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 タイトルが大層イカシテいるけれど、著者なりの箔の付け方なのだろう。ちょっと覚えにくい奇妙な著者名は、書店での立ち読み時に、ミロス理論の考案者として覚えていたけれど、この本は、ミロス理論を男女間の関係という側面に特化して記述されたものらしい。2011年8月初版。

 

【パートナー無くして】
 男性諸君に言えるのは、パートナー無くして「己を知る」ことはできないし、女性無くして本当の創造もないということだ。男が女性を愛してはじめて自分の存在を知り、男の中に眠っている道の可能性が引き出され、思い通りの人生を手に入れることができるのである。(p.34)
 この記述の真実性・重要性は理解できるけれど、パートナー無くして自分の存在を知り得ないのが、全ての人に共通することであるとは思わない。しかし、この記述にトキメク人は、この本を手に取って読むのが相応しいだろう。
 この著作は、パートナーとの関係性の元は、育った家庭、即ち親との関係性の中にあるという心理学の定説を踏まえている。故に、人生の中盤以降で共に過ごし、接する時間が長いからということでパートナーを自分の鏡として認識することの重要性が語られているとも言えるだろう。
    《参照》   『聖なる恋愛コード81』 Masako (徳間書店) 《後編》

              【恋愛の優先順位を上げよう】

 

 

【エゴ(自我)のトリックにはまり込んだ人間】
 子どもの行為に基づく親の善悪の判断(ジャッジ)のせいで、子どもは自分の存在を無くし、自分を存在させるためにエゴ(自我)をかたちづくる。いわば躾というシステムを経た人間は、自分の存在を失くし不足感を持つ。この不足感が夢やこだわりをつくる。(p.46)
 親に「いい子だね」と褒められて育った子ほど強固なエゴを形成していてヤバイのであるけれど、人間の本質について何の知見もない親や教育者は、虚構のエゴ人間を量産しつつ、自分自身も社会意識というコントロールグリッドに呪縛された虚構のエゴ人間であることに気づくことすらないのである。
    《参照》   『コーチ』 マイケル・ルイス (講談社)

              【親の言いなりになる必要はない】

 

 

【男と女の悲劇】
 社会意識が育てる自我は、誰もがほぼ共通に纏ってしまっている鎧であり、自らの本質を隠すものとなってしまっている。故に、
 男も女も自我という片側で自分を生きていることで、もう片方が欠落している。
 そういう満たされない感覚を埋めようとして、男性は財や成功、女性へと、外へ外へと拡散し、女性は逆に愛だけが欲しくて男性との接点を求めるから、相手のエネルギーを自分だけに集約させようとする。
 結局は、同じ欠乏感なのにベクトルがまったく違う方向へ向いているのである。これでは永遠に男と女は交わることがなく、うまくいくはずがない。これが男と女の悲劇なのだ。(p.68-69)
 男と女という陰陽が、背を向けたまま、溝を埋める態勢になっていない。
 必要なのは、互いに“大いなるゆだね”へと至る意識の開放なのであるけれど、この著作では、コミュニケーションによってそれを打開する方法が語られている。

 

 

【よし、何でも聞くぞ】
 もし、彼女に言い出せそうなタイミングがあれば、今まであなたが実践してきたこと、自分の中の変化を話してみてはどうだろう。そして、彼女があなたに感じていることを聴いてみてはどうだろう。その時も「彼女の全てを受け入れる」と決意して。(p.92)
 「相手の全てを受け入れる」という決意なきコミュニケーションなら、意味がない。
    《参照》   『魂の伴侶と出会う旅』 ドリーン・バーチュー (クレイヴ出版) 《後編》

              【夫婦のすれ違い】

 これって、互いにグレかかっているパートナー同士にとっては、とてつもなく高いハードルだけれど、これ以外に最善かつ最短の善法はないだろう。実践するしかない。
 あなたの最も愛すべきものであり最も憎むべきものに、全力で向かうこと。それでこそ男と女に隠された「秘密の扉」が開くのである。(p.94)

 

 

【ジャッジを手放し俯瞰する】
 思考は、長所は良い、短所は悪いと分離させてしまうが、両方あって自分であり、片方だけでは世界にたった一つの個性として存在していないのである。
 この様に、この世の仕組みを理解していくと、二つを切り離してジャッジしていたことが何だか無意味なことに思えてこないだろうか。
 すべては両方セットで存在しているのに、思考が別々に離反して捉えているために、まったく違うものとして認識していたのだ。

