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 横帯に、千賀一生さんの推薦文が記述されているけれど、千賀さんが書いていることを、女性の著者がより具体的に記述することで、女性読者にとって大きな影響力を持つことだろう。また、広告業界にいた事のある著者の記述は、性を管理してきた支配者たちの計画を見抜く上で有益である。2011年8月初版。

 

【本物のセックス】
 体の無駄遣いのようなセックスをやめる特効薬は、本物のセックスの素晴らしさを知っておくことだろう。本物というのは、ちょっと普通より気持ちイイ、といった次元の話ではなく、魂が揺さぶられるような、全身全霊の交わりのことを指している。こうした感覚は、性を「下半身の問題」という既成の枠に閉じ込める頭では理解できない。また、性を「心と切り離せる、体だけの問題」とする思考回路では間違える。
 なぜなら、性交とは目に見える肉体の行為というよりも、その正体は目に見えない「エネルギー」の行為だからだ。(p.20)
 このようなことが、一般に認知されていないのは、地球の支配者たちによって仕組まれてきた深謀遠慮故なのだけれど、そのことも含めて、全体的な視点で今日の社会における「性の封印状況」がよく分かるように記述されている。
 本当の性は、「魂を揺さぶられるようなエネルギー行為」であることに関して、事前に下記のリンクを。
    《参照》   『地球維新 黄金神起 黄金伝説 封印解除』 白峰監修 (明窓出版) 《後編》
              【真実のエロミナティ】
 実にセックスというのは、とても日常的で誰にでもできる行為でありながら、使い方次第で高らかに飛翔する白魔術にも、凶々しい黒魔術にも通じるような、渦巻くパワーの塊なのだ。
 そしてこの、セックスが「力」だ、という事実こそは、遥かな古代から権力者たちが一般庶民にひた隠してきた奥義だったわけだ。ひとりひとりの庶民が力をつけてもらっちゃ困るわけだから当然だろう。(p.142)
 庶民一人一人が、セックスの「力」に気づいてしまうと、自ずと社会形態が変わってしまうのである。
 それをさせないために、「闇の支配者」たちは、様々な仕掛けを工夫してきた。

 

 

【意味の反転】
 こうして宗教の世界から、セックスの気配が一斉に締め出されることとなり、その昔、神々しいセックスの行為を捧げる場所だった神殿は、セックスなどで汚してはならない規律正しい場所へと、意味が反転してしまった。(p.48)
 聖なる性が、汚らわしいものと位置づけられてしまったのは、西洋だけではない。地球全体が女性原理から男性原理で支配されてきた2000年期は、東洋においても仏教であれヒンズー教であれ、女性は差別的な思想下に置かれていた。円環的な女性原理が無視され、直線的な男性原理で動くようになると、“性=精=清=正=聖=性”という言霊循環方程式が壊されるのである。
 キリスト教会における性の管理状況がどのようなものであったのかが、下記に分かりやすく記述されている。
 一般の信者たちは、子孫をもうけるという神聖な目的のためにこそ結婚とセックスが許されており、しかも結婚はちゃんと教会に行って神のお墨付きを得なければならない。そしてこの時代、人里に生まれたからには全員、最寄りの教会に仕切られる信者の一人となった。
 当時の状況を理解するのにいい例を挙げよう。
『ロミオとジュリエット』の二人が、親の説得など試みる前に、両想いとわかるが早いか神父の前での秘密の挙式を急いだのはなぜなのか? それはズバリ、早くセックスがしたかったからだろう。逆に言えば、当時の人々にとっては、それをするためにはまず教会の手続きを踏まなければいけない、という観念が染みついていたのだと言える。(p.48-49)

 

 

【権力者たちが大勢の女性に囲まれていた訳】
 セックスを積極的に活用して現世の幸福をモノにしようという考え方とそのテクニックが、密教の形で脈々と受け継がれてもいた。中国では道教に含まれる「房中長生術」、インドでは、ヒンズー教の世界観を元に生まれたヨガ体系の中にある奥義・「タントラ」として。
 その奥義の中身とは、・・・中略・・・、男を表す「陽」の気と、女を表す「陰」の気の交わりから生まれるエネルギーを、射精で外へ出してしまわずに、体内で大量に吸収すれば、勢力がグングン増して若返り、果ては不老不死の夢ではない、というものだ。・・・中略・・・。
 実は中国の皇帝やインドのマハラジャたちが、何百人もの女を自分専用の妻や妾として囲っていたのはそのためで、大勢の女の体液から得られる気を吸収し、それを自分のエキスである精液は漏らさないまま、一方的に貯めることで超人になろうという、野望に根差したものだった。(p.50-51)
 現代のシャーマンさんも、気の観点から周辺には若い異性をたくさん配置しているはずである。周りがおじちゃんやおばあちゃんばかりだと、気を吸い取られてしまう。
 なお、介護を職業とする方々は、意外に「疲れる」と感じているだろうけれど、気が吹い取られるから。気を過剰に発散させている赤ちゃんや幼児と老人の組み合わせは、双方にとってベストマッチ。半ボケ老人たちは、デイサービスに通うより、同じ時間だけ保育園に居た方が、顕著に回復するのである。

