呼吸することすら怖がっていた自分 | ASDの中年男性の人生の生き方。ときどき投資。

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シェアハウスで社会不適合者たちと暮らしています。発達障害(ASD)だから社会に適応できません。どうやら唯一トレードが好きだから、ひたすらトレードしてるかなぁ。

最近は大自然の中で農作業が主です。生きることは難しい。

お盆中にこの日記を書く。

 

お盆休みの前半は4日連続でDIYのバイトをしてしまった。このバイトは4月から週末にやっており、今月で4か月目になる。

 

同僚との関係性も築けてきた。しかも自分と同じ年の同学年の人がいてる。同じ年齢でも人生が全然違うのだが、この山奥でこんな形で邂逅するなんて人生は分からないものである。

 

ハッキリ言ってしまえば、資本主義社会ゴリゴリの空気感で出会ってしまったなら俺はこの同僚たちとは距離を置いていただろう。「この人たちとは人生が違い過ぎる」と自分から避けていただろうな。圧倒的に違う人種だから。

 

・・・というのは『出会い方』が非常に大きい。

 

やっぱり人生は自分の身の周りの環境により大きく自分の心が違ってくる。生まれ育ちの環境は本当に大きいということを痛感する。

 

40歳半ばにして、こんなことに気づかされたのだ。

 

 

 

 

話は変わるが、最近になって自分は呼吸が不自然なリズムをしていることを自覚した。吸って吐いて、その後に吸うことを『恐れている』ために息を止めている時間が5秒~10秒ほど続き、そして息苦しくなってやっと吸っていることの繰り返しであることに初めて気づいた。

 

そしてバイクに乗っているときにバックミラーを見るのだが、そのときに眼球のみ動かして見ている。顔を少しクイっとバックミラーに向けることすらしていない。なぜなら『恐れている』からだ。

 

こんなにも自分が『動く』ことを『恐れている』のだ。誰も見ていないのに、誰からも非難される場面でもないのに。

 

日常の動作がこんなに阻害されてしまったのには思い切り心当たりがある。家庭環境だ。家庭が息苦しくなって、文字通り息苦しい生活をしてしまっていて、息苦しい人生になってしまっていた。

 

これに気づいてしまった。

 

 

 

こんなことに気づかずに死んでいった人もゴロゴロと存在していたのだろう。毒親育ちとは、機能不全家族とは、世代間連鎖とは・・・こんなことを殺されて生きてきたんだなぁと、シェアハウスの周りの草むらから鈴虫ではない何か不明の虫の音色に癒されながら本記事を綴る。