《前編》 より

 

 

【マサダの砦にて】
 いよいよあしたローマ軍がマサダの砦に入って来るという時、リーダーがユダヤ民族の誇りを護るために自決を選ぼうと呼びかけた。しかし、ユダヤの戒律では自殺はダメ。
赤塚  だから男たちは全員、家に帰って家族を殺した。子供たちを優しく殺して、奥さんを愛を持って殺して、男たちは戻ってきた。その中から10人選んで、その10人が残りの皆を殺して、最後の一人がくじ引きで決められて、9人を殺して、一人が自殺した。5人の女の子と数人の子どもたちが水飲み場に隠されて、そして攻め込んできたローマ人たちに対して、捕虜になってその物語を伝えたので、今、このことが残っているわけです。(p.76)
 この話は、民族の誇りを維持するために語り継がれているんだろうけど、チャンちゃんは、このような話を聞いても、まったく心が奮い立たない。
 こんな度数の低い「愛」の次元はトットト卒業して、もっと高貴な「愛」の世界にしようよ、争いという文字が辞書から消え去るような世界にしようよと思っているからこそ、アセンション関連の著作に希望を見出そうとしているのである。
  《参照》  『戻ってきたアミ』 エンリケ・バリオス (徳間書店)
           【愛と執着】
 赤塚さんは、「日本民族だって、下手をすればユダヤ民族と同じような過程を辿ることのなってしまうよ」という思いを込めて、このような史実を語っているのだろうけれど、平和ボケしている日本人の頭には、なかなか実感を伴って入ってこないだろう。
 それでも、日本とイスラエルが、世界史上重要な役割を担っていることを知っている人々は、きっとイスラエルで生きた過去世がある人々なのだろうから、この話から何かしらを感受するのだろう。

 

 

【天皇はキリストである】
―― 人には絶対言わないんですけども、天皇がキリストだというのを自分の中では思っていたんですね。でも、こんなことを言うとバカにされるから言わないことにしていた。それを15年前から赤塚さんが言っていらしたというのを聞いてびっくりしたし、うれしかったです。
赤塚  本に書きましたからね、結構、クリスチャンから迫害されています。(p.83)
 イエスが体現していた“キリスト意識”を、最も忠実に体現しているのは天皇なのだけれど、日本を破壊するための操作情報によって洗脳された人々は、「最大の戦犯なのに、ふざけるな!」と言うのであろうし、カトリックの皆さんは、教義という固定観念でキリストを想定しているから、スッピンの事実から何も感受できないだろう。
 終戦直後マッカーサーに面会した際、天皇が述べていたことこそ、「贖い主=キリスト」として殉じていたことの証拠である。下記リンクを辿ってください。
    《参照》   『日本人ならぜったい知りたい十六菊花紋の超ひみつ』 中丸薫/ラビ・アビハイル/小林隆利/久保有政
              【開戦の認印と終戦時の態度】
赤塚  終戦の詔書の中に「堪エ難キヲ堪エ、忍ビ難キヲ忍ビ」という1節の後に、「朕ハ(中略)爾臣民ト共ニ在リ」と書いている。私はあなた方と一緒にいる。その一言が国民を救ったんです。
 マタイ福音書の「私は世の終わりまでいつまでもあなたとともにいる」。これを言えるのはキリストなんです。(p.144)
 玉音放送「終戦の詔書」の全文は、p.198-200 に掲載されています。

 

 

【『日月神示』の「てんし様」】
―― 『日月神示』がおもしろいのは、世界を一つにまとめて、てんし様にお返しするということが1つの大目標なのです。てんし様とは誰か。『日月神示』を読んでいくと、どう考えても天皇しかいない。・・・中略・・・天皇がキリスト性を備えた人物であるということを世界中の人がだんだん知るようになると、まさにそこに返っていくというのが現実にも見えるのかなと思えてきた。(p.87)
 「てんし様」という単語を含む『日月神示』の文言個所をリンクしておきます。
   《参照》  『「奥の院」がこれからは日本の時代だと決めた』 中矢伸一 (ヒカルランド) 《前編》
            【霊的中心から流出する御稜威(みいづ)】
   《参照》  『まもなく世界は5次元へ移行します』 エハン・デラヴィ&中丸薫 (徳間書店) 《前編》
            【日月神示】

 

 

【シラスとウシハク】
赤塚  彼は憲法の1条で、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ治ラス所ナリ」と書いたんです。この1文で、日本というのはどんな国かわかる。(p.97)
 冒頭の彼とは、井上毅(こわし)のこと。
 ところが、伊藤博文の意見で、「治(シ)ラス」は「統治スル」に書き替えられた。
赤塚  「治ラス」は、古事記の中にある天照大神が瓊瓊杵尊に命じた治ラスで、「知る」の丁寧語なんです。全部知って、ちゃんとわかって、そして全てわかった上で慈しむように徳をもって治めなさいよという意味です。その反対の言葉が「ウシハク」という言葉で、全てを支配して、自分の力で制圧して、そこを自分たちの思い通りに治めるという意味です。西洋型の統治するは、全部「ウシハク」なんです。でも、治ラスを統治と訳したので同じになってしまった。治ラスの心こそヤマトの魂だと見抜き、言葉にしたのは井上毅です。(p.97)