 

 

【マグダラのマリアに関する教会権力の作為】
 命がけで愛の実践を説いたイエスの死後、教会権力として組織化されたキリスト教は、一部の人が伝え残したように、イエスが相思相愛の伴侶を持っていたという事実を隠蔽し、伴侶・マグダラのマリアを「元娼婦」で信仰により汚れから救われた弟子の一人と偽ってまで、セックスを聖なるものから切り離して、罪のにおいをまぶしたのだ。(p.68)
 マグダラのマリアに関するこの改竄は、とてつもなく大きな影響力を持っていた。
 性のもつ本当のパワーを知っている「密教」に通じた人々は、下記リンクにあるように、マグダラのマリアを「元娼婦」などという見方などしていない。一般人の力を封印するためにこそ「顕教」において「元娼婦」という解釈が施されたのだろう。
   《参照》  『クラリオン星人にさらわれた私』 マオリッツオ・カヴァーロ (徳間書店)
            【聖杯とマグダラのマリア】
   《参照》  『根源への道 日本の神々』 佐田靖治 (光泉堂) 《前編》
            【ユダヤの神界劇と日本神話】

   《参照》  “マグダラのマリア”に関する引用一覧

 

 

【性は本能ではない】
 性行動もこれ(言語習得)と同じく、生まれつき備わっている能力ではなく、後から身につけるものだという事実が、18世紀から20世紀にかけて、世界各地で発見された「野生児」達の行動で証明されている。野生児とは、オオカミ少女で有名なアマラとカマラをはじめ、赤ん坊の頃から人間のいない環境に適応して育ち上がってしまった少年少女たちのことだ。
 ・・・中略・・・。合わせて50数名にもなった彼らの全員が、思春期の年齢を過ぎて体には第2次性徴が現れても、まったく性行動への欲求を示すことがなかったそうだ。〔参照:『野生児 - その神話と真実』L・マルソン著/福村出版〕 (p.70)
 つまり、セックスは本能などではない。
 では何なのか?
 するとつまり、人間のセックスは生まれつきの本能ではなく、社会的に学習された意志的なものということになる。・・・中略・・・。それだけでなく、人類共通の発情期が決まっていないということは、それこそ人間のセックスが単純な本能的行為とは違って、別の目的を持たされた行為だから、ということにほかならないのだ。
 では、セックスの目的とは何だろう? それはおそらく、「相手と融合したいという意志の表明」なのではないだろうか。(p.71)
 「相手と融合したいという意志」は、男女という陰陽(二元性)の世界から、一元性の世界への回帰願望が、魂に刻印されているから生ずるものと言っていい。

 

 

【全身全霊の行為】
 セックスをすると、肉体だけに限らず、このオーラも混じりあうことになる。けれども、セックスを罪悪視させたり、「下半身の問題」とさせる刷り込みのお陰で、性の交わりが、全身全霊を融け合わせる行為なのだという真実が忘れ去られてしまった。
 「全身全霊の行為」とは、こういうことだ ―― 体の奥深いところで波長の合った相手と、目に見える肉体だけでなく、目には見えないエネルギー体としてのオーラや、胸の内に抱える魂なども引っくるめて、自分が持っているすべての器官を使って全力で一つになろうとすること。・・・中略・・・。
けれども、本当に「交わるべき相手」とであれば。肉体同士が触れ合うより先に、オーラ同士がまじりあっただけで、セックスの最中のオルガズムにも似た震えが体に起こることもあるのだ。
 私も、そんな体験をしたことがある。・・・中略・・・。それが交わりの果てに起こる時には、性器の場所から始まるけれども、肉身に触れ合う前に起きるそれは、性器の部分を飛び越えて、胸の中心から沸き起こる感じだ。その震えがやがて、上半身へ、下半身へと波及してゆくのだ。このように、肉の交わりをしなくてもほとんど同じように、人の体が愛を表現するように造られているということは、脅威ではないだろうか。(p.73)
 肉の交わりをしなくても、胸の中心から沸き起こる震えは、セックスによる震えを超えた、繊細な(愛を表現する)震えになっている。
 セックスを介して、第1のチャクラ(ムラダーラ・チャクラ)のエネルギーがスシュムナー管を駆け上って第4のチャクラ(アナハタ・チャクラ)に達すると、『ハートの聖なる空間へ』 の回路が開ける。そこは二元性を超えた世界への入り口である。

 

 

【非婚化・晩婚化の理由】
 世の評論家たちはその原因を、人間関係の希薄化によって仲人おばさんが減ったからだとか、いや何より、お金を自由に使える独身者にこそ楽しみの多い社会であって、生活レベルを落としたくないからだと言う。いやいや、こういうのは核心の理由に触れないで済ますための心理的なカモフラージュだと私は思う。・・・中略・・・根本の原因といえば、やはり「結婚しなくてもセックスできるから」というのが一番大きく響いていることと思う。(p.97)
 経済格差と著者の語っている理由の2つが大きな理由だろう。

 

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