ASDの中年男性の人生の生き方。ときどき投資。 -8ページ目

ASDの中年男性の人生の生き方。ときどき投資。

シェアハウスで社会不適合者たちと暮らしています。発達障害(ASD)だから社会に適応できません。どうやら唯一トレードが好きだから、ひたすらトレードしてるかなぁ。

最近は大自然の中で農作業が主です。生きることは難しい。

いやぁ〜円高が止まりませんねっ!


特に米ドル円でショートしてた人はウハウハしていて、ロングしてた人は日々悲鳴を上げているんだろうなぁと思いチャートを眺めています。


現在、私はメキシコペソ円(MXN/JPY)を9.074円からロングしていたので、もちろん含み損が膨らんでいます。


「う〜ん…週足チャートや月足チャートを見ると、明らかな分かりやすい形で8.2円〜8.0円のレジスタンスラインを超えたら一気に逆行するなぁ」と思ってましたので、一部の暗号資産を売却し、FXの証券会社の口座に円を入金しました。木曜日のうちに資産を移しておいて良かったです。


この記事を書いている時点では、1ペソ=7.7円ですので約130〜140Pipsの含み損ですが、証拠金維持率を約740%にまで高めました。しばらくは…おそらくは年単位の事実上の放置でしょうねぇ(-.-)


…という感じでいくら高金利通貨でインカムゲイン狙いのトレードをしていても、今回みたいな急激な円高になったら何にもできませんね笑


とりあえずは「4.2円まで円高になっても証拠金維持率100%を切らないくらいの資金を確保しておけば安心だろうな〜」という感じの基準にまで、ここ2ヶ月間で村での労働収入を証券会社の口座にぶっ込んでいく予定です。


あぁ…しばらくは放置プレイが続く…

インカムゲインが含み損を上回る日は一体いつになるのやら…



また気付いたら仕事(のようなもの)で1週間が染まりそうだ。

 

先週の日曜日で仕事を終えて「来週日曜日まで全く予定がないから6日間ダラダラしてしまうのだろうか…」と思っていたら、火曜の夜に連絡がきて、水曜日〜日曜日と連勤が確定してしまった。

 

働きたくないなら仕事を引き受けなくても構わない立場なのだが、最近は休みの日が苦手だ。というよりも考え事をしたくない。働いていると、過去の記憶による苦痛が緩和されるからだ。

 

「あぁ、このまま記憶の苦痛から距離を置いて死んでいけたらいいなぁ…」と最近はわりとマジメに思っている。ASDは健常脳より記憶力が高いと言われており、過去の記憶には「〇年〇月〇日に〜という出来事があった」ということを緻密に覚えていることも珍しくない。本当に苦痛なのだ。

 

何か別の記憶で上書き保存できるなら保存したい。しかし全部が新規保存だから辛い。

 

こんな脳ミソで生きるのが苦痛を覚えている。

 

気付いたらポックリ逝くのも、そう悪くない。はぁ…あと何年生きるのだろうか。

アメリカのトランプさんが銃撃されてから『確トラ』という風になって急速に円高に進行し、民主党はバイデンさんからハリスさんへ後継指名して・・・という流れになっている11月5日に行われる予定のアメリカ大統領選挙。

 

急激に円高になってしまったためにSNS上では『ロスカット』という言葉がトレンドになりました。

 

本記事はそれについて書こうかと思います。

 

 

 

まずトレードをしたことのない人のために「ロスカット(損切り)とはなんぞや?」を簡単に説明すると、未確定の損失額を確定させるというものです。高い値段で買ったけど、低い値段で売ったので損失を出してしまったということ。または低い値段で売ったけど、高い値段で買い戻したということです。←これを「空売り(からうり)」といいます。モノがないのにいきなり「売る」はできないですが、トレードの世界ではモノがなくても「売る」ことができてしまい、そしてそれを「買い戻す」という処理が可能になっています。

 

もちろん買うからには安い値段で、売るからには高い値段で、その差分を利益として得たいのですが、そうは問屋が卸さないのがトレードの世界です。あくまで相場の動きの結果論としてこうなってしまいます。

 

