ASDの中年男性の人生の生き方。ときどき投資。

ASDの中年男性の人生の生き方。ときどき投資。

シェアハウスで社会不適合者たちと暮らしています。発達障害(ASD)だから社会に適応できません。どうやら唯一トレードが好きだから、ひたすらトレードしてるかなぁ。

最近は大自然の中で農作業が主です。最近生きやすくなりました!

久しぶりに日記を書こうと思う。

 

どうにも行き詰まった感覚である。

 

年齢を重ねていけば、自分の心が炙り出しになるし

 

周りの状況も変わる中で、自分の嫌な面も直視せざるをえない。

 

ハッキリ言えばキツい。

 

『未来は変えられない、過去は変えられる』という人がいるが、

 

本当にその通りだと思う。

 

生きている時間が長いと、結局は自分の課題に直面するし、

 

時間が経過して、自分が変容した視点で過去を眺めたときには、過去は変わっている。

 

しかしながら、生まれた時点で人生は決まっている。

 

なぜあの親の元で生まれてきたのか。

 

俺の親は異常だった。

子どもが喜ぶ出来事が起こっても、喜びを表現するようなものなら、父親からは「調子に乗ってんじゃねぇっ!!!」と怒鳴られて育った。

 

そんな環境に暮らしていけば、『喜ぶこと=悪いこと』という刺激反応回路が構築されて当たり前である。

 

自分が本来感じている感情を表すことを禁じられてしまうと、感情を抑圧する習慣が身に付いてしまい、一体何が本当の自分の感情か分からなくなってくる。

 

そんな状態で成長していけば「一体自分は人生で何をしたいのか?」という状態に陥り、感情という名の“羅針盤”が働かないので、永遠に自分探しを始めてしまう。自分の本心がわからないからだ。

 

全部親のせい。

 

とはいえ、世間的には「親のせいと言えるのはせいぜい未成年までで、それ以降は自己責任。」にされてしまう。

 

厳しいがこれが社会の見方だ。そこからは自己責任のもとでトラウマ的なものは自力で解消しなければ、社会人としてやっていけない。社会不適合者になると、なおさら社会の目は冷たい。

 

周りの人は助けないのが当然。助けるとしたら行政しかない。

 

人間なんて所詮動物である。

 

人間の脳は、簡単にいえば、古い脳と新しい脳に区別される。

 

古い脳は、動物的な

 

新しい脳は、人間的な思考をする。

 

人間とはいえ、所詮は古い脳がありきで新しい脳があるので、

 

動物的なところは残る。

 

つまり動物的な要素がなければ人間ではない。

 

人間社会はイジメという現象はなくなるはずもないのだ。

 

村社会で生きてみれば、それがよくわかる。

 

鶏を飼っている知り合いがいる。

 

小屋の中で鶏を放し飼いにして、鶏たちの群れがウヨウヨしている。

 

ある一羽の鶏が、他の鶏に小突いてちょっかいを出す。

 

ちょっかいを出された鶏は2パターンの反応を示す。

 

小突かれても平然としている鶏、

 

そして、小突かれたら「いじめられた!!」と騒ぎ立てアピールする鶏。

 

ここで面白い現象が起きる。

 

前者の鶏は、平然として、そのまま何事もなかったかのように振舞い、群れの秩序は保たれたまま。

 

後者の鶏は、騒ぎ立てたことにより、周りの鶏たちが反応し、一斉にその鶏を攻撃しはじめるのだ。

 

これを見て「自然界って正直だな」と思った。

 

つまり集団の中に弱者がいたら淘汰される。

 

当たり前である。

 

子どもや雌はともかく、大人になっても弱い個体が集団にいたら『邪魔』なのだ。

 

集団に危機が直面した時に、その弱い個体を助けるために構っていたら集団が滅ぶ危険性もある。

 

だったら弱者は切り捨てられて当然の理である。

 

「強者は強者を助け合い、弱者は見捨てられる。」

 

これは自然界が教えてくれる事実だ。

 



シェアハウスに20代半ばの毒親育ちの男性がいる。

 

毒親によって、ものの見事に脳が破壊されてしまったんだなと印象を抱く言動が目立つ。


「あなた生きること自体無理でしょ」としか思えない。


彼はアルバイトに20~30社以上申し込んだが、面接でことごとく落とされる。

 

雇用先はゲットできない。それもそのはず。彼は人との会話のやり取りが壊滅的に成立しない。

 

それは1〜2分彼と話すと分かる。しかも彼の言動の節々には周り人を小馬鹿にしている印象があり、周りの人からすると「は?何コイツ?」となる。

 

彼は社交性不安障害があるせいか常に怯えてビクビクしている。怯えているということは、彼にとって他人はみんな『敵』である。

 