 本当のことを知っていくと、いかに矛盾した世界にいたかに気が付いていく。そうやってどんどん認識が変わることで見ている世界も変わっていく。プラスかマイナスのどちらかしか見えなかった思考と入れ替わり、両方をノージャッジで俯瞰する全体性を捕らえる感覚が身についてくる。
 イメージするなら、自分の肉体から離れて、二つを包括した世界を上から眺める「全く新しい視点」が生れるわけだ。(p.113-114)
    《参照》   『スターピープル vol.48』 (ナチュラルスピリット) 《前編》

              【判断を手放す】

 ノージャッジと俯瞰する態度は、ほぼ連動するだろう。それは、2次元平面を這いずり回っている芋虫から、変態した蝶になって3次元空間を飛翔する進化に相当するはずである。
 「俯瞰する」=「抽象度を上げる」でもあるけれど、「抽象度を上げる」という生き方は、人間関係のみならず、自分の人生に様々な具体的な恩恵をもたらすだろう。
    《参照》   『頭の回転が50倍速くなる脳の作り方』 苫米地英人 (フォレスト出版) 《前編》

              【抽象度を上げる】 【抽象度を上げる方法】

 

 

【タイトル解題】
 未来文明の思考とは、三次元の構造、システムを次元置換した位置で見ることである。
 次元置換すると、この三次元が「同時存在・二重構造」というシステムになっているというのが、私の発見の根幹であり、今まで述べてきた表裏一体、相対性、鏡のシステムも、この同時存在・二重構造から紐解いたものである。(p.144)
 著者は、「俯瞰する」、「抽象度を上げる」という手法を「次元置換した位置で見る」と表現しており、これが「未来文明の思考」であると言っている。
 三次元が「同時存在・二重構造のシステム」であるというのは、三次元が「二元性・相対性の世界」であることを言っている。
 男女、善悪などの陰陽からなる二元性の世界から卒業し、やがてはワンネスへの認識に至る過程は、スピリチュアルな書物を著している方々が共通して述べていることであり、それと同じことを著者なりの表現で語っているわけである。

 

 

【自らを知るために】
 本当の存在が、自らを知るために男と女という身体に分かれ、愛が何であるか、創造が何であるか、そして何のために生まれてきたのか、すべてを知り、体験するために、その分かれたもう一つの自分と必ず出会えるようになっている。
 今、ようやく人間は「愛」を知る時にきた。男と女で、人間もこの宇宙もダイナミックに生まれ変わろうとしているのである。(p.151)
    《参照》   『なぜ性の真実『セクシャルパワー』は封印され続けるのか』 夏目祭子 (ヒカルランド) 《前編》

              【性は本能ではない】 【全身全霊の行為】

 

 

 

【絶対平和の最終段階】
 世界の学者たちの間でも人間と地球が永久に持続できる社会を実現する鍵が家庭にあることは随分前から言われており、20世紀末にはノーベル賞を受賞された博士を中心に、全時空・全次元(全宇宙)のすべての知覚的存在の完全救済を目的にした「絶対平和の四段階」という構想が発表されたが、その構想の最終段階である「貞節なる家庭の実現」を可能にする方法こそ、「未来文明思考」を理解した男と女が創り出す新しい関係性にあるのではないかと感じている。(p.157-158)
 「貞節なる家庭の実現」という表現の「貞節」という単語を読んで、「古めかしい」とか「時代遅れ」と思った人は、自分こそが「古めかし」く「時代遅れ」で、「叡智も霊知も欠いたまま、人類の進化方向も見えていない」悲しいほどに愚かな人間であることが自覚できていない証拠である。
 叡智ある人々は「1は全てであり全体である」という認識を持っているけれど、これは「男女は1組の関係の中に、全てである全体を秘めている」ということを意味しているのである。相手をとっかえひっかえしてみても、意識は何ら進化しないまま、相手を変えているだけで、時間と生命を空費していることにしかならない。しかもそれどころか、その過程で、清らかな天性と霊性は損なわれてゆくのである。
    《参照》   『ガイアの法則[Ⅱ]』 千賀一生 (ヒカルランド) 《後編》

              【天性と霊性を損なう乱脈なセックス】

    《参照》   『大和物語 第2巻 アメノウズメの語る』 山内光雲 (たま出版) 《後編》

              【男女の愛について】

 

 

<了>