その中でも最近のトレーダーたちの「強制ロスカット」というものは、「トレードして儲けるぞ!買いか?売りか?よし、買うぞ~!!「買い」決定!!・・・あれれっ?買ったのはいいけど、なんか値段が下がっていく・・・!え~これじゃあ買値より高い値段で売れないよ~!!!どうしよう、どんどん値下がりしていく!!うお~っっっ!!もうちょっとで強制的に売りのシステムが作動しそうだ!!やべ~よっ!!え~~頼む、上がってくれ!!頼むよ!!!上がれ、上がれ、上がれ~~!!!あ・・・強制的に売られてしまった・・・俺オワタ・・・」という状態です。←スゲーざっくりとトレーダーの気持ちを表しました。詳しく知りたい方はちゃんと調べてください(笑)

 

 

これを見て思うことは、「なぜ損失許容額を考慮して、予め自分で設定してロスカット(損切り)注文をしていなかったのか?(逆指値の決済注文をしていなかったのかな?)」とか「そもそもロスカット注文をし忘れていて、気付いたらどんどん円高になってしまったのかな?」という疑問が浮かびます。

 

SNS上で強制ロスカットに遭ってしまったということは、熟達したトレーダーからすると容赦ないですが「そいつらはトレードがヘタだな〜」という言葉が飛んできそうです。

 

2024年7月中の米ドル/円(USD/JPY)の相場の動きを見ていると、ざっくりと最高161円→最安151円台と下落してしまい(ドル安円高)、FXの表現で言えば、約1000Pipsも動いてしまっている・・・こんなに動くことは、○○ショックだの、××恐慌だの、なんか世界的な動向があればそうなってしまう。

 

円高は円高でも、違う通貨ペアで見てみましょうか。

 

メキシコペソ/円(MXN/JPY)では9.1円未満→8.2円と約90Pipsしか動いていません(確かに大幅な下落ではあるのですが・・・)

 

FXでは「利益(損失)=Pips数×建玉数(ポジション量)」です。

 

つまり何が言いたいかというと、以前書いたこの記事を見てほしいのです↓

 

 

 

 

FXはやり方次第で危険にもできるし、安全にもできる。つまり「ハイリスク・ハイリターン」にもできるし「ローリスク・ローリターン」にもできます。

 

私は7月26日現在メキシコペソ/円(MXN/JPY)で約75Pipsの含み損(損失が確定してない額)があるのですが、証拠金維持率は330%あるので、この先どんどん円高に進行するかもですけど、それでも余裕はあるし、円高になっても追加で円を入金して証拠金維持率を高いところで維持する操作はできるでしょうし。

 

「今は200,000通貨ポジってるけど、ざっくり500円/日くらいのインカムゲインが入っているから、円高になったのは仕方ないけど、テキトーなところでレンジになってくれたら含み損は一定になるし、その間にインカムゲインが上回ったらそれはそれで利確しよっと」というノリです。それが一年以上保有していても、です。

 

私の利用している証券会社で今現在の口座資金で強制ロスカットに遭うとしたらば、メキシコペソ/円なら7.6円を下回らないといけません。週足チャートを確認すると8.07〜8.2円にレジスタンスラインも効いているので、しばらくはそこまでいくことはないでしょう。そして過去15年を遡ってみても4.2円を下回ることもないので、インカムゲインで利確するとしても時期は不明ですが、4.2円まで下落しても強制ロスカットされないだけの口座資金を確保していれば問題ないでしょう。もしそれでも下落するなら、メキシコペソの通貨価値がなくなるくらいにメキシコ国が破綻するところまでいってるんじゃないでしょうか。

 

今後どこまで円高が進行するか分からないけれど、「メキシコペソ/円のスワップポイント swap point がいつの日かキャピタルロス分の含み損を上回ってそのときに利確すれば良くね?」という風に、最初からインカムゲイン income gain 狙いのエントリーでしたので、こんな風に世界が混乱してしまい急騰急落するようなときにでも、自分の資産は自己管理できるものです。もちろんキャピタルゲイン capital gain 狙いのトレードだったら、もちろんとっくにロスカット(損切り)しています。

 

という風にエントリーする前に、自分の目的を明確にしておくことは重要です。

今回の私のようにインカムゲイン狙いのトレードに限らず、キャピタルゲインを狙うならどの時間軸を基準にエントリーしたのか?とか、その時間軸を基準に勝負しているなら損切り設定はどこにするのか?とか。

