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 サハラ(←砂漠の意)の半分を占めるモーリタニア・マリ・ニジェールの3国に跨ったイスラム文化圏の砂漠をラクダで横断した体験が記述されている。
 この書籍には、砂漠という環境がもたらす意識の変容に関する記述を期待したのだけれど、それらしい記述は、まえがきに 「物の静止は時の観念を停止させる」 と書かれていた程度。砂漠という環境は、過酷すぎて、意識が変容するより先に突然ブラックアウトしてしまうのかもしれない。あるいは意識の変容以前に肉体が悲鳴をあげてしまうのだろう。日中の気温は摂氏47度と記述されている。
 砂漠の民(遊牧民)の民族習慣や、遊牧民と定住民との相関的文明史観のようなものが多く記述されていた。1991年初版の古書。

 

 

【モーリタニア】
 アフリカ西海岸に位置するモーリタニアから、砂漠の横断が始まった。
 モーリタニアラブの言葉はハッサーニーヤというアラビア語の方言だが、アラビア語が分かる者なら、しばらくすると慣れてきて支障なく話せるようになってくる。(p.30)
 アフリカの西端がアラブ文化圏という事実にちょっと違和感があるけれど、メッカを目指す巡礼者は、アフリカの砂漠やアジアのインドネシアにまで跨る広い領域から集まってくるのである。著者のサハラ横断もメッカを目的地としていた。サウジアラビアの大学を卒業していた著者なので、コミュニケーションは問題なかったらしい。

 

 

【遊牧圏の互助制度】
 我々にとってはうれしい習慣が、モーリタニアには残っている。見ず知らずの家に簡単に居候できることである。それは遊牧圏に伝統的な互助制度によっている。(p.19)
 定住民である日本人にはうれしい習慣に思えるけれど、定住しない遊牧民にとっては当然のことらしい。砂漠では、道を尋ねられたら、誰であれ丁寧に答えるのも伝統的な互助制度である。インド人や中国人のように堂々と嘘を教えるようなことは絶対にない。だって砂漠ではモロに生死に係わることなのだから。
   《参照》   『成田の西 7100キロ』 雫はじめ 明窓出版
            【道を尋ねること】

 

 

【超然と死んでゆく】
 ここはモーリタニアの砂漠のど真ん中である。薬も医者もない。だから、ここでは人はあっさりと死んでゆく。体力がなくなれば、それですべては終わりだ。救う手だては何もない。 ・・・(中略)・・・ 。また昔から病人はこのようにして死を迎えてきたせいか、周りの者も病人もどこか超然としたところがある。(p.44)
 日本のように、助からないと分かっていながら余計な延命措置が取られたりすることって、はっきり言って余計なお世話である。保険制度も先進国という社会特有の病理現象なのではないかとすら思えてくる。東京砂漠の住民たちも、保険なんかやめてジタバタせずに超然と死んでゆくほうがカッコいいじゃん、とチャンちゃんは思う。

 

 

【アラブの女性の地位】
 一般にアラブでは、結婚前と結婚語では女の地位がまるで違う。結婚後の地位のほうが圧倒的に高い。なぜそうなるのかといえば、娘より妻、妻より母といったような順位が社会習慣としてはっきりあるからだ。これは恐らく出産と育児を女たちの最も大きな仕事として考えているからであろうが、ともかく家庭内での地位は非常に高い。(p.52)
 アラブ女性のように女性ならではの性差を特権にかざしたほうが、圧倒的に女性にとって有利なのに、近頃の日本では、女が出産と育児だけでは男女同権ではないとかって言いながら、わざわざ外で働いて苦労したいらしい。「だったら、かってに苦労すればいいじゃん」、とチャンちゃんは思う。
 とはいえ、もともと遊牧社会では、羊やラクダの個体数の多寡が貧富を分ける直接の指標となる。故に、動物も人間も子供を生むということが圧倒的な価値をもつと考えるからこの様な社会習慣となっているのである。日本の都市部ではちょっと当てはめづらい。

 

 

【朝、昼、晩、牛乳だけ】
 14世紀の中世アラブ最大の歴史家、イブン・ハルドゥーンがその著 『歴史序説(ムカッディマ)』 の中で、砂漠に住むアラブの遊牧民について 「彼らの食生活はほとんど乳に限られ、乳が小麦の最良の代用品になっている」 と述べていることを思い出した。まさに彼が書いた記述は今に至るまで続いているのだ。「われわれは朝、昼、晩と乳だけを飲んでいる」 とこの老人は答えた。(p.68)
 現在どの程度モータリゼーションによる都市化が進んでいるのか分からないけれど、まだまだ三食牛乳だけという人々は少なからずいることだろう。日本人は食べ過ぎている。チャンちゃんも牛乳だけで生きてみようか。

 

 

【「ちょっとそこまで」】
 「ちょっとそこまで」 と、遊牧民はよく言う。この 「ちょっと」 がくせ者だ。われわれにとってこの 「ちょっと」 とは、恐ろしく遠い 「ちょっと」 なのである。(p.93)
 砂漠の民ほどではないかもしれないけれど、広大な大陸の中国人の感覚も、日本人からするとかなり違う。「××駅広場」 と行き先表示されたバスの終点で降りてから駅まで遠いこと遠いこと。日本人なら普通に 「冗談でしょう」 と言う距離である。天安門広場の反対側まで歩くことを想定すれば分かるだろう。