《前編》より

 

 

【筆者(飛鳥昭雄)のルーツ】

 筆者は藤原の一族の末で、『古事記』『日本書紀』を編纂した藤原不比等の仕掛けを子孫として解き明かす最中といえ、祖先は「大化の改新」を成した中臣鎌足とされ、平安時代は「陰陽寮」と関わり「壇ノ浦の海戦」で敗北した平家側にいて、敗北後に国東半島(大分県)の山中深く隠れた平家落人部落で巨大な「六芒星」を組む奇祭を行う一族で、そのため、裏家紋は向って左向きの「髑髏」でサンスクリット語の「カッパ(カンパラ)」の継承者でもある。(p.113)

 中臣鎌足=藤原鎌足については、中学の歴史の授業で学んだ記憶があるはず。

 苗字が変わった経緯については、下記リンクに書かれている。

  《参照》  『冷泉布美子が語る 京の雅・冷泉家の年中行事』南里空海(集英社)《後編》

           【冷泉家の由来】

 

 

【冷泉家が「開かずの蔵」で保管するもの】

 最も重要なのは、古都廃止の「遷都(せんと)」ではなく、両京制の「奠都(てんと)」にしたことで、最後の天皇陛下が京都に帰還する仕掛けを置いたことになる。・・・中略・・・。冷泉家に至っては、地上ではなく地下の「開かずの蔵(庫)」を天皇帰還まで守り続けるのがお役目である。

 地下蔵に封印されているのは、・・・中略・・・『旧約聖書』『新約聖書』が編纂される前の原典で、「失われた聖典」など多数が保管され、最後の天皇陛下が地下蔵を開封するのを待ち続けている。(p.132)

  《参照》  『失われたメシアの神殿「ピラミッド」の謎』飛鳥昭雄・三神たける(学研)《後編》

            【エノクが著した『知識の書』とピラミッドの閉じた玄室】

            【『知識の書』とモーセ】

  《参照》  『フォトンベルト 地球第七周期の終わり』福元ヨリ子(たま出版)《中編》

            【聖書の原典:「宇宙の真理の奥義」】

 

 

【諏訪大社】

 「艮の金神」が諏訪湖から出て来るとき、日本列島は未曽有の「メガクウェイク/大規模地震」に遭遇するが、・・・中略・・・。(p.144)

 「艮の金神」が出て来る諏訪湖と諏訪大社の関係については、下記リンクに。

 《参照》 『知られざる古代日本のユダヤと秘密結社』飛鳥昭雄×中丸薫(学研)《後編》

         【諏訪大社:日本の結節点】

 

 

【草薙之剣と「三種の神器」】

 物部系古神道で一神教の『旧約聖書』の中で、怒りを発する「箱」といえば生贄を求めた「契約の聖櫃アーク」で、金色の「璽」の「八岐大蛇」から須佐之男命が「草薙之剣」を取り出した以上、「艮の金神」が出てきたら草薙之剣をご神体とする「熱田神宮」(愛知県名古屋市)の境内「一之御前神社(いちのみさきじんじゃ)」の裏に隠された「草薙之剣」も出てくる!!

 ラストエンペラーの天皇徳仁殿下は、南海トラフ地震の巨大津波で壊滅する「熱田神宮」の「草薙之剣」を、物部系「伊雑宮」(三重県志摩市)に移譲し、「三種の神器」のすべてが「伊勢三宮」にそろうことになるが、「八岐大蛇」が海から出てくる以上、大津波は避けられない。

 この事態は2016年8月8日の先の天皇の「生前退位(譲位)」のビデオの収録日(8月7日)、当時の皇太子(現・今上天皇)が「熱田神宮」にいたことからすでに決まっていた。(p.143-144)

 「一之御前神社」にあった「草薙之剣」は、下記リンクにあるように、2020年2月以前に、忌部系の著者さんによって、伊勢神宮に移されている。但し、届けられたのは、伊雑宮ではなく、内宮の正宮だけれど。

   《参照》 『菊理媛と共に宇宙無限大に開くドラゴンゲート』龍依~Roy(ヒカルランド)《中編》

            【熱田神宮の境内摂社にて】

 著者さんは、大津波は南海トラフ大地震によるものと言っているけれど、必ずしも大地震由来とも言い切れないように思う。2025年7月と算出されているイベントが契機かもしれないだろう。

 ところで、昨年末、伊勢神宮の外宮別宮である月夜見宮を参拝した折、神職さんから「数年前、台風と大潮が重なった時、外宮の勾玉池が溢れ “せんぐう館” も水浸しになった」ということを何ゆえか一方的に聞かされのだけれど、熱田神宮も伊勢神宮の三宮(内宮・外宮・伊雑宮)も、大津波が来たら到底耐えられない標高でしかない。そのような地である伊勢神宮に「三種の神器」が結集することで、一体全体、何がどう起こるのだろう。

 

 

【「嬴、瀛、王(エイ・エイ・オウ)」の由来】

 秦の始皇帝は「日本=瀛州(えいしゅう)」の「嬴政(えいせい)」を名乗るヤ・ゥマト(大和民族)で、同族の「嬴」の「徐福」を日本列島に派遣する一方、中央アジアの「月氏国」に「契約の聖櫃アーク」の蓋と神器の一部を送り、600年後に神武天皇の渡来を経て日本の「邪馬台国」に運び込む。