 

エントリーする前から勝負はついているので、これを分かってさえいればトレードは案外と簡単にやってしまえるものです。

 

投資は難しくない。簡単簡単。

「人生ってのは何が起こるか分からない」みたいな言葉って人生の節々でよく聞いてきた。

 

それが40代半ばにして初めて感じるようになった。

 

暇潰しの感覚で村の仕事の依頼を受け続けていたら、知らず知らずのうちに人々との交流が波及していって信用されるようになってしまい、結果として日常的に仕事(のようなもの)をやる人間になってしまった。ただ世間的には『無職』であることには変わりないのだが。

 

毎日仕事っぽい何かをやらないと落ち着かない性分になってしまっている。草刈りをしたり、猿を撃退したり、家の改修をしたり・・・それはどれも自分が専門的に極めたいものではないけれど、今の自分の技量で補佐できて貢献できているのは素直に嬉しい。あくまで補佐でいいのだ、補佐で。

 

その中でも家改修の仕事をしたときに怪我をしてしまった仲間がいて、たまたま俺が元看護師だったから応急処置をすることができたのは大変重宝された。元医療人とはいえど医療器具や薬剤がなければハッキリ言ってしまうと何もできない人に等しいので、現場で応急処置で対応できることなんてたかが知れている。

 

救急車を呼んだとして、現場に到着してから病院に搬送されるまで2時間はかかってしまう地域だ。AEDは村のあそこやあそこにあると把握はしているが、まぁ・・・距離がありすぎる。AEDは存在していても無いようなものである。

 

常日頃、一番怖いなぁと思うのはハチやムカデに刺されたときにアナフィラキシーショックというアレルギー反応だ。その間に喉頭浮腫になって気道狭窄して呼吸困難になったらどうすんだろうか。そして村人が第一次産業に従事してるときに錆びた刃物をブスッと深く刺してしまい破傷風の症状が出現したとかも頻繁に聞くようになった。やっぱり地域の特性といったところか。こういうのは致命的になるので怖いよなぁ。

 

・・・という風に思うには思うのだが、決して医療界に復帰するつもりもない。医者はともかく看護師として仕事する以上は知識や技術や経験よりも、同僚との関係性が鍵だからだ。ASDの俺には無理。あくまで『看護師免許を所持している医療業界には従事しない村民』という立場が人のお役に立てそうである。

 

という風に過去の遺産が他人の役に立つ場合がある。

 

話を戻すと、仕事(のようなもの)をして、お小遣いみたいな少しの収入がもらえて、それで毎日が充実している。クソ重たい石を持ち上げて階段を昇り、石積み所まで運ぶ。ひたすらモルタルを作る。草刈りをする。ロケット花火を猿へ向けて発射する。村内で上裸になって作業していると、日焼けして黒くなる感じの肌が何か誇らしく感じている自分がいる。そんなライフスタイルが性に合っているのだろう。

 

そしてこの村で出会った同じ年齢の人との出会いは特別に感じる。その人は普段は都心で働いており、週末には別荘を建てるため村にやってくる。俺はモラトリアム人間であったため社会に進出する時期が遅く、社会人になってからタイミング的に同じ年齢の人と出会う機会が少なかった。しかもこの村で2人も出会った。

 

結婚して家庭を設け、お子さんも授かり・・・しかし仕事に追われてしまい私生活に時間を避けずに家族に見放されて離婚やら別居やら裁判やらの話を聞くと「俺とは真逆の人生だけど、そんな人生を歩んできた人とこんな山奥の村で出会うんだな…」と感慨深くなる。

 

昔「人生いろいろ」と島倉千代子が唄っていたが、まるで畑違いの人生を歩んできた同じ年齢の人とこんな山奥の村で邂逅するなんて人生は不思議な縁である。しかも、なんか馬が合う人たちで心地良い。出会って3か月くらいだがお互いに冗談を言い合える関係になっている。

 

俺の人生は、その人たちからすると興味深くオモシロイらしい(障害は開示していないのだが)。

 

