「人生ってのは何が起こるか分からない」みたいな言葉って人生の節々でよく聞いてきた。
それが40代半ばにして初めて感じるようになった。
暇潰しの感覚で村の仕事の依頼を受け続けていたら、知らず知らずのうちに人々との交流が波及していって信用されるようになってしまい、結果として日常的に仕事(のようなもの)をやる人間になってしまった。ただ世間的には『無職』であることには変わりないのだが。
毎日仕事っぽい何かをやらないと落ち着かない性分になってしまっている。草刈りをしたり、猿を撃退したり、家の改修をしたり・・・それはどれも自分が専門的に極めたいものではないけれど、今の自分の技量で補佐できて貢献できているのは素直に嬉しい。あくまで補佐でいいのだ、補佐で。
その中でも家改修の仕事をしたときに怪我をしてしまった仲間がいて、たまたま俺が元看護師だったから応急処置をすることができたのは大変重宝された。元医療人とはいえど医療器具や薬剤がなければハッキリ言ってしまうと何もできない人に等しいので、現場で応急処置で対応できることなんてたかが知れている。
救急車を呼んだとして、現場に到着してから病院に搬送されるまで2時間はかかってしまう地域だ。AEDは村のあそこやあそこにあると把握はしているが、まぁ・・・距離がありすぎる。AEDは存在していても無いようなものである。
常日頃、一番怖いなぁと思うのはハチやムカデに刺されたときにアナフィラキシーショックというアレルギー反応だ。その間に喉頭浮腫になって気道狭窄して呼吸困難になったらどうすんだろうか。そして村人が第一次産業に従事してるときに錆びた刃物をブスッと深く刺してしまい破傷風の症状が出現したとかも頻繁に聞くようになった。やっぱり地域の特性といったところか。こういうのは致命的になるので怖いよなぁ。
・・・という風に思うには思うのだが、決して医療界に復帰するつもりもない。医者はともかく看護師として仕事する以上は知識や技術や経験よりも、同僚との関係性が鍵だからだ。ASDの俺には無理。あくまで『看護師免許を所持している医療業界には従事しない村民』という立場が人のお役に立てそうである。
という風に過去の遺産が他人の役に立つ場合がある。
話を戻すと、仕事(のようなもの)をして、お小遣いみたいな少しの収入がもらえて、それで毎日が充実している。クソ重たい石を持ち上げて階段を昇り、石積み所まで運ぶ。ひたすらモルタルを作る。草刈りをする。ロケット花火を猿へ向けて発射する。村内で上裸になって作業していると、日焼けして黒くなる感じの肌が何か誇らしく感じている自分がいる。そんなライフスタイルが性に合っているのだろう。
そしてこの村で出会った同じ年齢の人との出会いは特別に感じる。その人は普段は都心で働いており、週末には別荘を建てるため村にやってくる。俺はモラトリアム人間であったため社会に進出する時期が遅く、社会人になってからタイミング的に同じ年齢の人と出会う機会が少なかった。しかもこの村で2人も出会った。
結婚して家庭を設け、お子さんも授かり・・・しかし仕事に追われてしまい私生活に時間を避けずに家族に見放されて離婚やら別居やら裁判やらの話を聞くと「俺とは真逆の人生だけど、そんな人生を歩んできた人とこんな山奥の村で出会うんだな…」と感慨深くなる。
昔「人生いろいろ」と島倉千代子が唄っていたが、まるで畑違いの人生を歩んできた同じ年齢の人とこんな山奥の村で邂逅するなんて人生は不思議な縁である。しかも、なんか馬が合う人たちで心地良い。出会って3か月くらいだがお互いに冗談を言い合える関係になっている。
俺の人生は、その人たちからすると興味深くオモシロイらしい(障害は開示していないのだが)。
「人ってそれぞれなんだよな・・・本当に。『同じ』人間なんて言うけれど、みんな本当に『違う』くて。それぞれがそれぞれの人生を歩むんだよな…」と思ってしまう。何が正しくて、何が不正解で、何が良くて、何が悪で、まったく適応されない。
という感じで、思わぬ展開でミッドエイジクライシスを回避できそうな予感がしているのも人生オモシロイですね。