《中編》より

 

 

【瓢箪】

 籠神社は代々、瓢箪をシンボルとして掲げてきた。日本では瓢箪は縁起物のひとつだが、そのルーツをたどるとエルサレム神殿に行きつく。ソロモンが建設したエルサレム神殿は瓢箪の装飾に囲まれていたのである。・・・(中略)・・・。

 もちろん、象徴ゆえ、ほかにもたくさんの意味がある。瓢箪島だ。海にある奥宮、冠島と沓島のほか、隠岐もまた瓢箪島である。隠岐はユダヤの龍宮城であり、裏アークが安置された聖地である。(p.165)

 籠神社の奥宮である冠島と沓島は、グーグルマップの航空写真で見ると海の浅い部分が瓢箪のように見える。海水面が数メートル下がれば、両島はつながって瓢箪島になってしまう。島前、島後からなる隠岐の島についても同様。

 さらに、籠神社の海部光彦宮司が語ったように、瓢箪は容器でもある。上部が蓋で、下部が甕。童唄『カゴメの唄』の解き明かしでは、瓢箪の蔓=鶴、甕=亀という意味だとも語った。ここでは瓢箪が液体を入れる容器、そう壺に見立てられている。もちろん、マナの壺である。(p.165)

 イスラエル三種神器のひとつ、マナの壺について、以下のように書かれている。

 大和朝廷を開くにあたって応神天皇は大邪馬台国の王家である海部氏に入り婿する形で王権を継承した。このとき、皇后の実家である海部氏にマナの壺を渡している。倭宿祢以来、裏アークとアロンの杖を奉斎してきた海部氏は天皇家の外戚としてマナの壺を授かり、徐福が開いた籠神社に安置した。(p.165)

 

 

【御杖代、御船代】

 斎王である豊鍬入姫や倭姫が御杖代と呼ばれるのは、権アークの中にはアロンの杖がなかったからだ。アロンの杖の代わりとなって奉斎するという意味が込められていたのだ。

 最終的に十戒石板が納められた権アークは伊勢の五十鈴川のほとりに落ち着く。現在の内宮が建立され、その地下殿に権アークと十戒石板は安置される。日本三種神器において、十戒石板は八咫鏡である。内宮の正殿に安置されている八咫鏡を入れた容器のことを「御船代」と呼ぶ。代とあるように、これは形代である。本物は「御船」と呼ぶ。地下殿に祀られた契約の聖櫃アークのことだ。(p.172)

 「御船代」は「権アーク」で、「御船」が「真アーク」。

 “代”が付くのは「日本三種神器」で、付かないのは「イスラエル三種神器」。

 地上の正殿にあるのは「日本三種神器」で、地下殿にあるのが「イスラエル三種神器」ということだろう。

   《参照》  日本文化講座 ④ 【 日本と古代キリスト教の関係 】

           【 御御輿とその中身 (神社の御神体) 】

 

 

【四国の忌部氏】

 四国は神道祭司、忌部氏の拠点となる。忌部氏は、みなレビ族である。日本列島におけるメルカバ―である四国にレビ族が集められ、神道祭祀に必要な物が生産された。忌部氏は祭祀に必要な祝詞の紙から神社の建物まで、すべてを作り出すテクノクラートであった。早い話、フリーメーソンである。彼らはヘブルメーソンなのだ。

 当然ながら、そこにはモーセ系はもちろん、アロン系の大司祭がいた。彼らは忌部氏のなかでも天皇即位の儀式、大嘗祭を取り仕切る一族だった。大嘗祭に必要不可欠な服は忌部氏の三木家だけが作ることが許された。

 レビ族が集められた理由、それはほかでもない、剣山を中心とした四国が聖地であったからにほかならない。・・・(中略)・・・。隠岐と同様、四国は要である。ノアの大洪水以前から、ここは聖なる土地なのである。(p.176)

   《参照》  『菊理媛と共に宇宙無限大に開くドラゴンゲート』 龍依~Roy (ヒカルランド) 《後編》

           【天日鷲命】

   《参照》  『もう隠さない《モーゼとイエスの国》JAPAN』 河合勝 (kヒカルランド)《後編》

           【四国からユダヤへ渡ったレビ族】

 

 

【天海の作為】

 南北朝時代に、事件が起こる。・・・(中略)・・・。権アークは北朝、それを背後で操る足利氏が奉斎したというのだ。

 これには後日談がある。足利氏がもつ権アークは、江戸時代、ひとりの僧侶によって外へと持ち出される。天台宗の南光坊・天海である。天海の正体は織田信長を討った明智光秀である。彼の死には謎が多いとされるが、それもそのはず、出家して天海になっていたのである。もともと、明智光秀は八咫烏である。漢波羅秘密組織八咫烏から政治的な野心をもって飛び出したはぐれ烏の一羽だった。

 天海は西の伊勢神宮に対して、東の日光東照宮を建立した。伊勢神宮の主祭神が天照大神に対して、日光東照宮は東照大権現である。言霊的に、天照=アマテラスに対して、東照=アズマテラスと陰を踏んでいるのだ。天海は東国の伊勢神宮を建設すべく、ここに権アークを運び込んだのである。(p.186)