「人ってそれぞれなんだよな・・・本当に。『同じ』人間なんて言うけれど、みんな本当に『違う』くて。それぞれがそれぞれの人生を歩むんだよな…」と思ってしまう。何が正しくて、何が不正解で、何が良くて、何が悪で、まったく適応されない。

 

という感じで、思わぬ展開でミッドエイジクライシスを回避できそうな予感がしているのも人生オモシロイですね。

私は発達障害者であり、しかも毒親家系ですからアダルトチルドレンです。これが『複雑性PTSD』というものになり、人生に悪影響を及ぼしてしまいます。まともに社会生活を営めなくなったり、人間関係をメチャクチャにしてしまったり、依存症になりやすかったり・・・と枚挙に暇がありません。

 

幼少期から両親は決して仲が良いとは言えず、家族で食卓を囲みご飯を食べることが凄く苦痛な時間でした。夫婦で険悪になる空気になると、いつも兄がピエロ役になってお道化ていたことを思い出します。一時は兄がそれに耐えきれず「もう喧嘩やめてよ~っっ!!」と号泣してしまった記憶もあります。

 

父親は根っからのマジメな仕事一筋人間で毎朝早く起きて出勤し、毎晩遅く帰宅する生活をしていました。つまり子どもの頃の私が起きているときに父親とは顔を合わせることはあまりありませんでした。これが幸いながら恐怖から逃れられる時間でした。だから父親が不在なことが何よりの心の休息時間であったことを思い出します。

 

「このままお父さんと会いたくないな…帰ってこなくていいのにな」と切に願っていました。

 

『親の心子知らず』とは言いますが、『子の心親知らず』です。

 

とにかく不安・恐怖感情がデフォルトの人生だった未成年時代でしたから、まぁ人間関係も上手くいきません。特に恋愛関係は全くダメでした。


私の母親は性に対して嫌悪感を露わにする人で、それが子どもの目に触れるような場面になるとヒステリックに発狂したものでした。中学生の頃の私は「セックスは犯罪行為。それが好きな人とであっても。好きな人とは絶対にセックスはしたくない。」と本気で思っていました。しかし周りの人は…言わずもがなで乖離が生じていきます。多数の弊害が生じてしまいます。私は一度も女性と交際した経験がありません(私はヘテロセクシャルですが…)。


そんな両親を通して男女関係というものを見てきてしまったため、それは私の恋愛観にも深いところで影響を及ぼしたのでした。特に90年代の頃(中高生のとき)は辛かった…世の中は小室哲哉ブーム。ヒット曲は何でもかんでもラブソングで、ラブソングを聴くたびに苦痛で居場所がなくどこに逃げ込めばいいのか…逃げ込める場所すらない。

 

物心ついたときから「自分の家庭を築くこと」に強い憧れを抱いており、しかも「一度で良いから女性と交際してみたかった」という想いは今でも消えません。このまま強烈な心残りのままで死んでいくんだろうなぁとも思います。

 

そして一度ヒドイことをしてしまった女性への罪悪感に苛まれていく。あの時の自分は「俺は異常だ」と自覚しつつも、その異常さが暴走してしまい止めたくても止められない・・・ブレーキを踏んでも効かない。それは20年以上も前の話ですが、ほぼ毎日自責の念に駆られながら生きています。「謝って済む問題じゃないけど、キチンと謝りたい。とうてい許してもらえるなんて思えないけど謝りたい。それで自分が楽になるとも思えないけど謝りたい。」

 

これは実現は不可能。落胆しつつも諦めるしかない。

 

まぁこれ以上を深堀して書くと、キリがないのでここらへんで辞めます。

 

 

 

山奥のシェアハウスに集う人間には、毒親育ちの人が割といます(わざわざ山奥に住むくらいだから何かしら事情がある)

 

移住して4か月が経ち、お互いのことを深く話せる間柄になった住人も、当初は自らの毒親エピソードをネタにオモシロ可笑しく話して盛り上げていたりしていました。ただ心の根っこでは決して笑える話ではなく、笑いに転化しないと人生をやってられないのでした。

 

