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 著者のプロフィールには、「1959年、青森県生まれ。TOEICのスペシャリストとなり、以後、驚異の990点満点を34回取り続け、記録更新中。ちなみに現在まで海外渡航経験はゼロ。独身。」 と書かれている。2012年12月初版。

 

【3つのキーワード】
 実は、ボクが英米メディアによる日本関連記事のなかでいつも気になる3つのキーワードがある。・・・中略・・・。
 それは、homogeneity と insularity と conformity だ(形容詞形はそれぞれ homogeneous、insular、conformist)。
 かつて、第二次大戦くらいまでは、buckteeth(出っ歯/ buckは雄ジカ)とか slant-eyed(つり目)が、日本人を蔑視的に形容するのによく使われていた。(p.25)
 この3つのキーワードは、良し悪しはともかく日本を特徴付ける言葉であることに違いはない。

 

 

【 homogeneity:同質のものから成り立っていること】
欧米諸国は、様々な民族を取り込むことで多様性(diversity)を成り立たせてきた。
 Homogeneous は diverse(多様な)の対極にある言葉だと言っていいだろう。
 日本人はみんな同じような外見で、同じような考え方をする、と英米の人たちは思っているのだ。(p.26)

 

 

【 insularity:島国根性】
 island(島)、insulate(孤立させる)、 isolation(孤立)、 insulator(絶縁体) も同じ語源。
 日本というのは、地理的にも精神的にも孤立した島国であり、外国に対する興味は津々なのに外国人を自分の国の中になかなか受け入れようとはしない偏狭なやつらなのだ、という前提がここにはある。(p.26-27)

 

 

【 conformity:一致、相似、類似】
「みんな同じじゃないとダメ」 「外れるやつは村八分」 「日本で一番大切なことわざは『出る杭は打たれる』だ」 なんていう内容を書くときによく出てくるのがこの conformity という言葉だ。(p.27)
 これら3つのキーワードで言及される内容について、日本人は、日本人の短所として考えてみる必要があるし、外国人は、日本人の長所として考えてみる必要があるだろう。
 最悪なのは、長短いずれも全く考えたことのない“比較文化思考経験ゼロの人”である。
   《参照》  『スタンフォードの未来を創造する授業』 清川忠康 (総合法令) 《前編》

            【「他人と違うこと」を評価し,「個性」を尊重する文化】

   《参照》  『なぜ勉強するのか?』 鈴木光司 (ソフトバンク新書)

            【自分を表現すること】

 

 

【 a professional job 】
 外国語にはときどき訳せないものがある。日本語に訳せなかったり、逆に英語に訳せなかったり。そうしたものの1つが a professional job だ。
 プロとしてのすばらしい仕事、という意味が1つ。もう1つが、医者とか弁護士とか、ホワイトカラーのエリートという誇りをもった社会貢献度の高い専門職という意味だ。
 この後者の意味で使われるとき、簡単な日本語には訳せない。日本にはそういう言葉がないからだろう。日本では、社会的貢献度の高い職とか低い職とか、そんな区別がないのだから。(p.54)
 「職業に貴賎無し」が、かなりの程度、社会的現実であるのは日本だけである。
 日本以外の諸国家には、階級社会としての枠組みが確実に根深く存在している。そのような社会では、職業も階級と不可分の関係で分類され貴賎の別を付けられているものなのである。
   《参照》  『日本人には言えない中国人の価値観』 李年古  学生社

            【日系企業に雇われたホワイトカラーとブルーカラー】

   《参照》  『日本オリジナルへの旅』  呉善花 日本教文社

            【陶山神社 : 日本に渡り陶祖となった李参平】

 

 

【孤独死したら、「ああ、よかったね」】
 Being alone is not a plight! (一人でいることは、苦しみではない!)(p.70)
 著者さんは、このように考えている人だから、
 「日本は世界で最も自殺率の高い国で、一人で死ぬのが怖い人が集団自殺サイトに群れるのだろう」という英文記事を元に、自分だったらと、以下のように書いている。
 新聞で「孤独死」とか書かれて、一人で誰にも看とられずに死ぬなんて寂しいという論調が強いけど、もしボクが孤独死したら、「ああ、よかったね」と言ってもらいたい。少なくともボク自身は意地でも「あ、いい死に方だ!」と思いながら死ぬつもりだ。
 だから、ボクとしては、こう言いたい。
 Let’s prepare to die alone.
 (一人で死ぬ準備をしようじゃないか。) (p.74-75)
 日本の社会状況からすれば、孤独死は当然の如く増えて行く。
 今現在でも、誰にも看取られずに死んでゆく人々は、毎日、数十人はいるだろう。
 そもそも、非婚者が爆増し、かつての共同体社会が変容してしまっている現在の日本では、冠婚葬祭を重視する社会意識は、格差社会化の進展と共に、従来通りの冠婚葬祭を維持する人口が減る故に、自ずと薄れて行く。
 そんな状況下にあるのだから、独身者たちは世間体を気にすることなく、自分独自の生き方を自ずと考え行動に移すようになるはずである。であれば、その先にある死の時だって、一人であるのが、当然というより自然な流れであると思い至るだろう。
 それを「寂しい」とか「悲しい」などと思うのであるなら、世間体という社会意識から出ることができていない拘束された意識状態に留まっているか、成熟した意識段階にまで進化(神化)していない証拠である。
 進化した魂たちは、そんな囚われた意識状態を容易に超脱している。何十年生きていても「死ぬのが怖い」などと思っているような進化していない魂たちは、生きているうちに、スピリチュアルを学べばいいだけのことである。そういう方は、読書記録(死後探索) や 読書記録(スピリチュアル) などを参考に、あまた存在する著作のいずれかを自分で購入し読めばいいだろう。
 生きているうちに、「自分自身は、多次元に跨る魂存在である」という認識を確かなものにしてゆく過程で、孤独だとか孤独死だとかいう意識は、自ずと消えて行くのである。そうであれば、死の瞬間を契機にせずとも、それ以前にアセンションを成し遂げることだってできるかもしれないのである。