 紀元前3世紀、「秦」から「失われたイスラエルの10支族」を伴って徐福が渡来し、一神教の古神道を興して物部氏となり、紀元後3世紀に秦氏が「原始キリスト教徒:2支族」と「イスラエル10支族」を伴ったガド族の「神武天皇」が渡来、大和で「嬴」の箱と「嬴」の蓋が合わさり、武士たちは「嬴、嬴、王(エイ・エイ・オウ)」と勝ち鬨を上げて始皇帝万歳を連呼した。

 が、おそらく「嬴」がヤハウェで、「瀛」が胎盤の水を潜った現人神(救世主)を示し、「嬴、瀛、王」だった可能性が高い。(p.151-152)

 学校で習った世界史しか知らない人は、「秦の始皇帝は、中国人なんじゃないの・・・」って言うことだろう。そういう人は、下記リンクを辿ってください。

  《参照》 『「隠岐」の謎』 飛鳥昭雄・三神たける(学研)《中編》

          【秦始皇帝は、モーセの血を引いていた】

  《参照》 『プレアデスメシアメジャーが示す「未曾有の大惨事」の超え方』飛鳥昭雄・村中愛・小川雅弘《前編》

          【ほんとうのユダヤは日本】

 

 

【「璽」の意味】

 「璽」の印は世界最初の皇帝「始皇帝」の印にあり、象形文字的に見れば「契約の聖櫃アーク」を横から見た形「爾」の下に「玉」である「三種の神器」が入る姿で、神の箱の「璽」を預かる者こそ「皇帝」であり、神事を行う「レビ族の長」の証明となる。(p.151)

   《参照》  『特殊なこの国と天皇家の超機密ファイル』板垣英憲・飛鳥昭雄・他5名(ヒカルランド)《後編》

            【「璽」は「聖櫃アーク」】

 

 

【「徐福」が預言者の証として日本に運び込んだモノ】

 『古事記』で「瓊瓊杵尊」は「邇邇芸命」とあるように「爾」は「契約の聖櫃アーク:璽」のレビ族の名で、「邇邇」の2つで始皇帝の命で「璽」を瓢箪の「鶴」「亀」に分けた「徐福」が、日本列島に天孫降臨したニニギの正体で、そのときに預言者の証の「如意宝珠」を一緒に運び込んだと思われる。(p.174)

 瓊瓊杵尊=邇邇芸命=ニニギ=徐福で、徐福は「如意宝珠」を日本にもたらしたと言っている。

 

 

【如意宝珠=ゾハル】

「如意宝珠」の図柄は、ヤタガラスの「熊野本宮大社」の “牛玉宝印” にあり、狐の「伏見稲荷大社」の “御朱印”と共に “燃え光る珠” として伝わっている。(p.174)

 左は「熊野速玉大社」で頂いた“牛玉宝印”。「如意宝珠」は、醍醐寺の観音堂の天辺にも乗っかっている。

 徐福の「如意宝珠」は「籠神社」で長く所蔵していたが、海部直(あまべのあたい)の一族で第31代宮司の雄豊の娘「厳子(いつこ)姫」が、空海(20歳)に与えて唐に赴かせた記録があり、娘は後に「真名井御前」と呼ばれ空海に帰依している。

「如意宝珠」は『聖書』の “ゾハル” という輝く結晶石のことで、陰陽一対のゾハルは、「ウリル/潮満珠」と「トンミム/潮干珠」の預言者の徴(しるし)とされ、今も高野山の奥の院「御廟」の地下にあり、空海はそこで即身仏としてゾハルの光に包まれ生きたままの姿で眠っているとされている。(p.174-175)

   《参照》  『空海は古代ユダヤの錬金術師だった』月海黄樹(徳間書店)《後編》

            【淳和天皇に入内していた厳子の出奔】

「ウリル/潮満珠」と「トンミム/潮干珠」の陰陽一対からなるゾハルは、ユダヤ「三種の神器」のひとつ。

   《参照》  『空海は古代ユダヤの錬金術師だった』月海黄樹(徳間書店)《前編》

            【三種の神器】

 後醍醐天皇が隠岐に残した懐中物である「真名ノ壺」には、「如意宝珠」が彫られており、その写真が p.173 に掲載されている。この懐中物は、後醍醐天皇が敢えて隠岐へ形見として残したものであるという。それが意味するのは、

 最後の天皇徳仁陛下が、日本列島初めの地の「隠岐」に立ち寄り、「マナの壺」で儀式を行う示唆で、日本列島の箍を外し、汚れた現世を一気に終わらせるためである。(p.177)

 潮の干満を自在に操る「ゾハル(如意宝珠)」のパワーを使って、汚れた現世を一気に終わらせる?

 どうやって?

 「如意宝珠」は、“燃え光る珠” として伝わっている、とある。

 大気圏に突入した大きな隕石が、“燃え光る珠” となって海洋に落ちれば、巨大津波となって、平野部にある人口密集地や大都市を一掃する。そうすることで、汚れた現代文明は一気に終わるだろう。

 しかしながら、著者さんの解は、以下のもの。

  《参照》 『「隠岐」の謎』 飛鳥昭雄・三神たける(学研)《後編》

           【終末の引き金としての隠岐】

 

 

《後編》