『敵』認定された相手方からすると「は?コイツなんなの?」という反応をしてしまうので、彼に対しては『敵』としてキツく当たる構図が出来上がっている。

 

だから永遠に彼に対して味方をしてくれる者は現れない。

 

四面楚歌の状況を彼自ら作ってしまっている。

 

最初は俺以外のシェアハウス住人もそいつに対して軽く言葉を交わしていたが、今ではみんな無視に近い対応をすることになった。


『社会不適合者よ集え!』というコンセプトを掲げているシェアハウスで、彼自身の意思でニート的な生活に憧れて住み着いた。それなのに、彼自身の言動により己の居場所を喪失してしまった。実に皮肉である。


仕方ない。

あまりにも人間関係を知らなさすぎるし、人間という生物を理解していないからだ。

 

彼は仕事にありつけないので、生活保護を受給している。

 

良かったですね、日本国憲法に生存権があって。

 

仮に、何時そいつが死んでも俺は何も思わない。

 

シェアハウス内である日首吊り自殺していても、「あ、死んだんですね。」程度にしか思わない。

 

「辛かったんだろうね。ただ死ぬんだったら、人気のない樹海とかで移動して死ねよ」としか思わない。

 

「シェアハウス内で死なれて、お祓いとかの費用は家族に請求する手間も残して死ぬのは最後までアイツ迷惑な存在だったよな」と思うだろう自分が想像できる。

 

申し訳ないが、彼は死ぬまでこのままだと思う。(何に対して「申し訳ない」のか私も分からない。)


そして、俺は彼を通じて『過去の自分』を見ている。

今の自分から過去の自分に対して「アナタが死んでも別に構いませんけど?」という感想でしかないという意味でもある。


あれだけ過去にもがき苦しみ生き抜いてきた自分が「死んでもいいよ?誰も悲しまないから。」と言われたら絶望感でしかない。


でもホントにそうなんだ。

そもそも『生物として生きてるプライドをも喪失した人間には生きてる価値はない』のだ。


プライドをも放棄して腑抜けた人間は、勝手に死んでもらってもいい。


毒親という存在が、子に与える影響は計り知れないほど罪深い。



話を戻そう。

 

人間もご多分に漏れず生物である。であるから、この理は普遍である。

 

だいたい人権とかって、人間が勝手に作り出した思考の産物であるので、

 

自然界から見ると不自然なはずなのだ。

 

なぜ地球上の生物界の頂点に君臨するのが『人間』なのか…

 

それは人間の思考が勝手に定義したからである。

 

そんな勝手に地球を人間の所有物にされても、地球にとってはいい迷惑である。

 

DNAは長生きをしたい。人間なんて、DNAが生き残るための容器でしかない。

 

だから人間はセックスをして、新しい肉体を作り出す。

 

DNAが生存し続ける必要があるから。


…ということを考えたら、自分も含めた弱者はさっさと滅んでもよいし、もっと強者は栄えていくのが自然。

 

優勢思想万歳である。

 

「お金があっても幸せは買えない」とか世間ではよく言われますが、はっきり言えば幸せの定義は人それぞれですし、漠然としすぎた表現すぎて私にはよく理解できません。(なんとなく言わんとすることは分かりますが…)


投資をやっていて、経済的に潤うと明確に断言できることがあります。


「お金より人が大事。完全に人との関わりが大事」ということです。


端的に理由を言うと、お金は「自分の“思考内”にある便利や贅沢や安心しか享受できない」からです。


一方で、人は「自分の“思考外”のところから恩恵を運んでくる」からです。つまり他人はサプライズを運んできてくれるから、まさに盲点だった、意外な角度の情報をぶっ込んでくることがあります。ワンチャン自分の度量や視野を広げてくれます。


「あ、こういう視点があるのか!」

「ヤバい!そういう考えがあるのね!」

「知らない世界を教えてくれた」

「世の中に良くも悪くも、こういう人が存在するんだ」

これらは、まさに自分の“思考外”の資源です。


そしてここからさらにオモシロイことも起こります。


「あなたの〇〇の才能や能力や技術を活かしたいから、今度〜〜〜の人に紹介していいですか?あなたが〇〇をヤル気ならいい条件だと思いますが」

「あなたは口が固いですね、そして信用もできる。この仕事をお任せしたいのです」


このように自分の得意とする分野のオイシイ話も持ち込んでくれますし、それが仕事に化けることもあります。


だからトレード一回で1,000,000円を得るよりも、時給1,000円でも仕事して他人と関わっていたほうが人生の幅が広がるような価値が秘めてあります。まさに金では買えない、プライスレスな価値があります。


自分の“思考外”の刺激から自分が広がっていくのは本当にビックリさせられますし、その他人は金持ちや貧乏という社会的ステータスは一切関係ありません。むしろ自分にはないステータスがある、違う人生経験をしてきた人と関われるのは奇跡的です。


