《前編》 より

 

【イスラム法のシャリーア】
 シャリーアが整備された過程の裏には、ウマイヤ朝やアッバス朝のように、アラブに巨大帝国があまりにも短い期間にあまりに多くの民族を版図に入れたという歴史的事実があったのだが、それと同時に全く異質な二つの社会、すなわち定住社会と遊牧社会の矛盾調整の役割を定住社会の側に立って解決してゆこうとした意図がその根底に潜んでいた、と私は思う。
 シャリーアにはフクムと呼ばれる行動規範があり、それにはファルド(義務)、マンドゥーブ(推奨)、ジャーイズ(許容)、マクルーフ(忌避)、ハラーム(禁止)の5つがあるが、いわゆる遊牧民流のやり口は、そのほとんどがマクルーフかハラームに抵触する。
 したがって、シャリーアの裁定では、大抵の場合は遊牧民側に不利となる。つまり、シャリーアの適用は砂漠の論理を否定する役割を色濃くもっていたのである。(p.78-79)
 欧米発の自由経済という名の略奪経済は、近年何度も破綻の危機を繰り返しているけれど、そのなかでシャリーアに則して運用されていたイスラム系ファンドは、それほど大きな損失を計上しなかった。
   《参照》   『イスラムマネーの奔流』 北村陽慈郎 (講談社) 《後編》
              【イスラム金融】

 つまり、遊牧民の略奪を抑止する定住民側に立った裁定になる基準だったから、と言えるのかもしれない。欧米基準の経済より、イスラム法に則した経済のほうが、平和な世界基準になるということである。もちろん、日本の和に則した経済ほどではないけれど。

 

 

【略奪(ガズー)抑止法】
 シャリーアのような法体系に依らずに、遊牧社会と定住社会が均衡を保ってきた方法はというと・・・。
 砂漠の都市住民は遊牧民の禁欲行為を絶賛している。恐るべき自然環境に立ち向かう勇気と男気に高い評価を下している。
 つまり、砂漠の遊牧民はこのような評価を得て、初めて物質的欠乏を補って余りある精神的充足を得られるのである。それ故、このバランスが崩れた時、ガズーが開始される。もともと危ういバランスの上に乗っていた価値である。いささかでもプライドが傷つけられ、あるいは少しでも相手に貸しをつくる論理が発見された場合には、息せき切った欲望があふれ出て、もはや何ものも彼らの心を制御できず、激しいガズーが展開されてゆくのだ。(p.83)
 物質的に恵まれた都市住民は、資産・財産を守るために、遊牧民のプライドを絶賛した。
 業績の上がっていない企業が、肩書きだけ上げて社員を懐柔することがあるけれど、これと同じ手法である。

 

 

【黄金郷・トンブクツー】
 マリ帝国最盛期の王、マンサ・ムーサは、1324年にメッカを巡礼した時、10トン以上の金を運ばせてカイロに入ったといわれる。この量は大変なもので、アラブの金市場は相場が大暴落してしまったほどである。(p.110)
 この都市名に出会ったのは大層久しぶりである。学生の頃、森本哲郎さんの本の中で読んで、たいそう幻想的に膨らまされたイメージを抱いていたけれど、 “何の変哲もない砂漠の町だった” と書かれている程度である。プシュ~~~って勢いで、へこむ。

 

 

【ラクダの名前】
 アラビア語では駱駝は、長ずるにしたがってやたらと呼称が変わる。(p.115)
 日本人にとっての出世魚みたいなもんだろう。でも、アラブの駱駝は雄雌別々に6回、つまり12もの呼称が記述されている。出世魚の負け。
 因みに、ウンコの呼称は記述されていない。
   《参照》   『世界が読めるジョーク集』 古歩道フルフォード・ベンジャミン (あ・うん)
              【4つの “ウンコの固まり” 】

 

 

【駱駝市場】
 1981年のサハラ横断の最中、著者は何度も駱駝を買い替えている。若くて力のある駱駝は日本円で30万円程度。怪我をしたり歳とっちゃった駱駝は数万円程度で売買されている。
 現在はモータリゼーションが進んでいるにせよ、経済発展していなければ数百万円もする車を買える人はそうそういないのだから、いまでも駱駝君はきっと活躍しているのだろう。

 

 

【トアレグ族】
 トアレグ族はその昔、交易と略奪によりスーダン系の人々を常に奴隷としてつかっていた。サハラや中近東の遊牧民を単なる家畜の管理者とみてはいけない。彼らは 「人間家畜=奴隷」 の支配者でもあったのだ。(p.130)
 「アフリカ内にもヨーロッパ人みたいに酷い奴がいたんだ」 などと幼稚なことを思ってしまうけれど、遊牧民=略奪民なのだから、植民地時代のヨーロッパ人みたいに大規模じゃなかったにせよ、奴隷の支配者は世界中どこにもいたのである。
 だからむしろ現在の日本が例外なのだけれど、世界中の社会に根強い階級意識が残っているのである。

 

 

【定着社会の富と遊牧社会の富】
 古典的な定着社会の富といえば、何をおいても穀物のストックということになり、また当然それを生みだす土地ということになる。しかし、遊牧民にとって富というのは家畜をおいてほかならない。したがって、定着社会の富の蓄積が長期安定的なのに対し、遊牧民のそれは短期可変的なものとなる。(p.162)
 分かり切ったことであるけれど、日本的経営とアメリカ的経営の違いの源である。
 私は1976年から3年ほどサウジアラビアに留学していたが、 ・・・(中略)・・・ 。遊牧民が家畜を監視するように、サウジの支配者はウォッチマンをやっていたのである。(p.163)
 上前をはねる人間が高貴であり、はねられる人間が下等だとする観念がいまだに社会に強く残っている。(p.166)
 遊牧民が、人間社会の支配者となった場合、畜群管理の方法を人間社会にも適応するので、畜群たる被支配者・労働者のマネジメントが大好きで、自分は働かないのが当たり前である。高貴な人間(!)なのだから。

   《参照》  『アメリカはどれほどひどい国か』 日下公人&高山正之 (PHP) 《前編》

            【略奪経済】

 

 

【遊牧民の定住化】
 アラブの友人の話では、彼らは突然蒸発してしまうことがあるらしい。またそうでもしないと監禁性ノイローゼになるらしい。したがって、アラブでは精神科医がひっぱりだこだと聞いている。そしてこのことは、彼らがいかに定着しにくいかを物語っている。(p.166)
 そりゃあそうでしょう。定着民の基準で考えること自体が、そもそもからして誤り。
   《参照》   『人と火』 最首公司 エネルギーフォーラム
              【砂漠の民、ベドウィンの生活文化】

 

 

【日本人は遊牧民化】
 しかし、日本国内では、近代的遊牧生活を可能にするキャンピングカーやフラットシートになるワゴン車がたいそう売れているらしい。高速代も6月から常時安値定額になるし、今年の夏から日本国内には、定着民からエセ遊牧民へと転身する人々は増えるのである。高性能な軽量テントも2万円前後で買える。
 
<了>