 

 

【教育勅語】
赤塚  教育勅語というのは儒教の教えを日本にアレンジしたものだという人がいますが、儒教だと「父母に孝に」と言わないです。「親に従え」になる。「夫婦相和し」と言わない。「妻は夫に従え」になる。「兄弟は長男の言うことを聞け」になる。これは日本とは違う。日本は「夫婦相和し」。その当時の世界の中で、男女平等、同権を当たり前のように言っているのは日本ぐらいです。(p.97-98)
 儒教は、上下関係をきっちり固定する思想体系だからこそ、中国や韓国の支配者たちは、これを用いていたのだということくらい、基本的な教養としてキチント認識しておきましょう。
    《参照》   『日本人て、なんですか?』 呉善花・竹田恒泰 (李白社) 《前編》
              【日本と中国・韓国の儒教は違う】
 また、韓国は、昔も今も階級社会なので、“恨み(ハン)の思想”に馴染みやすく、“キリスト意識”が根付く土壌はありません。故に、階級社会をいっきに逆転させ恨みを晴らす最強の唯一者を想定しやすいウシハクの「キリスト教」に馴染みやすかったわけです。
 しかし日本は、そもそもからして“和する思想”の国柄ですから“キリスト意識”をより素直に受容することができました。そして、シラスではないウシハクの「キリスト教」を拒むことができたのです。
 韓国人の優越意識や劣等感というのは、日本人からすれば、本当に御門違いな独り相撲ですね。
    《参照》   『韓国人は日本人をどう思っているのか』 朴相鉉 (新人物往来社) 《後編》
              【韓国人の優越意識】
赤塚  教育勅語には聖書の命も入っていると思うんです。古事記の日本の神話も全部教育勅語に入っている。(p.101)
 とにかく教育勅語のエッセンスはとにかく音魂を受けてもらうことですね。
 この本にCDをつけていただきますから、ぜひ音霊を受けてみてください。
村中  声の音が違いますよね。言葉の音というか、魂の音が出てくる。・・・中略・・・。
小川  やっぱり明治天皇が来られているかもしれないね。(p.103)
小川  赤塚さんが言うように、日本人には日本が見えていないわけです。だからそれをもう一遍きちんと知ってもらう。そして誇りをもってもらえるような民族になっていかないと、最後の文明はつくれないですよね。
村中  教育勅語ね・・・。
赤塚  あれだけの文章の中に、本当の日本の魂と祈りが入っている。究極の日本語だと思います。西洋文明のにおいもしないし、支那や朝鮮のにおいもしない。本当に美しいヤマトのエネルギーのエッセンスです。(p.117-118)
 『教育勅語』は「勅語」だから、明治天皇の勅命を受けて出された魂の教育の骨子。
   《参照》  『教育勅語』  解説・大原康男  ライフ社

 

 

【パラオにて:巡視船「あきつしま」】
 天皇陛下が、日本人兵士たちが多く亡くなったパラオを訪れた時のこと。
赤塚  天皇陛下が意味のないことをされるわけがない。どうしてホテルに泊まらずに巡視船に泊まられたのか。・・・中略・・・。ハッと気づいたんです。
 あの巡視船は「あきつしま」という名前なんです。「あきつしま」というのは「日本」のことです。陛下はあの日、英霊を全部、あの船に呼んでくださったんです。「あなたたちを日本に連れて帰ります。一緒に帰りましょう」。・・・中略・・・。陛下があの船をわざわざ出されて、改造してでもあの船で休むと言われたことの意図を、日本人は知らなきゃいけない。
それを知って、慰められた英霊たちは、本懐を遂げて天に帰って、今から日本の守護に入ります。(p.114-115)
 天皇陛下は、見えない存在たちに対して、最大限の誠を尽くすために、行っていたのだということ。
 この世次元の世界しか見えない人には意味不明なことであっても、天皇陛下が取り次ぐ霊的次元を感受することができるなら、説明の要もなく天皇という存在の意味が分かるはずなのだけれど・・・。
 例えば、Mr・ニエットと呼ばれていたソ連時代の外相が天皇陛下に接した際、突然崩れ落ち慟哭してしまったというエピソードを聞いたことがあるけれど、自分自身が類似な体験をしたことがなければ、このような話を聞いても、なかなか腑に落ちないかもしれない。それでも、特に天皇陛下を崇敬していなくても、魂の純度次第で分かることだと思っている。