 天海=明智光秀は、もう広く認識されているだろう。

   《参照》  『世界支配者vsライトワーカー』サアラ×玉蔵(ヒカルランド)《4/4》

           【比叡の人脈】

 しかし、権アーク(日本三種神器)が、天海によって日光東照宮に運び込まれたというのは、ぶっ飛び級の話🦆。

   《参照》  『古代天皇家「八」の暗号』 畑アカラ (徳間書店) 《後編》

           【家康は北極星】

   《参照》  『裏天皇、八咫烏、南朝系、今こそ天皇家の真実を話そう』張勝植(ヒカルランド)《1/3》

           【日光東照宮】

 

 

 

【 葵祭 と 藤祭 (カモ神社 と コノ神社)】

 籠神社の伝承によれば、葵祭の元は藤祭であるという。藤祭は今も、葵祭と同時期に籠神社で行われる祭礼である。下上賀茂神社の葵祭では髪に葵の葉を飾るのに対して、籠神社の藤祭では藤の花を挿す。

 藤とは不死のこと。天岩戸開きによって甦った天照大神、復活して不死不滅となったイエス・キリストを象徴しているのである。(p.247)

 

 

【桃太郎伝説(メノラー強奪事件)】

 徐福が裏アークを隠岐に運んだ際、いっしょに携えてきたメノラーは玉若酢命神社に安置された。以来、ずっとメノラーは玉若酢命神社のご神体とされてきたのだが、第70代・後冷泉天皇の時代、事代主命と称して、八咫烏たちが強引に外へ運び出したのである。

 隠岐の人々にとってみれば大切な御神体を奪っていった悪党だが、八咫烏に逆らうことはできない。いともあっけなく、七枝の燭台メノラーは隠岐から対岸の出雲へと運ばれていった。玉若酢命神社の祭神として事代主命など、出雲の神々が配されているのは、この故事に由来する。八咫烏は自らの足跡を祭神として刻ませたのである。

 意外かもしれないが、一連のメノラー強奪事件を物語にしたのが「桃太郎伝説」である。桃太郎が鬼退治に向かった島、その名も鬼ヶ島は隠岐のことなのだ。鬼という字も、本来は隠という意味である。隠岐は「隠が島~鬼ヶ島」なのである。(p.284-285)

 猿、雉、犬に関する謎解きも書かれているけれど、陰陽道を根拠とするそれらは他でも読んだことがある。しかし、桃太郎が目的としていたのがメノラーだったという内容は斬新。

 なぜメノラーを運び出したのか? 『聖書』の箴言にある記述を預言とし、八咫烏はそれに則して動いたのだという。

 

 

【 出雲大社 と 神魂神社 (メノラー と ハヌキヤー)】

 出雲大社の本殿の天井には7つの雲が、神魂(かもす)神社の天井には9つの雲が描かれている謎について。

 雲は燭台から立ち上がる炎から発せられるもの。7つの雲は七枝の燭台メノラーを意味している。同様に、9つの雲は九枝の燭台「ハヌキヤー」のことである。(p.290)

 メノラーが御神体としてやってきたことを受けて、それまであったハヌキヤーは神魂神社へと遷された。(p.291)

 ハヌキャーは、紀元前二世紀、シリアによって蹂躙されたソロモン第二神殿を奪還したことを記念した宮清めの祭り「ハヌカー」で使用された燭台のこと。秦氏が日本に持ち込んだものであり、天孫族である秦氏が物部王国を征服し、出雲大社を建設する際、本殿に安置したものだと書かれている。

 神魂神社については、下記リンクで。

   《参照》  『 【宇宙の創造主:マスター】との対話① 』 天無神人 (ヒカルランド) 《後編》

            【神魂神社(かもすじんじゃ)】

 

 

【出雲大社とピラミッド(日本とエジプト)】

 出雲大社は何度も倒壊を繰り返してきたけれど、社伝によると、最初は96m、次は48m、そして現在は24mになっている。

 これは飛鳥昭雄が八咫烏から直接、聞いた話である。確かに、96mにもなる上古出雲大社は存在しなかった。出雲にあったのは、48mの中古出雲大社からである。・・・(中略)・・・。あったのは日本ではなく、古代エジプトである。・・・(中略)・・・。

 なかでも、もっとも高い第1ピラミッド、つまり大ピラミッドこそ、実は出雲大社の原型なのだ。(p.303)

 中古出雲大社の本殿と階段が大ピラミッドの玄室と大回廊の構造と一致する一方で、上古出雲大社は、その倍の96mの位置に本殿がある。同様に、大ピラミッドの地上96mの位置には何があるか。

 実は、そこに隠されたもうひとつの玄室がある。そこへと至る大回廊は存在しない。ただ玄室のみがあり、そこに王の間と同様、石棺が置かれてる。(p.305)

   《参照》  『失われたメシアの神殿「ピラミッド」の謎』飛鳥昭雄・三神たける(学研)《後編》
            【エノクが著した『知識の書』とピラミッドの閉じた玄室】

