《前編》 より

 

【ワッカウシカムイ】
「倭人はある時から神、神様を人の名前で、人を神様として崇めてきているが、アイヌは違うんじゃないか・・・」と常々思っていた。・・・中略・・・。その答えを求めた。
「そうです。人の名前の神はいっさい言いません。水の神。それは、『ワッカウシカムイ』と言います」
 ワッカは水。そしてウシ、いくつかの意味があるそうだ。この場合「流れる」という意味で使うとのこと。北海道へ来て目的がまた一つ叶った。(p.233-234)
 神道を学べば、「御神名は“働き”を表すもの」という基本は先に学ぶだろうけれど、このことを知らずに、人名としての神名に狎れてしまっていると高次元の世界に参入できない。“働き”はエネルギーであり、究極は光である。白色光がプリズムによって分光されて色をもつように、それぞれに異なった働きが物質世界に顕現している。男・女の別は、物質世界(二元性世界)におけるご随意な振り分けに過ぎない。
 音にオクターブがあるように、光にもオクターブに相当する次元界がある。
    《参照》   『22を超えてゆけ』 辻麻里子 (ナチュラルスピリット)
              【宇宙の光】

 水の働きと言っても、回転方向によっても働きは違ってくるから、これに神名を付与するなら、神名は異なってくるだろう。
    《参照》   『「君が代」その言霊は、潜在意識を高次元へと導く《光の種子》となる!』 森井啓二
              【水の活性化に関わる回転】
 瀬織津姫の命は通常河川を構成する水神のように思われているが、本当は無の世界から有の世界へ湧き出す創造の一点で井戸神でもある。(p.258)

 

 

【円空の木彫り】
 釧路にある厳島神社。心を込めて参拝した。ここには円空の木彫りがある。(p.240)
    《参照》   『ニギハヤヒ・シ♭』 山水治夫 (ナチュラルスピリット) 《前編》
              【ド♯:円空】

 

 

【釧路】
 釧路へもどる途中に、・・・中略・・・鳥取神社の看板が見えた。・・・中略・・・。
 釧路市の歴史は鳥取県の開拓民から始まったという。もちろんアイヌの土地だったわけだが、その後、開拓が困難になって佐賀県から第二団が来てなんとか開拓できたという話を聞いた。・・・中略・・・。祭神を見ると、大国主オンリー。なんだかこの北海道の旅を象徴していた。(p.250)
 著者の分類からすると、姫(セオリツヒメ系列)とペアをなす命(ニギハヤヒ系列)が集う釧路ということになる。
 釧路湿原で有名な釧路は、日本列島を龍体とすると、龍の「頭(北海道)」の中の「口」ないし「咢」に相当する。「珠」を秘め置くには相応しい処なのかもしれない。

 

 

【川上御前】
 金劔宮で、石川県小松市のMさんOさんと待ち合わせした。私を「川上御前」を祀るという山奥の神社にお連れしたいとのこと。・・・中略・・・。川上御前とは、白山を開山した泰澄の前に現れた女神だという。白山姫イコール菊理姫(イコール瀬織津姫)のことというか、その大本の呼び名の神様のことですと書いてあった。(p202)
 金劔宮で待ち合わせし、佐羅早松神社、堂森神社などで不思議な体験をしつつ、川上御前が祭られている山奥の祠に参拝した様子が書かれている。
 ちなみにここの正式なご神体はこれから向かう、越前は福井県勝山市の平泉寺白山神社に移されている経緯がある。(p.204-205)

 

 

【平泉寺白山神社】
 御前に挨拶をし、下山してすぐに平泉寺白山神社へ向かった。途中、車内に濃厚な甘い香りが漂った!・・・中略・・・。とても厳かで私のような新参者が言うには恐れ多いが、白山信仰の重み、深みが感じられた。ここは白山神社の本当の大本といえる社でもあるそうだ。うなずけるような気がした。ここの祭神も不思議と白山姫(菊理姫)を祀っておらず伊耶那美だった(ご神体は川上御前)。(p.205)
 福井市の川上神社の由緒書きには、女神川上流に鎮座する瀬織都姫命を祀ると明記され、その女神川が平泉寺白山神社の横を流れ、その上流は山奥の川上御前の祠があった小原峠に突き当たるとか。
 地元の人々は、川上御前が白山の神と言っている。(p.205)
 平泉寺白山神社は、白山三馬場のひとつ。
 下記リンク掲載のパンフレットには、2017年は白山開山1300年とあります。
    《参照》   白山比咩神社(2016/6/24)

 

 

【「阿吽」と「吽阿】
 加賀や越前には、神社の狛犬さんの置かれ方が逆のものが多いことについて。
 では何故加賀・越前にそのような神社が多いかということですが、・・・中略・・・。やはりこの地域が「闇の王国」、女性原理の王国だからと考えています。どういうことかと言いますと、貴著にも書かれているように陰陽の考え方においては「阿」が陽、「吽」が陰ですが、通常右(=主)に「阿」、左(=従)に「吽」があるのは、イザナギ・イザナミの国土創世神話を見てもわかる通り「陽=男(性原理)」が主という考え方が根底にあるからと考えられます。つまり縄文からずっと「闇の王国」であり続けた加賀においては「陰=女(性原理)」が主ということで、右に「吽」左に「阿」がおかれているのでは (p.211)
 このことについて、本文の一番最後で、再び以下のように記述されている。
 瀬織津姫と呼ばれる宇宙の大神様が復活したことの意味として、明記したいことがあります。それは女性性の重要と復権です。水瓶座の時代に移ったことと無関係ではありません。(p.266)
 水瓶座の時代と書かれているので、下記リンクを付けておきます。暇人さんはリンク先の末端までど~ぞ。
    《参照》   『占星術』 西山華耶 (現代書館) 《後編》
              【アクエリアスの時代】
              【水瓶座(アクエリアス)の象意】

 

 

  山水治夫・著の読書記録

     『ニギハヤヒ・シ♭』

     『セオリツ姫・シ♭』

     『528Hzの真実』

     『瀬織津姫愛歌』

<了>