 

 

【言葉の勉強とはそういうものだ】
 サッカーの中田英寿選手がイタリアで活躍していて、テレビで彼が話しているのを見たのを覚えている。彼の知り合いが「今度アメリカに行くから今度こそ英語を勉強しようと思う」と言ったら、中田さんは「そんなことだからいつまでたっても外国語が身につかないんだよ」と答えていたそうだ。ボクにはこれが印象的だった。
 実際、中田さんはイタリアにいたときにはイタリア語でしゃべっていたし、イギリスにいたときはネイティブスピーカーのベッカムよりある意味ではきちんとした英語をしゃべっていた。彼は日本にいる頃から、忙しいサッカーの練習の傍ら、将来の海外進出のために語学の勉強をかなりやっていたと聞く。言葉の勉強とはそういうものだ。(p.90-91)
 中田英寿のハイレベルなイタリア語力については、下記でも語られている。
   《参照》  『フェラーリと鉄瓶』 奥山清行 (PHP) 《前編》

            【イタリアで働くためには】

 

 

【フィッシュとマッシュルーム】
 アメリカ人は、極端に言えば海で泳いでいる流線形の生きものは全部fishだと思っている。それ以上の区別はあまり興味もないようだ。
 数あるきのこ類も、アメリカ人にかかれば全部 mushroom だ。・・・中略・・・。
 関心のあるものにしか、言葉は割り当てられない。言葉とは面白いものだ。(p.169)
 下記リンクに、ラクダとウンコに関して、さらなる具体例がある。
   《参照》  『サハラの果てに』  小滝透 (時事通信社)  《後編》

            【ラクダの名前】

 日本語では、雨や風といった自然の動きを表現する単語の数は、圧倒的に多い。これは日本語が涵養する日本語脳だからこその現象だろう。
   《参照》  『奇跡の音 英語聴覚セラピー』 篠原佳年 (きこ書房)

            【言語によるパスバンドの違い】

 

 

【韻を踏んでいる名曲】
 ボクが、最初に英語の韻を踏んでいるのに気づいたのは、ビートルズの Yesterday だった。(p.176)
1番では yesterday、away、stay 、yesterday と、[ei]の二重母音が並んでいる。2番では、suddenly、be、me、suddenly と、[i:] でそろえている。3番では、yesterday、play、away、yesterday と、また [ei] に戻っている。こういうのを意図して作るのはすごく難しいはずだ。(p.177)
 イエスタデイが、誰にとっても、覚えやすく、歌いやすいのは、韻を踏んでいるから。
   《参照》  Yesterday By the Beatles with lyrics

 

 

【日本の“裁判官”は“権力の飼い犬”である】
 この(刑事裁判における)有罪率というもの、先進諸国ではだいたい6~7割程度が普通で、一番高いとされているドイツやアメリカでも、たかだか85%程度。裁判では、公開の場で検察と弁護団が戦って裁判官が判決を下すのが普通だから、有罪になることもあれば無罪になることもあるわけだ。
 しかし、驚くべきことに、日本の有罪率は99%。およそ100%といてもいいだろう。日本では検察が裁判までもちこめば、ほほ100%の割合で有罪になっているのだ。
 つまり、実は日本には裁判官なんてものはいらないことになる。(p.185)
 この記述の情報元は、外国人記者たちが書いている英文記事だろう。
   《参照》  『幸せを奪われた「働き蟻国家」日本』 ベンジャミン・フルフォード&カレル・ヴァン・ウォルフレン

             【検察の権力】

 日本で取材している外国人記者たちは、「日本ほどヒドイ司法の実態はない」という見解で一致しているらしい。
 チャンちゃんもJA梨北による契約書偽造の裁判をやってみたけれど、日本の“裁判官”は“権力の飼い犬”であることを明白に理解した。甲府地裁の長井清明、東京高裁の中西茂 畠山新 藤田正人、最高裁の大谷剛彦 岡部喜代子 大橋正春 木内道祥 山崎敏充、すべてウンコ裁判官である。(JA共済は、30年満期の建物更生共済契約書を、組織的に、20年目で不正に付け替え、約50万円を横領している。これに関する判決文等、全ての裁判資料を完全掲載しているので、誰でも完全なる不正裁判の事実を確認できる。JAは全国で組織的に文書偽造横領犯罪を行い、司法はこれを守っている。すなわち完全なる国家犯罪である。)
   《参照》   『ヤクザ・リセッション』 ベンジャミン・フルフォード (光文社) 《前編》

              【外国のマスコミは「駆け込み寺」】

   《参照》   『世界支配者たちとの壮絶なる戦い!!』 ベンジャミン・フルフォード×リチャード・コシミズ

             【創価学会・暴力団・警察・裁判所】

   《参照》   『大崩壊渦巻く[今ここ日本]で慧眼をもって生きる!』 増川いづみ×船瀬俊介 (ヒカルランド)

             【裁判所の実態】

 

 

<了>