ASDの中年男性の人生の生き方。ときどき投資。 -7ページ目

ASDの中年男性の人生の生き方。ときどき投資。

シェアハウスで社会不適合者たちと暮らしています。発達障害(ASD)だから社会に適応できません。どうやら唯一トレードが好きだから、ひたすらトレードしてるかなぁ。

最近は大自然の中で農作業が主です。生きることは難しい。

4年くらい前に障害者用の職業訓練校で経理事務を修得するコースに所属していたので、簿記やオフィス系ソフトの資格取得を目指して勉強していました(経理事務コースとしては日商簿記2級取得を目標にしていた)。

 

しかし当時は「資格取得したところでマトモに働けるわけないやんけ(そもそも論、人間社会に馴染めないという労働以前の問題)」とか「就職したところで別に健常者のようなライフイベントが訪れて幸せになれる未来像が全く描けないから働いても苦しいだけだな…、投資やって資産築いたほうが労力少なくて精神衛生上良くね?ダメなら生活保護もあるんだし。」と思ってしまったため、通学して“勉強してるフリ”をしていました。

 

そのときの私の感じたこと↓

 

 

 

だもんで簿記の知識としては、日商簿記3級程度(未取得)はあります。

 

あれから4年が経ち、途中でイーサリアムを100ETHくらいハッキングされてしまい、面倒くさい税金対策に頭を悩ましていた日々から解放され、そして資本主義社会の環境下で幸せになれる気配もないから遁世するつもりで、この山奥のシェアハウスに移住してきました。

 

第一次、二次産業が盛んな地域柄だけあり、とにかく肉体労働が多いこと多いこと…

 

なんか草刈りやら家改修やら食品加工やら農作業やら…今まで経験したことのない仕事の手伝いをしてしまっている…なんだか給与収入としてお金をいただいているかと思いきや、なんか労災保険に加入させられてなくて働いている機会もありました。

 

「ありゃ?こんな肉体労働をバンバンやってるのに、事故ったら保険未加入で働かされてるんだから危ないやんけ!!」

 

ということになりまして、「そしたら自分で個人事業主になっちゃって労災保険の特別加入やらして、事業収入を青色申告やら必要経費バンバン組み込んでしまって事業所得を少なくしてしまいたい。給与収入の給与所得控除とのコラボで合計所得金額を少なくしてしまって、納税額も少なくしたい」という知恵が働いてしまいました。(なんか色々といただくお金はグレーゾーンで雑所得なんか?それとも非課税所得にしてしまっていいんじゃないか?という場面もあったんですが、所得区分としては事業所得にしたほうが世間様に堂々と顔向けできるし笑)

 

青色申告するとなれば少なからず複式簿記の知識や財務諸表を作成したりとかなりますし(今は会計ソフトがあるので楽ですが)、なんか“商品”ではなく“製品”を扱うし、リアルに「材料」やら「仕掛品」やら「製品」とかで考えて原価計算する現場も目の当たりにしてるので、なんかこれを機会に日商簿記2級を取得するつもりで個人事業主になったほうが合理的だなと思いました。

 

簿記の知識が抜けてしまっている…まぁ、時間はたくさんあるので今年中には日商簿記2級取得できればいいなぁみたいな気持ちです。ぶっちゃけ別に取得する必要はないのですが、何かハクを付ける意味でも勉強ガンバルぴょん❤

7月下旬頃から円高やら日経平均株価の下落やらで投資家の間では阿鼻叫喚の巷の現在。

 

なんだか森永卓郎さんは「最終的に日経平均株価は3,000円になる」みたいな話をしているとかしていないとか。(本記事を投稿している時点では38,000円くらい)

 

3,000円ったら今の約8%ですよ!?「これは投資なんてしないで貯金していた方がいいのでは?」みたいな声も上がっています。強いて投資という表現を使うならば「日本円という法定通貨に投資していたほうがいいのでは?」ということになるのでしょうか・・・

 

まぁ急激にこんな風に価格が動いてしまったために、数十万からはじめて数年間かけて数千万円に膨らんだ資産も溶けてしまったという声もSNS上では見かけるようになりました。

 

これは仕方ない。歴史的にこんな感じの繰り返しで、でも超大局的に見れば世界経済は右肩上がりなのでいつか回復をする日を願ってという長期的に気長に塩漬け気分でいる人もいるかと…

 

私もFXでメキシコペソ円(MXN/JPY)をインカムゲイン狙いでロング(買い)ポジションを持っていたのに、円高になってしまったために含み損を抱えてしまい、チマチマと日々のインカムゲインが含み損を上回る時を待っています。「待っています」というよりも「放置プレイします」というほうが適切ですねw何年かかるのやら・・・

 