その人は両親がお互いに不倫していて、しかも父親や母親と呼べる人が複数人おり、どの人から生まれてきたのか特定ができないとか(遺伝子検査をしていない)。「おそらくアイツの種から産まれている」という話はしていました。昔は母親の不倫を隠ぺいするように加担させられたことや、腹違いの母親から深夜襲撃されそうになったから武装して夜通し眠れなかったとか・・・

 

その場で盛り上げているときには私も笑って話を聞いてますが、実は内心凄く悲しくなります。

 

やっぱりその人も『家庭』という存在にはネックになるらしく、いざ自分が結婚するようなところまでいくと心の予防線を張ってしまい、破談になってしまったとか(自ら破談なるようにしてしまう)。家庭を築くことが恐ろしいという気持ちは共感できる。

 

アダルトチルドレンの人の中には『クレヨンしんちゃん』や『ちびまる子ちゃん』のような温かい家庭の様子を見ると、自分の家族像との差にショックを受けてしまい生きていく気力を削がれて絶望してしまうというケースもあるみたいです。とても共感できる。

 

 

 

今は親のことを『毒親』と形容したり、親子間でも法的措置で対応することができて喜ばしい時代だと思います。昭和時代の支配的な「親の言うことを黙って聞け」なんて価値観で育ったら、子ども自身の人生を台無しにしてしまう。

 

親も子も血縁関係があろうが、所詮は他人ですから。そこはキチンと分別しなくては『個人として尊重される』はずもない。そこは日本国憲法第13条の『すべての国民は個人として尊重される』の違憲ではないのか。

 

私は今両親が健在ですが、そろそろ後期高齢者になるし、もし片方が亡くなったらそれなりに世話はしますが、合理的に施設に入居させるとかして私自身は私自身の人生を選択して生きることを心掛けたい。そして両親ともに亡くなったら、生まれ育った実家を売却するとか行動するのでしょうか。

 

もちろんその中でも『良き思い出』というものはあり、そのときの感謝の気持ちはありますが、そこは情にほだされて自分の記憶により自分の人生を不意にすることもしたくありません。自分で自立して生きることは自分の課題ですから。どうせ我が家系は断絶する運命ですし笑

 

ほぼ従兄弟も子がいなくて、子を授かった従兄弟自身もうつ病で無職になっていたりと毒親家系は世代間連鎖するのがお決まりパターンなので、祖父母の影響とかでみんなヤられてしまっています。精神疾患家系ですしね。(父方の祖父はいつも怒鳴っていた。もちろん父親もそういう家庭環境で育ったのでアダルトチルドレン。そして私自身も親になれば毒親になるのでしょう。)

 

そういうのって生物学的に考えれば『適者生存』のように『強者は繫栄し、弱者は淘汰される』という自然の摂理なんじゃないかな?と思ってしまいます。やっぱり人間という生物には『人間』として生きる道があり、そこから外れてしまったならば滅びゆくようにしないと人類の進歩の足枷になってしまうよなぁとも思いますし。


毒親育ちの人は脳の成長が阻害されてしまい、後天的にも脳機能障害になるという医学的な事実も分かっていますから、その時点で人生はほぼ決まってしまうようなものです。そのような人は発達障害のような症状が現れてしまうことも判明しています(実は自分のASDも先天性の脳機能障害ではなく、複雑性PTSDから発症した後天性の脳機能障害なんじゃないかと内心思っています。)

 

そしてオッサンになった今、それに抗う気力もない(過去にはさんざん抵抗しました。克服できる可能性のあるものには手を尽くしました)。このまま朽ち果てて死にゆきたい。早く老化して穏やかに死にたい。私の人生はそういうのを経験した人生であったというのも「それもまた良し」という諦めの境地なんですよね。

 

昔は親を憎んでいましたが、今では「誰のせいでもないよね。親も犠牲者だったんだ。加害者こそ被害者であり、被害者こそ加害者だわな。」という心境に落ち着きました。これで我が家系の負の連鎖(『カルマ』というもの?)は終焉を迎えたい。

 

「もし生まれ変わりというものがあるなら、来世はお互いに親子関係を結ぶのを止めて、まったくの他人として生きよう。あなたたちは違う人間のもとで生まれ変わり、そして私も違う人間のもとで生まれ変わり、人間として愛の享受を授かり自分の素材を大切にして生きる人生を経験しよう」と思い、余生を生きていきます。