            【『知識の書』とモーセ】

 

 

【八咫烏の歴史】

 場所も時間も異なる古代において、全く同じ構造の神社建築として再現できたのは、なぜか。いったい、誰が設計図を描いたのか。描くどころか、それが大ピラミッドと同じ構造だという認識を持つことなど、ほとんど不可能だ。

 超能力者でなければ、可能性はひとつしかない。漢波羅秘密組織八咫烏の歴史は、古代エジプト文明に遡る。いや、それだけではない。三大ピラミッドが古代エジプト文明以前の産物だとすれば、さらにさかのぼる。超古代フリーメーソンである。八咫烏はヘブルメーソンの本流である。ノアの大洪水以前、アダムメーソン以来の伝承を記録として保持しているならば、すべて説明がつく。(p.304)

 そう、大嘗祭も、その本質はエジプト起源である。

   《参照》  『裏天皇、八咫烏、南朝系、今こそ天皇家の真実を話そう』張勝植(ヒカルランド)《1/3》

           【オベリスクのある甲府城(舞鶴城)で大嘗祭】

           【秦氏:エジプト⇔高句麗⇔日本】

   《参照》  『光と闇 二元の統合』 サアラ (徳間書店) 《後編》

           【「大嘗祭」は「死と再生の儀式」】

           【ミルラ】

   《参照》  “八咫烏” に関する引用一覧

 

 

【都内に鎮座する隠岐】

「東京都内に鎮座する隠岐について聞いたことがあるか? その神社は何という?」

素盞雄神社で祭神はスサノオ命と事代主命です。問題は沖(隠岐)へ船で消えた事代主命の別名が飛鳥大神といい、奈良県の飛鳥は大和の地名で、天津神となります。驚くべきは社紋の形と配置が隠岐の二島と全く同じで、左下の島前の3島が円形に並ぶ「三巴紋」より、そのルーツが隠岐と判明し、ルーツが島前の西ノ島にある「焼火神社」も伝承にある海に現れた3つの火と判明します! 島後の位置の社紋は「祇園守紋」で、牛頭天王の角を象徴するように、「牛突き(牛相撲)」が伝統になっています! 素盞雄神社の天王祭りでは、町の家々にメノラーを模した七枝の厄除をかける習慣があります! また河童のためにキュウリを神前に奉納しますが、御紋(祇園守紋)がキュウリの切り口を表すという説もあります! そうなると、三島で成る島前が三巴紋で成り、河童伝説の島後がキュウリの輪切りの形で成って45度の角度で配置される以上、隠岐そのものとなります!!」 (p.228-233)

 

 

【終末の引き金としての隠岐】

 隠岐は文字通り「隠された岐」。「岐」とは「くなど」と読み、来てはならない場所を意味する。それゆえ、有史以来、名前がつけられることはなかった。無名の島として、ひっそりと隠されてきたのだ。

 しかし、時代は令和である。名前のなかった島後に「隠岐の島」という名前がついた。隠されたオノゴロ島が命名されて、呪術の対象となった。時は至れりと判断した漢波羅秘密組織八咫烏は飛鳥昭雄をもって、オノゴロ島の封印を解く儀式を執り行なった。

 八咫烏によれば、これは、ある意味で露祓いである。・・・(中略)・・・。

「露祓いの前口上が行われたならば、最後の天皇陛下は世界の臍である隠岐の扉を完全に開くことになる。隠岐はオノゴロ島であり、世界を興し、かつ滅ぼす陰陽の要石にほかならない。隠岐の箍が外れたならば、世界は未曽有の大激変の中で滅亡するのだ」(p.325)

 隠岐は、地球科学的に見て非常に珍しい地質であり、本来なら分厚い地殻の下にあるマントルが地表に露出している所があるのだという。ということは、隠岐は、地球内部と特殊なエネルギーで繋がっているといえる。

 八咫烏は隠岐を世界の臍だと表現した。隠岐を雛形とする世界大陸において、臍に相当するのは、どこか。地表における地球の中心はふたつ。北極と南極である。このうち陸地があるのは、南極である。・・・(中略)・・・。雛形論において、なぜか南極に対応する日本列島がない。・・・(中略)・・・。隠岐である。島後が南極大陸なのだ。

 将来、地殻変動が起こり地球内部からマントルプルームがプラズマ流とともに島後に噴出したとき、これが引き金となって南極大陸にも異変が起こる。南極大陸の火山が大噴火を起こし、気温が上昇。分厚い氷床が溶け出し、地球の温暖化が加速するとともに、一気に海面が上昇するだろう。・・・(中略)・・・。まさに黙示録世界の幕開けである。(p.327)

   《参照》   『現代版「ノアの方舟」を建造せよ!』 河村隆一 (ライトワーカー)

            【南極の氷床溶解は、火山活動によって起こっている】

   《参照》   【鍵】バシャール 【日本へのメッセージ】

 

 

<了>

 

 

飛鳥昭雄・著の読書記録