これはこれで別にいいのですが『資金が拘束される』という事実は変わりません。含み損を抱えたまま、自分なりの鉄板トレードをしていってもいいのですが、「最近は村の仕事が楽しくてトレードをするくらいなら、この際だから開業届を提出して個人事業主になって事業収入を得て、確定申告とかで青色申告とかしてみるのも勉強になるから、含み損を抱えたままでトレードはガチもんのお休みモードにしてもいいんじゃないか」と思っています。この際だから「日商簿記2級は取得してもいいんじゃないかしら・・・」という合理的な暇潰しな気持ちになっていますしね。

 

 

 

 

というのは長い前置きになりましたが、本題へ移ろうかと。

 

今回の市場の大荒れは確かに投資家にダメージを与えたのですが、こんな大暴落の出来事を起こさずとも、自らの手でいつでも『大暴落』を経験させてしまう投資家もいます。

 

そう・・・つまりは、自分の投資資金に見合わない無茶なトレードをしてしまう人たちや根拠もなしに上がるか下がるかのトレードをする人たちを指します。トレードというのは、これから勝てるはずの取引を大切にしていかないと、過去の負けた取引の埋め合わせもできなくなるのです。

 

別にボラティリティ(価格変動幅)が小さくて安定している相場の状況でも、いつでも自分の中での『世界恐慌』と隣り合わせでヒヤヒヤものの丁半博打なトレードをしてしまう。相場に絶対はなく、例外は起こるときは起こるので、そのときに無茶なトレードをしていたら~~そりゃぁ根こそぎでヤられちゃいますよ!!!何やってんだよwww!!!というメシウマ動画もよくYou Tubeでアップされているのですが、オモシロイですよね。

 

こういうのって「トレードに対する恐怖心を煽るから観ない方がいい」という意見もあるのですが、私は逆の意見で「観たほうが勉強になる」と思っています。どんどん彼らのトレードを観てバカっぷりを見て慎重すぎるくらいに相場に臨んだほうがいいかと。

 

相場の世界に臨むのはプロもアマチュアも関係なしに同じ土俵に立っているのですから。

 

抱腹絶倒しながら自らのトレードと照らし合わせながらご覧くださいwww学ぶべきものがあれば良いですね~(^o^)

 

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一昔前には『意識高い系』という言葉が流行り、スターバックス店内でMacで作業するビジネスマンとか、自己啓発セミナーに通いああだこうだといった感じで資本主義社会の中で上位置で生き抜こうとする動きがありました。

 

これはバブル期とは異なり、インターネットが普及したために個人が企業と同等に勝負できる環境も相まってか個人レベルでもバンバン勝負できる時代に突入した時期でした。

 

しかし一方で、同時期には資本主義から「降りる」という生き方も注目を浴びはじめ「(必要以上に)働かない」という生き方も萌芽してきた時代にも思います。

 

ハッキリ言ってしまえば、今の日本は格差社会になってしまったので、働いても働いても弱者側は搾取されるという社会構造が確立されてしまっているから「働くのが馬鹿らしい」という考えも持つ人も多くなってきました。私も完全にそう思います。

 

「無理に結婚して子ども作ったところで生活が苦しいだろうし、俺は一人で好きに気ままに生きるわ~」と思っている若い世代も多く、価値観は多様化しています。

 

「一億総中流社会時代の画一化された価値観で今の時代を生きるって死ぬなぁ・・・」と、社会不適合者の私は常々思いますw

 

現在の日本の所得税は超過累進課税という形態が採用されており、稼げば稼ぐほどに納税額が多くなります(もちろん一部は分離課税ですが)。だもんで「自分の身丈に合った生活水準を満たされてそれでいいなら、もうそれ以上は所得は必要ないや。そもそも国に納税したところで自民党議員が着服するし。アイツらに俺の金を献上したくね~よ。」そりゃ納税するのが嫌になるよね。もちろんガチでみんなの税金がみんなの生活を支えるように使われるなら喜んで納税するよ。でもそうじゃないんだもん。国民が主体なのにさ。

 

あと人類規模で俯瞰したとき、資本主義により地球環境を破壊してまで生きるのが嫌だし、そんな空気感に侵されて強制されてまで人間やっていたくないですね。「資本主義に揉まれて生きるより、資本主義を利用して生きてやれ」という感じで斜に構えて生きようっと。トレードしていれば分かりますが、需給の大衆心理で相場が動くので「ここだ」というときにだけ金をいただきます。

 

資本主義って人間の生活を便利で豊かにしてきたんでしょう。しかし山奥に住んで半年。個人的に思うこととしては「人間も生物。自然とともに生きなくては、自然から乖離してしまい『人間は狂う』のだ。」

 

世の中には特定の分野で卓越した結果を出している人で溢れていますね。

 

たとえば野球という分野では大谷翔平、格闘ゲームという分野では梅原大吾、料理という分野では三國清三、将棋という分野では藤井聡太・・・と色んな分野での成功者という人はいます。

 

もはや彼らは成功なんて目指しているのでははなく、その道の哲学を探求しているように映ります。いずれの人たちは人生の早い段階で自分の進む道を見出していたことも共通点です。

