなかったわけで・・・・
(カリスマ性がない!?)
世界最高峰のウィーン国立歌劇場でもそういうものなのか、と思ったりして。
やっぱりパバロッティやジェシー・ノーマンレベルで規定枠を超えるような
すごみのあるひとが世界で知られるカリスマになっていくんだなと改めて思いました。
世界に名前の知られてるひとってやっぱり上手いだけじゃなく
強烈なスター性とか、何かを持っているんだね。
けれども公演としてはもう全体的に素晴らしくお見事で、本当に感動・感動の嵐でした。
こうもりといえば
シャンパン(ゼクト)!
こちらも美味しくいただきましたよ★
↑いつの間にか私のレパートリーの曲。
ウィーン風『一気!一気!』音頭。
なんてったってシャンパンを讃える歌があるものね!!!!
そして2幕では終始みんな飲みまくり!!!(そして3幕の刑務所シーンでは酔っ払ってへべれけ。)
こりゃこちらも休憩時間に飲むしかないでしょー。
本場ウィーンで!!(しつこいけど!)
国立歌劇場で!!!!
シャンパン飲みながら(実際はドイツのスパークリングワインのゼクト。)
こうもりで笑って泣いて
シャンパンの歌を聴くなんて
もうこれ以上の極楽があるかってーの!!
これをやりに来るだけでもほんとに!
ウィーンに来てよかったです。
ひとまず人生の目標のひとつを達成です。(笑)
↑こうもりラストのフィナーレ。
最後の最後は刑務所にバタバタとひとがやってきて結局カンパイ!!
この終わり方…まさしく吉本風。
こうやってウィーンのひとたちは年を越すんですね。。。
なんとアホらしい、そして幸せな年末年始なんでしょう!!!
私もウィーンのこうもりで始まった2018年。
最高の幕開けとなりました★
まだまだ続く!
じゃじゃじゃーーーーん!!!
かつて憧れの場所だったヴィーナーシュターツオーパー!!
(ウィーン国立歌劇場)。
この日、ここでなんとしても見たくて見たくてたまらない演目があって、
今回このためだけに休暇をとってウィーン行きを決めたんです。
バスが遅れないようにその前日にウィーン入りすることも一応計算して、
日にちを決めたんですよ。
(それにしても5日間の旅の集大成が既に2日目にして達成されているのもナゾですが・・・。(笑))
いや、本当の本当は楽友協会コンサートホールで毎年行われるウィーンフィルのニューイヤーコンサートをぜひテレビではなくLIVEで!!!と思っていたのですが、抽選に当たらないと入れないし、旅行会社で売り出してるチケットをネットで調べたらチケット1枚68万円!!
さすがにそれは無理!!と泣く泣く断念・・・。
でも一生のうちで一度は行きたい!!!!!
ずばり
↑聴いてるだけで(軽やかな指揮を見ていても)ワクワクが止まらないカルロスクライバー指揮の『こうもり』序曲。
これはウィーンの年末年始の風物詩。
日本の年末年始(?)が紅白歌合戦と第九で彩られるとすれば、
ウィーンの年末年始はこのオペレッタ『こうもり』とバレエ『くるみわり人形』がお約束なのです。
そして老若男女関係なく、面白おかしくゲラゲラ笑って鑑賞という意味では
日本でいう吉本新喜劇みたいなものでしょう!!!