「成功したければ、成功者と一緒にいろ」とか、自己啓発書で読んだことがありますが、何を以てして成功かは定義が各々異なるので、私にはよく分かりません。


ただ「人間としての幅を広げたい、人間力を広げたいなら、いろんな種類の人と関われ」とは思います。社会的な身分や境遇の良し悪し関係なく、すさまじくオモシロイです。


まさに金では買えない価値があります。

「人生の目的は幸せになるため」という一部の意見がありますが、幸せってなんかハードルが高いです。


「あ、いいな〜」とか「こういうの好きだな」とか、そういう雰囲気が好きです。


日常でイライラするもの、ムシャクシャするもの、腹が立つもの、そういう日常生活で害になるものを片付けたいものです。


人生は勝手に時間が進むし、時が経過すれば何かしら状況も変わりますし。その都度対応する感じでいい。


自分の手で幸せを掴み取ることは、あくまで現時点での自分の定義した幸せでの範疇であって、それが未来の自分にとっては「幸せ」ではなかったという経験もしました。だから「幸せ」を求めて生きるのは、なんか自分はしっくりきません。


だから不愉快なものを片付ける生活をしたほうが、よっぽど建設的に思えます。たとえば、ウンコを我慢しないて排便するとか、ザワザワするものを処分するとか。


「幸せ」って、結局のところ自分のためになってないで、むしろダメ人間になる要素があるのがオモシロイなと思います。

トレードには色んな手法があり、それこそ無限にトレードをやり続ける前提で資産を増やし続けていくゲームなので特に他人と競うことはしなくていいと思います。


ただ自分のやり方で、市場に飛び込むタイミングで飛び込む。飛び込んだときに、自分の思惑方向に動いてくれたらいい。


思惑方向に動く≒なんの障壁がない場面


その障壁とは、レジスタンスライン(サポートライン)、移動平均線、とかとか…だったりします。


トレンドは継続し続ける傾向にあるとはいえ、いつかはトレンドは終わります。ってことは、トレンドの初動こそが鍵になり、ある程度レートが伸びてしまった後ではもう手遅れになっているのでスルーして、次の機会を待ちます。


ひたすらその輪廻なので、難しく考えなくてもいいです。


よく分からないゴチャゴチャした場面では市場に参加しなくてもいいので無視するに限ります。

シェアハウスの住人にこんな人がいます。


「今は金より銀がアツいっスよ」


と得意げに話します。


なんかよくわかりませんが、その人が言うには毎週1回に“サロン”といわれるところに通い、無料でお金についてのセミナーを受講しているらしいです。


ただその人は、20代半ばのくせにバイトに応募しては尽く落とされたりだとか(普通は20代半ばのバイト応募なら採用される)、生活保護がどうこうとか、格安シェアハウスの家賃すら払えずに母親に肩代わりしてもらったりだとか、祖父が大金持ちだからと自慢してきたり、日雇いの単発バイトでギリギリの生活をしています。ギリギリの貯金しかないのに、ギリギリの収入しか得ません。その割には他人を小馬鹿にしてくるのでハッキリ言えばクソ人間です。


クソ人間はクソ人間で別に構わないのですが、一つだけ言えることがあります。


家賃すら払う金が自分にないのに、投資のことを語ってアホなのかな?


と思います。


安定収入があり毎月ドルコスト平均法で積み立てていく戦略ならまだしも、そもそも彼みたいな人がなけなしの金で仮に投資したところで、その利益は微々たるものです。


仮に彼が1万円の銀を買ったとします。そして年利100%だとします。銀の価値は2万円です。


ん〜と……投資するよりもお前は黙って働いて稼いだほうが良くね?と思います。銀がアツいとかって投資情報はお前には不要だよね?としか思えません。


今の時代はUberや出前館やらの配達員でもやれば、24時間フル稼働でも稼ぐ手段はあるので。


投資は種銭がなきゃ始まりませんので、そもそも投資資金もない人は、まず投資資金を貯めることをせねばなりません。


というように、ギリギリの生活をしてる奴がギリギリの収入を得る生活を維持して何が人生変わる可能性あるんだろ?と彼を傍観するしかないです。


どうやら爺さんが死んだら相続遺産が入ってくるだとか言ってるけど、ちゃんと爺さんが遺言書作成してんのかな…とか思いますが、彼にはそういう知識もなさそうです(爺さんの子はご存命。子が相続放棄したら当然孫には遺産がいきません)。


「相続遺産が入ってきたら〇〇に寄附するんだ」とかイキってカッコつける発言もしますし、馬鹿かな?と思います。


そんな彼はどうやら日本の古代文字のカタカムナを書いて錬金術で金が降ってくるよう願ったり、引き寄せの法則を信じて、そのわりには自分では行動しないという殊勝な人物です。乙。