 

そして、特にその分野で成功者とはいかなくても、自分の本心から好きで主体的に何かに取り組んでいる人もいますよね。

 

一方で、自分の進む道を見出せずに人生を終える人もいます。または何となくの大多数の生き方に巻き込まれて生きる人たち(むしろこっちの方が多いのではないかと)。

 

私の場合は、この世のほとんどに興味がなく、ただ人生を過ごしています。ただASD(自閉スペクトラム症)という脳の特性のために一度首を突っ込んだことにはなまじ知識があるが故に『忘れない』ので他人からは興味があるのだと勘違いされてしまいます。

 

「人生で何か情熱を注げるものがほしい」と昔は切望していましたが、40代半ばにもなると「生まれ持って“ない”人は“ない”のだ」と割り切れました。別に何者になるのでもない、それが自分という存在。他人から強制的に圧力をかけられて持てるものでもないし、持ったフリをしてもどうせ長続きしないし。

 

「それはそれで良くね?だってしゃーないやんけ。それが俺の持ち前の気質なんだから。」

 

こういう人は90年代の価値観ならばマイナス寄りの烙印を押されたものですが、今の価値観ではそうでもないように思います。そもそも社会環境も違いすぎますもんね。『一億総中流社会』から『格差社会』へ。バブル期でウハウハしていたジジイやババアとは生きてる価値観も違い過ぎるもん。

 

何が「良い」か「悪い」かなんて時代によって違います。覚醒剤だって昔は『ヒロポン』という商品名で市販されていて、今でいう栄養ドリンク扱いでバンバン合法だったときもありました。昔のギャグ漫画で子どもがヒロポン利用してイっちゃってる描写とかもありました。後年になってヤベーってなって違法になったんですが。

 

こんな感じで時代や国家や法律次第で簡単に価値観を染めることができる(人を洗脳させることができる)のだから、個人の持ち前の好き嫌いなんてのは、周りの価値観により抑圧されて押さえつけられて生きるなんて馬鹿げたことにも思えます。

 

だから好きなことがある人は徹底的に『好き』をやればいいんだと思います。別にそれが金儲けや名声を得られるものでなくてもいいじゃないですか。

 

閑話休題。

 

ま、私みたいに何にも興味を持てない人は持てないで仕方ない(興味を持てるモノにまだ出会っていないかもですが)。そもそも興味を持てるモノに出会うためにも体力が要る。その体力さえもないので、出会えなくても別にいいんじゃないかな。

 

そもそも若い頃に、障害特性に気付かずに生きるのに過剰に頑張りすぎた。一言でいえば疲弊してしまった。

 

でもそれもまた人生なんだよなぁという感じなんじゃないでしょうか。

 

お盆中にこの日記を書く。

 

お盆休みの前半は4日連続でDIYのバイトをしてしまった。このバイトは4月から週末にやっており、今月で4か月目になる。

 

同僚との関係性も築けてきた。しかも自分と同じ年の同学年の人がいてる。同じ年齢でも人生が全然違うのだが、この山奥でこんな形で邂逅するなんて人生は分からないものである。

 

ハッキリ言ってしまえば、資本主義社会ゴリゴリの空気感で出会ってしまったなら俺はこの同僚たちとは距離を置いていただろう。「この人たちとは人生が違い過ぎる」と自分から避けていただろうな。圧倒的に違う人種だから。

 

・・・というのは『出会い方』が非常に大きい。

 

やっぱり人生は自分の身の周りの環境により大きく自分の心が違ってくる。生まれ育ちの環境は本当に大きいということを痛感する。

 

40歳半ばにして、こんなことに気づかされたのだ。

 

 

 

 

話は変わるが、最近になって自分は呼吸が不自然なリズムをしていることを自覚した。吸って吐いて、その後に吸うことを『恐れている』ために息を止めている時間が5秒~10秒ほど続き、そして息苦しくなってやっと吸っていることの繰り返しであることに初めて気づいた。

 

そしてバイクに乗っているときにバックミラーを見るのだが、そのときに眼球のみ動かして見ている。顔を少しクイっとバックミラーに向けることすらしていない。なぜなら『恐れている』からだ。

 

こんなにも自分が『動く』ことを『恐れている』のだ。誰も見ていないのに、誰からも非難される場面でもないのに。

 

日常の動作がこんなに阻害されてしまったのには思い切り心当たりがある。家庭環境だ。家庭が息苦しくなって、文字通り息苦しい生活をしてしまっていて、息苦しい人生になってしまっていた。

 

これに気づいてしまった。

 

 

 

こんなことに気づかずに死んでいった人もゴロゴロと存在していたのだろう。毒親育ちとは、機能不全家族とは、世代間連鎖とは・・・こんなことを殺されて生きてきたんだなぁと、シェアハウスの周りの草むらから鈴虫ではない何か不明の虫の音色に癒されながら本記事を綴る。