そもそも私とこの『こうもり』の因縁は深いものがあり、
このブログでも旧ブログでも散々書いてきました。
去年はまさしく私にとってもヨハンシュトラウス2世イヤーだったと言っても
過言ではないほど、
コンサートでは何度も男装してオルロフスキー公爵(こうもりの登場人物)に扮して
ステージに上がり、
まさしくヨハンシュトラウス2世の作品によって苦しめられ(笑)
ヨハンシュトラウス2世の作品によってめちゃくちゃ鍛えられた1年だったわけ。
我ながらずっとくすぶり続けてたものが一皮剥けてレベルアップできたのも、そのおかげ。
去年は家にいる時間も長くなり、
そうなると必然的にYou tubeやDVDなどで『こうもり』を始めとした
ヨハン・シュトラウス2世を聴く。
そうこうするうちにカルロス・クライバー指揮の演奏に鳥肌がたつほど感激し、
(もともとクライバーの『ばらの騎士』のDVDとか重宝してたけど。)
無我夢中になってクライバーの振ったウィーンフィルを聴き漁った。
図書館でDVDを借りてきて、クライバー、ムーティ、ベーム、カラヤン、
まぁ巨匠という巨匠を聴きまくった。
・・・クライバーの右に出る人はいないけど。(私にとって。)
特に『こうもり』『青き美しきドナウ』はこのひとの演奏を超えるひとはいないな。
なんて思いながら。
クライバーの演奏を聴くと、多幸感に包まれ、
もうこれ以上の至福があるのだろうかと、ウィーン夢物語に誘われる・・・
そうして1年半前にウィーンに来て散々な目に遭ったし、
それ以来遠くて億劫に思っていたウィーンですが
(それ以上にザルツブルクを通り越してウィーンまで
足を運べないほど、ザルツブルクが好き。)
さきほど私とこうもりの因縁は深いと書きましたが、
そもそもこうもりとの出会いは遡ること中学校3年生のとき。
私たちの時代、月に1度か2度ほど、ホームルームみたいな時間を利用して、
選択授業の時間というのが出来たのだけれど、
(先生方が色んな授業を開講して、生徒は好きに選べる。スポーツでも音楽でも文学でも。)
当時、大好きだった合唱の授業を蹴落としてまで
私が選択したのは、
担任のS口先生(英語)が開講していた『ドイツ語講座』という授業。
でもそんな私が『こうもり』を歌い続けている人生なのです、S口先生。(笑)
しかもシュターツオーパーまで観にきちゃってるんです。
当時はそんな風になるとは露知らず。人生、おもしろいもんだ。
お隣はザッハ・トルテの本場、『ホテル・ザッハー』に併設されてる
カフェ・ザッハー。
忘れもしません。
15年前のバレンタインデーの日、
初めて一人でここでザッハトルテを食べ、
私今、誰にチョコをあげるでもなく自分でここで食べ
最高のバレンタインデーを過ごしてる!!!と大興奮していたこと。(笑)
あまりの美味しさに感動して、家族や
歌の先生や色んな人にザッハトルテをクール便で海外郵送して1件につき2万円吹っ飛んだのもいい思い出w
カラヤン広場。↑
シュターツオーパー内部はやはり宮殿のように厳か。
ヨーロッパの劇場はこれが良いのですよねー。(最近モダンなとこも多いけど。)
そうして14ユーロの座席って一体なんなのよ!(54ユーロで買ったけどさ!)
ロージェ(ボックス席)だ、いい席って言ってたけどどうせ4階席とかの豆粒じゃないの?!
と、半信半疑で座席に向かうと
・・・ほうほう。確かにロージェのようだ。しかも階段をのぼらず、
1階席?か2階席っぽい。
これは期待できるかも・・・?
あらら!確かにロージェじゃないか!!!これはいいかも★
劇場後部。
向かいのロージェ。
そしてオケピ(オーケストラピット)がめちゃくちゃ近い。
舞台も上手(かみて)がやや見えにくくなる可能性があれども、
これはオペラグラスなくてもばっちり観れそう★
そうしてなんと、この一人ひとりに用意されたオン・デ・マンドの字幕スーパー!!!
びっくり!!!!
だいたいどの劇場も舞台の左右か上に字幕が出るんですけど。
飛行機のモニター並みに一人1台用意されてます。
そして日本語字幕もバッチリ!!!
これは控えめに言っても最高だ。