私は40代半ばです
独身で子どももいません
かつての私が人生で一番望んでいたことは結婚し子どもを授かることでした
40歳ほどで無職になり、結婚を諦めました
性的嫌悪の価値観の母親のもとで育てられたためか、恋愛経験はありません
性的嫌悪を明確に意識したのは、皮肉なことに無職になった後であり気付くのには遅すぎました
人間には適齢期というものがあり、その時期に課題に取り組まないと一生の課題として残る可能性があります
性的嫌悪の価値観に毒されていると気づくまで恋愛をしたいとあれこれ足掻いてきましたが、
足掻けば足掻くほど恋愛からは遠のく(好意を抱いた女性からは嫌われる)ばかりで、
周りの人が当たり前に恋愛して恋仲になったり、結婚していき子どもを授かる様子をみて酷く劣等感を抱えてきました。
今となっては年齢のせいか性欲も減退しているし、結婚なんてする気もないので、その意味では生きやすいです。
しかしながら、心の奥深いところでは性的なエネルギーは解消されずにドロドロした感情が蠢いています。
しかも毎日。
20歳の頃に恋愛感情を抱いた女性からは「プライドないの?」と冷たく言い放たれたことは忘れられません。
当時『プライド』の感覚というものが全くわかりませんでした。
プライドという感覚を初めて実感したのは、これも皮肉なことに無職になってからでした。
それまでプライドという言葉を聞けど、まったく感覚が分からずに生きてきたので、女性から相手にされませんでした。
最後に女性を好きになったのは39歳のときです。
人生で一番人間らしい好意を抱けた記憶があります。
その恋愛は成就せずに終わりましたが、自分に誇りを持てる終わり方をしました。
そのときが少しだけプライドの意味がわかった感じです。
ずっとずっと恋愛できる土俵に立つことを待ち望んでいたのに、気付いたときには適齢期を過ぎ去りました。
もちろん世の中には「恋愛に年齢は関係ない」という価値観もありますが、私の場合は
性的なエネルギーを消化できていないので『若さ』というものに執着してしまいます。
私自身が若くないといけないし、女性も若くないと性欲が湧かないので性的課題が解消される感覚がないのです。
これが人生の課題の根っこにこびり付いてしまっている以上は
残りの人生ははっきり言えば無意味な時間とも思ってしまいます。
「ホントに親って子どもの人生を殺すんだなぁ」と
自分自身を振り返っても、シェアハウスの同居人を見ても痛感します。
『親ガチャ』は失敗しても、それが原因であれ、
それを背負って生きなくては人生は自分のものにできません。
これを素直に認めなくては人生も進まないことを理解しました。
私の人生は、恋愛とは無縁なものでした。
個人の尊厳を奪う父親に育てられ、性的エネルギーを否定する母親から育てられ、
人間の生きている意欲さえ削がれ、先祖代々も子孫繁栄もクソもない感覚に侵され、
生きているのが苦痛でしかないときもあります。
「だから何?お前はやれるだろ?」
というもう一人の声が囁きます。
それは“自尊心”を携えたもう一人の自分です。
“自尊心”というものは私にとって脆い人生の中でやっと掴み取った希望みたいなものです。
「あの頃・・・過酷な職場環境で周りのみんなを牽引してよく踏ん張ってきたな」
「いつでも逃げ出すことができたのに、よく俺立ち向かったな」
障害やら抱えながらも力ずくで生きてきて、わずかに芽生え始めた『人とのつながり』という大切さ。
その延長線上に掴んだ“自尊心”
この自尊心は、私を自死されてくれません。
「こんな想いしてまで、自殺してたまるか」
最後に『二ーバーの祈り』の一節を記し、今回は終わります。
神さま、わたしにお与え下さい
自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを
変えられるものは変えていく勇気を
そして
その二つのものを見分ける賢さを